エピローグ:婚約とアルノルトのこれから
無事、祭りは終わった。
あの挨拶のあと、舞台を降りると領民たちに取り囲まれていろいろと話しを聞かれた。
それは、具体的な領地経営のビジョンだったり、お菓子のレシピだったり、結婚の予定がないかだったり様々だ。
近いうちに全ての村を回って自分の目でみんなの生活を確かめたいと思う。
片付けは使用人たちに任せてティナと共に屋敷に行く。
フェルナンデ辺境伯と祭りのあとに話をする約束をしていた。
客室に向かうと、フェルナンデ辺境伯とファルノ、そして父が紅茶を飲んでいた。
ティナは他の使用人たちと同じように俺の背後に控える。
「やあ、クルトくん。情熱的で素晴らしい挨拶だった。君の描く未来がよく伝わってきたよ。まあ、頭で理解する前に、胃袋のほうで理解してしまったのが大きかったけどね」
フェルナンデ辺境伯は、にやりと笑う。
「フェルナンデ辺境伯、そう言ってもらえると私としても嬉しいです。千の言葉よりも、そちらのほうがいいと確信しておりました」
「確かにそうだ。この領地で手に入るものだけで、私たちのような上級貴族でも食べられないようなお菓子を振る舞われてしまったのだからね。君の語る誰もがお菓子を楽しめる領地というのを信じないわけにはいかなくなった」
俺の狙いにしっかりと辺境伯は気づいてくれている。やはり、この人はすごい。そんなことを考えていると、ファルノが口を開いた。
「クルト様、少し長い話になりそうですし、座ってくださいな。いいですよね? お父様」
「もちろん、いいよ。クルトくん座りたまえ」
フェルナンデ辺境伯が頷いたのでお言葉に甘えて座る。
すると、俺の前に紅茶が差し出された。
「君はめでたく次期当主になったわけだが、今後どのようにしていくのかね?」
「父と相談が必要になりますが、しばらくは、今の村を治めながら父の補佐をしたいと思います。あの場で言ったとおり、新たな取組みを私の村で実験して、成功すれば資料化して各村に展開していくつもりです」
いきなり、全ての村で新たな取り組みをして失敗しては目も当てられない。
そして、資料を渡すだけではなく、人員の交換も検討している。技術を叩き込んだ人間を他の村に送ったり、逆に他の村から一年間技術を学びに来てもらう。そうすれば、もっと効率があがるだろう。
「私が、新しいことに取り組めるのは今しかない。本格的に全ての村の管理をするようになれば、そんな余裕はなくなってしまいますので」
「うん、いい考えだね。君はそうやって新しいことに取り組んでいくべきだ。少なくもアルノルト准男爵がご壮健な間は新しいことに取り組んでいったほうが将来に繋がる。アルノルト准男爵、君はどう思う?」
フェルナンデ辺境伯の問いに、父は一瞬だけ考えこむ仕草をしてから口を開いた。
「私も賛成です。アルノルト領が豊かになるには、クルトにはしばらく好き勝手してもらったほうがいい。その合間に領主としての仕事を少しずつ教えていくつもりです」
「ありがとうございます。フェルナンデ辺境伯。それに父上。ご期待にそえる成果を出してみせます」
二人が認めてくれるなら好きに動けるだろう。
あとは俺の手腕の問題だ。
「クルトくん、がんばりたまえ」
辺境伯が俺にほほえみかけ。
「クルト、期待している。協力は惜しまない」
父がぶっきらぼうに、だが期待を込めた眼差しで俺を見る。
「ありがとうございます」
俺は紅茶を啜った、これで今日の話は終わりだろう。
そう思っていると、ごほんとフェルナンデ辺境伯が咳払いをした。
「ところで話が変わるのだが、クルトくんは一五歳だと聞いている。既に結婚していてもおかしくないし、貴族なら一七での結婚が推奨されているのは君も知っていると思う」
この世界の貴族は、早いと十五で結婚をし、十七が適齢。十代で結婚していなければ白い目で見られる。
俺は今一五。そろそろ動かないと行けない頃合いだ。
だが、それについては心配していない。
「その通りです。そろそろ私も身を固めないといけません」
「そこで提案があるのだが……」
フェルナンデ辺境伯がファルノのほうを見る。
「我が娘、ファルノと婚約をしてはどうだろうか?」
「辺境伯の娘と、次期准男爵である私が婚約ですか?」
俺は思わず聞き返す。
予想はしていたが、あまりにも突拍子がない話だ。
辺境伯と、准男爵の身分差はあまりにも大きい。一般の会社で言えば、副社長と現場主任ぐらいの差がある。
「そうだ。私はそうしたいと思う。現状の君だけを見ると、はっきり言って我が娘には吊り合わない」
内心で頷く。
貴族の娘とは、他の家との結びつきを強くするための政略結婚の道具だ。
三女とは言え、ファルノは辺境伯の娘であり、その価値は計り知れない。間違っても准男爵と家同士の結びつきを強くするために使うわけなんてありえない。
「君は大きなことを為す男だ。今の時点で青田買いをして置くのも悪く無いと思って提案した。それにこの子も、前向きだしね」
「はい、私はクルト様に惚れましたわ! これほどまでに知的で、精力的なかたを知りませんもの。クルト様、私と婚約していただけませんか?」
ファルノが上気した顔で微笑む。
将来の発展を考えるだけなら、断る理由がない。フェルナンデ辺境伯と血縁で結ばれることは非常に大きな意味をもつ。
有形、無形、様々な利益を得られるだろう。
だが……。
「ファルノ様、申し訳ございません。失礼を承知で申し上げす。おそらくあなたには、アルノルト准男爵領の生活に耐えられない。ここには何もありませんし、日々の食事も質素です。私は毎日お菓子を食べられる生活をと言いましたが、そうなるまで二年はかかるでしょう。先日は本村でもてなしをさせていただきましたが、あなた達にとっては、たいしたもてなしに見えなかったでしょう。しかし、これでもかなり無理をしております。日常生活は、もっとひどいものです。特に私がいる開拓の最前線の日常生活は辛く苦しいものとなるでしょう」
婚約を断る表向きの理由を告げる。
しかし、ファルノは怯む様子はない。
「覚悟しておりますわ。とは言っても私のような世間知らずのお嬢様の言葉、信じられないでしょうね。クルト様の足を引っ張るようなら、家に叩き返してもらって構いません。そのことは父も了承をしていることですわ」
「ファルノの言うとおりだよ。私は、そうなってもアルノルト准男爵領を取り潰したりしない。もし、怒るとすれば結婚前に手を出したときだけだね。それまでは娘を傷物にすることは許さない」
俺の中で驚きが大きくなる。
彼女にそこまでの覚悟があるとは思っていなかった。
「というわけで、クルト様とお父様の了解を得たので、無事、婚約成立です。これからよろしくお願いしますわ、クルト様」
そうして、花のように綺麗な笑顔で握手を求めてきた。
ファルノの手を、俺は掴み婚約が成立してしまった。
ティナはファルノの警戒して、尻尾の毛を逆だてている。
これから、いろいろと大変なことになりそうだ。
◇
ファルノと二人で外にでる。
二人きりで話したいと彼女が言ったからだ。
「ファルノ様、私は」
喉まで出かかかった言葉を飲み込む。
それは拒絶の言葉。婚約を断ることは一人の領主としてできない。
俺だけでなく、領民たちをも犠牲にする。
「わかっていますわ。クルト様」
すべてを見透かした目でファルノは俺を見る。
「クルト様は、使用人の子にただの使用人以上の感情を持っています。私との婚約は立場を考えて受け入れざるを得なかった。本当は、あの子と結ばれたかった。そうでしょう?」
「……お見通しというわけですか」
まさか、俺のティナへの感情を見抜かれると思っていなかった。
本音を言うと、俺はティナのことを愛してる。今まで苦楽を共にしてきた彼女を裏切りたくない。
「惚れた人のことですもの。それぐらいはわかりますわ……それを知った上で私はお父様の提案に乗りました。あなたに惚れたということもありますし、それ以上に、あなたと一緒に居れば成長できると思いましたの」
「成長?」
「ええ、私こう見えて父の補佐をやっていますの。でも、それはただの作業、決められた作業を繰り返すだけ。なにも変わらない。でも、クルト様のところに行けば新しい何かが始まる。もっといろんなことをできると思いました。私は誰かの飾りもので終わる人生は嫌ですの」
ただの令嬢ではないと思ったが、ここまでとは……。
「勘違いなさらないでほしいのですが、結婚を強要することは本意ではありません。愛のない結婚ほどつまらないものはないと思っていますわ。お互いに気を使って、後ろめたくて、息が詰まるだけ。私、そんなものは望んでいないのです。結婚生活には愛がほしい。貴族の娘として失格かもしれませんわね」
「私のティナへの感情を知っていて、それを言うということは、婚約を断るということですか?」
「いいえ、違います。一年ともに暮らしましょう。私はクルト様に振り向かせるように努力します。ただのお飾りになるつもりはありません。父の補佐をした経験を活かして、クルト様のお仕事をサポートしますわ。そして、一年後、クルト様が決めてください。私と結婚するか、結婚しないか、どちらを選んでも恨むつもりは毛頭ありません、一年かけて、あなたを振り返らせないなら、私の意志で婚約解消します。お父様は私が説得しますわ。あなたに被害がないようにします」
「俺にとって都合が良すぎる話だ」
そう、あまりにも俺の有利すぎる。
ファルノが得をすることは何もない。
「そうですね。一方的に、クルト様が得をする話ですわ。少なくとも一年は、フェルナンデ辺境伯の後ろ盾ができて、断っても傷つかない。自分の交渉下手が嫌になりますわね。惚れた弱みがあるのですから仕方ありません。でも、たとえ振られても、クルト様からたくさんのものを得てフェルナンデに帰るつもりですわ。それぐらいの覚悟はありますの」
ファルノは淡く微笑む。
はじめて、この少女が”綺麗”だと思った。
「君の提案に甘えさせてもらう」
さきほどとは逆に今度は俺から手を伸ばす。
その手をファルノが握りしめた。
こうして、本当の意味での婚約が成立した。