第二十一話:父の想いと息子の想い
俺にしがみついていたティナが泣き止み離れていく。
「クルト様、取り乱ししまってごめんなさい」
ティナは恥ずかしそうに顔を伏せながら涙声でそう言った。
「いや、いいよ。俺のことを想って、そんなふうになってくれたのは嬉しいかな」
ティナがよりいっそう恥ずかしがってしまった。俺は何気なしにティナの頭を撫でてから、フェルナンデ伯爵のほうを向く。
ティナが俺の背中に隠れた。彼女は若干人見知りだし、涙で濡らした顔を見知らぬ人には見せたくないのだろう。
「お待たせしました。フェルナンデ辺境伯」
俺は頭を下げる。
フェルナンデ辺境伯はよく出来た人だ。
普通の貴族なら、使用人なんてさっさと引き剥がして自分に挨拶するのが筋だと怒っている。
「いや、いいよ。私も可愛いお嬢さんの涙を見ているのは辛かったからね」
人好きのする笑みを浮かべてフェルナンデ辺境伯が答える。俺の後ろに隠れていたティナが、若干警戒心を解いて顔を出した。
「それにしてもおめでとう。いや、驚いた。本当に勝つなんて。もう君はアルノルト准男爵すら超えているのではないかな?」
「いえ、父の槍にはまだかないません」
俺と父はそれぞれ技能がⅢに至っている。あとは純粋な技量の差で優劣がつく。俺が見る限り技量は若干父が上。だが、薙刀の優位な点を活かせば若干の勝機なら見いだせる。それが俺の認識だ。
「謙遜はいいよ。君は魔力を使えると聞いている。魔力なしであれだけの力を使えるんだ。魔力を併用すればいったいどれほどの力が振るえるのだろう。すえ恐ろしい。その力を活かす道も十分ありだと思うけど?」
たしかに、魔力を使えば戦いにすらならない。
父は一応魔力が使えるが一般人に毛が生えた程度でしかないのだ。
技能で増幅した力に、さらに魔力を掛けあわせれば、人智を越えた力を発揮できる。技能と魔力、両方を発揮できる人間は極めて少ない。
「それでも私の夢は世界最高のお菓子職人です。そちらの道でも、大きなことを成し遂げてみせますよ」
「それは楽しみだ。それでこそ……いや、これはあとにしよう」
フェルナンデ辺境伯は意味ありげな目でファルノのほうを見た。
ファルノも同じく意味ありげな表情で笑い、口を開く。
「クルト様、おめでとうございます。見事な腕前でしたわ。我が領でもクルト様ほどの腕前のものはおりません」
「ありがとう」
「正直、見惚れてしまいましたわ。クルト様は知力でも、お菓子でも、武技でも、私をほれさせてしまうなんて、罪なお方です」
「それは、光栄です。私もあなたのような美しいご令嬢にそう言っていただくと、舞い上がってしまいます」
若干、背中に違和感があった。
ティナが頬を膨らませて俺の裾を掴む手に力を入れていた。
可愛い嫉妬だ。ただのお世辞なのに。
「フェルナンデ辺境伯、ファルノ様。夕方に開かれる祭りでは、フェルナンデ辺境伯に頂いた卵を使った、とっておきのお菓子を披露するので楽しみにしておいてください」
「言われるまでもない。ずっと楽しみにしてきたんだ」
「私もですわ。クルト様! クルト様のお菓子を食べるために今日も来てしまいましたの」
思った以上に楽しみにしていただいているようだ。これはプレッシャーがかかる。
「いったい何を作るつもりだい?」
「私が振る舞うのは黄金のお菓子です。卵の旨みを一〇〇%活かしております」
「ほう、それはそれは」
フェルナンデ辺境伯は目を細めた。
「では、私はこれで父に挨拶をしてから調理をする必要があるので、このあたりで失礼させていただきます」
二〇〇人分を二時間で仕上げる。急がなければ。
「引き止めて悪かったね。はやく行きたまえ」
「クルト様、また後で、お話をしましょう」
フェルナンデ辺境伯とファルノに会釈し、その場を後にした。
◇
父の執務室に入ると、もう既に父が居た。
どうやら、フェルナンデ辺境伯と話しているうちに追いぬかれていたようだ。
「父上、遅くなりました」
「いや、いい。よく来てくれたクルト」
父にはどこか疲れた様子が見て取れた。
「まずは、謝らせてもらおう。今まですまなかった。私はおまえにひどい仕打ちをしてきた。……私はおまえをこの領地から追い出すつもりだった」
変な言い訳をせずに、真正面から父は謝罪をする。
「父上の考えは、つい先日フェルナンデ辺境伯から話を聞きました。私の中で気持ちの整理もついております。謝る必要はございません」
俺の言葉を聞いて、父は驚きに目を見開いたあと。
そうか……と小声でつぶやいた。
「クルトはアルノルト家の小さな村の領主で生涯を終えるより……。いや、例えアルノルト准男爵領を継ぐよりもフェルナンデ辺境伯のもとに行ったほうが大きなことが為せる。それだけの才能があると考えていた」
その声は苦渋に満ちていた。
「反面、弟のヨルグ。あれはこの領でなければおそらく生きていけない。あれはあれで才があるほうだ。だが、クルトの前では霞んでしまう。そして、そのことで性根が曲がってしまった。いや、私達が歪めてしまったのかもしれぬ。おまえが近くにいる限り、どうにもならない問題だろう」
その言葉に父の苦悩と後悔が見て取れた。
「私はヨルグを正しく導いてやれなかった……それでも、おまえという存在が居なくなり、一から自分を見直してくれれば、今のアルノルト准男爵領を守り、次代につなげるぐらいのことはできると男に育ってくれると信じていた」
「父さんは、父さんなりに俺とヨルグに幸せになって欲しかったというわけですか」
「そうだ、私はクルトには外で大きなことをなし、ヨルグには堅実にこの領地を守って欲しかった」
その一言を吐き出したあと父は押し黙る。
父の気持ちはわかる。彼は彼なりに俺たちのことを愛してくれた。二人を幸せにしようとしたらこれしか思い浮かばなかったのだろう。
「父上、一つ意見を言わせてください。父上のやったことは、傲慢です。俺たちの気持ちを考えない、一方的な押し付けです。そう思ったのならせめて相談して欲しかった。そうしていただければ、微力ながら知恵も貸せた」
俺たちの幸せを願ってくれたことは嬉しい。だが、それならそれで気持ちを伝えて欲しかった。
そうすれば、ヨルグがこんな風に歪む前に手を打てた。
「私自信、ヨルグを見てやれなかった。あいつに言われましたよ。兄さんは俺に興味が無いって。たしかにそのとおりでした。俺にとってヨルグはどうでもいい存在だった。兄のくせに弟のことを愛してやれなかった」
もし、もっとヨルグと触れ合っていればああはならなかったかもしれない。
そのことについは、俺も若干の罪悪感があった。
前世の経験と知識をもつ俺と比べられればたまったものではないだろう。
そして槍の才能も不幸だった。
努力しても報われない。努力しなくてもちやほやされてしまう。その両方を経験すれば歪むのも仕方がないと思える。
だから、少しは奴の力になってやりたいと思った。
「ヨルグについてですが、あれは一度放り出しましょう。外の世界を知るべきです。今悩んでいる問題がどれだけ些細なことか、外に出てこそ気付ける。フェルナンデ辺境伯に頼みましょう。厚遇なんてしてもらわなくてもいい、むしろなるべく苦労させてやったほうがいいでしょう。どこかの貴族の従者になって、己の身一つであがかせる。それがあいつのためだと思います。その上で、外で居場所を見つけるか、この領に戻ってくるか、あいつ自信に考えさせるのがいいかと」
ここにいる限り、ヨルグは変われない。
外の世界を知って、成長する。その後のことは自分で考えればいい。
「そんなことはできない……無能なものを引き取れなんて、私には頼めんよ」
「いいえ出来ます。私はフェルナンデ辺境伯に恩を売ります。その恩をここで使います」
公爵に送るお菓子を作る約束。その恩をヨルグのために使っても良い。
それが、今までほったらかしにした弟に対する、最初で最後の施し。
「クルト、すまない、そして、ありがとう」
父が頭を下げた。
こんなに小さく見える父は初めてだ。
「父上、祭りには出ていただけるのですか?」
「そんな気分ではないよ」
「申し訳ございませんが、是非、出ていただけないでしょうか? そこで私は一切れのお菓子を振る舞います。そのお菓子にこれからのアルノルト領の未来を描きます」
俺はその言葉を最後に、この場を後にした。
目指すのは台所だ。
生半可なお菓子は作れない。領民たちに俺の夢を納得してもらわないといけない、お菓子の出来しだいではフェルナンデ辺境伯は公爵への贈り物に俺のお菓子を使うことを取りやめるだろう。
だが、そのことに不安はない。
むしろ、燃える。
ここからが、俺のお菓子職人としての戦いだ。