第十七話:小さな勇気と優しい祭り
日本で秋のお菓子の材料と言って誰もが思い浮かべるのは、かぼちゃ、サツマイモ、栗。このあたりだろう。
どれも美味しいし、使い勝手がいい。
だけど、俺が何よりも楽しみにしているのは……。
「やっぱり、梨だよな」
そう、梨だ。
すがすがしい香りに透明感がある味。
キメの細かい果肉は歯触りがサクサクとして、口の中に溶け込むように軽い。
日本らしい果物で、俺は好きだった。
梨のレシピはいろいろと存在する。
その中でもとっておきのものを作ろうと思う。
だけど、それは明日の仕事だ。あれは作ったその日に作るのが一番美味しい。
きっと、ティナたちも喜んでくれるだろう。
今から、あれを作るのが楽しみだ。
◇
朝から仕事に精を出す。
夕方から、俺の男爵任命を祝う祭りが行われることになっているので、せっせと仕事を片付けていた。
なにせ、夕方までしか時間が使えない。
てきぱきとやらないといけない。
朝は、久しぶりに大厨房で指揮をとった。もちろん、限定菓子も作っている。
今週の限定のお菓子は、生クリームの求肥包み。大福よりもずっと、口当たりが柔らかな求肥の生地を使い、軽やかな生クリームとピナルのコンポートを包んだお菓子。
俺の気に入っている創作菓子の一つ。
きっと、このメニューも、菓子店アルノルトで喜ばれるだろう。
一番弟子のミルも、限定菓子を気に入り、いつもよりも喜んでいた。
そして、屋敷に戻った俺はたまりにたまった書類仕事をする。
冬が始まるまえに、今年の開拓状況と収穫を父に、そしてフェルナンデ辺境伯に報告をしないといけない。
この一年の集大成を報告するということだけあって、手の抜けない仕事だ。
熱も入る。
「ティナ、お茶をもらえないか」
口に出してから、気付く。
そうか、ティナは祭りの準備で出かけていた。
俺にとって、ティナが近くにいるのは当たり前になっていた。……そして、そんな日々がずっと続けばいいと願っている。
お茶を自分で入れて気合を入れなおす。
さて、もうひと踏ん張りだ。
◇
「ここまでだな」
報告書はまだできていない。
だが、きりのいいところまでは来た。残りは後日頑張ろう。
そろそろお菓子作りを始まないと、祭りが始まってしまう。
俺は席を立ち、厨房に向かう。
梨を使ったお菓子を作るためだ。
作るのは梨のタルト。
だけど、ただのタルトではない、タルトの王様とも言われるタルト・タタン。
「さて、寝かせていた生地の具合はどうかな」
事前に作っておいた生地を取り出す。
完璧だ。
今回はいつもと違うタルト生地を作った。
いつものタルトはパートシュクレと呼ばれる生地を使うが、今回はパートプリゼを使う。
プリゼとは、フランス語でもろいという意味がある。
通常のタルト生地より、甘さを控えめに仕上げつつ、サクサクとした食感になる。
梨のきめ細やかな肉質、繊細な風味を考えると、甘みが強く、しっとりとした固い生地よりも、甘さ控えめでサクサクとしたパートプリゼのほうが良く合うのだ。
ただ、パートプリゼをうまく作るのは難しい。
小麦粉とバターをすり混ぜることで粘りを出さないことで、さくさくとした脆い生地になるが、一歩間違うとボソボソになるか、中途半端に固くなる。
パティシエの腕が試される生地なのだ。
梨をカット少しだけ厚めにカットしていく。
そして、フライパンに砂糖を投入し、火にかけてカラメル化させる。通常よりも砂糖を控えめにする。
香ばしい匂いがしてくればバターをいれて、よくなじませる。
ここでいよいよ梨を加えて、酒を少々加えた。
梨から水分が出てきて、煮ているような状態になる。
「この香りはやっぱりいい」
梨の柔らかな香りをたっぷりと楽しんで、水分がなくなり、とろみが出るまで待つ。
こうすることで、梨の旨味が濃縮される。
そこまで終われば、タルトの型に梨を敷き詰める。
そして、オーブンに投入。
オーブンで焼くことで梨の下準備は完成する。
さあ、次に行こう。
次はタルト生地。
寝かせておいたパートプリゼを取り出した。
生地をほぐしてから、3mm程度の厚さに伸ばしていく。
伸ばした生地にフォークで空気穴をあける。
さて、そろそろ梨に火が通った頃合いだ。
梨を取り出した。うん、いい感じだ。梨の周囲が透き通り、つやがある。最高の焼き上がりの証拠。
余熱が取れるのを待って、タルト型に敷き詰められたカラメリゼした梨のうえに薄く伸ばしたパートプリゼを重ねる。
再び、オーブンへ。
これで、あとは焼成を待つだけ。
「久しぶりに、タルトタタンを作ったな」
実のところ、俺はタルトタタンは好きではない。
タルトタタンとは、型の中にバターと砂糖で炒めたリンゴを敷きつめてから、タルト生地を乗せて焼き上げたタルトだ。
ひっくり返してリンゴの部分を上にして食べる。
タルトタタンの特徴は、しっかりと煮詰めて火を通し凝縮させた果実の旨味。
生地を焼き上げてから、クリームと新鮮な果物を乗せるいわゆる普通のタルトでは味わえない濃厚な味を楽しめる。
ただ、リンゴでタルトタタンを作ると味がきつくなりすぎる。
リンゴというのはただでさえ強い素材だ。それが煮詰められることで強くなりすぎる。ましてや、甘くてしっとりとした重いタルト生地と合わせてしまうと、どうも野暮ったくなってしまうのだ。
なので、基本的には普通のタルトのほうが俺は好きだ。
しかし、梨を使った場合は話が別になる。
梨の場合、パンチ力が足りないため、この手法で作ることでちょうどいい強さになる。加えて、さくさくとして甘みを控えめにしたパートプリゼを使えば、全体のバランスがとれて旨味はたっぷりかつ上品で気品のあるタルトに仕上がる。
こうして生まれた、梨のタルトタタンは俺の得意菓子の一つだ。
「さてと、焼きあがったな。仕上がりは完璧だ。あとは冷やさないと。祭りが終わるころには食べごろだな」
俺は、にやりと笑って梨のタルトタタンにカバーを被せて暗所に置く。
さて、着替えて家を出るとしよう。
そろそろ祭りの時間だ。
主役が遅れるわけにはいかないだろう。
◇
村の広場にいくと、村中の机や椅子が並べられていた。
そして、驚いたのが……。
「村のみんなが料理を作ってくれたのか」
並べられている料理が、ティナが作ったものだけじゃないことだ。
各家庭の自慢の料理が並べられている。
もちろん、ティナの料理もある。
面白いと思った。祭りでは、ずっともてなさないといけないと思い、食事などの手配は自分でやってしまっていたが、こういう村人たちも一緒に参加して盛り上げるパーティも素敵だ。
俺には思い浮かばない発想だ。
「クルト様、なんとか間に合いました!」
「ほら、こっちこっち!」
「主役の登場ですわね。ささっ、お酒もありますわよ」
ティナはキツネ尻尾を揺らしながら、クロエはエルフ耳を若干赤くして、そしてファルノは風に揺れるふわふわのさくら色の髪を手で押さえて、俺を呼ぶ。
「ああ、今行くよ」
俺がみんなのもとへ行くと、ジョッキが押し付けられ、エールが注がれた。
乾杯もまだだし、口をつけるのもどうかと悩んでいると、みんなが勧めてくるので飲み干す。
美味しい。
上等な酒ではないが、この空気なせいだ。
村中の人たちが集まり始めていた。もうすでに笑い声が響いている。
秋の終わり、冬直前にこんなふうに笑いあえる。
それだけで今までの努力が報われたと思える。
「さあ、クルト様。少し早いですけど、もうみんな集まったみたいなので、始めちゃいましょう!」
「クルト、挨拶は今日の最初で最後の仕事だよ。かっこよく決めてね」
ティナとクロエに背中を押されて、広場の中央に連れていかれる。
そんな様子をファルノが見て、くすくすと笑っていた。
俺も笑い返す。
これが今日の最初で最後の仕事か。
今回は本当に楽ができた。ティナたちに感謝だな。
広場の中央にいくと、みんなの注目が集まってくる。
ごほんっ、と咳払い。
そして、挨拶を始める。
「みんな、今日は俺を祝うために集まってくれてありがとう。いろんな人たちのおかげで、俺は男爵になることができた。……そして、昨日父から正式に次期当主から当主になることが告げられた。俺が当主になり、男爵になったからには、今まで以上に豊で夢が見れる、そんな暮らしを約束する! だから、ついて来てくれ!」
俺の言葉に反応して、みんなの返事が聞こえてくる。
どこまでもついていく。
おめでとう。
この村に来てよかった。
これからもがんばる。
前向きで、明るい、そんな村人たち。……そんな彼らと一緒だから、辛い開拓も乗り越えられたと思う。
「ありがとう。ここまでこれたのはみんなのおかげだ。今日は思いっきり飲んで、食って、騒いでくれ。大丈夫、これだけ食べても、冬を乗り越えられる備蓄はある! それぐらいに今のアルノルトは豊だ!」
俺の冗談に何人かが笑う。
手に持つジョッキを掲げる。
村人たちはジョッキを手に取り、酒を注ぐ。
「アルノルト領の繁栄と、ここに住むみんなの未来に乾杯だ!」
「「「乾杯!!」」」
勢いよくジョッキがぶつけられる。
そして、祭りが始まった。
◇
ティナたちのところに戻る。
すると問答無用で座らされて、料理が運ばれてくる。
「クルト様、今日は徹底的にもてなさせてもらいますからね」
「ふふふ、クルトのジョッキは空になんてさせないよ」
「あっ、みんなの愚痴を聞いて回るとかもダメですわよ?」
俺に仕事をさせないと言っていたが、ここまで徹底するとは思っていなかった。
苦笑してしまう。
ティナたちと、歓談をする。
にしても料理がうまい。ティナが俺の好物を揃えると言っただけはある。
キジのローストのバターソースがけ。狩りが成功したときのごちそうで、俺の大好物にかぶりつく。もも肉をかみしめると肉汁が溢れる。それをエールで流し込むと最高だ。
そうしていると、ヨハンたち、元孤児のグループが現れた。
「クルトのアニキ」
「ヨハンたちか、祭りを楽しんでいるか?」
「もちろんだぜ! こんなふうに、うまいもんをたらふく食える日が来るとはな。夢でも見てんのかって気分だ」
「なら、良かった。アルノルトに来て、おまえたちが不幸になったら、連れてきた俺の立場がないからな」
彼らは掘り出し物だ。
働き者で、大人たち顔負けの仕事ぶり。
物覚えもよく、下の子の面倒もよく見てくれる。
若いということは、これから家庭も作り子をなしてくれる。
今後のアルノルトの発展を支えてくれるだろう。
「クルトのアニキには感謝しているんだ。一生かけて、恩を返していきたいと思ってる。クルトのアニキがいなけりゃ、俺たちは、いつか全員のたれ死んでた。それも、そんな遠くない未来に」
「おおげさだな」
「おおげさじゃねえよ。あのときの俺にはそれがわかっていた。だけど、どうしようもなかったんだ……クルトのアニキ、それで、今日はおめでとうって言いにきた。あと、これ、お祝いだ! 俺たちにはこんなものしか作れなかったけど、受け取ってほしい!」
ヨハンが渡してきたのは瓶だ。
そこには乳褐色の液体が入っていた。
まさか、これは。
「ローヤルゼリーか」
「そうだ。クルトのアニキが話してくれたからな。がんばって、ちょっとずつ集めてた」
ローヤルゼリーとは、女王蜂が女王にする幼虫に与える特別な餌だ。
女王蜂とは、生まれたときからそうなると決まっているわけではない。
ローヤルゼリーを与えられることで、女王蜂になる。
ただの蜂を女王蜂にしてしまうローヤルゼリーは栄養たっぷりだ。健康にも美容にもよく、薬にもなり、非常に高価な値段で取引される。
だが、その分採取するのにひどく労力がかかる。
瓶いっぱいのローヤルゼリーを取るために、ヨハンたちはどれほどの労力をかけてくれたのだだろうか?
瓶に詰められたローヤルゼリーがとてつもない尊く思える。
「ありがとう。すごく、すごく、嬉しいよ。大事に使わせてもらう」
「そうしてくれ。……それとな、クルトのアニキ。いくら、クルトのアニキでもミルに手を出したら、本気で怒るからな! ティナみたいなすっげえ美人の恋人がいるんだから浮気なんてすんなよ!」
急に名前を出されたティナが顔を真っ赤にする。恋人と言われて照れているようだ。
そして、もう一人顔を真っ赤にした者がいる。
「もう、ヨハン、なんてことを言うんだよ! そんなのじゃないから! クルト兄様が勘違いしちゃったら……ああ、もう、ヨハンなんて大っ嫌い!」
ミルだ。
可愛い弟子が、声をあげて怒っている。
「ミル、その悪かった。けどよう」
「ヨハンなんて、知らない。どっか行って」
「明日の晩御飯、肉を一切れやるから」
「どっか行って!!」
ヨハンが涙目になりつつ、退散していく。彼と一緒にほかの孤児たちも去っていった。
ヨハンはミルのことが好きだったのか。なかなかほほえましい光景だ。
一人残ったミルが俺のほうを向く。
「あのっ、クルト兄様。クルト様のこと、そんなふうに見てないですから! クルト兄様は、優しくて、頼りになって、理想のお兄ちゃんで、尊敬できて、あこがれで、その、あの、そういうのじゃないですから!」
真っ赤になりつつ、必死に言葉を重ねる。
可愛らしい。
「ああ、わかっているよ。ミルは兄として師匠として慕ってくれている。俺としても可愛い妹と弟子が同時にできてうれしいんだ。……ヨハンを許してやってくれ。好きな女の子のことになると男はバカになるからな」
俺もティナがミルと同じように、他の男。それも自分よりも立場が上で、金がありそうでな奴に懐いていたら穏やかでいられないだろう。
「えっ、あっ、はい」
誤解が解けたのに、ミルはどこか残念そうだ。
ミルはぶんぶんと首を振って、気合を入れなおし、小さな包みを渡してくる。
「あの、これ。私からのお祝いです! あとで食べてください。クルト様の気持ちを込めて作りました! クルト様が好きって言ってたブルーベリーをたっぷり使ってます!」
そして、俺が受け取ると慌てて立ち去って行った。
感謝の言葉ぐらい言わせてほしい。
やはり、小さな子はよくわからない。
「あっ、あのクルト様。もしかして、本当に今のは素ですか?」
「これ、鈍感ってレベルじゃないよね」
「……クルト様にもこんな欠点があったんですね。驚きですわ。これ以上、ライバルが増えても悲しいので、安心しましたが、ちょっと可愛そうです」
三人が言っている意味が分からない。
あとで、いろいろと考えてみよう。
◇
それから、たっぷりと祭りを楽しんだ。
完全に日が落ちると解散になる。
誰もが笑いながら帰っていく。
俺はティナ、クロエ、ファルノを呼び止めた。
今日のお礼をするためだ。
三人のために作った梨のタルト・タタン。ぜひ、味わってもらおう。
そして、三人に伝えたい言葉があるんだ。