第十九話:選定の儀
朝早くから村を出る。
今回は荷物が多く、人も多いので馬車だ。
選定の儀のあとの祭りにこの村からは十人ほどが参加するので、一緒に馬車に乗っている。
街道に出たころ、少し先の街道の端に村人たちが集まっていた。
人が多い、村のほぼ全員が居るようだ。
いったいなにがあるのだろう?
そう考えながら馬車で横切ると、その瞬間……。
「坊っちゃん、絶対勝てよ!」
「クルト様、絶対に負けないで!」
「クルト様ならぜってえ勝てんぞ」
「おみやげよろしく、次期当主様」
エールの言葉が、どんどん俺に向かって投げかけられる。力強い声だ。そして、その言葉に乗った感情が、この応援が本心からのものだと教えてくれた。
「ありがとう、みんな……」
少し涙ぐんだ。嬉しい。
「クルト様、愛されてます」
「そうだな。俺にはもったいないぐらい素敵な人達だ」
俺はこの村がさらに好きになってしまった。
村人たちの応援は、俺達の乗った馬車が見えなくなるまで続いた。
◇
本村につき、村人たちをおろしてから、俺とティナの二人だけは馬車を本村の倉庫に向かって走らせる。
そこでは、早朝から、各村の代表が本村の倉庫に馬車の列をなしていた。
今日の祭りのために、それぞれが可能な限り見栄を張って献上品を用意してある。
ある意味、自分たちの村がどれだけ資産力があり、本村に対して忠誠心があるかというアピールに繋がる。
テキパキと父と屋敷の使用人たちが列を捌き、俺の番が来た。
「父上、献上品をもって参りました」
「ごくろう」
父が俺の運んできたシカ肉を検分する。
彼の口の端が少しつり上がった。
「うむ、立派なシカだ。なかなかのご馳走だな」
「今日の祭りで楽しんでいただければと思います」
事務的に挨拶をする。ここで少しでも感情を表に出せばいろいろなものが溢れてしまいそうだ。
用事は済んだので、俺は引き返す。長居は無用だ。
「クルト!」
父が俺を呼び止める。
俺が振り向くと、しばらく父は何かを躊躇してから口を開いた。
「選定の儀、勝っても負けても、あとで私の部屋に来なさい。二人で話がしたい」
父が小さく見える。こんな父は初めて見た。
「わかりました。父上、必ず選定の儀のあとに伺います」
「すまない。クルト」
父が申し訳なさそうにつぶやく。
そんな父を見ているのが嫌で、話題を変える。
「……俺も一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
大事なことを忘れるところだった。
俺が新たな領主となり、この領地をどう導いていくかを理解してもらうのに必要な儀式。その準備に父の許可が必要なのだ。
「なんだ?」
「選定の儀、勝っても負けても、屋敷の台所を貸してください。祭りで振る舞うお菓子を作りたいのです」
俺がそう言うと、父は呆けた顔をした。
「お菓子を振る舞うだと?」
「ええ、私にとっては何よりも大事なものです。そして、千の言葉よりも私の想いを皆に伝えてくれるでしょう」
父は納得していない顔だが、台所の使用は許可してくれた。
今はこれでいい。俺の真意は祭りでわかるだろう。
◇
選定の儀は、本村の中央の広場で行われる。
開始前に俺はティナと一緒に来ていた。
専用のリングが出来上がっていた。一段高いリング。その周囲には観客席が用意されている。
アルノルト家の領民たちが見守る中、時期領主の候補者たちが槍を振るい自らが領主に相応しいことを証明する。
まだ、時間が早いせいか誰も居ない。ティナと二人きりだ。
「クルト様」
ティナが俺の手をぎゅっとにぎる。
彼女に手を握られてからはじめて気づいた。
俺の手は震えていたのだ。
「……おかしいな。どう考えても俺が負けるはずがないってわかってるのに不安なんだ」
剣技能Ⅲと、それを活かせる武器を得た。もう負けるほうが難しい。それなのに心の不安は消えない。
一度もヨルグに勝てなかった。その経験が俺に恐怖を与えている。これは理屈じゃない。
そんな俺を見て、ティナが微笑む。
「クルト様、少ししゃがんでもらっていいですか」
「それはかまわないが」
ティナの言う通りにしゃがむと、彼女がぎゅっと俺の頭の後ろに手を回し、胸に抱きよせた。
ティナの暖かさと柔らかさと甘い匂い。それに鼓動が伝わってくる。
「私が本当に辛いときや、不安なとき、母様がこうしてくれたんです。そしたら私はいつも安心することができました。クルト様、どうですか? まだ怖いですか?」
俺は目をとじる。ティナの存在が心地よい。
気が付いたら、不安も緊張も消えていた。
「もう、大丈夫だ。ありがとう。俺らしくない態度をとった。ちょっと恥ずかしいよ」
年下のティナに慰められているのは、男として情けない。
「たまにはいいと思います。私はクルト様のそういうところも含めて大好きなんです」
ティナと出会えてよかった。
俺は心からそう思う。ティナの抱擁をとき、俺は立ち上がる。
もう、震えはない。
あとは、勝つだけだ。
◇
しばらくすると、人が集まってきた。
その中に、見知った顔が居た。
「こんなところに居たのか、探したよ」
親しげな声をかけてきたのは、フェルナンデ辺境伯だ。
彼の後ろには従者が大きな木箱を抱えて付き従っている。
「探させてしまいましたか、フェルナンデ辺境伯。申し訳ない」
「いや、いいんだ。私が君に一刻もはやくこれを見せたくて先走っただけだよ」
フェルナンデ辺境伯の目線の先には従者が持つ木箱があった。
あれはもしや……
「もしかして、私が頼んだあれですか?」
「そう、君のご要望の品だよ」
従者が俺に近づき、木箱をあける。そこには藁と、藁に包まれた卵があった。
俺は一つ、手にとってみる。
形がよく、大きさも申し分ない。これはいい卵だ。
「すごい卵だ」
「素晴らしいものをくれた君への褒美だからね。最高のものを用意したよ。この玉子を産んだ鶏は明日の朝に君の村に到着するように手配してある。さすがに、今日渡されても困るだろう?」
「お心遣い感謝します」
今日は本村から動けない。明日のほうが助かる。嬉しい気遣いだ。
「その代わり素敵なお菓子を頼むよ。僕もファルノも楽しみにしている」
「ファルノ様も来ていらっしゃるのですか?」
フェルナンデ辺境伯の三女である彼女は、視察の際に俺への好奇心で来た。
まさか、今回の選定の儀にまでついてくるとは思っておらず驚く。
「来ているとも、あの子にとって、けっして今日の選定の儀は無関係ではないからね」
フェルナンデ辺境伯の言葉を聞いて、俺は首を傾げる。
フェルナンデ辺境伯は意味ありげな笑みを浮かべるばかりだ。
そうしていると、父と弟であるヨルグ、そしてファルノとその従者たちが現れた。
俺と目が合った瞬間、ヨルグが目を逸らした。
あの一件以来俺に苦手意識を持っているようだ。
逆にファルノは、ぱっと目を輝かせて駆け寄ってくる。
「ああ、お父様! そそくさと出発したと思ったら、先にクルト様とお話するなんてずるい!」
「こら、走るな。淑女がはしたない。クルトくんを見てみろ、目を丸くして驚いているぞ」
「あっ、その、ごめんなさい。いつもはもっとおしとやかなのですよ?」
顔を伏せて、恥ずかしそうにファルノはつぶやく。
「その、気にしておりませんので」
「それを聞いて安心しましたわ! クルト様、今日の選定の儀、絶対に勝ってくださいね! 私、応援しておりますので」
「あ、ああ」
ファルノが俺を応援する意味がわからなくて困惑する。
ちりちりと視線を感じる。
ヨルグがこちらを睨みつけていた。
さすがに今回は同情する。俺を応援するということは、ヨルグに負けて欲しいということだ。
「ファルノ、私たちの立場で、どちらかを応援するのはまずい。それが辺境伯の意志と取られかねない。私も、褒美とはいえ、公の場で卵を渡したことは少し自重が足りなかったかもしれないがね」
辺境伯が、ファルノを諌める。
彼の言うとこはもっともだ。今のファルノの発言はそういう危険さをもっていた。
ここには、俺たち意外にも各村の重鎮たちが居る。
彼らに、辺境伯が俺を推していると思われるとまずい。
「お父様、すみません」
再び、ファルノが謝る。
「フェルナンデ辺境伯、ファルノ様、私は全力を尽くすつもりです。当然弟のヨルグも。力をもち、領主に相応しいものが時期領主になる。ただ、それだけですよ」
ファルノのフォローをしておく。フェルナンデ辺境伯が俺の意図に気付き薄く微笑む。
「そのとおりだよ。クルトくん。私たちはアルノルト准男爵の継承に口をはさむつもりはない」
少しわざとらしいぐらいに、フェルナンデ辺境伯が力強く断言する。
これで大丈夫だろう。
それから、一通り挨拶をしてから。俺たちはわかれた。
◇
ついに選定の儀の時間が来て俺とヨルグは用意された舞台で向い合っていた。
「兄さん、ついに兄さんを終わらせることができるよ。僕が領主になったらどうなるか、楽しみにしていてね」
周りの観客たちが歓声をあげはじめた。
もうすぐ父が現れ、選定の儀の始まりを宣言し、決闘が始まる。
この戦いで全てが決まる。
領主になり俺の積み上げたものを守れるか、全てを奪われてしまうのか。
「もし、そうなれば好きにすればいいさ。できるものならな」
俺は不敵に笑って見せる。
もう恐れはない。ティナが勇気をくれた。あとは、勝つだけだ。