第十六話:祝福と絆のラズベリータルト
ファルノと子どもたちを祝うためのお菓子はラズベリータルトを作ると決めた。
ラズベリーはちょうど今が収穫期だ。
昨日、子どもたちに収穫してもらい、大部分ははちみつ漬けにして保存用にし、残りは今日使う分と村人たちに配る分にする。
はちみつ漬けは保存方法としてかなり優秀だ。
はちみつには強力な殺菌効果があり一年以上、果物を保存できる。
つまり、果物が収穫できなくなる冬にでも、瑞々しいラズベリーの味が楽しめる。それに生で食べるのと違った美味しさがある。
「少し味見してみようかな」
俺は小さくて赤いラズベリーを一切れ摘んで食べる。
口の中を爽やかな酸味が駆け巡る。
そしてほのかな甘味。生で食べると少し甘さが物足りないが、火を通すことを考えればちょうどいいだろう。
棚から、昨日のうちに作りこんでおいたタルトの生地を取り出す。
タルト生地は小麦粉にクルミ油と卵を入れて練り上げたものだ。
生地を伸ばして円形にする。薄さを均一にすることを忘れない。
そして伸ばした生地をピケ(穴あけ)をし、ふちを作り、重しをおいて空気を抜いて下ごしらえは完成。
◇
土台が出来上がったのでクリームを作る。
今回はタルトクリームに山に自生しているピスタチオを使う。
ピスタチオは油分をたっぷり含んでいる素晴らしいナッツだ。
用意しておいた、新鮮な生クリームにピスタチオを潰して作ったペーストを入れてかき混ぜる。ここで少量ずつ、卵黄とハチミツを入れることを忘れない。
生クリームが綺麗なエメラルド色に染まっていき、ピスタチオクリームは完成だ。
このピスタチオクリームなら、ラズベリーには足りない力強さと甘さを補いつつ、酸味をまろやかにしてくれる。
少し味見をする。
「うん、いい味だ」
タルト生地に完成したピスタチオのクリームを敷き詰めていく。
ピスタチオは火を通すことでさらに旨さを増す。
「あとは焼成だ」
ピスタチオクリームがたっぷりのったタルト生地をオーブンに入れた。
火が通ることで、ピスタチオの蠱惑的な香りがキッチン中に広がっていた。
◇
しばらくするとタルトが焼き上がった。
形はよく、ピスタチオクリームも滑らか。
それをしばらく冷やす。
冷やしている間に卵黄とハチミツと生クリームを使ってカスタードクリームを作る。
こっちは火を通さないほうが美味しい。
しっかり冷めたタルトの表面にカスタードクリームを塗る。ピスタチオクリームの上に引くことでいいアクセントになるのだ。
細かく砕いたピスタチオをふりかけて食感にもアクセントを加えた。
そして、いよいよ主役の登場だ。カスタードクリームの上にたっぷりとラズベリーを敷き詰める。
赤くみずみずしい果実は宝石のようで美しい。
「これで、ようやく完成だ」
きっと、子どもたちもファルノも喜んでくれるだろう。
◇
ファルノの好意に甘えて、ファルノの屋敷の一室を借りて、ファルノと子どもたちの歓迎会は開かれる。
俺が、部屋の前に来ると彼らの話声が聞こえてきた。
「クルトの兄貴めちゃくちゃ人使い荒いんだぜ!」
ヨハンがファルノに余計なことを吹き込んでいる。明るい口調で、愚痴を言っているのにどこか楽しそうだ。
「でも、クルト様優しいよ。丁寧に教えてくれるし」
「それに、ちゃんと真面目にやればちゃんと終わるぐらいの仕事量だし」
他の子供達があっさりとネタばらしをした。
「おい、バラすなよ」
ヨハンが笑ってそう言うと、ファルノは苦笑する。
「この村に来てあなた達は幸せですか?」
ファルノの問い、子供たちは顔を見合わせてから……
「「うん」」
一斉に頷いた。
「やっぱり、まともな仕事はいいよ。後ろめたくないし、殴られないし……それにご飯がいっぱい食べられるからな」
「うん、いっぱい働いたあとに、ちゃんとご飯がある、こんな幸せってないよね」
子どもたちが盛り上がる。
彼らは、贔屓目なしでよくやっている。ティナが仕事を教えているが、飲み込みがはやく、たった一週間でほとんどの仕事を覚えてしまったようだ。
そして、誰か一人が覚えると、その子が仲間にきっちりと教えるのでティナの負担も少ない。彼らをこの村に引き入れたのは大成功だった。
この部屋の幸せな雰囲気を感じて、俺も自然に笑顔になる。そして部屋に入った。
◇
「みんな、お祝いのお菓子を持ってきたよ」
俺が部屋に入った瞬間、子どもたちの歓声が響き渡った。
「うわぁ、すごくいい匂い!」
「綺麗!」
「あれって、俺達が昨日摘んだラズベリーだよな」
「ツマミ食いしたけど、すっぱいだけでうまくなかったじゃん」
一部、気になる発言もあったが、概ねいい反応だ。
「みんな、クルト様のお菓子は、貴族ですら大絶賛するほど素晴らしいお菓子ですわよ。何人もの貴族様がまた、食べたいと言っているけど食べられないもの。そんなお菓子が食べられるなんて幸せですわ」
ファルノがそう言うと、子どもたちのテンションはさらにあがった。
「貴族でも食べられないお菓子!」
「すっげえ」
「この村に来てよかった」
もう待ちきれないといった様子で子どもたちは身を乗り出していた。
なら、早く食べさせてやらないとな。
「ティナ、皿を用意してくれ」
「はい、クルト様」
ティナがにっこり笑って小皿をもってきてくれた。
そして俺は上着からケーキナイフを取り出して、タルトをカットしていく。
ケーキナイフを通すたびに、さくさくっと美味しそうな音がなる。
ラズベリーの甘酸っぱい香り、焼いたピスタチオクリームの芳醇な香り、そんなものが漂う中での、この音。
音と香りの波状攻撃で、何人もの子どもたちがよだれを流していた。
「ティナ、切り分けた分から並べていって」
「かしこまりました」
ティナがおぼんにタルトをのせてタルトを運んでいく。目の前に置かれたタルトを見て我慢できずに手を伸ばそうとする子もいるが、たいていは隣の子に手を叩かれていた。
そうして、全員の前にタルトが行き渡った。
「小難しい話はなしにしよう。みんな、俺の村に来てくれてありがとう。今日は、みんなへの感謝の気持ちを込めてお菓子を作った。そして、どれだけ素晴らしいものを自分たちで作っているかを知ってほしいから、このお菓子を作った。君たちが作っていく、ハチミツとラズベリー。その素晴らしさを知ってくれ」
短いが俺の挨拶はこれで終わり。
たぶん、もうこれ以上、子どもたちは待ちきれないだろう。
「食事の挨拶をしよう。子どもたちの中に知らないものもいるかもしれないから、説明する。今から言った言葉を復唱してから食べてくれ」
そこで一拍置く。
「今日の糧を得られたことを、森と神に感謝を」
「「「今日の糧を得られたことを、森と神に感謝を」」」
一斉にみんながそう言って、そしてラズベリータルトを食べ始めた。
◇
部屋の中に、さくっさくとタルト生地を噛み砕く音が広がる。
なんとここちいい音だろう。
俺も我慢できずに自分の分に手を付ける。
土台であるタルト生地はさっくりとした歯ごたえ、そこに敷き詰めたピスタチオクリームはどこまでも滑らかに、そしてカスタードクリームがふんわりとしている。
さらに噛みしめると、砕いたナッツが自己主張し、ラズベリーの果汁が口の中に広がり、濃厚なクリームの甘さとラズベリーの酸味がいったいになり、けしてそれぞれでは得られない、魅力的な世界が口の中に広がる。
いい味だ。よく出来てる。
隣を見ると、ティナの尻尾がぶるんぶるんと振られていた。
口にタルトのカスをつけながら夢中になってティナは食べている。
子供たちもそうだ。もう、喋ることも忘れて、タルトにかぶりついてた。
当然、そんな食べ方をすると一瞬でタルトはなくなるわけで……
一瞬、あまりの美味しさに陶酔していた子どもたちは、我を取り戻すと……
「ああ、もう食べちゃった」
「もう、ないの」
「こんなお菓子、生まれて初めて」
「ううう、まだ食べたいよぅ」
と口々に後悔の言葉を吐き始めた。
行儀悪く、皿を舐めたり、となりの子の口元についているクリームを手で掬って舐めたりしている子も居る。
「クルト様のお菓子、相変わらず素晴らしいですわ。フェルナンデ辺境伯領でも、これほどのお菓子食べたことがないですもの」
唯一、手ではなくナイフとフォークで食べていたファルノが、俺を褒める。
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「このお菓子を食べて確信しました。クルト様のお菓子は、立体的なのです。美味しさが幾重にも重なって、それでいて調和がとれています。他の料理人とは世界が違いますわ」
ファルノが何気なく言った言葉、それはある意味、現代お菓子の基本理念だ。
美味しさを多層化した上で、バランスを整える。そのセンスこそがパティシエの腕の見せどころ。
「そんなことを言ってもらえるなら、もっと素敵なお菓子を作らないと行けないね」
期待されているかぎり、俺はその気持に応えたいと思う。
「クルトの兄貴、おかわりはないの」
「あっ、私も食べたい」
「僕も、僕も」
成長期の子どもたちは、ぜんぜん食べ足りないようだ。こうなることはあらかじめ想定済。
「実は、もう少し用意してあるんだ」
扉が開かれ、台所に作りおいていたタルトがヴォルグによって運ばれてきた。
「お待たせしました。お嬢様、クルト様、皆様方」
思わぬ、おかわりの登場にみんなが色めき立つ。
「おかわりが欲しい人は手をあげてくれ」
子どもたち、そしてティナが一斉にピンッと手を上げる。
そして……
「私も、その、もう一切れ欲しいですわ」
すごく恥ずかしがりながら、おずおずとファルノが手をあげる。
それがおかしくて、みんなして笑った。