第八話:甘い香りの焼きりんご
フェルナンデ辺境伯との話を終えたあと、フェルナンデ辺境伯の使用人にしばらく俺たちが世話になる部屋に通してもらった。
まっさきに飛んできそうなファルノは、とある貴族の結婚式に呼ばれており、三日後まで戻ってこれないらしい。そのことを、どこか寂しく感じている自分がいる。
部屋を確認する。いい部屋だ。おそらく、賓客用の部屋を用意してもらえたのだろう。
しかも、夫婦用の部屋が割り当てられており、ティナと二人で過ごすことができる。フェルナンデ辺境伯には感謝しないと。
明後日までに公爵家に贈るお菓子を作って、三日後にはファルノとの婚約発表のパーティに出席する予定だ。
ファルノとの婚約発表にはフェルナンデ辺境伯とゆかりのある貴族たちが大勢集まる。下手なことは出来ない。今から気合が入る。
「ティナ、明日は市場に出よう。お菓子作りをする前に、いろいろと見て回りたい。レシピは決まっているけど、市場で新しい材料を見れば、何かひらめきが生まれるかもしれない。……それに目の前に新しい食材の山があるんだ。我慢出来そうにない」
俺はにやりと笑う。ここで心が踊らなければパティシエじゃない。
「はい、クルト様、行きましょう。エルカバの市場。楽しみです。いろんな素敵なものがありそうです!」
「だね。今回のお菓子に必要が無いものでも良さそうなものがあったら買おう。なかなかこんな機会はないしね」
港町、さてどれほどのものと出会えるのか……。
◇
俺とティナは二人で朝から市場に来ていた。
あまりの活気に驚く。
なにせ、この港町には五万人近い人々が暮らしている。
全ての村を合わせても、五百人程度のアルノルト領とは比べ物にならない。
人と物があふれる。なんて羨ましいのだろうか。
「うわぁ、あのお店に並んでいるの海のお魚らしいですよ。川のお魚と違ってこんなに大きいんだ」
ティナ、タイのような魚を見かけて、驚いている。
キツネ耳がぴくぴくと動いており楽しそうだ。
「あっ、あっちには見たことがない果物が。赤くて丸くて、どんな味がするのかな。いい匂いです」
今度は、りんごを見つけて目を輝かせる。
見るもの全てに興奮して、ティナがはしゃいでいる。
俺は苦笑しつつ、そんな彼女を追いかける。
「魚はやめておこうか、アルノルトに持って帰る前に腐らせちゃうし、さすがにこれをフェルナンデ辺境伯の領地で調理するのは気が引ける」
「……そうですか、残念です」
ティナのキツネ耳がペタって倒れる。
海の魚なんて、山の中のアルノルトでは絶対に食べられないものだから、食べたがる気持ちはわかる。
「買ってはあげられないけど、俺も食べたいから、向こうのお店で昼食をとろう。この魚を使った料理もおいてあるらしいよ」
「あっ、それはいい考えです。是非、食べましょう!」
ティナが俺の腕に絡みついてくる。喜んでくれて何よりだ。
「果物のほうは試しに少し買ってみようか。美味しかったら帰りがけにたくさん買っておみやげにしよう」
そう言いつつ、果物屋の店主にお金を渡してりんごを二つ受け取る。
二つ買ったうちの一つを、上着からとりだしたケーキナイフで真っ二つに切り、片割れをティナに渡す。
「ほら、ティナの分」
「いいんですか?」
「そのために買ったんだよ」
俺がそう言うと、ティナは笑顔になって、りんごにかぶりついた。しゃくしゃくっと小気味いい音が聞こえる。
「あまずっぱくて、瑞々しくて、美味しいです。クルト様、これ、すっごくいいです。うちの領地でも育てませんか!」
よほど気に入ったのか、さきほどから尻尾が揺れている。
俺もりんごをかじる。俺が知っているりんごよりもかなり酸味が強く、甘みが少ない。だが、それがいい。
お菓子にする場合にはこういったりんごが適している。
是非、買って帰ろう。
「育てたいけど無理かな。りんごは結構扱いも難しいし、果実が収穫できるまでに多分ダメにしちゃう。うまく行っても三年かかるしね。ちょっとハードルが高いよ」
木になる果物は、どうしても時間がかかる。
それに病気にも天候にも弱い、本腰を入れて人と時間を投資しないとどうにもならない。
「それだと、アルノルトじゃ無理ですね。この実がいっぱい採れると、みんな喜ぶと思ったのに」
ティナが落ち込んだ。俺は頭を撫でてティナに微笑みかける。
「育てるのは無理でも、買うことはできると思うよ。ハチミツを使った商売が軌道に乗ったらそのお金で行商人に仕入れてもうらように頼もう。今は生活に必要なものだけで精一杯だけど、いずれはさ、こういうのも買えるようなる」
俺がそう言うとティナは満面の笑みを浮かべて頷いた。
「はい!」
「あと、ティナ。さすがに素材のままそこまで喜ばれるとパティシエのプライドが傷つくな」
「クルト様、それって」
「どうして、二つりんごを買ったと思う? お菓子を作るためだ。帰ったらこれを使って、素敵なお菓子をつくるから楽しみにしておいてくれ」
「楽しみにしてます! クルト様のお菓子!」
ティナは俺が作るお菓子を想像して幸せそうな表情を浮かべている。
そんなティナの表情を見ているとこっちまで幸せな気持ちになってくる。
◇
市場を見ていると、本当にいろんな肉や、野菜や、果物、ナッツ、調味料や酒があって驚く。
もう、ここに住んでしまいたいぐらいだ。やはりパティシエとしては、こういった環境は魅力的に感じる。
これから月に一度ぐらいは覗きにきたいと思う。
そんな中で、俺が目をつけたのはウイスキーだ。まさか、蒸留酒なんてものがあるとは思っていなかった。
ラム酒を用意するようにフェルナンデ辺境伯には頼んでいるが、辛口の蒸留酒があると、今回の薔薇のクッキーにはより合う。
これを見つけられただけでも、市場に来た価値があった。
「おじさん、少し味見をさせてもらえないか。可能な限り辛くて香り高い酒がいい」
「坊主、金はあるのか?」
頑固そうな店主が俺の姿を見て問いかけてくる。
一五の俺は、この人から見ると坊主だろう。
「もちろん」
財布を開いて見せる。中には金貨や銀貨が詰まっていた。
フェルナンデ辺境伯が、材料を買う予算として持たせてくれたものだ。
「……ほらよ。一番上等な酒だ」
店主が小さなコップに琥珀色の酒を注いでくれる。
それを一気に呷る。
きついな。だが、いい酒だ。これなら薔薇の香りを受け止めるとことができる。
「おじさん、もらうよ」
「まいどあり」
いい酒だけあってそれなりの値段はした。
だが、価値に見合うだけの味がある。
ティナが、物欲しそうにウイスキーを見ている。
彼女はお酒が好きだ。一度飲んでから、すっかり気に入ってる。
だが、それに気付かないふりをした。
彼女にお酒を飲ませてはいけない。それはこの前得た貴重な教訓だ。酔った彼女は、普段からは信じられないほど積極的に甘えて迫ってくる。この前は危うく一線をこえかけた。
それから、市場で、新鮮な牛乳、卵をはじめとしたさまざまな材料を買ってフェルナンデの屋敷に戻る。
牛乳と卵は追加料金を払って、明日の早朝、しぼりたてと産みたてのものを届けてもらうように交渉した。これも、よりよいクッキーを作るためのいっかんだ。
帰ってきてから俺は焼きりんごを作った。
りんごの芯をくり抜いて、黒砂糖とバター、それにウイスキーを入れてオーブンで焼くだけの簡単なお菓子。
単純だが、うまく出来た焼きりんごは最高のお菓子の一つだ。
火が通ったことで酸味が柔らかくなり、甘みは強く。水分を残して中身はしっとりしているのに、外側がさっくりした食感で官能的。
そして、バターのうまみと黒砂糖の力強さ。何より酒の苦味と絡み合い、香り高く、けして生のままでは味わえない多層的な味を楽しめる。
実際、ティナには大好評で、絶対また作ってくれとせがまれた。
俺も食べてみたが、我ながらよく出来ていた。
火を通したウイスキーの味、香りを確かめることが出来たのも大きい。
これこそが、この焼きりんごを作った目的だ。
◇
翌朝、俺とティナはフェルナンデの屋敷の厨房に居た。
これから、公爵家に贈るお菓子を作る。
その責任は重大だ。
公爵という地位は、王、王家(大公)に次ぐ地位である。下手なものを贈れば打首すらあり得る。
公爵は辺境伯に比べ、財力、軍事力は劣るが政治的な権力は強い。
名誉の公爵、実益の辺境伯といった形だ。
そんな相手に贈るお菓子を俺に任せてくれたフェルナンデ辺境伯には感謝するしかない。
腕がなる。
「ティナ、昨日仕込んだ瓶を取り出してくれ」
「はい、クルト様!」
ティナが二つの瓶を取り出してくれる。
一つはハチミツに薔薇の花弁をつけたもの。
もうひとつは、ウイスキーに薔薇の花弁をつけたものだ。
こうすると、薔薇の香りと味が移ってくれる。
俺は蓋をあけて匂いを確かめた。うん、いい香りだ。薔薇の香りがよく出ている。
「クルト様、しぼりたての牛乳と、今朝、生まれたばかりの卵も届きました!」
「わかった。これで材料は揃った。さあ、はじめようか」
俺のとっておきの薔薇のクッキーを。
見た目も味も、最高の一品に仕立てあげよう。