第五話:レナリール公爵
空の旅はなかなか快適だった。
ほとんど揺れず酔うこともない。
風や雲の影響を受けるかと思っていたが、竜はそれらを退ける。
竜は翼の羽ばたきで飛んでいるわけではなく、魔法の力で飛んでいる。さらに風を押しのけながら飛ぶらしく。竜の周辺はほぼ無風状態となっており、竜が引く気球もその恩恵を受ける。
そして、気球を見てクロエが気持ち悪いと言った意味がわかった。これの動力は翡翠の宝玉だ。
肌に感じる魔力に覚えがある。
後でクロエに何かプレゼントしよう。俺に付き合わせて不快な思いをさせてしまったことを詫びたい。
◇
竜が着陸できる広い土地は、街の郊外にしかないらしく一度そこで降りて馬車に乗り換えた。
街並を見ていると驚く。
この街はレナリール公爵の本拠地となるマーラルだ。
一言で表現するなら品が良い。
活気や人の多さはフェルナンで辺境伯が治めているエクラバより劣るが、整然としていて一つ一つに美意識を感じる。
ここに住めるものは、上流階級だけだと言うのもあるのだろうし、長い歴史の積み重ねがこの街の魅力を引き出している。
「こんなものを見ると、自分が田舎ものだということを思い知らされますね」
「クルトくん。その気持ちはわからなくないよ。この格調高さと佇まいを真似することはできない」
「その通りです。ですが私は、エクラバのほうが好きですね。あそこには熱さがある」
エクラバは貧富の差が大きい。
世界中のありとあらゆるものが集まり、人もどんどん入れ替わる。
故に、成り上がってやろうと考える人間たちが集まる。
それは活気となり、街全体に力を与える。
「嬉しいことを言ってくれるね。そろそろ、公爵家に着く。気をしっかりともっておきたまえ」
そうして、ついにレナリール公爵の屋敷に辿り着いた。
フェルナンデ辺境伯の屋敷を見たときも驚いたが、ここはそれ以上だ。
重厚なレンガ造りの巨大な屋敷、庭も広大で隅々まで手が行き届いている。
隅から隅まで職人たちの神経が通っており、完全な配置。少し呑まれかける。
庭があまりにも広いため馬車で庭を走る必要があった。美しい庭を楽しみながら馬車は駆けていく。
フェルナンデ辺境伯の娘で、こう言ったものを見慣れているファルノも流石に見惚れて言葉を失っていた。
逆にティナとクロエはあまり興味が無さそうだ。
彼女たちに聞いてみると、手が入りすぎて不自然で、俺の村のラズベリー畑のほうがよほど美しく見えるそうだ。
自然と共に生きる、エルフと狐獣人だからこその感性だろう。
◇
屋敷についた後は、しばらく滞在する部屋に案内された。使用人は別に部屋を用意するかを聞かれたので、ティナとクロエの顔を見る。
その顔に一緒がいいと書いてあったので、一緒に居るようにお願いした。
貴族たちの中には、自分の使用人や護衛が常に共に居ないと落ち着かないいと言うものも多く自然に受け入れられたようだ。
用意されたのは、部屋と言ってもホテルのシングルのようなものではない、日本で言えば4LDKと言えばだろう。かなり広く、なおかつ調度品など も全て一級品だ。
「歓迎されているようだね」
「はい、すっごい部屋です」
「うん、すごすぎて、もうそれ以外の言葉がでないよ」
間違っても、准男爵家の跡継ぎに用意するような部屋ではない。
准男爵家なんてパーティに呼ばれても、宿? ああ、自分たちで勝手に適当な宿をとってね。
なんて扱いが普通だ。
こんな賓客ようの部屋を用意されているということは期待されているのは間違いない。
ティナとクロエは、好奇心に目を輝かせて、まわりをキョロキョロと見渡している。
「二人共、壊さないなら好きにしていいよ」
俺がそう言うなり、二人は騒ぎ始める。
「クルト様、このベッドふかふかです」
「みて、クローゼットの中に、綺麗な服がたくさん。好きに着ていいのかな」
「こっちには、フルーツが置かれてます」
「ここに置いてるお茶、いい匂いがするよ」
もし、俺意外が二人を見れば使用人の態度ではないと怒るのだろうが、俺としては彼女たちが喜んでいるのを見ると楽しい。
だが、時間はない。
すぐに謁見の時間だ。可能な限り身だしなみを整えないと。
◇
身だしなみを整えた俺は、俺はファルノとヴォルグと合流してレナリール公爵の待つ、謁見の間に向かう。
公爵家ともなると、そういった部屋も当たり前のようにもっているのだ。
フェルナンデ辺境伯は一足先に出ている。まず、俺を交えずに話さないといけないことがあったらしい。
特にそのことは気にしていない。公爵や辺境伯ともなるとそう言った案件があってしかるべきだ。
「クルト様、すごくお似合いですわ」
「公爵の前に出られるような服はこれしかないからね」
俺が身にまとっているのは、以前の婚約発表でフェルナンデ辺境伯から頂いた服だ。
これなら、服装で怒りを買うことはないだろう。
「ファルノも、初めて見るドレスだけどよく似合ってるよ。白いドレスに、桜色の髪が映えてる。お姫様みたいなふわふわのドレスも好きだけど、すっとしたドレスも綺麗だよ」
ファルノは、白くて爽やかな印象を与えるドレス。いつもよりシルエットがすっきりしていた。
可愛らしくて柔らかいデザインを好むファルノにしては珍しい。
「綺麗だなんて、そんな。クルト様、口がうまいですわ」
ファルノが両手を頬に当て照れている。
その後ろでヴォルグが微笑ましそうに俺たちを見ていた。
こっちまで照れてしまいそうだ。
「ファルノはレナリール公爵に合ったことがあるのか?」
「数回ほど。とは言っても、彼女が公爵になる前の話ですわ。年齢が近いのでそういう機会が多かったのです」
「公爵になる前?」
「クルト様が知らないのも無理がないですわね。レナリール公爵は先の戦争で戦死、その後はレナリール公爵のお兄様が当主だったのですが、そんな彼も二年前に病死、唯一残された直系の血を持った今のレナリール公爵が当主となったのです」
その辺りの上流階級の事情はなかなか、アルノルトみたいな僻地には伝わってこない。
女性の当主なんて変わっていると思ったがそんな事情があったのか。
「ファルノと似たような年齢だと大変だろう」
「ええ、まだ一八歳ですわ。その年齢で公爵となったのですから、その重責は計り知れませんわね」
正直、俺がそうなったらと思うとぞっとする。
准男爵と公爵では肩にかかる重さが違いすぎる。
「……そして、その若さでありながらよりいっそう領地を発展させております。お父様ですら、その実力に一目を置いているのです。はっきり言って化け物ですわ。私のあこがれです」
「フェルナンデ辺境伯が一目置いているのなら間違いなく優秀だな」
「父が、手放しに褒めている人なんて、クルト様を含めて片手で数えられるほどしかおりません」
なら、隙は見せられない。
気を引き締めて行こう。
◇
レナリール公爵の配下の許可をもらい、謁見の間に入ると既にフェルナンデ辺境伯がレナリール公爵と話をしていた。
レナリール公爵は、あらかじめ聞いていた通り年若く、そして美しい暗い色の金髪をした女性だった。身に纏うドレスも豪華だが品がよくいやらしさを感じさせない。
一段高い玉座にレナリール公爵は座り、フェルナンデ辺境伯は謁見の間の中央で立って話をしている。
聞こえて来るのは雑談ばかりなので、本題はもう終わったのだろう。
俺とファルノはフェルナンデ辺境伯の隣まで来ると、その場で跪く。
公爵にこちらから声をかけることは許されない。彼女が口を開くのを待つのだ。
「長旅お疲れ様。ファルノ・フェルナンデ。アルノルド次期准男爵。無理なスケジュールに応えてくれたことを感謝するわ」
「いえ、この力を我が国の未来のために使えること、光栄に思います」
不満なんて言えるわけがないので、頷く。
「顔をあげなさい。なるほど、あなたがクルト・アルノルトね。いい面構えだわ。理知的で自信に溢れて。フェルナンデ辺境伯の秘蔵っ子。彼が抱え込みたくなる気持ちもわかるわね」
「フェルナンデ辺境伯にはよくしてもらっております」
「ここに呼んだ理由は聞いているわよね?」
「一週間後に迫っている、四大公爵を集めての食事会。そこで、誰も口にしたことがない、新しく、なおかつ美味なコースを振る舞う必要があると聞い ています」
「ええ、その通りよ。その背景も知っているわね?」
「はい、もちろん」
フェルナンデ辺境伯から聞いた話を思い出す。
戦争を止めたい王国派と、戦争をしたい貴族派の対立。
王国派の発言力を高めるために、食事会で力を見せつける必要がある。
たかが食事会でと思うかもしれないが、こう言った話は珍しくない。
例えばオーストリアは、お菓子を外交の武器としていた。ウィーン宮廷菓子を使った華麗なる食卓外交は有名だ。
「私は戦争を止めたいの。そのためにあなたの力を借りるわ。もっとも、槍の一族、武のアルノルトとしては、戦争があったほうがいいのかしら?」
確かに一理ある。
もともと、アルノルトの初代はただの平民で槍一本で成り上がり貴族となった、父ですら戦争で名をあげて、褒章をもらい、その褒章をもって傾いて いたアルノルトの財政を立て直した。
だが……。
「それは、父の代までです。私は、槍ではなくお菓子の力で名をあげて見せます。戦争は必要としません」
それは夢であり、誓いだ。
次期当主となった際に領民に宣言した。それを違えることはできない。
戦争になって時間をとられるわけにはいかない。
「面白いわね。あなたは戦士ではなくコックと言うわけね。そう、アルノルトは武を捨てるのね」
「確かに戦士ではありませんが、コックというわけでもありません。私は菓子職人です」
俺の言葉を聞いた、レナリール公爵は目を丸くして笑った。
そんな彼女に追い打ちをかけるものが現れた。ヴォルグだ。
「恐れながら閣下、この場で発言させてください。我が主の婿殿を過小評価されては困ります。たしかにクルト様は菓子職人ですが、武を捨てたわけではございません。彼の武はいずれ私を超えるものでしょう。そして、優れた統治を行い、料理の腕も確か。彼は、政治ができ、料理を作れて戦える菓子職人です」
俺は二重の意味で冷や汗を流していた。
いやにべた褒めされたこともそうだし、ヴォルグがこの場で発言したこも冷や汗の原因だ。本来、貴族ではない彼の発言はこの場では許されていない。
「もう、めちゃくちゃね。多才すぎるわ」
だが、レナリール公爵はくすくすと笑うばかりで咎める様子はない。
「ヴォルグ、久しいわね。先の大戦の英雄が、まだ執事の真似事なんてしているのね」
「真似事ではありません。私は、ファルノ様の執事であることに誇りをもっております」
「そう、帰ってくるつもりはないの?」
「少なくとも、ファルノ様が嫁ぎ、子をなし、その子供が自立するまでは」
「……その頃には私も、あなたも引退を考えているころね。そう、わかったわ。フェルナンデ辺境伯だけでなく、あなたにそこまで言わせる男。楽しみだわ」
レナリール公爵の俺を見る目に熱が篭った。
すさまじい眼力だ。
「アルノルト次期准男爵。今日から準備に取り掛かってもらうのだけれど、やる気を出していただくために褒章の話を先にさせていただくわ。期待していいわよ。私は、恩には報いるの」
生唾を飲む。
公爵が期待していいと言うほどの報酬。生半可なものであるはずがない。
「まず、今後あなたが売り出すお菓子。その全てに対してレナリール公爵家の御用達であることを明記していいわ」
そのメリットはかなり大きい。
レナリール公爵は一流のものしか認めない。その彼女が認めたものなら、この国中の貴族が群がってくるだろう。
さらに、レナリール公爵の後ろ盾があるとアピールできる。この国で商売する上で、これ以上に便利な看板はない。
「次に、私の街マーラルで秘匿されている、レシピ。その全ての閲覧の許可を与えるわ」
それもまた、嬉しい。この世界の製菓技術は遅れているとはいえ、この世界の人々が必死に積み上げて研磨してきたものだ。俺の知らない技術や発見 は山程ある。
「あなたの領地に対して、三年間税を免除するわ。浮いたお金はアルノルトの発展のために使いなさい」
三年間の税金免除これは非常に嬉しい。
はっきり言って、一時的に現金を渡されるよりも効果が高い。稼げば稼ぐほど税金は増える。
だが、そのことを一切気にしなくて全力で稼げる。
「やる気になったかしら?」
「それはもう」
アルノルトの発展に置いてこれ以上の条件はないだろう。
「なら交渉成立ね。ちょうどいい時間だし夕食に招待するわ。あなたはまず、私の料理人たちの腕を知ってほしいの。その上で、”最低限それ以上の料 理は作れるか”それを本気で考えて欲しいわ」
「そこで失敗すれば」
「帰ってもらうわ。ここで帰ることになっても罰は与えない……でも、残念なことに。この試験に失敗すると、あなたは菓子職人としても料理人として も失格のレッテルがはられてしまうわね。心して挑みなさい」
これは一つの試験だ。
安全策を考えるなら、不合格になったほうがいいかもしれない。失敗すれば今回の食事会の責務から逃れられる。菓子職人失格のレッテルも、四大公爵の前で、彼女に泥を塗るよりはましだ。
だが、俺はわざと失敗する気なんてない。
これは菓子職人としてのプライドをかけた戦いなのだから。
全力で挑ませてもらおう。