エピローグ:帰還
「クルト、この里を救ってくれてありがとう。心の底から感謝している」
翌日、コルトの屋敷の前で彼と向かい合っていた。
彼は薄く笑っている。
この場には、俺たちのほかには、ティナとクロエが居た。
「俺はお菓子職人として最高の果物を得るため、そしてティナのために行動しただけです。それに俺の力だけじゃ救えなかった。あなたの決断と助力がなければ手詰まりでした」
謙遜ではなく本音だ。
きっちり実益が出ているし、もしコルトの助けがなければどうにもならなかっただろう。
「それでもありがとう。約束通り、この里でとれる作物すべての一割を毎年贈らせてもらう」
俺は首をかしげる。
今、何か変なことを言ったような気が……
「ピナルの実を一割ですよね」
「まさか、わしはそんなケチなことは言わぬ。この里でとれる作物の一割だ。パプル、ラママ、ヨナ……他にもいろいろと育てている、それぞれ贈らせてもらおう。それとクルトが葛と呼んだ雑草。あれも好きなだけもって帰っていい」
パプルはぶどうのようなもの、ラママは米のような作物。ヨナは初めて聞いたが、だが、間違いなく素晴らしいものだろう。
確実にお菓子の輸出の武器になる。
「こちらとしてはすごく魅力的な提案ですが、本当によろしいのでしょうか?」
はっきり言ってもらいすぎだ。少し後ろめたくなるぐらいに。
「精霊の里でもとれすぎて肥料にしている分だから、構わんよ。エルフの魔術で作り出す水で作物を育てると、いつも豊作になるのだ」
安定した水の供給だけでも作物を育てる上でおそろしいほどのアドバンテージなのに、そんな効果まであるのか。かなりうらやましい。
「では、ありがたくいただきます。ただ、もらいすぎなのでこちらからも贈り物をさせていただきます。精霊の里の作物も素敵ですが、人間の町にも素晴らしいものがたくさんあります」
「ああ、楽しみに待っているよ。うまいお菓子がいいな。クルトの作ってくれたあの透明なお菓子は最高の味だった」
「そう言ってもらえると嬉しいです。今度はまた違ったお菓子を御馳走しますよ」
お互いに顔を見合わせて笑う。
そろそろ出発の時間だ。名残惜しいがそろそろ会話を切り上げないといけない。
「クルト、もう行くのだな。もう少しゆっくりして行ってもいいのだぞ?」
「いえ、そういうわけにはいきません。俺の治めている領地もありますし」
随分と村を留守にしている。
いろいろと心配だ。冬越しの準備を進めないといけないし、本格的にお菓子を輸出するための準備をしないといけない。レシピの考案のほかにもフェルナンデ辺境伯との事前の根回しなどやることは盛りだくさんだ。
雪が積もって山越えが出来なくなる前に形にしたい。
「そうか残念だ。里をあげて、盛大に感謝をしたかったのだがな」
「お気持ちだけ受け取っておきます。それはまたの機会に」
コルトとの会話が終わった。
精霊の里を出るまえに、最後の確認をしよう。
「……ティナ、本当に良かったのか」
隣に居るティナに問いかける。
ティナとは昨日も話したが、この場でも聞いておきたかった。
「はい、私はクルト様と一緒にアルノルトに戻ります。この里もいい場所だと思います。でも、私はクルト様のパートナーで、私の故郷はあの村だから」
ティナがはにかむ。
ティナには望むのなら、この里に残ってもいいと伝えていた。
肉親が居て、豊かなこの里ならティナは幸せになれる。
だが、ティナは俺と一緒に居ることを選んだ。
「ありがとう。ティナ」
「ありがとうなんて、そんな、私はただ、クルト様と一緒のほうが」
顔を真っ赤にしてティナはうろたえる。
せっかく俺を選んでくれたんだ。絶対に幸せにしないと。
「クロエもいいのか? 別に無理をする必要なんてないんだぞ」
「無理なんて、全然してないよ。ほかのみんなは『お菓子を食べただけ』。でも、わたしははじめっから医者としてのクルトを里に招いたし、母さんの治療を頼んだ。どうみても里の掟を破ってる。だから、里を出るのは当然だよ」
クロエが明るい口調で告げてくる。
「悪いことをしたな。里を出ざるを得なくして悪かった」
もう少し気配りができていれば、クロエは里を出る必要がなかったのに。
「ちょっ、ちょっと待って、冗談、冗談だよ。別に掟とか無理やり里を出るわけじゃないから。クルトとの連絡役が居ればいいってコルトおじさんが言ってたから立候補しただけだよ。わたしが行きたいから行くんだよ。だって、ほら精霊の里に居るより美味しいお菓子がたくさん食べられるし!」
若干ほほを紅潮させながら、早口でクロエはまくし立てた。
少しほっとする。無理やりというのはあまり好きじゃない。
クロエが来てくれるのは、非常に助かる。長期的に果物を仕入れるならパイプ役は必須だ。それにクロエの水魔術はいろいろと便利だ。力を借りる機会もあるだろう。
ティナが俺の手をぎゅっと握って、クロエを見ている。
「あげませんよ」
そして、ぼそっと言った。
「あはは」
クロエは冷や汗を流しつつ乾いた笑いを浮かべた。
俺はなんとなくティナの頭に手を置いてぽんぽんとすると、ティナが幸せそうに眼を細めた。
◇
そして出発の時間が来た。
荷物はすでにまとめてある。
何人か精霊の里のエルフと狐獣人の若者たちがやってきた。コルトが手配してくれていた人員だ。
彼らは、背中に大きな籠を背負いたくさんの果物を運んでくれる。俺たち三人ではあまり果物を運べないと気を利かせてくれていた。
さらに、クロエと一緒にアルノルトでしばらく過ごすらしい。コルトいわく働き者で素直な若者たちだそうだ。
精霊の里の門にまでたどりつくと何人もの里の民が居た。
治療とはいえ、少し強引な手を使ってしまった。俺を恨んでいる里の民が居てもおかしくない。
彼らが口を開く。少し、身構える。
しかし彼らの放った言葉は……
「ありがとう。兄ちゃん」
「お菓子美味しかったよ」
「助かった。あんたは命の恩人だ」
次々にかけられるのはあたたかい言葉。
目頭が熱くなる。
「これ、もっていけ。俺が作った酒だ」
「ちょうどいい感じに干し終わったジャーキーだ。クルトの村へのお土産にもっていけ」
「特上のピナルだ。これほどのピナルは里でもなかなか見れないぜ」
「うちのチーズは絶品だぜ」
そうして、次々にお土産を押し付けられる。
米で作った酒、イノシシのジャーキー。ひと際大きいピナル、おいしそうなチーズの塊など。
荷物がぱんぱんになっていく。
良かった。ちゃんと、俺の気持ちは伝わっていたんだ。
持ちきれないものは、丁重に断り、そして彼らが見えなくなるまで歩いたところで俺は振り返る。
「また、必ず来る! そのときはまた、美味しいお菓子を振る舞うからな!」
叫んだ。
けしてその場かぎりのおためごかしじゃない。
本心からの誓いだ。必ずまた来て、今度は薬なんて言い訳をしない純粋に美味しいお菓子を楽しんでもらおう。
里のほうから、待ってる、絶対だよ、そんな言葉が聞こえた。
そうして、精霊の里での俺の旅は終わった。
この里では、お菓子の材料のほかにもたくさんのものを得ることができた。
ここに来て良かった。俺は心の底からそう思っていた。
二章終了です。次から三章! 三章はお店の経営や公爵の食事会を任されたりがメイン!
二章までに作った下地で、どんどん活躍していきますよ!