第十八話:梨のタルト・タタンとクルトの決心
俺の男爵就任を祝う祭りは無事に終わった。
酒と材料をファルノが提供してくれ、ティナと各家庭の女性が得意料理を作り、クロエが精霊の里から梨に似た果実を持ってきてくれた。
けっして、豪華できらびやかな祭りではないが、どこか心が温まるいい祭りだった。
厳しい冬を迎える前に、こういう集まりができてよかったと思う。
祭りが終わると、俺は屋敷に今回の祭りでがんばってくれたティナ、ファルノ、クロエを招いていた。
彼女たちに食べてほしいものがある。
祭りは彼女たちががんばってくれたので、お礼に今度は俺が彼女たちをもてなすのだ。
お茶を淹れて、居間に向かう。
「みんなのために、お菓子を作って置いたんだ。今から切り分けてくる。お茶を飲みながら待っていてくれ」
「うわぁ、クルト様のお菓子、楽しみです」
「あっ、もしかして私がもってきたナルナをお菓子にしたの?」
ティナとクロエが身を乗り出す。
「そうだよ。クロエにもらったナルナがないと作れない自信作なんだ」
こっちで梨を見ることなんてありえないと思っていたので、梨のタルト・タタンを作れたのは嬉しい。
和の食材の洋菓子は俺が得意としていた。
いいことを思いついた。
切り分けて持ってくる間に、お茶菓子を楽しんでもらおう。
俺はミルからもった小包を取り出す。
中身はクッキーだ。
食べてみると、ブルーベリーのジャムが口の中に広がる。ただのクッキーじゃない。ソフトクッキーだ。
ブルーベリージャムと合わせるのなら、ソフトクッキーのほうがいい。生地とジャムがよく絡んでくれる。
ソフトクッキーの作り方なんて教えていない。クッキーはさくさくしたもの。その固定概念を壊して、自分でソフトクッキーを編み出す。ミルはすごい才能の持ち主だ。
これなら、みんなも喜ぶだろう。
「待っている、間にこのクッキーを摘まんでおいてくれ。ミルがくれたお菓子だ。なかなか、面白くて美味しいよ」
俺がそういうと、ティナは苦笑し、ファルノはやれやれと肩をすくめる。
そして、引きつった顔でファルノが口を開く。
「それは、クルト様が食べてください。美味しそうですが、それを私たちが食べてしまっては、ミルが可哀そうですわ」
ティナとクロエが頷く。
ミルが可哀そう?
よくわからないが、そういうものなんだろう。
俺は小包を片付ける。あとで大事に食べよう。
そして、キッチンに戻り梨のタルト・タタンを切り分ける。
よく冷えている。
あつあつのタルトも美味しいが、梨のタルト・タタンは冷えてこそ真価を発揮するお菓子だ。
ナイフを入れた感触でタルトの出来はわかる。
うん、いい手ごたえだ。もろく崩れていく儚さ。これなら、梨の食感を活かせる。
さて、さっそくみんなのところへ持っていこう。
◇
梨のタルト・タタンが乗った皿をみんなの前に置く。
「すごくいい香りです」
「ちょっと焦げて、きらきらしてる。美味しそう」
「クルト様のタルトはいつも素敵ですわ。今度のはどんな味がするのでしょう」
全員、楽しみにしてくれているようだ。
その期待に添えるだけのものは作った。
精霊の里の果実はすばらしい。生まれ変わるまえにも、これだけの果実を手に入れることは難しかった。
「さっそく食べてくれ。今までのタルトといろいろと違うから、新鮮だと思うよ」
俺が笑いかけると、待っていましたとばかりに、彼女たちはタルトを食べ始めた。
ティナとクロエは手づかみで、ファルノはナイフでカットしてフォークで口に運ぶ。
その違いが面白い。
俺は手づかみ派だ。
タルトは手で食べたほうが美味しいと思う。ショートケーキではできない、手が汚れないタルトならでは楽しみ方。
ティナの口元を見る。
タルトが儚く、崩れていく。
そして、カラメリゼした梨と一緒に咀嚼される。
「この、タルト。儚くて、ほろほろして。面白い歯ごたえです」
「中のナルナもすごいね。ナルナは美味しいけど、ちょっと物足りたりないって思っていたんだ。火を通すとこんなに美味しいんだ。ナルナってこんなにすごかったんだ」
梨は、煮詰めることで食感が変化するし、淡い味がしっかりする。
生には生の魅力はある。梨の清涼感は生が一番いきる。
だが、タルトとしては生のままでは弱い。火を通すことで濃縮させたほうが美味しくなるのだ。
「一番すごいのは、このタルトとこの果物を合わせたことですわ。いつものタルトも素敵です。ですけど、あの固くてさっくりした歯ごたえの生地ですと、ナルナの歯ごたえは楽しめません。本当にクルト様のお菓子は、びっくりさせてくれます」
さすがはファルノ。舌が肥えている。
俺があえて、パートプリゼを作った意味がわかったようだ。
イチゴやブルーベリーなど、歯ごたえのない果実を使う場合、食感はタルトだけで演出しないといけない。その場合、パートプリゼの生地では物足りない。
だが、今回は梨を使う。梨の歯ごたえも楽しまないともったいない。だからこそのパートプリゼだ。タルト生地と、火を通してざっくりしっとりした梨の食感が二重奏を奏でる。
俺も食べてみる。
我ながらよくできている。二種類の歯ごたえが絶妙だ。
カラメリゼした梨をかみしめると、清涼な果汁が溢れてきて、砕かれたタルト生地にしみ込む。
味の一体感がいい。
これは菓子店アルノルトのメニューに出せば大好評だろう。
お祭りで、たくさん食べたあとなのにティナたちはあっという間に平らげてしまった。
紅茶のお代わりを淹れにキッチンに向かう。
「クルト様。ごめんなさい、気が利かなくて。私が行かないといけなかったのに」
「いや、いいよ。このお菓子とお茶はがんばってくれたティナたちへのお礼だからね」
これぐらいはやらせてもらわないと申し訳がない。
「……それと食べ終わってから。少しだけ、みんなの時間がほしいんだ」
大事なことを話したい。
ティナだけに話そうと思ったが、それはずるい気がした。
ちゃんと、全員に話しておきたい。
お茶をもってもどる。
しばらく経ち、お茶を飲んで落ち着いたところで口を開く。
「まずは、祭りをがんばってくれてありがとう。最高の祭りだった。純粋に祭りを楽しめたのは久しぶりだよ。いつもは楽しむどころじゃなかったからね」
ティナは照れて、クロエは胸を張り、ファルノは微笑を浮かべる。
「このお菓子はみんなへのお礼だ。そして……伝えたいことがある」
緊張してきた。
喉が渇く。王家の方々にケーキを振舞ったときにもここまで緊張しなかった。
らしくないな。
さあ、勇気を出そう。
「俺は、男爵の位を授かったとき、同時に最高のケーキの褒美を王子からもらっているんだ。王子は俺が望むものでいいと言ってくれた。……俺が望んだものは」
あのときのことを思い出す。
最後の最後、褒美を言わないといけない直前に思いついた答え。
ここにいるみんなが注目する。
「俺の愛を貫かせてください。そう頼んだんだ」
そう言った瞬間、誰よりも先にその意味を悟ったファルノが悲しそうな表情に変わる。
「この国では、貴族は平民と……とくに亜人と結ばれることは許されない。それは、俺の力ではどうしようもないことだ」
俺はほしい物は自分で手に入れる。
だけど、それだけはどうしようもない部分だ。
だから、頼んだ。その願いがもっとも俺らしいと思って。
「愛を貫かせてくれというのは、ティナと結ばれるの願い。そして、王子が認めてくれた。……ティナ、俺は君にプロポーズする。三日後、ティナのために、ティナだけのお菓子を作るよ。もし、そのお菓子を気に入ったら結婚してくれないか」
ティナが口元を押さえる。
そして、涙をぽろぽろと流し始めた。
「いいんですか、私で」
「だから、こうして頼んでいるんだ」
「嬉しいです。すごく……でも、そんなこと言われたら、どんなお菓子出されても、美味しいって言っちゃいそうです」
「ティナ」
「わかってます。クルト様が、そういうのを一番嫌うって。今まで食べたお菓子で一番美味しくないとだめっていいます」
かつての俺が相手か。
手ごわいな。
だけど、ティナのためだけのお菓子ならそれができる気がする。
燃えてきた。
複雑な表情でクロエは苦笑している。そして、おめでとうと口にした。
俺は、ファルノのほうを向く。
「ファルノと結ばれるのが一番自然で、みんなが幸せになれる。だけど、俺はティナを選びたい。それが俺の心がだした答えだ。ファルノには今までずっと助けてもらった。その恩は絶対に返す。俺にできることならなんでもする。許してくれとは言わない。だが償いさせてくれ……すまなかった」
ファルノは俺を支え続けてくれた。
彼女の力があったから、ここまでやれていた。
その恩は忘れないし、かならず返すつもりだ。
「クルト様、そろそろ私はお暇しますわ。……ごめんなさい。こういう日がくると覚悟はしていましたが、やっぱり駄目ですね。落ち着いたら、また来ます。そのときにゆっくりと話をしましょう……クルト様、最後に一言だけ。あなたが知っての通り、私は諦めが悪いのです」
ファルノが帰っていく。
送っていこうと思ってやめた。
きっと、彼女はそれを求めていない。それにヴォルグがついている。
彼がいれば安心できる。
ティナとクロエが心配そうにファルノの背中を見ていた。
喪失感がある。だけど、後悔はしていない。
「二人とも、ファルノのことは心配しないでくれ。……今日は、もう寝よう。明日からまた忙しくなる」
精いっぱい、それだけを口にする。
もう、止まれない。
だから、俺はやり遂げる。
ティナに今までで一番美味しいと言ってもらえるお菓子。
それを作るのだ。
それだけでなく、ファルノとちゃんと向き合おう。それが彼女を傷つけた俺の責任だから。