第十六話:秋の恵みとパティシエの休日
今日は久しぶりに丸一日休みとなっている。
ティナたちが気を利かせてくれたおかげだ。
その一日を無駄にしないために、今日しかできないことをする。
ミルに食べさせる教材用のお菓子とレシピをティナへと託したあと、森の中に足を踏み入れていた。
お菓子の材料集めのためだ。
どうしても秋のうちにどうしても、採取しておきたい材料がある。
ティナをイメージしたお菓子の材料になる。
「今年もちゃんと実っているといいが……」
昨年、山を探索したときに自生していることは確認している。ただ、自生している場所が森の奥深くなので、こうして丸一日、休みじゃないと採取しに行くことができない。
久しぶりの森だ。
木々の匂いが懐かしく感じる。
土を踏みしめる感触が心地よい。
王都は素晴らしかった。衛生的で美しい。必要なものはなんでも買える。
アルノルトと比べてずっと文化的で快適な暮らしができた。
それでも、俺はアルノルトが好きだ。
アルノルトには足りないものばかり、森はけっして人にやさしくない
しかし、付き合い方を間違えなければ恵みを与えてくれる友だ。何より、ここには大好きな人たちがいる。
好きだからこそ、もっと発展させていきたいと思y。
「さて、そろそろ昼飯にするか」
ティナに、森に出かけると昨晩のうちに伝えていたこともあり、彼女は早起きして弁当を作って持たせてくれた。
ティナのお弁当も久しぶりだ。何が入っているか楽しみだ。
バスケットを開くとサンドイッチが詰まっていた。具は燻製鱒にティナの特製ソースをかけたもの。
「さすがティナだ。昔、俺が褒めたのを覚えてくれていたんだな。……うまい」
塩辛さとバターがよくマッチしている。
素朴だが丁寧な料理だ。実にティナらしい。力が湧いてきた。
さて、そろそろ出発しよう。早くしないと野宿する羽目にる。
◇
ずいぶんと森の奥まできた。
ここまでくることは滅多にない。
去年、来たときも秋だった。
そのときのことを思い出す。昨年は大変だった。もうすぐ、冬だという時期に、食料の備蓄も少なく金もなかった。
試算では数名分の食料が足りず、餓死者が出てしまうというところまで追い込まれていた。
だから、俺も領民たちも、限界まで山で狩りや採取をして食料をため込んでいた。
それにだって限界がある。
村に近いところでは、食べられるものは取りつくしてしまった。
だからこそ、魔力持ちで体力がある俺が、村のみんなが足を踏み入れられない危険な森の奥にまで踏み込んで食料を探す必要があった。
その甲斐あって、昨年の冬は全員乗り越えられた。
苦労も多かったが、そのおかげで素敵なものを見つけている。
それが、今日の採取に繋がっているのに運命を感じる。
「今年もちゃんと実っているな」
目的のものがあって頬を緩める。
俺がほしかった秋の恵み。それは栗だ。
和菓子でも洋菓子でも使われる秋のお菓子の王様。
そのまま食べても美味しいし応用性も高い。
これを使う。
ティナをイメージした銀と金のお菓子の金にするのだ。
背負っている籠に詰めていく。
せっかく来たんだ。できるだけ持って帰ろう。お菓子に使う以外にも、冬に領民たちに配れば喜ばれるだろう。
栗は加工次第で保存期間が数か月はもつ。冬の甘味は凍てついた心を癒してくれる。
ぱんぱんになるまで栗を籠に詰めていく。
一つ、試しに割って、鬼皮をむいてみた。鮮やかな黄色で、大粒のいい栗だ。
この栗の周辺には木々が少ない。栄養を独り占めしているのだろう。
この栗なら、素敵なお菓子になってくれるだろう。
用事は済んだ。戻るとしよう。
籠の他にもポシェットもぱんぱんになっていた。
こちらには、栗以外の森の恵みもしっかりと詰まっている。
ここに来るまでにめぼしいものはしっかりと採取して、ポシェットに詰めていた。
目的の栗だけを拾って帰るのは寂しい。
これだけあれば、お菓子以外でもティナを喜ばせることができるだろう。
◇
トラブルもなく、日が暮れるころ、ようやく開拓村に戻ってくることができた。
弓矢はもっていなかったが、運よく見かけた兎を帰り道にナイフで狩り、夕食の確保までできている。
領民たちがせわしなく動き回っている。祭りの準備をしているようだ。
ティナとファルノがてきぱきと指示を出していた。
ティナが俺を見つけて手を振る。
「あっ、クルト様。お帰りなさい、お菓子作りの材料は取れましたか?」
「ばっちりとね」
背中の籠を見せつける。
「これ、栗ですよね! 去年、クルト様がもってかえってきてくれたのを覚えています」
「あのときは仕留めた獲物優先であんまり運べなかったけど、今年はたくさん持って帰ってこれたよ」
「うわぁ、楽しみです。ほくほくして、ほのかに甘くて、また食べたいと思っていました!」
ティナには、お菓子作りの材料を取りにいくとは言っているが、ティナのためのお菓子に使うということは秘密だ。
去年はただ、茹でて食べるだけだった栗をお菓子にすると驚くだろう。
ティナが昨年、美味しそうに食べていたのもティナのためのお菓子に栗を選んだ理由の一つ。
「祭りの準備、忙しそうだな。手伝うことはあるか?」
「ないです。クルト様、今回は私たちに任せてゆっくり休んでください! みんなには悪いですが、明日のためのお菓子を作るともなしですよ! その代わり、クロエが美味しい果物を振舞ってくれますから!」
困ったな、明日はお菓子を作るなと釘を刺されてしまった。
ただ、あくまでみんなというのは村人だ。
ティナ、クロエ、ファルノのために作るお菓子は大丈夫だろう。そっちはちゃんと作ろう。感謝の気持ちをちゃんと伝えたい。
ティナに背中を押される。
これ以上、ここにいても、ティナの邪魔になるだけだ。
素直に退散しよう。
◇
屋敷に戻り、栗の下ごしらえをしていた。
とげとげがついた外側の皮をはがし、鬼皮がついたまま水に沈める。
虫食いのものはより分けておく。
虫食いはヤギたちの餌にする。ヤギたちはなんでも食べる。それこそ、木の皮すら。
だが、たまには栄養のあるものを食べさせないとやせ細っていく。
栗の下ごしらえは手間がかかる。
一時間ほど水に漬けないと、固い鬼皮を剥がせない。
手持ち無沙汰になってしまった。
ティナに仕事は禁止されているし……明日、ティナたちへの礼のために作る菓子のメニューでも考えるか。
椅子に座って目をつぶる。
なかなか、いい考えが浮かばない。今から材料を買いに行くわけにもいかず、村にあるものでは選択肢はそう多くない。
かといって妥協もしたくないのだ。
……なにかいい香りがしてきた。
「ただいま! ふう、さすがの私もこれだけ急ぐと疲れたよ! お湯頂戴、体を拭かせて!」
この声、クロエだ。
俺は苦笑して、お湯を沸かしてもっていってやる。
「ずいぶんと速かったな」
「まあね、クルトのお祝いに私がいないとクルト泣いちゃうでしょ? だから急いできたんだ」
「泣きはしないけど、さびしくはあるな」
クロエは重そうな籠を背負っている。
俺が昼間使っていた籠よりも大きい。こんなものを担ぎ一晩で戻ってくるなんて相当無茶をしたようだ。
「とってきたのは、梨と日本酒か」
「ナシ? 違うよ。これはナルナだよ。秋の味覚! 皮をむいて食べると美味しいんだ! 村のみんなも喜ぶと思うよ」
「一つもらっていいか」
「つまみ食いなんてクルトは食いしん坊だね。しょうがない、一個だけなら食べていいよ」
「そういうクロエの口元がべたついているけど、どうせ帰り路でつまんだんだろ?」
「うっ、クルト、女の子の口もをじろじろ見るなんて、エッチだよ」
クロエがあわてて口を拭う。
相変わらず間抜けな奴だ。
「ほら、荷物を下ろして奥の部屋で体を拭いて、着替えてこい」
無茶したせいで、だいぶ汚れているし汗もかいているようだ。
綺麗好きのクロエにとってはかなり辛い状況だろう。
「覗いたら、責任取ってもらうからね?」
「覗くか!」
心外だ。
俺は、今まで一度もそういったことはやっていない。
「冗談だよ。お湯、ありがと」
クロエが奥の部屋に引っ込んでいく。
さっそく、梨に見えるナルナという果物の皮を剥いてから齧る。
きめ細かい果実。
しゃっきりとした一口目、二口目以降はショリショリとした歯ごたえ。
透明感のある上品な甘さと微かな酸味。
「やっぱり、梨だな」
まさか、桃と葡萄に続いて梨まであるとは。
一口食べた瞬間、脳裏に一つのレシピが浮かぶ。
よし、決めた。
梨があるなら、あのタルトしかないだろう。
「クロエ、作りたいお菓子があるんだ。もう三つほどナルナをもらっていいか?」
「うん、べつにいいよ。でも、それ以上はダメだからね! みんなの分がなくなっちゃうから」
「わかっている。ありがとう。懐かしいお菓子が作れるよ」
タルトには山ほど種類がある。
その中でも、とくに人気があるものを作ろう。
きっと、ティナたちは喜んでくれるだろう。
「ねえ、クルト?」
「なんだ?」
「……ちゃんと、断ったからね」
クロエが言ったのは、結婚の話だろう。
彼女は幼馴染に求婚されていた。それも、里帰りした理由の一つだ。
「なにか、言ってよ」
「安心した」
「ぶー、なにそれ、微妙に反応に困るセリフだよね」
「お互い様だ」
安心した。これは過不足なく、本音だ。
……だめだな。クロエの結婚がダメになったのに、こんなことを言ったら。
クロエはそれ以上は何も言わない。耳がいいせいで布スレの音が聞こえてしまい。妙に気になってしまった。
頬を両手で挟むようにして叩く。
気持ちを切り替えよう。
栗のほうもそろそろ、鬼皮が柔らかくなってきた頃だ。
下処理が進められる。
やっぱり、お菓子作りは楽しい。
今回、作ろうとしているのは、仕事ではなく純粋に大切な人を楽しませるためのお菓子。
俺にとってこれ以上の休息はないだろう。




