第十五話:冬の匂いと大事な人たち
なつかしい我が家に戻って来た。
ミルとの時間を思い返す。ミルのやる気はすごかった。
食い入るように、菓子作りの工程を見つめて、こまめにメモを取っていた。彼女はお菓子の材料や調理工程に出てくる単語だけは読み書きできる。
味わう際もしっかりと分析を行っている。工程の一つ一つの意味を自分で推察し、質問してくる姿勢は感心できる。
師匠としてミルのこれからが楽しみだ。
……次に教えるレシピを考えるだけで心が躍る。
「ティナ、戻ったぞ」
声をかけると、足音が聞こえてきた。
キツネ尻尾を揺らしながらティナがやってくる。
「おかえりなさい、クルト様。お疲れ様です」
「ティナ、いい匂いがするな」
「ふふ、楽しみにしてください。明後日のお祝いのために料理を仕込んでいるところです!」
「本当にお祝いをやってくれるんだな」
微笑する。
村に戻って来るまえ、ティナが男爵になったお祝いを村で盛大にしようと言っていた。
祝い事は、いつも俺が取り仕切る。
しかし、今回はティナとクロエが俺に骨休みしてほしいから、準備は任せてくれと言ってくれている。
なかなか楽しみだ。
なにせ、自分で準備すると驚きがない。出し物も料理も全部わかっている。
なにより、運営が気になって純粋に楽しむ余裕がない。
「もちろんです。それぐらいクルト様はすごいことをしたんですから! 村のみんなでお祝いをぱーっとやるんです!」
「気持ちは嬉しいが、先立つものが必要だろう。村の予算を使っていいぞ。自腹でなんとかしようなんて考えるな」
祝い事というのはそれなりに金がかかる。
小さな村とはいえ、数十人分の酒や食事を用意するのだ。
金庫の金を使ってもいいのだが、几帳面なティナのことだ。俺に無断で予算を使ったりしないはず。
ティナは、使用人としての給料をほとんど使わずにため込んでいるが、それを使わせてしまうのはあまりにも可哀そうだ。
「大丈夫です。私のお金は使っていませんし、村の予算も必要ありません」
それでどうやって、予算と食材を確保しているのだろう?
「ティナ、頼まれていたものを持って来ましたわ。クルト様の好物と聞きましたので、一級品を揃えましたの」
桃色の髪を揺らして、新たな来客が現れた。
俺の婚約者にしてフェルナンデ辺境伯の娘、ファルノだ。
おっとりしている彼女が珍しく張り切っている。
彼女の今の言葉でピンときた。
「もしかして、今回のお祝いはファルノが金を出してくれたのか」
「あっ、クルト様。もう、戻られていたのですね。うっ、失敗しちゃいましたわ。驚かすつもりでしたのに」
ファルノが、やってしまったという顔をしている。
ファルノとヴォルグは昨日のうちに戻ってきていたようだ。
俺が本村の屋敷に戻っている間にすれ違いになったのだろう。
「ファルノ、気持ちは嬉しいが村の祝いに金を出してもらう理由がない。さすがに受け取れないよ」
これはやりすぎだろう。
フェルナンデ辺境伯に、こういうことで借りを作りたくない。
「いえ、受け取ってもらいます。男爵になったお祝いなのですから。婚約者の私としても何かしたいのです。……実働の部分ではあまり手伝えない分、できるところで手伝わせてください」
「だが……」
「あと、勘違いしないでくださいね。フェルナンデのお金ではありません。私、個人のお金です。実はクルト様の提供してくださった新しい農業の技術。その成功を見越して、とある大農場に投資していたんです。そのおかげで大儲けできました。クルト様のおかげで儲けたお金の一部を使うだけなので気になさらないでください」
春の終わりのことを思い出す。
俺は山梨の農家の生まれで、幼いころから農業に触れてきた。
過去の経験を活かし、たい肥の作り方を始めとしたいくつかの技術を村で実験し、成功したものを取り入れている。
その農業技術をフェルナンデ辺境伯に提供したことがある。
それで領内の農業のてこ入れだけでなく、投資までしているとは。
ファルノは計算には強いと言っていたのは誇張でもなんでもないようだ。
「ファルノにはおどろかされるな」
「いつも私を驚かせてばかりのクルト様には言われたくないセリフですわね。……今のうちにクルト様のためにできることはやっておきたいんです」
ファルノは寂しそうに笑う。
まるで、別れを悟っているように。
もしかしたら、もう俺の気持ちを見通してしまっているのかもしれない。
……ファルノとの婚約をフェルナンデ辺境伯が申し出たとき、俺は断ろうとした。
そのときファルノは言ったのだ。一年間、この村で共に過ごし、俺がファルノに惚れたらそのときには結婚。そうならなければ婚約解消と。
その約束をしたのは春。今は冬の入り口に差し掛かろうとしている。時間はもうない。
そして、春を待たずに俺の心は決まっていた。
「では、クルト様。私はそろそろお暇しますわ。お互い、がんばりましょう」
何をがんばろうとは彼女は言わなかった。
去っていく背中に無意識に手を伸ばしかけてしまった。
女々しいな。
俺には彼女に手を伸ばす資格なんてないのに。
◇
屋敷に戻り、書類仕事を片付けてから村のなかを散歩する。
冬直前になると、村全体が慌ただしくなる。
すでに秋の収穫は終わっているので、開拓作業を行わない女性と子供は冬越えに精を出す。
広場で村人たちが何人も集まり共同作業をしていた。
冬が始まる前に、弱った山羊などの家畜を肉にし、保存食に加工するのだ。
冬になれば、家畜の餌も満足に手に入らないので備蓄分を切り崩していく。そうなると面倒を見られる家畜の数は限られる。だから、寒さに負けて冬を越せそうにない家畜から肉にしておく。
そして、肉は塩漬けにしてしまう
そうすると、貴重な保存食になる。
こういうことが始まると今年も冬が来たと感じる。
「うちも薪をたっぷりとため込んでおかないとな」
アルノルト冬はたっぷりと雪が積もる。
雪山での薪拾いは自殺行為だ。
冬に薪が切れたときのことなんて考えたくない。
……今年は各家庭にたっぷりハチミツを配っておこう。冬にとれる貴重な栄養で食べる娯楽だ。
急に視界が真っ暗になる。
瞼に温かな手の感触。
「だーれだ」
妙にしゃがれた声が聞こえた。
男か女かすらわからない声。
「クロエだな」
「うわっ、がんばって声を変えたのに、一瞬でばれた」
「いくら声を変えようと、こんなことをするのはクロエしかいないからな」
「ちぇっ、つまんないの」
視界が開く。
振り向くとエルフのクロエがいた。大きな籠を背負っている。
「クルト、村を出るね」
「……精霊の里に帰るのか」
「あはは、まっさか。それともクルトは私に帰ってほしかったりする?」
「そんなことは思ってない。クロエと一緒にいると楽しいしな。ずっと村にいてほしいよ」
クロエがからからと笑う。
「お祝いのためにクルトが気に入ってくれたラママのお酒と、この時期にしか取れない果物を取って来るんだ」
ラママというのは米に似た穀物で、その酒は日本酒のように甘みがある酒で懐かしさを感じていた。
あれがまた飲めるのは嬉しい。
「楽しみにしてる」
「楽しみにしておきたまえ。コルトおじさんの秘蔵のお酒をちょろまかしてくるから……あと、ついでに結婚を断って来る」
「ごふっ、全然ついでじゃないだろ」
思わずむせてしまった。
人生の一大事じゃないか。
「帰ってきたら、精霊の里から手紙が届いててびっくりしたよ。コルトおじさんがね。リューナっていう私の幼馴染が婚約を申し込んできたから、精霊の里に戻ってきて嫁げって言うんだよ」
「……結婚をするかどうかなんて、そんなあっさり決めて良かったのか」
「うん、いいの。私は、こっちにいるほうがずっと楽しいし。クルトとティナがいるからね」
結婚か。
クロエと結婚。今までまったく想像もしていなかった。
だが、クロエだってそういう年頃なのだ。
「というわけで、行ってくるよ……ああ、へこむな」
クロエが、すねた口調で頬を膨らませてくる。
「そんなに結婚を申し込まれたのが嫌か。むしろ、めでたいじゃないか。リューナっていうやつが嫌いなのか?」
「そういうわけじゃないよ。リューナはいい奴だよ。結婚したら、ふつーに大事にしてくれるだろうし、ふつーに子供とか産んで、ふつーに幸せになれるとは思うよ……私がへこんでるのは、クルトがこれっぽちも嫉妬してくれないってことだね。わかっていたけどさ」
そこまで言うと、クロエは慌てて顔を隠して、そのまま背を向ける。
「あっ、やばい。そろそろ出ないと暗くなっちゃう!? ってわけで行ってくるね。ティナによろしく?」
クロエが、俺の返事も待たずに駆け出していく。
その背中を見送る。
今日は見送ってばかりの日だ。
空を見上げる。
「……俺は幸せ者だな」
ティナもファルノもクロエも俺を祝うために全力で動いてくれている。
みんな、魅力的な少女だ。
こんな幸せ者、世界中のどこにもいないだろう。
今日は徹夜してでも、溜まっている書類仕事を全部終わらせるつもりだ。
そして、明日は森を一日中駆け回る。
ティナをイメージしたお菓子を作るために必要な食材がある。雪が降る前に手に入れておきたい。
もう一つ予定を増やそうと決めた。
みんなに、祝ってくれた礼をするためのお菓子を作るのだ。
領主として、村のみんなのため、お祝いを盛り上げるためのお菓子じゃない。クルトとしてティナとファルノとクロエに感謝と親愛を伝えるためだけのお菓子。
そんなものを作れば、せっかく俺を休ませるために頑張っている。ティナたちに怒られてしまうかもしれない。
だけど、理屈抜きにそうしないといけない気がしていた。




