第十三話:父と子と
竜車でアルノルトを目指していた。
アルノルトのような弱小貴族では一生に一度乗るかどうかという竜車に、最近ずっと乗っている気がする。
もふもふのキツネ尻尾を振りながらティナが窓から身を乗り出す。窓を開けたことで風が吹き込み、クロエの金色の髪が乱れる。
「やっと帰ってこれました。クルト様、私たちのアルノルトです!」
明るい声だ。
アルノルトに戻って来れたことが、よほど嬉しいようだ。
俺も離れていた期間は一月にも満たないのに故郷を懐かしく思っている。
竜車の中にはお土産がたっぷり詰まっている。はやく村のみんなが喜ぶ顔を見たい。
「ヨハンたちはちゃんとハチと鶏の世話できているでしょうか?」
「ティナは心配性だよね。ヨハンはああ見えてしっかりしてるから大丈夫だよ」
ティナが村の子供たちのことを心配し、クロエが諭す。
あの子たちは頼りになる。きっと大丈夫だろう。
とはいえ……。
「気持ちはわかるよ。俺もミルのことが心配だしね。あの子なら無事にやっているとは思うけど、限定メニューが成功しているといいが」
エクラバの孤児だったヨハン率いる子供たちの中で、ひときわ菓子作りの才能があった少女ミル。
彼女は育てれば戦力になると思い、つきっきりで菓子作りを教えていた。
エクラバの菓子店アルノルトの定番メニューにおいては、一定の品質を保てるようになったこともあり、そちらは心配していない。
だが、新しいメニューを作らせたのは初めてで心配なのだ。
俺が作ったババロアをアレンジするだけとはいえ、教えたことを真似るのではなく、自分で新しい道を見つけ、俺のお菓子ではなく、ミルのお菓子を出すのはハードルが高い。
だが、不安だけでなく、楽しみとも思っていた。
ミルの作る、彼女のセンスが輝く新作ババロアを食べてみたい。開拓村に戻ったら、ミルに作らせてみよう。
竜車の高度が下がり始めた。
しばらくして、村はずれに着陸する。
いよいよ、アルノルト領に到着だ。
「ティナ、クロエ、お疲れ様。無事、帰って来れたようだ。今日の仕事は最低限にして、家に戻ったら、ゆっくりと休んでくれ」
「はい、お言葉に甘えます」
「だね。ごちそうとかはいいから、ぐっすり寝たいよ」
王都にいる間はずっと気が休まらなかった。アルノルトについて、ようやく緊張の糸が緩んだ気がする。
俺もクロエと同じように、御馳走ではしゃぐより、体を休めてぐっすり寝たい。
「クルト様はどうなされるのですか?」
「俺は本村のほうに行くよ。男爵になったことを、真っ先に伝えないといけない人がいる」
おそらく、明日でもいいのだろう。だけど、彼は一秒でもはやく連絡を欲しいと思っているだろう。
だから、無理をしてでも今日行くのだ。
……父さんのもとへ。
◇
本村まで歩いていき、村人たちに竜車に積んであるお土産を倉庫に運ぶように指示をだした。
そして、村長代理のソルトに無事男爵になったことを伝え、馬で本村に向かった。
ティナやクロエには、不在時の村の様子を確認してもらう。
いつの間にか、夏は過ぎ去り秋も終わりが見えてきた。
春にアルノルトの後継者と認められてからの日々は流れるように過ぎていく。本当に忙しい日々だ。
ありとあらゆる状況が目まぐるしく変わっていた。
「次期当主になって、菓子店を開いて、男爵になって、今でも信じられないな。……だが、まだまだこれからだ」
アルノルトはこれからもっと豊かにしていく。
そして、俺の世界一の菓子職人になるという夢もこれからなのだ。
俺はそんなことを考えながら、馬を走らせた。
◇
本村の屋敷に戻ると、使用人たちが快く出迎えてくれる。
かつてとはえらい違いだ。ヨルグが後継者になると思われていたときは、彼らはかなり適当な対応だった。
父の執務室に通された。
相変わらず、整理されているが効率一辺倒で色気のない部屋だ。
そこが父らしくて好きだった。
部屋の中央まで歩くと、椅子に座っていた父が立ち上がり、口を開く。
「クルト、よくやってくれたな。……まさか、アルノルトの悲願がこんな形で達成されるとは思ってもいなかった」
准男爵というのはなんちゃって貴族にすぎない。
男爵となり、正式な貴族となるのはアルノルトの悲願だった。
「父さん、まだ男爵になれたとは報告していないよ」
「おまえの表情を見ればわかる。それに、おまえなら失敗などしないだろう」
こんなときでも父は笑わない。
だけど、俺にはわかる。
平坦で固い声にどこか柔らかさがある。口元がほんのわずかだが緩んでいる。父にとって最大の喜びの表現だ。
「父さんに厳しく育てられたおかげです」
「……少し反省しているのだ。クルトには厳しく接しすぎた。おまえはどれだけ厳しくしても、私の教えを学んでくれた。手間がかからず素直でいい子だったからこそ、辛くあたった」
「父さん、どうしてそんなことを急に」
父が背中を向ける。
その背中が急に小さくなったように思える。
「謝りたかった。私はおまえに甘えていた。ヨルグと違って、一人で生きていける。アルノルトの外でも才能を活かせるはずだと、私の気持ちを押し付け、夢を奪おうとした。悪かった。……クルト、これからは自由にしていい。アルノルトはおまえのものだ。私は引退する。今からお前はアルノルトの次期当主ではなく、アルノルトの当主だ」
父が振り向いた。憑き物が落ちたような顔で俺を見つめる。
それを少し寂しく思った。
「まだ、早いですよ。今、父さんに隠居をされたらアルノルトは回らない。父さんがアルノルトを守ってくれるから、俺はアルノルトを豊かにするために動ける」
自然とそんなことを口走っていた。
間違ったことは言っていない。だが、これは建前だ。本当は父にまだ、前に居てほしいというわがままだ。
「クルト、安心しなさい。当主を譲っても私は今までアルノルトを取りまとめていく。肩書きが変わるだけだ。当主を譲るのは、おまえが当主の肩書を得ることに意味があるからだ……それにな。ヨルグが帰ってくると言っている。ヨルグがいれば、いずれ私の力は不要になる」
「ヨルグが!?」
ヨルグはアルノルトを出て奉公に出ていた。
ヨルグの活躍は聞いている。勤勉に働き、人当たりもよく、信用を勝ち取っている。
てっきり、アルノルトに戻ってくることはないと思っていた。
「ずいぶんと先方に引き留められたようだが、決意は固いようだ。『兄への償いがしたい、何より兄と一緒にアルノルトの未来を見たい』と手紙にはある」
「あいつが……」
少し驚いた。
だが、ヨルグが帰ってくるのはうれしい。
内政面の人材が足りなかったし、兄としてあいつと語り合いたかったのだ。
「それからな……戻ってくるときに一人の女性を連れてくる。先方があいつを引き留めるために、娘との婚姻を提案したのだが……それでもヨルグの決意は固く戻ってくることになった。するとな、先方の娘は本気でヨルグに惚れていたようで、ヨルグについてくると言って聞かなかったらしい。……悪いことをした。何かしらの形で先方には償いをしたい」
それは、すごい。
本気でヨルグを好きになってくれる人が現れたのか。
傍にそんな人がいれば、ヨルグはアルノルトでもがんばっていけるだろう。
「償いにアルノルトの養蜂技術の提供を持ち掛けてみます。さすがにヨルグを育てていただいただけでなく、大事な娘までいただいたのですから相応のものを渡さないと。……それから、あいつの結婚式、ウエディングケーキは任せてください。とびっきりのを作ります」
近代養蜂の技術は金脈になりえる。ヨルグが世話になったうえに娘までもらってしまったのだ。近代養蜂の技術を差し出すことに抵抗はない。
そして、ヨルグの結婚は全力で祝福しよう。
菓子職人なりのやり方でだ。これが俺が弟のためにできる最大の祝福だ。
父が苦笑する。
「きっと、ヨルグも喜ぶだろう。……クルト、今日は時間があるのだろう? 夕食を一緒にどうだ? とっておきの酒もある」
父が棚からワインを取り出す。
それは、ずいぶんと年代物だ。アルノルトの財力ではとても買えないような高級ワイン。
「それは?」
「これは、おまえが生まれた年に買ったワインだ。いずれ、おまえが当主を継ぐか、アルノルトから巣立つとき、ともに飲もうと決めて取っておいた」
「……それは楽しみです。父さん、今日は徹底的に飲みましょう」
父が頷く。
夕食に提供された料理は懐かしい味がした。母は死んでいるが、その味は使用人たちに受け継がれている。
母は自分で厨房に立つ人でアルノルトで一番の料理上手だった。
彼女は領民たちに慕われ、請われれば料理を教え、教わった人たちが子へと受け継いでいる。
もっと贅沢な材料や、多種多様な調味料を使った料理もずいぶんと食べてきた。
それでも、この味を食べるとほっとする。俺にとって故郷の味だ。
父に、ワインを注いでもらう。父にワインを注がれるのは生まれて初めての経験だ。グラスをぶつけ合い飲み干す。
幸せの味がした。
「クルト、もうすぐ冬だな」
「はい、そろそろ冬越えのための準備が必要です。今年は、豊作で、事業が成功したおかげで金にも余裕がある。全員で冬を越せるでしょう」
「そうだな。毎年この時期には頭が痛くなるが、クルトのおかげでゆとりがあるよ」
アルノルトの領地では、どうしても毎年冬には食糧不足で餓死者や、燃料不足で凍死者が現れていた。今年からは、そんなことは起こさせない。
「クルト、次は何をするつもりだ? おまえのことだ。また突拍子のないことをするのだろう」
「いえ、当面は養蜂とエクラバの菓子店に注力します。春になれば、新しい事業を始めますが、秋と冬は守りに入ります。……個人的になら、やり遂げないといけないことがありますが」
何をするにも冬の間は動かないほうがいい。
アルノルトの冬は過酷だ。
領民たちの冬越えもそうだが、せっかく増やした蜂や鶏たちのこともある。
冬は菓子店アルノルトの運営の仕方も工夫が必要になるし、他の街からの客足も目に見えて低下する。
今の状況で、新規事業は始められない。なので、そういったものは春からだ。
だからこそ、空いた時間で俺個人として必要なことをする。
「クルト、個人的にやり遂げないといけないこと、それを聞いてもいいか?」
「一番大事な人に、最高のお菓子を届けることです」
かつての約束を思い出す。
俺は、ティナに望みを聞いた。すると、彼女は世界で一つだけの自分だけのお菓子を作ってと言ったのだ。
そのアイディアがようやく浮かんだ。
だから、ティナのために、ティナをイメージをした最高のお菓子を作り、俺とティナが満足できるものができれば……プロポーズをすると決めたのだ。
銀色で柔らかくて、暖かい。ティナの名前を冠したお菓子のイメージはすでに出来上がっている。
「おまえらしいな。応援している」
「はい、一世一代の大勝負です。必ず成功させます」
そうして、親子二人でとりとめのない話をつづけた。
父とここまで腹を割って話したのは初めてだ。親子のわだかまりが溶けていく。
ヨルグとも、こうして話したいものだ。
そうして、夜は更けていった。
自分の部屋で眠りにつく。部屋はあのころのままだ。
今日は優しい夢を見れる気がした。




