第二十五話:淡雪のシルクレープ
手元にある材料は、米で作った強い酒、桃のようなピナルの実、ブドウのようなパプル、そして葛粉だけ。
だが、これだけあれば十分だ。最高のお菓子が作れる。
「材料がそろったことだし、調理を始めるよ。あとは一人でできるから二人は先に帰ってから休んでいて。明日はハードな一日になるからね」
俺がそう言うと、銀色の狐耳美少女のティナと、金髪美少女エルフのクロエは首を振る。
「クルト様、私はクルト様のパートナーです。お手伝いさせてください!」
「わたしは面白そうだから見てたいな。それに、水魔術で手伝えることがあるかもだし」
俺は苦笑する。
まあ、付き合いたいなら無理に止める理由もないか。
「わかった。じゃあ、手伝ってもらう。よろしく頼むよ」
「はい、クルト様」
「うん、任せて」
二人はやる気十分といった様子だ。
鍋に火をかける。
そして、まずはクロエがもってきてくれた米で作った酒を煮詰めていく、すると最後に残っていくのは酒のうまみを残した甘い汁。糖が含まれている酒だからこそできる芸当だ。
そうしてできた甘い汁に水を加え、皮を剥きカットしたピナルの実を入れ、さらにブドウのようなパプルのしぼり汁を入れた。
クロエにわざわざすっぱいパプルを選んでもらったのは、酸味を与えるためだ。
酒と桃とぶどうのにおいがあたりに広がる。
そこにピナルの桃色の皮を入れる。こうすると鮮やかな桃色になる。
今作っているのは、ピナルの実のコンポート。
コンポートとは、、果物を水や薄い砂糖水、洋酒などで煮て作るヨーロッパの伝統的な果物の調理法。ジャムなどと違い、果実自体の食感や風味が残っており糖度も低いため、そのまま食べられる。
酒の複雑な旨み、雅な甘さ、パプルの酸味を吸収し、ピナルはさらにうまくなる。本来、コンポートは洋酒とレモンで作るが、ピナルにはパプルのほうが合う。同じ土地の作物は相性がいいのだ。
「うわぁ、クルト様。いい匂いがします」
「もう、このまま食べちゃいたいね」
二人は、この匂いにすっかり夢中になってしまったようだ。
無理もない。俺も口の中によだれがあふれてくる。
「まだまだ、途中だよ。お菓子作りはこれからだ」
十分ほど経ってから火を止める。
ほどよい桃色に染まっている。
「こっちはひと段落ついたね。あとは余熱を冷ましてから瓶詰して一晩寝かせないといけない。そうしたら味が良くなじむんだ。ティナ、たくさん氷を作ってもらっていいかな?」
「もちろんです。クルト様!」
ティナは火の属性魔術で氷を作ってくれた。
火の属性魔術の本質は熱量操作。氷を作るのもたやすい。
「残念だけど、今日できるのはここまでだね。あとは明日だ」
その言葉を聞いて、二人が残念そうな顔をする。
「そうなんですか、今日は食べられないんですね」
「だね……でも、ちょっとだけおまけしようか」
生ぬるくなったピナルのコンポートを取り出し、小さく切る。そして、二人の口に放り込んだ。
二人は驚きに目を見開いたあと、もぐもぐと咀嚼した。
「これ、すごいです。大人な味。生で食べたピナルの実もおいしかったけど、こっちのほうがずっと複雑で素敵です」
俺は微笑む。ティナは生で食べたとき、かなりの感動を見せていた。そのときに生で食べるよりも感動させると誓っていたのだ。
「わたしも驚いた。ピナルは生が最高だと思ってたけど、こんな食べ方があったなんて」
エルフのクロエも、よほど美味しかったのか、今食べた分では物足りなく鍋のなかのピナルのコンポートを見つめていた。
「喜んでもらえてうれしいよ。でも、これで驚いていたら身がもたないよ。一晩寝かすともっと美味しくなるし、それを材料にした葛のお菓子は、もっともっと美味しくなる。これは序の口だ」
二人は目を期待に輝かせた。
「ああ、早く食べたいです!」
「だね、明日が待ち遠しいよ!」
こんなに喜んでもらえるなら作りがいがある。
そうこうしているうちに、いい感じに余熱がとんだので、ピナルのコンポートを瓶詰した。
そして、水瓶の中に氷を敷き詰め、周りを布で巻いた瓶をいれ、蓋をしめる。
こうすれば、明日の昼ぐらいまでは冷たく保てる。
「じゃあ、部屋に戻ろうか。最高のお菓子はできる。だから、そのお菓子を食べてもらうための作戦会議だ」
「はい!」
「だね。みんなを助けないと!」
そうして、俺たちは希望を胸に部屋に戻った。
◇
翌朝、俺は厨房に戻っていた。
もちろん、お菓子を仕上げるためだ。クロエとティナはコルトの屋敷で朝食を作ってくれている。
よく冷えた、ピナルのコンポートが入った瓶を水瓶からとりだす。
一つ味見する。
「うん、いい味だ。完璧な漬け加減だな」
一晩経ったことで味がこなれている。
パプルの実での酸味付けは一歩間違えばすべてを台無しにする。
それが完璧にはまった。
なら、あとはこれを材料にお菓子づくりをするだけだ。
まず、水を沸騰させ、それに葛粉を加える。
すると、水が白くなり、さらに火を入れ続けると透明になっていく。
「ここに、コンポートを作ったときの汁を加えてっと」
甘味と香りづけだ。葛自身にも優しい甘味がある。甘味をつけるのはほどほどでいい。
うすい桃色がかった透明になったところで、火を止める。
「さすがに、葛100%だと滑らかさが違う」
葛は高級品だ。
市販されている葛粉は、ジャガイモのでんぷんなどの混ぜ物がされている。
しかし、これは純度100%の葛粉。地球ですら滅多にできない贅沢だ。
そして、俺が作るお菓子は葛100%でないと旨みが発揮できない。
慎重に土魔術で作った石の板に溶かした葛を流し込んでいく。
この板は昨日作って置いたもので、今の今までティナの氷で冷やしておいた。
石の板には無数のピンポン玉を半分したような穴が開けている。
半球上の穴が半分ほど葛で満ちた。
すべての穴に葛を流し込み終わると布を石の板にかぶせた。
「さて、首尾は上場」
葛が固まるまでの間に、生のピナルの実の皮を剥き、カットしていく。
コンポートしたピナルの実は確かに生で食べるよりも美味しい。
だが、生には生の良さがある。
俺のお菓子はその両方を味わってもらう。
必要な分のピナルの実がカットし終わったタイミングで布を外して石の板を確認すると、葛がいい感じに固まっていた。水を多めにしたので透き通っており、石の色が透けて見えている。
そこに、まずコンポートにしたピナルの実をのせ、さらに生のピナルを重ねる。最後に、半球の型がいっぱいになるまで葛を溶かしたものを流し込んだ。
そして、再び布をかぶせる。
これで待つだけでお菓子は完成だ。
俺が作ったのは、素材の味を限界まで活かしたとっておきの水菓子。
果物を使うお菓子は手を加えすぎないほうがうまい。
椅子に座り、じっとお菓子の完成を待つ。
「クルト様、ご飯ができました」
「みんな、もう待ってるよ」
そんな俺のところにティナとクロエがやってきた。
席を立つ前にお菓子の出来を見ておこう。
完全に葛が固まっている。
「ああ、今行くよ。ちょうどお菓子もできたしね」
さあ、戻ろう。
そう思った瞬間、すごい勢いで二人がやってきた。
「クルト様、お菓子ができたんですね!」
「見せて、クルト。昨日からずっと気になってたんだ!」
すごい剣幕だ。
直前まで見せるつもりはなかったが仕方ない。
「しょうがないな。これが俺のお菓子だよ」
俺は皿を取り出し、型から二つだけ、お菓子を取り出し皿にもる。
半球状のお菓子は皿に乗ると、ぷるりと震えた。
「うわあ、綺麗」
「こんなの初めてみた。すごい、透き通って、プルプル震えて」
俺の作ったお菓子は彼女たちが言う通り美しいお菓子だ。
透き通るうす桃色の透明な葛の皮に、コンポートしたことで鮮やかな桃色のピナルが包まれている。
さながら水晶に包まれた宝石。
そして、その水晶はわずかな振動で波打ち震える。
日本の和菓子、あんこを葛の皮で包む葛さくらを参考に作った洋菓子。
外の皮をぎりぎりまで水分を多くして柔らかくし、透き通らせ、中に包むのはコンポートした果実。一体感を増すために、コンポートを作ったときの甘い汁を葛でできた皮に加える。
単純なお菓子だが、材料配分の見切りがひどく難しい。
水が少なすぎると固くなる。水が多すぎると崩れる。そのぎりぎりを見切らないと作れない。
「ほら、二人とも食べていいよ」
二人は見惚れるばかりで食べないので、つい言ってしまった。
「こんな綺麗なの、食べるなんてもったいないです」
「だよね、宝石みたいだもん」
そうは言いつつも、俺が渡した木のスプーンをお菓子に近づける。
ティナのスプーンが触れた瞬間、ぷるんと皮が波打った。
そしてさらに力を入れるとすっとスープンが入っていく。
コンポートした桃がさっくりと崩れた。ティナが口にお菓子を運んでいき、口に含んだ。
「んんん、んんん♪」
ティナのキツネ耳がピンとなって、尻尾がぶんぶんと揺れる。
よし、大成功だ。ティナが本当に美味しいと思ったときの反応。
となりのクロエも、無心になってお菓子を口に運んでる。
「すごいです、このお菓子、ぷるっとしたのが口の中に張り付いて、もっちりとして、でもすぐに雪みたいに消えて」
「葛だからできるんだよ」
葛の粒子は非常に細かい。だからこそほかの材料では絶対にできない滑らかで官能的な食感になる。
もっちりとした食感とさわやかさの同居なんて葛以外では絶対にできない。
まじりっけなしの100%の葛粉だから出せる食感だ。
「これすごい、食感で夢中になっちゃうけど、皮もちゃんとほのかに甘くて、中のピナルをかみしめると、すっごい果汁があふれて、一つになって、火を通してるのになんでこんなにいい香りがするんだろう」
「生で食べるより美味しくしたピナルのコンポートと一緒に。少しだけ刻んだ生のピナルを入れているんだ」
このために、生のピナルを一緒に入れている。
香りとあふれる果汁。これは生の果実の特権だ。コンポートと生、その両方の特徴を活かしたのが、このお菓子だ。
「すごい。人間って、こんな素敵なお菓子が作れるんだ」
クロエは顔を赤くして俺を尊敬のまなざしで見つめてくる。
「人間ならってわけじゃないです。クルト様、だからです」
なぜか、ティナがどや顔で胸を張っている。
「お菓子は大成功みたいだな。じゃあ、屋敷に戻ろう。みんなそろそろ待ちくたびれているころだよ」
「あっ、そうだ。クルトを呼びに来たんだった」
慌てた様子で、クロエが立ち上がる。
ティナも口元を拭き立ち上がった。
そして、何かを思い出し俺に向かって問いかけてくる。
「そうだ、クルト様、このお菓子の名前は決まっているんですか」
「うん、決めてる。淡雪のシルクレープ」
「……淡雪。口の中ではかなく消える、このお菓子にぴったりです」
ティナは俺の狙いを的確に読んだ。淡雪のはかなさと清涼感こそがこのお菓子の特徴。
そして、シルクのような滑らかな口触りのクレープというのが後半の意味合いだ。
クレープは包むという意味合いがあるので、広義ではこのお菓子もクレープなのだ。
そのあと、もう一つとごねるクロエをなだめつつ、俺たちは屋敷に戻って朝食を楽しんだ。