第五話:とげとげのコンペイトウ
なんとか時間を作り、本村に来ていた。弟であるヨルグの見舞いのためにだ。
ヨルグは、部屋で安静にしているらしい。
ヨルグの部屋にたどり着き、扉をノックする。
返事はない。
もう一度ノックする。
やはり返事がない。
「ヨルグ、居るのか?」
気配は感じるから中に人が居るのは間違いない。ドアノブに手をかけるとくるりとまわった。鍵はかけていないようだ。
「入るぞ、ヨルグ」
俺はそれだけ告げてヨルグの部屋に入った。
◇
ヨルグの部屋に入ったのは初めてだ。
中の光景を見ておどろく。槍が壁にかけられているだけで何もなかった。
ヨルグのことだから、派手で贅沢な部屋になっていると思っていたのに。
この部屋を見てもヨルグがどういう人間かがまったくわからない。
それほどまでに虚ろな部屋。
「ヨルグ、見舞いに来た」
俺はそう告げてベッドの横にある椅子に座る。
ヨルグは布団から顔を出し、忌々しいものを見る目で俺を見た。
「なんだい、兄さん、僕を笑いに来たのか」
「どうして俺がおまえを笑わないといけない」
「いいざまだろう! 今まで大口を叩いたり、兄さんに嫌がらせをしてきた僕が負けてさ! アルノルトとして失格だった兄さんは唯一僕が勝っていたはずの槍の才能まで手に入れて次期領主になって、さぞや気分がいいだろうね。おかげで僕はただの出来損ないの弟に逆戻りだ! 何一つ兄さんに勝てない、存在価値がない人間だ」
ヨルグは、口調を荒げる。
おそらく、彼にとっては槍だけが心の拠り所だった。それが奪われて平静では居られないのだろう。
「ヨルグに存在価値がないなんて、俺は思ってないよ。客観的に見ても、武術の才能もあるし、頭の回転もはやくて物覚えがいい。おまえほどの才能を持つ人間は、アルノルトに居ない」
ヨルグは、俺と比較され続けてひねくれてしまっているが、もともと才のある男で、幼い頃から優秀だった。
俺が居なければ誰もが期待する次期領主になっていただろう。
「そうかもね。でも、兄さんには遠く及ばなかった。何一つ」
そう言って、ヨルグは顔を背け、しばらくしてから口を開いた。
「ねえ、兄さん僕をどうするつもり。次期領主の兄さんなら、僕をどうとでもできるよね。身ひとつで追い出す? それとも今までの仕返しをする。もう、どうでもいいよ。好きにしなよ」
ヨルグは完全に投げやりだ。
俺の報復を恐れているのか?
「別に俺はお前のことを嫌っていないし、仕返しをするつもりもない」
「嘘だ、僕はたくさん兄さんにひどいことをしてきた。兄さんが僕を恨んでいないはずがない」
「本当に恨んでないんだ。それに嫌ってもない。おまえのことは面倒だとは思っていたが……いや、ティナとの一件だけは本気で怒った。でも今のヨルグは、邪魔にならないから、気にならない。わざわざ手間をかけて嫌がらせなんてしようとは思わないよ。時間の無駄だ」
ヨルグが口をわなわなと震わせて絶句する。
そして悲しげに顔を歪め、そして納得したような乾いた笑みを浮かべた。
「知っていたよ兄さん。兄さんは僕を恨んですらくれてなかったんだね。全部、僕の一人相撲だよ。やっぱり兄さんは僕に興味が無いんだ」
全てを諦めたつぶやきをする。
「……これは今までの俺の話だよ。俺はヨルグに興味がなかった。だけど、俺は変わりたいと思っているんだ。俺はおまえに謝りたい。自分の夢しか見てなかった。お菓子作りのことしか考えてなくて、おまえのことをないがしろにしていたんだ。世界で二人きりの兄弟なのに」
それは本心だ。次期領主になって、そんなことを考えるだけの余裕ができた。
俺は自分が間違っていたと今になって気が付いた。だからこそ正しい形にしたい。俺とヨルグは兄弟だ。その事実は変えられない。
なら、幸せな兄弟でありたい。
「……何を今更。僕に同情しているの」
「違う。おまえのためじゃない。俺のためだ」
「その気持ちを僕に押し付けるわけだ。何様だよ。今までまったく僕のことを気にもしないで」
「だから、変わろうと思った。これからはちゃんと兄としておまえに接する」
ヨルグが涙を流して顔をそむける。
「……まったく、遅いよ兄さんは。僕はずっと兄さんに振り向いて欲しかったのに。兄さんが僕を見てくれるなら、家督を譲っても良かった。僕がアルノルトを治めるより兄さんに任せたほうが、ずっとみんなのためになるってわかってたんだ。……僕はずっと兄さんにあこがれていた」
ヨルグが、絞りだすように言った言葉。
その言葉でヨルグは寂しかったのだと理解した。
あいつが今まで犯した罪や、怠慢が消えるわけではない。だが、それでもあいつにはあいつの考えがあったのだとわかった。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。……ヨルグ、俺達には少し距離が必要だと思うんだ。この領地だと俺が居る限り、おまえを見る目は、俺の弟でしかない。だから、一つ提案がある」
そう言うと、ヨルグがこちらを見た。
「フェルナンデ辺境伯に、おまえをどこかの男爵の従者にしていただくようにお願いした」
ヨルグが歪んでしまったのは、俺と比較され続けてきたからだ。
自分の才能と努力だけが認められるところで頑張れば、何かが変わるかもしれない。生まれ持ったその才覚を活かせるのだ。
「兄さんみたいな優秀な人ならともかく、僕を貴族の従者になんてできるの」
「普通は無理だよ。だけど、フェルナンデ辺境伯は俺のお菓子作りの腕を認めてくれた。そして、その上で公爵家に贈るお菓子作りを俺に任せてくれたんだ。そのお菓子がフェルナンデ辺境伯が満足するものであれば、その褒美として、おまえを従者にする口利きをしてもらえると約束してくれた」
貴族の従者というのは悪く無い身分だ。
とくに、爵位をつげない貴族の息子の就職先としては理想的でもある。
「兄さん、いいの。そんな大仕事で得た褒美を僕なんかのために使って」
「俺がそうしたいんだ。ヨルグ、おまえは、アルノルトなんて関係ないところで頑張ってきてほしい。男なら試してみたいだろう。自分の力がどこまで通用するか」
俺への劣等感で歪み、俺に振り向いてほしいばかりに道を踏み外したヨルグ。こいつに必要なのは、俺との距離と、努力が正当に報われる環境だ。
「ありがとう兄さん。僕は、兄さんと比べられないところに行きたい。僕を、兄さんの弟じゃなくて、ヨルグと見てくれるところに行ってみたいよ」
ヨルグがさみしげに呟いた。
「なあ、ヨルグ、さっきの話に続きがあるんだ」
俺はそう言って、そこで一度間を置く。
「男爵のもとで、自分の力を試したあと、そこでおまえは自分の道を決めるんだ。男爵のもとで一生働くか、アルノルトに戻ってくるかだ」
「アルノルトに戻る?」
「そうだ。もし、おまえにその気があって、ちゃんと成長しているなら俺の補佐を任せたいと思っている。さっきも言ったけどね。ヨルグには才能がある。おまえの力を借りたい。もちろん、新しい環境が気に入ったなら、戻ってこなくてもいい。ヨルグは一人で旅立ち、その結論を迫られるまでに長い時間がある。そのなかで、おまえは選ぶんだ……自分の人生を」
強く告げる。
どっちを選ぼうと俺は責めない。それはヨルグの人生だから。
「僕が選ぶ……うん、そうさせてもらうよ兄さん。僕は自分の意志で歩く。兄さんにとらわれるのはやめにする」
ヨルグが笑顔を見せてくれた。
こんな屈託のない顔をするのは、十年ぶりぐらいだろうか。
「頑張れよ。ヨルグ。まあ、手紙ぐらいは俺も出すし、そっちも出してくれると嬉しいな。兄弟だからな」
「兄さん、白々しいよ。十年放っておいたくせに」
言葉こそきついが、それには優しい感情が込められており二人で笑う。
久しぶりに俺たちは兄弟なのだなと実感が出来た。
「これは餞別だ」
ラッピングに包まれた瓶を渡す。
「兄さん、これは」
「おまえのために作ったおかしだよ。コンペイトウっておかしだ」
ヨルグがラッピングを解く。
すると、びん詰にされた金平糖が現れた。
金平糖は、小さなとげとげのお菓子で、色とりどりのものが瓶に詰まっている。
ハチミツを煮詰め、野菜から抽出した色をつけてバリエーションを作った。
「固くて、とげとげで、どこか俺たちのようなお菓子だろう? こんな見た目だけど。、口の中に入れて時間が経つと、丸くなって、甘くなる。そんなふうになりたいって俺は思っている」
ヨルグは微笑み、金平糖を一つ口の中に入れる。
口の中でコンペイトウを転がしあっという間に溶けて消えた。
「兄さん、これ、すごいね、甘くてさっくりして、そうか、この甘さか、暖かくて、甘くて、ほっとする。いいお菓子だね。こんな兄弟になりたいな」
少し子供っぽい口調と声音、それがヨルグに似合っていた。
「そのお菓子は腐らないんだ。何年でも持つ、辛い時に少しづつ食べてくれ。それは俺がおまえに贈る。おまえだけのお菓子だよ。おまえが帰ってくるまでこのお菓子は誰にも作らない」
「僕だけの特別、嬉しいよ。兄さん……ありがとう」
ヨルグは瓶をぎゅっと抱きしめる。
「でも、知らなかったよ。兄さんがこんなロマンチストだって」
「知らなかったのか? そういえば、俺もおまえのことを何にも知らない。だけど、それもいいだろう。今後お互いのことを少しずつ知っていこう」
それから、俺とヨルグは日が暮れるまでお互いのことを話し合った。
それはまるで、普通の仲がいい兄弟のように。
俺のためにも、ヨルグのためにも公爵へ贈るお菓子は、誰もが納得するものを作らないといけない。




