第十六話:ダンスパーティ
食事会で提供したコースは、四大公爵をはじめとした貴族たちに大好評のまま終了し、ようやく肩の荷が下りた。
本当は、このままティナとクロエを呼んで俺たちだけの食事会を開催したいが、もう一つだけ仕事が残っている。
俺はほかの貴族たちに交じり、懇親会があるダンスホールに向かった。
食事会は無事終了したが、気になることがある。
ヘルトリング公爵だ。彼はあの優男の仮面の下に何かを隠している。
そして、俺に並々ならぬ関心をもっていた。
今後、何かを仕掛けてきてもおかしくない。
「難しい顔をしていますわね。クルト様はダンスパーティはお嫌いですの?」
「そういうわけじゃないんだ。少し気になることがあってね」
心配そうに問いかけてきた隣に立つ桃色の柔らかな髪を持つ美少女に微笑みかける。
俺の婚約者であるファルノだ。
発育のいい体を、髪と同じ桃色の可憐なドレスで包み込んでいる。
「そのドレス、初めて見せてくれたけど、可愛いよ。ファルノの暖かな雰囲気にぴったりだ」
「クルト様はお上手ですわね」
ファルノが頬を染めた。
彼女から視線を外し、周囲を見まわす。
さすがにレナリール公爵が主催するダンスパーティだけはある。
超一流の楽団による生演奏が響き渡り、レナリール公爵家の誇るお抱えの料理人たちが全力で贅をつくした軽食が振る舞われ、酒も最上のものが用意されている。
このパーティ一回で、俺の開拓村のひと月分の予算を軽く上回るだろう。
この場の料理には関わっていない。できればゆっくりと味わって、この土地の文化と技法を学びたい。だが、おそらくそんな暇はないだろう。せっかくのチャンスなのにもったいない。
「ふふ、クルト様と一緒にパーティに参加できて良かったですわ」
「俺としては厨房で鍋を振っているほうが楽だったんだけどな」
それは紛れもない本音だ。
お菓子を売るための販路や、商売の許可などを得るためのコネには興味はあるが出世には関心がない。
こうして、魑魅魍魎が巣くうダンスパーティに参加するのは苦痛でしかない。
裏方に回りたかったが、レナリール公爵に参加するように言われ、こうして一人の貴族として馳せ参じるしかなかった。
周囲の貴族たちは、これだけ素晴らしい音楽や酒にも目もくれず、人脈づくりに精を出していた。
本来なら、俺もああするべきだろう。
「そんなことを言っては駄目ですわ。クルト様は私の婚約者なのですから」
「そうだな。可愛い婚約者に恥をかかせるわけにはいかないね」
俺がそう言うと、ファルノが俺の腕に絡みついてくる。
彼女の言うことも一理ある。たとえ出世に興味がなくても、他の貴族の不興を買うことは避けたい。それなりな対応をしないといけない。
そんなことを考えていると、フェルナンデ辺境伯が一人の男を連れて現れた。
「やあ、クルトくん。パーティを楽しんでいるかね」
「ええ、楽しませていただいております。これほどの音楽や美酒、この機会を逃せば二度と味わうことはできませんから」
「君に会いたいという侯爵や、伯爵が山ほど居て紹介を頼まれているんだが、どうするべきだと思う?」
「フェルナンデ辺境伯の顔をつぶさずに済む最小限の方のみを紹介していただければ助かります」
俺の言葉を聞いて、フェルナンデ辺境伯が苦笑した。
「まったく、君には欲がないな。人脈を広げるチャンスなのに。……いや、君にはそんなものは必要ないか。なにせ、レナリール公爵をあそこまで感動させたのだから、彼女の寵愛を受ける以上、ここにいる貴族たちのご機嫌取りをする必要もないね」
フェルナンデ辺境伯は軽口を言う。
だが、その言葉は的を得ていた。
「そして、あなたという実力者にも目をかけていただいておりますし」
「ははは、嬉しいことを言ってくれるね」
「ただ……」
俺は、そこで一度言葉を区切る。
「一人だけどうしても挨拶したい方がいます。フレンヘッツ男爵です。弟のヨルグを預かっていただいたあの方に礼を直接伝えたい。そして、できればヨルグの近況を知りたいのです」
ヨルグは、俺と比較されるごとに蓄積した劣等感に押しつぶされて歪んでしまった。
だから、一度アルノルト領を出して、俺とは比較されない場所で一人の男として自分の実力と才能を試すことにしたのだ。
ヨルグはフレンヘッツ男爵領に向かい、そこで家臣となっている。
ちょこちょこと、手紙でやり取りしており、その手紙の中では順調そうに書いているが、あいつは意地っ張りなので、いまいち信用できない。兄として彼の上司の声を聴きたいのだ。
「あはは、なんだそんなことか。君は弟想いだね。ちょうどいい、実はフランへッツ男爵も君に会いたいと言っていてね。連れてきているんだ」
フェルナンデ公爵がそう言うと、隣に居た男が俺に向かって微笑みかける。
彼は、鍛え抜かれた体を持つ大男だ。
質実剛健を絵に描いたような容姿。どこか父に雰囲気が似ていた。
「フランヘッツ男爵、初めまして。挨拶が遅れてもうしわけございません。私はクルト・アルノルド次期準男爵。ご高名なフランヘッツ男爵にお会いできてうれしく思います」
今の言葉はお世辞ではない。彼の有能っぷりはフェルナンデ辺境伯の寄子たちの間では有名だ。
俺の挨拶を聞いたフランヘッツ男爵は、がははと男臭く笑う。
「聞いたか、フェルナンデ。今をときめくクルト・アルノルトに、褒められたぞ。俺もなかなか捨てたもんじゃないな」
「クルトくんのは世辞だよ。真に受けるな」
フェルナンデ辺境伯と、フランヘッツ男爵は身分の差も感じさせず旧来の友人のような話しぶりだ。
そういえば、父からこの二人は幼い時からの友人で、戦友だと聞いている。なんでもフランヘッツ男爵は最前線で指揮を執り、フェルナンデ辺境伯の信頼が厚く。フェルナンデ辺境伯の命を救ったこともあるらしい。
「いえ、世辞ではありませんよ。開拓を行っているもので、あなたの名前を知らぬものはおりません」
「よせよせ、背中が痒くなる。まったく、華々しい活躍をしているのだから、増長して、調子に乗っているかと思ったら、可愛くない。さすがは、ヨルグの兄だな。あいつが自慢するだけのことはある。いや、それ以上の男だ」
少し、照れくさくなる。あいつは俺のことを褒めていたのか。
「ヨルグは元気にしていますか?」
「おうよ。今じゃ俺の右腕だ。槍の腕が経つ、頭の回転もいい。最近、魔力にまで目覚めやがった。なにより、ひたむきで、なんでもすぐに覚える。奴が来てくれて助かっているよ」
ヨルグは頑張ってくれていたのか。それを聞いて安心した。
「これからも、あいつをお願いします。ひねくれていますが、根はいいやつです」
「もちろんだ。あの男を冷遇するほど、俺は馬鹿じゃない。ただな……」
フランヘッツ男爵が難しそうな顔をした。
俺はその様子を見て若干不安になった。
「どうかなされましたか?」
「もともと、里が恋しくなったら帰してやる約束だったが、帰してやるのが惜しくなった」
俺はこらえきれずについ笑ってしまう。
そうか、ヨルグはそこまで認められているのか。
「最終的にアルノルトに戻るか決めるのはあいつです。返したくなければ、あいつが帰りたくなくなるような扱いをしてやってください」
「だな。娘を一人くれてやるか。ちょうど、三人目がヨルグに惚れてたし、あいつもまんざらじゃなさそうだ」
そうして、しばらくヨルグについて盛り上がった。
どうやらあいつは、この屋敷にフランヘッツ男爵のお付きとして来ているらしいが、一人前になったと胸が張れるようになるまで俺とは会いたくないと言っているらしい。少し、残念だが、そんなことを言ってくれたのが嬉しかった。
◇
フランレッツ男爵と別れたあとは、ファルノと共に何組かの貴族と挨拶した。
レナリール公爵のお気に入りである俺に取り入って、おこぼれを得ようするものは多かったが、身分の高いファルノが防波堤になってくれて助かっている。
もし、俺が一人であれば身分の低さに付け込まれて、悲惨なことになっていただろう。
ようやく、挨拶回りが一段落が付いたころ、ファルノが物欲しげな顔で俺を見ていた。
なぜ、そのような顔をしているか考える。
そういえば、さきほどから楽しそうにダンスホールの中央で踊る男女をしきりに見つめていた気がする。
「ファルノ、俺たちも踊ろうか?」
「はい、クルト様! 喜んで踊らせていただきますわ」
きっと、踊りたかったが、女性の口からは言いにくかったのだろう。
「ただ、俺は生まれてこのかたダンスなんて踊ったことはない。無様でも笑わないくれよ」
「大丈夫ですわ。私がリードしますから」
そうして、俺たちはダンスが行われている中央に向かう。
俺たちがそこに行くと周りから注目が集まった。
無理もない。俺は一躍時の人となっているし、ファルノは目を引くほどの美少女だ。
注目を浴びながら、俺とファルノは踊り始める。
「クルト様、本当に初めてですか? すごく滑らかな動きです」
「周りの動きを見て覚えたからね。それにファルノの動きに合わせているんだ。そうすれば、自然にダンスになる」
言葉のとおり、案外なんとかなっている。
細かな所作はめちゃくちゃだろうが、大筋はあっているようだ。
音楽とファルノの動作と呼吸に集中し次の動きを予測。そして合わせている。
「素敵なクルト様が見られてうれしいですわ。でも、複雑な気分です。私、まともに踊れるようになるまですごく苦労しましたもの」
思わず噴き出しそうになった。
こういう時折見せる子供っぽいところもファルノの魅力だろう。
しばらくして、曲が終わる。
ダンスは終わり、名残惜しそうにファルノが手を放した。
貴族たちは同じ相手と二曲続けて踊ることは少ない。この、名残惜しさが残っているぐらいがちょうどいいだろう。
ファルノから離れるとたくさんの貴族令嬢たちが集まってきた。
ダンスの申し込みのつもりだろう。
できれば、断りたいが……
そんなことを考えていると、人だかりが割れた。
そこに居たのは、レナリール公爵その人だ。
落ち着いた金色の髪はどこまでもあでやかに。黒く妖艶なドレスが彼女の魅力を引き出す。
ファルノやティナは可愛らしいという表現が似合う。だが、この人は美しいと表現するべきだろう。
「クルト・アルノルト次期準男爵。今日はごくろうさま。想像していたより、ずっと素晴らしい料理だったわ」
「その一言で、私の努力が報われました」
「よろしければ、私と一曲踊ってくださらないかしら?」
その一言であたりがざわつく。
公爵と準男爵、本来なら話すことすらためらわれる。
それでも、今日だけは許されるだろう。
「ええ、喜んで」
俺は手を出し、彼女が俺の手を取った。