第十話:運命の判決
ティナがハーブティーを淹れている間に、俺は皿にクッキーを盛り付けた。
忙しい中、時間を作ってくれたようで、辺境伯の準備が出来たと連絡を受け、指定された部屋に持っていく。
扉をノックする。
「入ってくれたまえ」
その言葉を聞いてから 部屋に入る。
◇
「それが、君のお菓子か」
フェルナンデ辺境伯は年甲斐もなくはしゃいで俺を迎えてくれた。
彼の前に、皿に盛り付けた薔薇のクッキーを置く。
「はい、これが私のお菓子です」
「名はなんと呼ぶ」
「薔薇のクッキー、ストレートにローズ・クッキーと名づけました。白薔薇と黒薔薇、二種の薔薇をお楽しみください」
盛り付けには気を配り両方の薔薇が映えるようにしてある。
おまけとして卵の白身を泡立ててから砂糖を加え火を通した焼きメレンゲ……これも薔薇をかたどったものを皿のふちに並べてある。
「ほう、クッキーに薔薇を描いたか! どのようにすればこんなものが作れるのか! なんと美しい!」
フェルナンデ辺境伯はローズ・クッキーを見て感嘆の声をあげる。
「そして、なんという素晴らしい香りだ。薔薇の香り。見た目も香りも薔薇のクッキー。薔薇を愛する、レナリール公爵なら必ず喜ばれるだろう」
「気に入っていただけて何よりです。この香りは材料に使う蜂蜜と、酒に、一晩薔薇の花弁を漬け込んだおかげです。まず香りで楽しみ、見た目で楽しみ、そして味で楽しむローズクッキー。ぜひ、ご賞味ください。食べて初めてその真価を発揮します」
うやうやしく頭を下げると、フェルナンデ辺境伯は満足そうに頷いた。
「お菓子の本質は味。味が良くなければ全てが台無しだ。クルトくんのことだ素晴らしい味がするだろう。当然食べさせていただく」
彼はローズ・クッキーをつまみ、口に運ぶ。まずは黒薔薇のほうだ。
「ほう、なんという雅な味だ。この前、食べたクッキーとはまったく違う、豊かで、芳醇で、複雑だ。それに口当たりもおもしろい、しっとりとして心地よい。なるほど、これが君の本気か」
「前回も本気でした。ただ、目指す方向性が違うだけです。黒薔薇は豪華絢爛を目指した。貴族のお菓子です」
そう、前回のクッキーは、小麦とはちみつとバターしか使えなかった。
だからこそ、純朴さと爽やかさで勝負するしかなかったのだ。
だが、今回は違う。
日常の料理ではなく、贅沢なご馳走を目指した。
ウイスキーを混ぜ込むことで味に深みを、黒糖でウイスキーに負けない強さを、そしてバターも最高のものを使った。
どちらが上ということはない。ただ、贈りものとして適しているのはこちらだろう。
「ただいま食べていただいたのは黒薔薇です。白薔薇のほうもお楽しみください」
「両方共黒と、白色のバランスが違うだけで同じに見えるが……これは、なるほどそういうことか」
白薔薇を食べたフェルナンデ辺境伯が驚きに見開く。
「さきほど食べたものが、雅だとするとこちらは爽。同じ材料でも、これほどまでに違うのか」
「その通りです。黒薔薇は、相手をねじ伏せる絢爛さを。それ故にしっとりとした食感を残しつつ、全体的に強い味にしております。そして白薔薇は、優しくそして、軽やかさを与えるように、癖の強い材料は少なめに配合し、食感はさっかりと軽く、後味もさっと消えるように」
だからこそ、四種類の生地を用意した。
黒薔薇用の生地は重く優雅に。白薔薇用の生地は軽く爽やかに。
「すばらしい、交互に食べれば止まらないよ。香りで楽しみ、見た目で楽しみ、味で楽しみ、そして飽きさせない。焼き菓子でこれほどの物が作れるとは……想像以上だ。クルトくん、いつも君はこうして私の想像を軽く超えていく」
フェルナンデ辺境伯は、クッキーを頬張りながら絶賛してくれた。
「どうでしょう、フェルナンデ辺境伯。このお菓子は合格でしょうか?」
俺の問いに、フェルナンデ辺境伯はにやりと微笑む。
「決まっている、合格だ。このクッキーは日持ちはするんだろうね?」
「はい、練り込んでいる蜂蜜には強力な殺菌効果があります。水分をとばしている焼き菓子なので、二ヶ月は大丈夫かと」
「それは、素晴らしい。では、うちのものに包ませて、公爵家に届けさせよう」
俺は胸を撫で下ろす。
これで大仕事の一つ目が終わった。
「そして、クルトくん。約束していた褒美だが、君の弟のヨルグを前線で開拓を行う、人格的に優れ実力がある貴族の従者に推挙するという話についてだが、そちらの根回しは済んでいる」
準備がいい。きっと俺が期待はずれのお菓子を作ることは一切考慮していなかったのだろう。だから、このお菓子を食べる前に準備が出来た。
「誰のもとに、弟は行くことに?」
「フレンヘッツ男爵のところに決めた」
「あのフレンヘッツ男爵? ありがとうございます。本当に助かります」
頭を下げる。
彼の噂はアルノルト領にまで届いている。実力も人格も申し分がない。彼のもとでならヨルグは成長できるだろう。
そして、ヨルグにも秘密だが、コンペイトウの他にも、ヨルグにはもう一つ俺にしか出来ないプレゼントをしている。そのことを自覚するのはもう少しあとになるだろう。きっと、それはヨルグの役に立つ。
「頭を下げる必要はないさ。これは、君の労力に対する褒美なのだから。最高のクッキーをありがとう。感謝してもしきれない」
「ありがたきお言葉」
再び頭をあげると、フェルナンデ辺境伯は苦笑した。
「もう、行っていいよ。明日の婚約発表まで自由にしていい。君に渡した材料費の残りは返さなくていい、自由に使ってくれたまえ」
「いえ、そういうわけには」
「いいのだよ。払ったお金以上のものは既に頂いた。それとね、使用人がかけた迷惑の償いは別に考えている」
「ありがたくいただきます」
「そうして、くれたまえ。それともう行っていい。君の可愛い使用人が君の帰りと、クッキーを今か今かと待っているよ」
まったくどこまでも食えない人だ。
俺の後ろに控えていたティナは、羞恥で顔を赤くしている。
最後に感謝の言葉を言って、俺は彼の部屋をあとにした。