第二十四話:お菓子に込めた甘い未来
宴は盛り上がっていた。
たくさんのご馳走に、うまい酒。それにこれからもっと豊かになるという希望があるのだ、盛り上がらないはずがない。
芸達者な者達は手持ちの楽器で音楽を奏で、それに合わせて他の領民が適当に歌い笑いあう。
本当にいい祭だ。
俺はこの空気を全身で味わう。
「もう、クルト様、ちゃんと私の話を聞いてますの?」
「ファルノ様、ちゃんと聞いていますよ」
ファルノに意識を呼び戻される。
俺は祭りが始まってからずっと、フェルナンデ辺境伯とファルノに捕まっていた。
主な話題は、この前渡した俺の領地で行っている工夫の資料に対する補足と、かつて翻訳した本の解釈について。
どちらもかなり深いところまで聞いてくるので気が抜けない。
二人共楽しんでもらえているようで一安心だ。
ティナが空いたコップを見てワインを注いでくれる。さきほどから彼女は、献身的に振る舞ってくれていた。
彼女がそばに居るだけで、気持ちが楽になれるので助かっている。
しばらく話を続けて、会場のほうに気を配ってみると、料理も酒も尽きかけているのが見て取れた
仕掛けるなら今だ。
「フェルナンデ辺境伯、ファルノ様、そろそろお菓子を振る舞いたいと思います」
フェルナンデ辺境伯が頷き、ファルノが口を開く。
「お話ができなくなるのは残念ですわ。でも、お菓子は楽しみ」
「お二人には、直接お菓子を振るまいたいと思いますのですぐに戻ってきます」
「まあ、素敵。約束ですわ」
「ええ」
俺は立ち上がる。
「ティナ、行こうか」
「はい、クルト様のお菓子をみんなに届けましょう!」
そしてティナと二人でお菓子を置いてある机にまで歩いて行った。
◇
机の上にはバスケットに入ったマドレーヌと土鍋に入ったオランデーズソースが並んでいた。
「ティナ、頼むよ」
「ゆっくりと温めますね!」
土鍋のソースをティナの力で一番卵の旨みが活性化する六〇℃に暖め直してもらう。せっかくのお菓子だ一番美味しい状態で食べて欲しい。
小さな土鍋を幾つか用意してあり、オランデーズソースを小分けにした。
使用人たちが各テーブルにマドレーヌの入ったバスケットと小さな土鍋を運んでいく。
領民たちが何事かと騒ぎ始めた。
使用人たちがバスケットを開く。すると甘い香りが立ち込め、バスケットの中身が作ったお菓子だと気付き、みんなが表情をゆるめた。
俺とティナも移動する。フェルナンデ辺境伯と、ファルノのもとへ。
彼らには、アルノルト家の次期当主として直接、お菓子を振る舞いたい。
◇
「ほう、今配られているのが君のお菓子かね?」
戻ったとたん、フェルナンデ辺境伯が俺に声をかけてくる。
「はい、私のお菓子です。受け取っていただけますか?」
「もちろん」
ティナがバスケットを開き、俺は中に入っているマドレーヌを皿の上に盛り付ける。
「焼き菓子かね? いい香りだ。芳しい森の香り。そして見た目もいい。鮮やかなキツネ色、そして彫られているのはアルノルト家の家紋かね? これはいいな。祭りのシメにふさわしい」
「ふわふわして、美味しそうです。それにお父さまもおっしゃるとおりいい香りこの香りの正体は何かしら」
「ハチミツと、クルミの香りです。火を通すとこのように素晴らしい香りになります」
二人が興味深そうにマドレーヌを見つめている。
「そして俺のお菓子は、まだ完成ではありません。これより、仕上げを」
俺は土鍋をティナから受け取り、酌でオランデーズソースを掬う。
温度もばっちりだ。土鍋を開けた瞬間、サルナシの甘酸っぱい香りが広がる。
クルミとはまた違う清涼な香りだ。
「ほう、そのソースをかけるのかね」
「はい、その通りです」
そして、家紋にソースを流し込んだ。
マドレーヌに黄金のアルノルト家の家紋が浮かび上がってくる。
「うわぁ、黄金の家紋のお菓子。なんて綺麗なの! 素敵ですわ」
「いやはや、驚いた。君が黄金のお菓子と言っていたのは、こういう意味か。美しい、こういう趣向は初めて見る。食べるのがもったいないぐらいだ」
二人が感心した声をあげる。
特にファルノのほうはよほど待ちきれないのか、フォークを握る手に力が込められている。
「これで、完成です。私が作り上げたお菓子、名前をマドレーヌ・アルノルトと申します。是非ご賞味ください」
周りを見渡すと使用人たちが、まだあたたかいソースをマドレーヌにかけて領民たちに配り始めていた。
「クルトくん、アルノルトという名をお菓子につけたようだが、見た目だけで中身が伴わなければ、家名に泥を塗ることになるが、その覚悟はあるのかね」
「はい、胸を張ってアルノルトの名と歴史に恥じない最高のお菓子だと言い切れます」
一切の迷いなしに答える。
フェルナンデ辺境伯は、ナイフでマドレーヌ・アルノルトを切り分け口に運んだ。
口に入れて咀嚼した瞬間、フェルナンデ辺境伯は目を見開く。
「これは!? なんて濃厚な卵の旨みだ」
それもそのはずだ。卵黄にハチミツの甘さと果実の酸味を加えたソース。
卵黄だけをつかい、それを六〇℃という、もっとも旨みが活性化した温度に保っている。カスタードクリーム等とは比べものにならないほど、濃厚な卵の旨味を味わえる。
「お父様味だけでなくて口当たりも素敵、ふっくらして、ふわふわな生地なのに、しっとりとして。しかも、濃厚な黄金のソースが絡んだところは食感がさらになめらかに変わって、まるで夢のようなお菓子ですわ」
メレンゲで膨らませてやきあげた生地は、ふっくらするが、反面ぱさぱさになりやすい。だが、山芋と多めのクルミ油が生地に水分を保持させしっとりとさせる。そこに滑らかなオランデーズソースが絡むと、官能的な食感になる。
ソースが絡んだ部分と、絡んでない部分で食感が変わり、食べるものを飽きさせない工夫をしてある。
そして、味の面でも相性は抜群だ。卵以外はアルノルト領の大地が育てた素材。咬み合わないはずがない。
「この前のクッキーも驚いたが、あれは素朴なうまみ。だが、これは豪華絢爛なうまさだ。このまま、私の食卓に並べても問題ない。これは貴族のお菓子だよ。それでいて濁りがない。いやはや、まだ君を過小評価していたようだ。材料の制約も、時間の制約もあったのに、よく作り上げた」
フェルナンデ辺境伯は、そう褒めつつも料理を口に運ぶ手を止めない。
それほどまでに気に入ってくれたようだ。
広場のほうからは、次々に領民たちの声が聞こえる。
「こんな、美味しいものは初めて!」
「甘めえ! もう俺死んでもいい」
「このお菓子を食えただけで、クルト様が次期当主になって良かったって思えるよな」
「ああ、もう食べ終わっちまった。もっと味わって食べればよかった」
「もったいないな、もう二度とこんなもん食えねえぞ」
「クルト様が領主なら、来年も食べれるかも」
「そうだといいな、連れてこれなかった息子にもくわせてやりてえ」
大好評で安心だ。
みんなが貪るようにマドレーヌ・アルノルトを食べている。
そんな中、マドレーヌ・アルノルトを食べ終えたファルノが口を開く。
「クルト様、このお菓子には重大な欠点があります」
ファルノは厳しい顔で俺の方をみる。
その言葉に俺は一瞬青ざめた。
何か見落としをしたのか?
いったいなにがまずかったのだろう。
「そう、欠点……それは」
彼女はもったいぶって間を作った。
「量が少なすぎますわ! おかわりはありませんの!」
それを聞いた、俺とフェルナンデ辺境伯は苦笑して……顔を見合わせたあと声を上げて笑った。
◇
お菓子をみんなが食べ終えたあと、俺は壇上に再び上がる。
これは締めの挨拶だ。
そして、俺の夢を伝える場でもある。
「みんな、話を聞いてほしい」
あたりが静まり返る。
みんなが俺に注目する。
「俺が作ったお菓子は楽しんでもらえたかな?」
俺の問いかけ対して、口々に返事があった。
良い返事ばかりで安心する。みんな存分に楽しんでいただけたようだ。
「それは良かった。あのお菓子は、マドレーヌ・アルノルトと言う。その名の通り、俺の描くアルノルト領の未来を表現したお菓子だ」
俺はけして、伊達や酔狂でアルノルトの名をつけたわけじゃない。
アルノルトである必然性があったのだ。
「俺の夢は、この領地をみんなが、毎日当たり前のようにお菓子を食べられる領地にすることだ」
その言葉に領民たちは驚き、首をかしげている。
それは領民たちにとって、本当の意味での夢物語なのだ。
「みんなはまだ、実感がわかないかもしれない。アルノルト領は貧乏で、日々の食事にすら困ることも多い。お菓子なんて夢のまた夢。甘いものなんて手に入らない。そもそも、お菓子なんて貴族の食べ物だ。そう思っているだろう」
厳しいがそれが現実だ。
お菓子は嗜好品であり、貴族の嗜み。それがこの世界の常識。
「だけどね、このマドレーヌ・アルノルトの材料は、全部この領地で採れたものなんだ。そんなお菓子が、俺たちで楽しめないはずがないだろう」
領民たちが次々にありえないとつぶやく。
「材料を一つずつ言っていこうか、小麦……これはみんなが育てている。クルミ……森に行けばいくらでも拾える。山芋……これも掘るのに苦労するけど簡単に手に入る。サルナシの実……そこらじゅうに生えている緑の実だ。卵は、フェルナンデ辺境伯からもらった鶏を増やしていきいずれは各村に届けよう。そして、甘さはハチミツでつけた。このハチミツは俺の領地で、養蜂に成功して採取したものだ。もう少し実験して技術が確立したら、他の村にも共有するつもりだよ。近い将来どの家庭でもハチミツが楽しめるようになる。材料はこれで全部だ」
領民たちは俺の話を聞いて、驚きの声をあげる。
ようやく、俺の夢が、実現可能な未来だと気付いたようだ。
「卵とハチミツは来年になるけど、他のはすぐにでも手に入る。みんなが、こんなお菓子を作れる未来はすぐそこにある!」
今日のお菓子を作る際には、この領地でとれる材料にこだわった。
夢を現実だと思ってもらうためには、ありふれた材料で最高のお菓子を作る必要があったのだ。
それをクリアして、領民たちに夢を信じさせるためのお菓子。
それこそが、マドレーヌ・アルノルト。甘い夢のお菓子だ。
領民たちの顔に理解の光が宿る。
「俺の村が他の村に比べて豊かなことは、父から聞いたと思う。俺はその秘密を隠すつもりはない。俺はね。新しいことは俺の村で始めて成功すればアルノルト領全体で広めるやり方を行いたいと思っているんだ。そうすればみんなで豊かになれる!」
今まではなかった技術交流。
同じアルノルト領でありながら、それぞれの村のやり方に固執していた。それを変えたい。
俺の村の成功の噂と、フェルナンデ辺境伯が認めたこと、さらに俺のお菓子の力で今ならその意見が受け入れられるだろう。
「そうして、日々の食事に困らなくなったら、ありふれた材料とハチミツと卵でお菓子を楽しもう。お菓子は貴族の食べ物じゃない。ありふれた日常の楽しみであるべきだ。俺は、このアルノルト領をそんな領地にしてみせる」
それこそが、俺の領主としての役割。
そして、お菓子職人としての夢。限られた人だけがお菓子を楽しめるなんて悲しいじゃないか。俺はもっといろんな人にお菓子を食べてもらって幸せを感じてほしい。
「俺の目指すのは、【お菓子と笑顔にあふれた領地】。その夢を叶えたい、信じてくれるなら拍手をしてくれ。これで俺の次代のアルノルト准男爵としての挨拶を終わらせていただく」
頭をさげる。
これ以上の言葉は無粋だ。
俺の夢は受け入れられるだろうか?
そんなことを考えた瞬間、音の波が来た。
怒涛のような拍手。この場にいる全員が力強く拍手をしていた。
その中には、父も、フェルナンデ辺境伯も、ファルノも……そしてティナも居た。
みんなが俺を信じた。
こんな甘くて優しい人々と、この地を盛り上げていきたい。
俺は、心の底からそう思って微笑んだ。