第十四話:思い出とがんばりのバヴァロアーズ ピスターシュ・タルト
翌日の朝に実家を後にした。
「それにしてもヨルグが戻って来て、しかも結婚するとはな」
父の話ではヨルグが戻ってくるのは春か夏の予定らしい。
それまでに、向こうでの仕事を終わらせ、継続的なものを引継ぎするそうだ。
ちなみに、先方はまだヨルグをあきらめていないらしく、冬の間に説得する気満々らしい。
春に会うのが楽しみだ。一年でヨルグがどれだけ変わっているかを知りたい。
俺は馬を駆り、村へ急ぐ。
村に戻れば愛弟子のミルに任せていたアルノルトの限定メニューを食べさせてもらう。それが楽しみで仕方なかった。
◇
とばして走ったおかげで予定よりも開拓村についた。
男たちはもう外に出て働き始めている。アルノルトの本分である土地の開拓だ。
木を切り倒すために斧を叩きつける音が響いており、この音を聞くと帰ってきた気がする。
さらに、村の中心に向かうと大厨房の屋根から黙々と煙が出ていて甘い匂いがした。
今日出荷する分のお菓子を焼いているのだろう。
匂いだけでわかる。いい出来だ。ちゃんとアルノルトのお菓子になっている。
お菓子作りに一番大事なのは勘だ。
日ごとの気温、湿度、天候。材料の質のばらつき。
それらで微妙に材料の配分や水の量、焼成時間を変えないといけない。
生まれ変わる前なら、温度も湿度も空調設備で調整でき、いつも一定の環境で作業ができた。
だが、この世界ではそれは叶わない。どうしても菓子職人の勘が必要になる。
店を構えた場合、一定の水準を維持するというのは意外と難しい。俺がいなくてもそれができるのはミルという天才がいたからだ。
「……作業中に顔を出しても邪魔になるか。ここはもう少し後にしよう」
一刻も早くミルに会いたいが我慢して、さきに蜂の世話をしているヨハンたちのところに向かった。
◇
俺が不在時にも大きな問題はなかったようだ。
開拓中のけが人もなく、蜂や鶏も元気にしている。
一通り見て回ったころ、竜車がエクラバ方面に飛んでいった。
積み荷はお菓子で、菓子店アルノルトへ向かっているのだろう。
ミルたちの菓子作りがひと段落したようだ。
「そろそろ、行くか」
今なら邪魔にならないだろう。期待を胸に大厨房に向かう。
厨房に近づくと、菓子作りを任せている女性たちが出てきた。
一人ひとりに挨拶をしつつ、先に進んで大厨房の中に入る。
ミルが一人居残って、今日作ったであろうお菓子を作りながら難しい顔をしている。
お菓子の研究をしているのだろう。
「精が出るな」
「クルト兄様! お帰りなさい!」
俺に気付いたミルが目を輝かして駆け寄ってくる。
「俺がいない間、店を支えてくれてありがとう。ミルがいなければ店を閉めていた。俺の味を出せるのはミルだけだよ」
開店したばかりで長期間店を閉めるのは店にとってとんでもないマイナスだ。
それでも、アルノルトにふさわしくないお菓子を出すぐらいなら店を開けないという選択をしていただろう。
「……いえ、そんな、まだまだです。作りなれたドライフルーツケーキとクッキーぐらいしか、クルト様の味が出せないし、それだって、クルト兄様に近いだけで、クルト兄様にはかなわない。だけど、クルト兄様にそう言ってもらえるのは嬉しいです」
ミルが顔を赤くする。
この子は、褒められることになれていない。
それに孤児だったことがあり、父や兄というものにあこがれをいただいている。
俺は菓子作りの師匠であると同時に、この子にとっていい兄でありたい。そんなことを思うようになった。
ミルが急にまじめな表情になり口を開く。
「あの、クルト兄様。お願いがあります!」
「なんだい?」
「私のお菓子を食べてください! クルト様の不在時に作った限定メニューです! 誰よりもクルト様に食べてほしいんです!」
「驚いたな。俺のほうから食べさせてくれって頼むつもりだったんだ。さっそく、ミルが作った菓子を食べさせてくれ」
「はい! すぐにもってきます。ちょうど焼き立てのがありますから!」
焼き立てという言葉に首を傾げる。
ミルが駆け足で厨房の奥に消えていく、しばらくすると皿に限定メニューを載せてやってきた。
そのお菓子を見て驚く。
ミルには、一からレシピを考えるのは難しいと思い、俺が作ったババロアをアレンジするように言っていた。
だが、出てきたのはタルトだ。
それもホールで作ってカットするものではなく、小さくかわいらしい物。
キツネ色のタルトに緑色のペーストを注ぎ、さいごに生クリームを載せてある。
女性に喜ばれそうな綺麗なお菓子だ。
「ほう、てっきり俺が作ったババロアのレシピを元に、使う果物を変えたものをイメージしていたが、まったく新しいお菓子を作るなんて、冒険したね」
ミルは俺の想像を超えてくれた。
より、食べる楽しみが増えた。
「とんでもないです! 私はクルト様が作ってくれたお菓子を組み合わせて味を調整しただけです。まだまだ、私じゃ一からレシピを考えるなんて無理ですから!」
ミルは手を大きくふる。
俺の教えたお菓子を組み合わせた? こうして見ているだけでは、その意図が分からない。
まずは食べてみよう。そしたら、わかるはずだ。
「……うまい」
タルト生地はサクサクと軽やか、中の緑のペーストは力強く滑らかで、生クリームの甘さも絶妙。
……これは確かに俺がミルに教えたお菓子を組み合わせたものだ。
「なるほど、これはタルトだけどババロアで、俺が教えたお菓子だ」
「はい! いくら美味しいババロアを作っても、やっぱりお客様も、似たようなメニューが続くと、どきどきしないと思ったんです! でも一からメニューを考える自信もなくて、クルト兄様のお菓子を組み合わせました」
この緑のペーストはババロアだ。
そして、ババロアのアレンジをする際、使う果実を変えるのではなく、ピスタチオというナッツを使っている。
力強く、コクがあるピスタチオとのバランスを取るために生クリームの割合を多くして洋酒を利かせていた。
ピスタチオを使ったババロアには、バヴァロアーズ・ピスターシュという老舗洋菓子店の看板メニューがある。それぐらいにババロアとピスタチオの相性はいい。
果物ではなく、ナッツをババロアに使うという発想、なおかつきっちりとピスタチオに合わせた仕上げをしてくるあたり、ミルは天才だ。
「美味しいよ。想像以上だ。ただ、欲を言うとタルト生地と合わせるなら、もう少しババロアは柔らかくしたほうがいいし、ピスタチオクリームに火を通しすぎて香りが飛んでいる。それにピスタチオのババロアは重い。タルト生地のバターを控えめにしたほうが全体のバランスが整うよ」
「あっ、たしかにその通りです。気づきませんでした! 作り直してみます!」
「完成したら、自分の舌で俺のアドバイスが正しいか試してみてくれ。まさか、ババロアと歓迎会で出したラズベリータルトから、こんなお菓子を思いつくとはな」
……タルト生地とピスタチオを使うという発想。
その大本になったのは、孤児たちを村に招き入れたときに俺が振舞った、ラズベリータルト。
栄養不足の子供たちのために、生クリームにたっぷりピスタチオクリームを混ぜたものを使った。
それを覚えていたからこそ、ミルはここにたどり着いたのだろう。
「私にとって、クルト兄様が作ってくれたピスタチオクリームたっぷりのラズベリーパイは世界で一番美味しいお菓子です! そのときの感動が忘れられないんです! だから、実は好きなメニューを作っていいって言われたとき、まっさきにピスタチオが浮かんだんです。……さっきは偉そうにお客様のためっていったけど、実はピスタチオのババロアを試しに作ったとき、それだけでも美味しいけど、もっと美味しくするためにはタルトと一緒のほうがいいって思いついて」
ミルが、まくしたてる。
彼女の言う通りピスタチオのババロアは美味しいが力が強すぎる。そのまま食べるよりもタルトのような生地と一緒のほうがいいだろう。
「その思い付きが大事だ。これだけ応用力があるなら小手先のことを教えるより、もっといろんなお菓子を食べてもらって引き出しを広げたほうが良さそうだ。そっちのほうがミルは成長できる」
そういうと、ミルが目の前まで急接近してくる。
そしてぎゅっと手を握って胸の前に持ってきて、俺の顔を見上げてくる。
「お願いします! もっともっとクルト兄様のお菓子を食べたいです! もっと新しいお菓子を知りたいんです!」
物怖じせずに懇願してくる様子に苦笑する。
その気持ちはわかる。
新しいお菓子を知れば知るほど世界が広がる。
ミルにはセンスはあるが、知識が足りない。実際に目で見て口にすることでどんどん成長していくだろう。
「ああ、約束する。いろんなお菓子を作るから、きっちり学んでくれ」
「うわぁ、楽しみだな」
口調が子供っぽくなっている。
まだ見ぬお菓子に夢中になっている。
楽しそうなところ悪いが、ミルに爆弾を放り投げよう。
「ミルのために世界中の菓子を作って食べさせてやる。……その代わり、三年後にはエクラバの菓子店アルノルトをお前に任せる。そのつもりで学んでくれ」
「えっ、そんな、無理です。クルト兄様の代わりなんて」
「大丈夫、ミルなら三年、俺から学べばできるようになるさ」
三年というのは菓子職人の修行期間としてはあまりに短い。
だけど、この子のセンスとやる気があれば可能だ。
その確信があった。
「ううう、やっぱりできる気がしないです」
「なら、ミルのために世界中の菓子を作ってあげるのはなしだね。俺のあとを任せられるからこそ、そこまでするんだ。俺の時間はそこまで安くないよ」
そういうと、ミルは大きく口を開いて、悩みに悩み。
それから覚悟を決めた表情を見せた。
「……クルト兄様、やって見せます! だからお願いします!」
自信がないのは変わらないだろう。
この子は菓子作りの魅力を知ってしまった。だから、世界中の菓子を知るためにならなんでもする。
そして、これは根拠がない勢い任せの言葉じゃない。
できる自信はなくても、努力で埋める。死ぬ気で学ぶという決意の言葉だ。それが伝わるからこそ、俺はその想いに応える。
「わかった。これから、村にいる間は一日一つ新しいお菓子を作ろう」
「はい! 毎日学ばせてもらいます!」
俺のレパートリーは千近い。これで三年ほどは毎日違ったお菓子をミルに作る羽目になった。
だけど、可愛い弟子のためならその時間は惜しくない。
そして、三年経つころにはミルは名実ともに菓子店アルノルトを背負ってくれるだろう。
ミルに菓子店アルノルトを任せられれば、俺は最高の菓子職人になるという夢に、今よりのめり込める。
そんな日が来るのが楽しみだ。
そして、さっそくミルの作ってくれたピスタチオのババロアを使ったタルトを二人で改良していき、その後は早速ミルのために彼女の知らないお菓子、ミルフィーユを作り始める。
こうして、師弟の楽しい時間が過ぎていった。