プロローグ:新しい日常
今回から二章です
ファルノとの婚約が決まったあと、アルノルトの屋敷で一泊し、俺は自分の村に帰って来た。
婚約したとは言え、ファルノは、さまざまな準備があるのでフェルナンデ辺境伯領に戻っていった。
村に着くと俺が時期領主になることを知った村のみんなが盛大に祝ってくれた。……どうやら先に帰っていた連中に聞いていたようだ。
俺は一度家に戻って身支度を整えてから再び外に出る。今日は大事な仕事があるのだ。
「うわぁ、鶏さんたちがいっぱいです」
ティナが目を輝かせている。
彼女の視線の先には、フェルナンデ辺境伯が手配した馬車が二台並んでおり、次々と荷台から鶏たちが運び出され、鶏のために用意した小屋に運び込まれいていた。
そう、待ちに待った鶏の受け入れだ。
お菓子職人に最も必要な材料の一つ、卵が安定して手に入るようになる。
「数が多いだけじゃなくて、質もいいよ。卵を見たときから確信していたけど、いい鶏だね」
鶏たちを観察するが、肉付きがよく健康的で若い。いい卵をたくさん産んでくれそうだ。フェルナンデ辺境伯には頭が下がる。
「はい、いい鶏さんです。大きくて、まるまるして、柔らかそう……じゅるり」
ティナがよだれを垂らしている。
臨戦態勢に入ったのか、もふもふの尻尾がピンと伸びて、キツネ耳がぴくぴく動いている。今にも飛びかかりそうな勢いだ。
「ティナ、食べちゃだめだよ」
「なっ、何を言ってるんですか? そんなこと、考えてない……ですよ」
目に見えて動揺した様子でティナが返事をする。
微妙に顔をそらしていて大変わかりやすい。
「慌てなくても、そのうち食べられるようになるから。しばらくは、卵を集めるよりも数を増やすことを優先するんだ。雄は一部を残して肉にしちゃう。食卓が豊かになるね」
五〇羽近い鶏をもらったがまだまだ足りない。
各村に鶏を配るために、卵はたまの贅沢にして、今はひたすら数を増やすことを優先すると決めた。
卵を使うのはお祝い事をするときぐらいだろう。
「鶏のお肉! うわぁ、焼きましょうか、煮込みましょうか、それとも……とくにかく、楽しみです!」
ティナはまだひよこも生まれていないのに、未来の食卓に思いをはせていた。
その気持ちはわかる。肉はたまにイノシシや、シカや、カモを狩猟で得たときぐらいにしか食べない。
それらも美味しいが、家畜化されたものはまた違った美味しさがある。
なにより、安定して肉が供給されるのは胸が躍る。
「うん、俺も楽しみだ。ティナが料理してくれると思うと一段とね」
ティナの頭を無意識に撫でる。
彼女のふわふわの髪と耳の感触が気持ちいい。ティナが目を細めて俺に寄りかかってきた。
しばらくそうしていると、ティナが俺の裾を強くつかんだ。
何事かと思って彼女を見ると、鶏を積んでこなかったほうの馬車を見ている。
そちらは、鶏ではなく木材や煉瓦といったものを積んでいた。
それらがさきほどから、何台もやってきている。
「ファルノ様、クルト様との婚約、本気みたいですね」
どこかさみしげにティナはつぶやく。
「そうだね」
さきほどから、何人もの大工たちが精力的に活動している。
馬車からおろしているのは家の材料だ。
どうやら、一度組み立ていた家を分解して運んできており、それを組み立てなおしている。
工期を短縮するための工夫だろう。
出来上がる家は、おそろしく豪勢なものになりそうだ。
彼らが今建てているのは、ファルノと使用人が住む家だ。
いくら、口約束で結婚まで手を出さないと言っても、同じ家で暮らしてそんな言葉は誰も信じない。なので、フェルナンデ辺境伯は俺の村に家を建て、監視のための使用人をつけてファルノを送り出すつもりのようだ。
婚約のために、家を建ててしまうなんてフェルナンデ辺境伯のスケールには驚かされる。
ファルノが村に来るのはこの家ができる頃という話だ。
二週間後、ファルノの婚約発表と、フェルナンデ辺境伯が公爵に贈るお菓子を作るためにフェルナンデ辺境伯領に出向くので、そのときに細かい日程が決まるだろう。
お菓子のレシピを考えないと。
公爵は女性で、薔薇が好きという話だ。日持ちがして、薔薇の美しさと香り高さを活かしたクッキーを作るつもりで、フェルナンデ辺境伯に材料を揃えてもらっているが。今はさらなる改良案を考えている。
「それにしてもすごいですね。こんなにあっさり、家を一つ建てようとするなんて」
「辺境伯だからね。王様の次の次ぐらいに偉いから、これぐらいはできるよ」
辺境伯はそれぐらいの地位だ。アルノルトのような、かろうじて爵位が引き継げる準男爵とは比べ物にならない。まさに雲の上の人だと言っていい。
辺境伯と対等以上の地位にあるのは王家と、公爵家ぐらいのものだ。
「クルト様はすごいです。そんな人の娘に見初められるなんて」
ティナは誇らしげに言うが、その言葉の裏にある寂しさや悲しさが隠しきれてない。俺をとられると思っているのだろう。
俺は彼女の肩を抱き寄せる。
「ティナ、ごめん。あの婚約は断りたかったんだ。ティナが悲しむからね……だけど、立場がそれを許してくれなかった。ティナには悪いと思っている」
「そんな、私は、そんなつもりで言ったわけじゃないんです。もともと、私とクルト様じゃ身分が違います」
ティナの声は悲しげだ。
貴族は、貴族と結ばれるものだという常識がある。それにティナのような獣人との結婚は避けられる風潮まであった。
俺はそんなものはくそ喰らえだと思っている。
ティナと一緒に居られる。ティナを悲しませない。そちらのほうが大事だ。
ティナが居たから、夢を諦めずに済んだ。ティナが居たからここまで頑張ってこれた。これからもずっと一緒に居たい。
「その気持ちだけで嬉しいです。クルト様は、クルト様が一番幸せになることを考えてください。私はそれが一番幸せなんです」
ティナが離れていく。
「ティナ、俺は……わかった。俺の幸せを考えるよ」
ティナが頷く。
きっと、彼女は勘違いしている。俺の幸せはティナが喜んでくれることだ。
これ以上食い下がっても彼女はずっと言い返すばかりなので、こう言った。
ティナと一緒にいるために、一番いい方法を考えよう。
◇
俺は鶏の受け取りが終わったあと、鶏小屋に入り、こっそり鶏たちに回復をかけていた。
これだけ数が居ると、病気だったり、怪我をしている鶏たちが混ざっていたし、長旅でくたびれていた子もいた。
俺の回復は人間以外にも有効だ。この前、麦に使ったがしおれかけた麦が蘇り驚いたものだ。回復したあとは、今まで以上に成長が良くなっているように見える。
少し、悪戯心が芽生える。
人間相手なら、その気になれば魔力を生み出す器官を癒すことで魔力持ちにできる。
前から気になっていたのだ。人間じゃなくてもそれができるのではないかと。
俺は、回復の副作用として得た、全てを見通す目で鶏を見てみる。回復は正常な状態に戻す力。故に正常な状態を知らないといけない。だからこそ、全てを見通す目を得ることが出来た。
「やっぱりできるか」
鶏にも魔力を生み出す器官があった。もちろん壊れていて、今は使えない。だが、俺なら癒せる。
鶏が魔力をもてば、もしかしたら卵をたくさん産んでくれるかもしれない。
「回復」
嫌な予感はしないでもないが、俺は誘惑に耐え切れずに、一番弱っている鶏に回復をする。病気もちな上に、運送中にどこかにぶつけたのか足が折れておりこのままでは死ぬしかない子だ。
「こっ、こっ、コケー、コケー」
元気になった鶏が飛び上がる。
そして、魔力を全身に駆け巡らせ壁に向かって一直線に走っていき、壁をけ破って逃げた。
そのまま村を駆け抜け森に消えていく。
「そりゃ、そうだよな」
逃げられるなら、逃げる。
鶏を魔力に使わせるのは、今後は避けよう。
それから俺は、小屋の中を見回りヒビが入った卵を拾って家に戻る。
こうなったら、早晩腐ってしまうし、もちろんひよこは生まれない。
この卵は今日の食卓に並べよう。
卵料理、ティナは喜んでくれるだろう。