第二十二話:マドレーヌ・アルノルト
台所にはところ狭しと料理が並んでいた。
朝に各村から届けられた献上品を調理したのだろう。
祭りのための料理はほとんど終わっており、どんどん祭りを開催する本村の広場に運ばれていく。
かまどや調理台は空いており、心置きなく腕を振るえそうだ。
「クルト様、材料をもってきました!」
ティナと村人たちが大荷物をもってやってきた。
彼らの手にあるのは、小麦粉、山芋、ハチミツの入った瓶、クルミ油、そして緑色の五センチぐらいの俵型の実、キウイフルーツの原種であるサルナシの実だ。
それに加えて、布で包まれた大きな板が運ばれたきた。
「みんなありがとう。助かったよ。ティナだけ残ってもらっていいかな。お菓子作りを手伝って欲しいんだ」
「いいんですか!?」
ティナが満面の笑みを浮かべて握りこぶしを作る。
今までお菓子作りだけは彼女の手を借りずにやってきた。
でも、これからはティナと共に、最高のお菓子作りを目指したい。
今は火の魔術だけを頼りにするが、少しずついろんなことを教えていくつもりだ。
「いいに決まっている。俺からお願いしているんだから」
「はい、クルト様!」
ティナが力強く応えた。
回りの連中がにやにやと、生暖かい目で俺達を見ている。
「坊っちゃん、俺達は先に広場行ってるぜ。ここにいると甘いお菓子を食うまえに胸焼けがしそうだ」
村人の軽口を聞いたティナが顔を赤くして頬をふくらませる。
「俺のお菓子は胸焼けしてても、美味しく食べられるよ。また、後で会おう」
村人たちを見送る。
そして、ティナが俺の隣に並んだ。
「クルト様のお菓子作り、精一杯手伝わせていただきます!」
「頼りにしてるよ。ティナの力が必要だ」
ティナの火の魔術の便利さを覚えてしまったら、今さら薪での火力調整にはもどれない。
「私の力が必要……」
「ティナは俺の最高のパートナーだよ。力をかしてくれ」
「全力でがんばります! クルト様のためならなんだってやってみせます! ……パートナー、最高のパートナー」
ティナはさきほどから尻尾がぶんぶん揺れている。
気合は十分といった様子だ。
さあ、料理を始めよう。
まずは、使う分の小麦粉をしっかりとふるいにかけ、さらに山芋を擦りおろしておく。
台所に置いてあったボウルを二つ借りる。
そして、卵を割って卵白と卵黄を分離させていく。片方のボウルには卵白を、もう片方には卵黄を入れる。
卵黄が盛り上がっているし、卵白は濁らずに透明。いい卵だ。
「うわぁ、クルト様、片手で卵を次々と割って、卵黄と卵白が一瞬で綺麗にわかれて、魔法みたいです」
「ただの慣れだよ。ティナだって練習すればできるようになるさ」
おそらく、料理技能Ⅲの効果もある。前世の動きをイメージするとそのとおりに体が追随する。
この技能のおかげで、前世で知っている動きは全て再現できるだろう。
武器の技能は、純粋に速さと重さを強化するだけだが、料理技能の場合は精密性をあげ感覚を鋭敏にする作用があるようだ。
あっという間にフェルナンデ辺境伯からもらった卵を全て分離できた。
「さあ、はじめようか」
白身の入ったボールを手にとり、お手製の泡立て機を入れて、かき混ぜる。
俺が作るのはメレンゲだ。卵の白身にたっぷりと空気を含ませると真っ白な泡が出てくる。
さらにかき混ぜ続けていると、もこもこと白いメレンゲになり膨らんでくる。
「うわぁぁ、卵の白身があんなに膨らんで、魔法みたい」
ティナの目が、好奇心に輝く。
そこにハチミツを少量入れてかき混ぜる。一度にではなく。少しずつハチミツを入れるのがコツだ。
「よし、完璧なメレンゲだ」
泡立て機を抜くと角がたった。しっかりと、硬くてふわふわなメレンゲができあがった。これは土台だ。ここで失敗すると目も当てられない。
「すごいです、たったあれだけの卵が、こんなにも大きくてしろいもこもこになるなんて」
「たくさん空気を含んでるからね。これを生地にまぜて焼くとふっくらするんだ」
普通に生地を焼くとどうしたって硬いものになる。だけどメレンゲを入れれば空気をたっぷり含んでふっくらするのだ。
「さあ、どんどん行くよ」
さきほど分けておいた卵黄を溶いて、全体の三分の二ほどをメレンゲに加える。
卵黄は三分の二にしたほうが今回のレシピだとバランスがとれる。残りの三分の一はあとで使う。
卵黄も小分けにして混ぜながらいれていく、白いメレンゲが黄色く染まる。
さらに、ここにふるいにかけた小麦粉を入れて混ぜ、山芋をすりおろしたものを加えた。
空気を大量に含んで、ふわふわした生地は、ぱさぱさになりやすい。山芋を混ぜ込んでおくと口当たりが良くなるし、生地に甘みがでる。
最後に、クルミ油だ。
卵を少なくした分、多めにいれる。そうすると山芋との相乗効果でより、しっとりとする。これはクルミ油だから許される。もしバターで同じものを作ればくどくて食えたものじゃない。後味が爽やかで旨みとコクをもつクルミ油だからこそ多めに入れることできた。
あとは、しっかり混ぜ合わせると、生地の完成だ。
まだ焼いてもいないのに甘い香りがただよってきた。
「黄色くて、ふわふわのとろとろ、このまま食べても美味しそうです」
「まあ、食べられなくはないけどね、焼いたほうがずっと美味しいよ」
俺は苦笑しっつつ、布で包まれていた板を取り出す。
魔術で作った特製の板。そこには楕円形の凹みが等間隔に並んでいた。
そこにクルミ油を塗っていく。
「この楕円形の凹みに何かが彫られていますね。これって……」
「よく気付いたね。アルノルト家の家紋だよ」
俺は楕円形の穴に次々と、さきほど作った生地を次々と流し込んでいく。このやり方だと一回で大量に焼ける。
焼成時間は二十分ほど、五回も焼けば二百人分のお菓子が出来上がる。
なんとか、二時間かからずに人数分用意できるだろう。
俺が作っているのは、メレンゲ・マドレーヌだ。
楕円形の凹み全てに生地を流し終えたあと、板を竈の中に入れる。
「ティナ、火を頼むよ、強火でお願い」
「はい、クルト様」
「ちょっとずつ火力を落としていって……そう、もう少し、うん、そこだ。その火力を維持。できるかな?」
「もちろんです。クルト様」
ティナが汗を流しながら、マドレーヌを焼いてくれている。
時間が来れば、最高の卵に、森で採れたクルミと山芋という素敵な素材を使った、ふわふわで、しっとりしたマドレーヌが出来上がるだろう。
だが、これでは未完成。今日は特別なお菓子、ただのマドレーヌでは終わらせない。
◇
そこから、合計五回、マドレーヌを焼き、二百人分のマドレーヌが揃った。
ここから、さらにマドレーヌを一段上のうまさに引き上げる。
「クルト様、あまりに、甘くて、いい匂いすぎて、我慢できないです。一つ、一つだけ、味見させてください」
ティナがうっとりした目でキツネ色に焼き上がったマドレーヌを見ている。
クルミ油と山芋を入れた特製マドレーヌはそのまま食べても十分にうまい。
「そうだね、ティナは頑張ってくれたから味見をしてもいいよ。でも、まだ完成じゃない。仕上げをやってからだ」
「まだ、これ以上、美味しくなるんですか!?」
「ここからが本番だね。みて、この焼き上がったマドレーヌにアルノルト家の家紋が彫られているだろ?」
「はい、綺麗にアルノルトの家紋が刻まれてます」
「でも、家紋の部分が凹んでいるってどうかなって思わない? そこをあるもので埋めることで俺のお菓子を完成させる」
型に工夫して家紋が刻まれるように作った。
だけど、見栄えを気にするなら、焼入れをする。
そうしなかったのは理由がある。
俺は、三分の二を使って残して置いた、卵黄に手をかける。
卵黄にクルミ油、少量の塩、さらにサルナシの実の果汁をたっぷりと入れてまぜ、ハチミツを加えた。
俺が作っているのは卵黄の甘いソース。
フランス高級料理における、五つの基本ソースの一つであるオランデーズソースをお菓子に使えるように改変したものだ。
やはり卵の旨みは、卵黄の強烈な旨みだ。スクランブルエッグよりも、半熟の目玉焼きの黄身のほうが強い旨味を感じる。その旨みを最高まで活かすソースを作る。
そして、卵の旨みが一番生きるのは……
「ティナ、このソースを温めてもらっていいかな。今回もゆっくり」
「慎重にいきますね」
ティナの手で卵のソースが温められる。
卵の黄身を美味しく食べるのにもっとも重要なのは温度。
卵が固まる寸前の六〇°そこがもっとも卵の旨みが活性化する。いわゆる半熟玉子だ。卵のソースが綺麗な黄金色に変わる。
卵の黄身を活かすのであればカスタードクリームという手もあったが、こちらのほうが、卵の旨味がより強くでる。
ティナに目線で合図して、温めるのをやめてもらう。
俺は、最適な温度になった半熟卵のソースをマドレーヌのへっこみに注ぐ。
そう、この家紋のくぼみはソースを入れるため作っていたものだ。
マドレーヌに黄金色のアルノルト家の紋章が浮かび上がった。
これで、完成。黄金のマドレーヌ。
「わああああ、綺麗。黄金色の家紋が入ったお菓子、すごくロマンチック」
ティナが目を輝かせてお菓子を覗き込む。
お菓子は、味も大事だが見た目も大事だ。今日のような祭りで振る舞うなら特に。黄金の家紋が入ったマドレーヌは、祭りにはぴったりだろう。
「さあ、食べてみて、今の俺にできる最高のお菓子だよ。マドレーヌっていうお菓子をベースにいろんな工夫をして作り上げたオリジナル。だから、このお菓子の名前は、マドレーヌ・アルノルト。そう決めたんだ」
「アルノルトの名前がついたお菓子……素敵です!}
卵の旨味を100%引き出しつつ、この村で作り上げたものと、森の恵みをたっぷりと受けた素材を活かしたお菓子。だからこそ、アルノルトの名前が相応しい。この領地でしか作れない。特製のマドレーヌ。
「では、クルト様、さっそく頂いてよろしいですか?」
「是非、食べてくれ」
「では、頂きます」
ティナは、振るえる手でマドレーヌ・アルノルトを掴み、口に含んだ。