第六話:フェルナンデ辺境伯への出発
「ティナ、別についてこなくていいんだぞ?」
「私はクルト様のパートナーです。どこにだってお伴します!」
俺とティナは、フェルナンデ辺境伯が用意した馬車に乗っていた。
今から俺たちはフェルナンデ辺境伯の領地に向けて出発する。
そこでは、ファルノとの婚約発表パーティや、公爵家に贈る菓子作りが待っている。
これから忙しくなる。
「クルト様、ティナさん頑張ってきてください。私も付いて行きたかったのですが、どうしてもここを離れるわけにはいきません」
ファルノの執事のヴォルグが申し訳無さそうな顔をして見送りに来ていた。
彼は人間重機とも言える存在だ。彼がいなくなれば一気にファルノの屋敷の建設のペースは落ちるだろう。
「ヴォルグは自分の仕事に注力してくれ。俺は俺の仕事をがんばる。ただ、それだけだよ」
ヴォルグには世話になっている。
彼は初日に言ったとおり、魔力と技能の両方を使う訓練に付き合ってくれている。
本気で戦える相手がいる、そして至らないところを気づかせ導いてくれる。それがどれだけ重要かをヴォルグは教えてくれた。
彼のおかげで俺はどんどん強くなっている。
「ファルノ様によろしくおねがいします。あなたが褒めてくだされば給料があがるかもしれません」
「こんど、おごってくれるなら考えよう」
俺とヴォルグは冗談を言い合う。
拳を交えることで俺たちは絆を深めていた。
「ファルノ様からの贈りもの、きっちり身につけられているのですね」
「ああ、大事に使わせてもらっている」
俺は胸を叩く。その裏には内ポケットがあり、ファルノからの贈りものを収納していた。
「それは重畳です。お嬢さまも、喜ぶでしょう」
ヴォルグが俺に挨拶しに来た日、ファルノからの贈りものを受け取った。贈りものの正体はケーキナイフだ。この時代では考えられないほど質がいい。
お菓子職人としては必須なもので、本当に嬉しかった。なので、上着に内ポケットを作って常に持ち運ぶようにしている。
「クルト様、ヴォルグ様、そろそろ出発します」
御者の男が声をかけてきた。
そろそろ、出発しないと日が暮れるまでにフェルナンデ辺境伯の領地に着くことはない。
「じゃあ、行ってくる。ソルト、俺の居ない間のことは任せた。いつも悪いな」
この場に居るもう一人の男に声をかける。ソルトは、開拓村の代表格だ。人望があり俺がいない間のことは全て彼に任せている。
「あいよ。気にしないでくださいな坊っちゃん。きばってきてくだせえ。ぼっちゃんが活躍すれば、この領地はますます豊かになるんで」
彼が居るから、俺はここを留守にできる。
やがて、本格的にアルノルト領全体を見ることになれば、彼にこの村を任せるつもりだ。
俺の居ない間の蜂の世話は、他の村から新たに来てもらったものたちに任せてある。数日で最低限の蜂の世話は叩き込んだ。今の蜂の数なら彼らで事足りる。
彼らはやがて、自分の村に戻ってもらい、俺の代わりに養蜂の指導をして貰う予定だ。
「では、出発します」
御者が馬に鞭をいれ、俺たちをのせて馬車は出発した。
◇
「クルト様、フェルナンデ辺境伯の領地ってことは、エクラバに行かれるんですよね」
「そうだよ。エクラバだ。結構お金も、もってきた。あそこは色んな物があるから、楽しみだ。お菓子の材料になるものを買いたいな。カカオとかあれば言うことないんだけど」
「カカオ? 初めて聞きました。でも、美味しそうな名前です! ……懐かしいですね。エクラバ」
フェルナンデ辺境伯は広大な領地を持っている。そこは農地もあるし、当然街なんてものをもっている。
フェルナンデ辺境伯が居を構えるのは、港街であるエクラバ。
港を経由した輸送でさまざまなものが溢れる非常に活気があふれる商業都市だ。
この地方で、あそこほどに物が揃う街はない。
そして、エクラバは俺とティナにとって思い出の地でもある。
「あそこで、クルト様と出会ったんですね」
「ああ、あのときのティナを思い出すと感慨深いよ」
「もう、やめてください。ちょっと、あのときの私を思い出されると恥ずかしいです」
ティナはもともと、エクラバの孤児だった。獣人やエルフたちがいる村に住んでいた彼女の母親は、村の掟で禁止されている人間との結婚のために駆け落ち同然に村を出て、夫ともにエクラバで暮らしていた。
しかし、流行病でティナだけを残して、ティナの両親は死んでしまったのだ。
「でも、あのことがあったから俺はティナと一緒に入れる。大事な思い出の一つだよ」
「もう、クルト様なんて知りません」
ティナが可愛く顔を背ける。尻尾まで一緒にそっぽを向いた。
俺は苦笑する。まったく、そんな可愛い反応をするからからかうのをやめられないんだ。
そんなふうにティナとじゃれ合っていると、馬車の中にいる、フェルナンデ辺境伯の使いが、おどおどした様子で口を開いた。
「あの、アルノルト様、その槍重くありませんか?」
「重くない。万が一があるから手元に置いておきたいんだ」
俺は銀閃を胸に抱えていた。
村を出てから一度足りとも手放していない。
嫌な予感がするのだ。
「でも、疲れますよね。私が預かっておきます」
「その必要はないよ。これは体の一部だから」
「ですが、その、アルノルト様は大事なお客様です。お客様に不便な思いをさせるわけには行きません。何かがあったらすぐにお渡ししますから、私に、その槍を預けてくださいませんか」
あまりにもしつこい。俺はこの男に対して疑心を感じ始めていた。
何かある。だが、様子を見てみよう。
「そこまで言うなら預けよう。あと、これは槍じゃない。薙刀という武器で銀閃と言う。大事に扱ってくれ」
俺はそう言って、薙刀を渡す。きっちりと保険は用意してある。
たいていのことは対応できるだろう。
すると、男の口がほんの僅かだが、笑みの形になった。邪な考えが見て取れる。
さて、どう動くか。
何気ないふうを装いながら、俺は警戒心を強めていた。