第十二話:遊び心と贅沢なショコラ・プティングケーキ
無事、男爵となり城を後にし、レナリール公爵が主催する立食パーティに参加していた。
さすがに王城でパーティが開かれることはない。
しかし、有力貴族たちが王都に集まっており、多くの貴族たちが顔を売る機会を無駄にしたくないと考えていた。
その意を汲んでレナリール公爵が東の貴族たちを集めたパーティを自らの屋敷で開いている。
俺は招待客の一人としてパーティに参加しているのだが、さきほどからひっきりなしに様々な貴族が挨拶にくる。
たかだか男爵のもとに人が集まってくるのは、若年ながら男爵に任命されていること、レナリール公爵……テレサに気に入られていること。それだけでなく、カルトマン王子をお菓子でうならせ、彼にまた王都に来るようにとまで言わせたことが、すでに広まっているせいだ。
貴族たちは耳が早い。
すでに、俺が次期国王の御用達の菓子職人になったということが共通認識になりつつある。
……かなり、やりにくい。
相変わらず、こういう政略の世界は苦手だ。
はやくアルノルト領に戻って、領地の発展とお菓子作りに精をだしたいものだ。
ティナとクロエを探す。
二人とも、レナリール家の使用人に交じって働いている。
パーティに参加することはできないが、こうして使用人としてなら一緒にいられる。
ティナが俺のそばにいるためにと提案し、クロエも参加してくれた。
二人が近くにいてくれるだけでがんばれる気がする。
それにしても、今日は会話が切り上げにくい。しつこく食らいつかれる。
レナリール公爵家のパーティのときも、かなり拘束されたが、今回は異常だ。
それだけ、王家の方々に気に入られたことが大きいのだろう。
俺が解放されるのは、話している貴族よりも上位の貴族が来て、しぶしぶ話していた貴族が去っていくパターンぐらいだ。
そして、今も。
「クルトくん、お疲れ様。よくがんばったな」
「フェルナンデ辺境伯!」
彼がきたことで、侯爵と伯爵が去っていく。
しつこく、なおかつ苦手なタイプの貴族だったので助かった。
「ははは、成長したと思ったのだが、まだまだ未熟だね。そんな露骨に安堵した様子を見せてはダメだよ。貴族たるもの、つねに弱みを見せてはいけない」
そう言われて、わが身を恥じる。
貴族としての在り方はこの人から多く学ばせてもらった。
「お恥ずかしい限りです。私はまだまだ貴族として未熟のようです」
「精進したまえ、……それにしても王家の方々にあんな褒美を要求するとはね。見ていて肝を冷やしたよ。でも、実に君らしい願いだ」
「望みと言われて、浮かんだのがアレしかなかったんです。秋の終わりにアルノルト領に来てください。新たなアルノルトの魅力を披露させていただきます」
「うむ、楽しみにしているよ。それからクルトくん。君も察していると思うが、ここに来ているのは私だけではない」
うすうすと気づいていた。この人がいるということは……。
「クルト様、お父様から聞きました。すごくかっこよかったと。私もクルト様が男爵になる瞬間をこの目で見たかったですわ」
ファルノも来ていた。
さくら色の髪を揺らしながら、フェルナンデ辺境伯の後ろから出てくる。
おろしたてのドレスで気合が入っているようだ。
「ファルノもわざわざ来てくれてありがとう。最強の援軍を送ってくれて助かったよ」
ファルノがヴォルグを送ってくれたおかげで、余計な邪魔が入らずお菓子作りに専念できた。
彼がいなければ、間違いなく苦戦をしただろう。
「クルトくん、ファルノ、踊ってきなさい。クルトくんは疲れているようだ。私たちと話すより頭を空っぽにして踊るほうが、ずっと気が休まるだろう」
俺にとってもありがたい提案だ。
こうして、フェルナンデ辺境伯とファルノが来てくれたとはいえ、遠巻きに眺める貴族たちの視線がわずらわしい。
踊っていれば、気にしないで済む。
「クルト様、踊っていただけますか」
「喜んで」
俺はファルノの手をとって踊り始めた。
その様子を、ドリンクを運んでいるティナとクロエがうらやましそうに見ている。パーティが終わったあとでティナやクロエとも踊ろう。
あの子たちは、踊りが好きなのだ。
◇
曲に合わせて踊る。
ちょっと前までダンスなんてまったくできなくなったが、こうして何度か社交界にでているうちに様になってきた。
「クルト様、すごいですわ。ちょっと見ないうちにすごくお上手になっています」
「踊ってくれる人に恥をかかせるわけにはいかないからね」
上達が早かったのは槍の鍛錬のおかげもあるだろう。
すぐれた体幹と重心移動の感覚はダンスと共通したものがある。
曲が終わった。
お互いに上気した顔で見つめ合う。
そうしていると、罪悪感がわいてくる。
ファルノは俺を慕ってくれている。だけど、俺は……。
今はまだ、それを言う場ではない。
いつかはきっちりと言葉にしよう。それが俺にできる唯一の誠意だ。
次の曲が始まるのを待つ。
しかし、なかなか次の曲が始まらない。
周囲の貴族たちの視線が一点に集まっていく。そこは壇上だった。
テレサが現れた。
その服装に違和感を覚える。
いつも彼女はすらっとしたスタイリッシュなドレスを好んで着る。だが、今の姿はドレスではなくスーツだ。
完璧に着こなしているが、女性がスーツを着るのはひどく珍しい。
……うぬぼれかもしれないが、俺と待合室で交わした会話が影響しているのだろう。
「親愛なる東の貴族たち。今回は集まっていただき感謝するわ。知ってのとおり、東に新たな男爵が生まれたの。改めて、彼を紹介するわね。四大公爵たちの晩餐会で全員を唸らせ、今度は王家の方々をも虜にした、東の至宝たる菓子職人……クルト・アルノルト。さあ、アルノルト男爵。壇上にあがりなさい」
周囲の視線が、テレサから俺に集まる。
壇上までの進路にいた貴族たちが道を開けてくれた。
その道をまっすぐに進み壇上にあがる。
そして、テレサが俺をみた。挨拶をしろということだろう。
ちょうどいい、そろそろ俺が作った菓子を運び込む頃合いだ。
深呼吸する。
男爵としての初めての挨拶だ。
男爵として恥ずかしくない。そして俺らしい挨拶をしないといけない。
「皆様、私がクルト・アルノルト……男爵です。レナリール公爵、フェルナンデ辺境伯、父や弟のヨルグ。アルノルト領の民、精霊の里の友人、たくさんの良き隣人たちのおかげで、若輩の身ながら男爵になることができました。ありがとうございます」
一人ひとりの顔が脳裏に浮かぶ。
みんなが支えてくれたからここまでこれた。俺一人ではどこかで破滅していただろう。
「せっかくなので、私がどんな人間かを説明させていただきます。我がアルノルトは、未開の土地で開拓を行う田舎の貧乏貴族です。貧しく辛い暮らしをしてきました。その貧しい生活の中でも、幸せになるための何かを探しました。それが私にとってのお菓子です」
甘いものを食べると幸せになれる。
辛い生活の中でも、たったの一つの幸せ、甘いお菓子があれば耐えられる。
「その甘いお菓子は、アルノルトの民を幸せにし、それだけでなくエクラバで売り出すことでアルノルトを潤し、エクラバから国中に広まりたくさんの人々を幸せにしました。そして、私が男爵になれたのもお菓子の力です。私はお菓子の力を信じています。自分も、周囲の人間も、みんなを幸せにするお菓子を愛している。……だからこそ、世界一の菓子職人を目指しております」
指を鳴らす。
こうして挨拶をすることは聞いていなかったが、合図をするとお菓子が運ばれるように事前に打ち合わせてはしていた。
扉が開き、今日のために用意していたお菓子が運ばれて来る。
「このままでは、ただの自慢で終わってしまうので、私が作るお菓子で、幸せをお裾分けします。お菓子の力を感じてください。これより振舞うは、ショコラ・プティングケーキ」
ティナとクロエを含む使用人たちが貴族たちにショコラ・プリンケーキを配っていく。
その名の通り、チョコレートソースがたっぷり入った黒いプリンがスポンジの上に載っており上質で軽やかな生クリームでデコレーションされている。
ただ、スポンジケーキの上にプリンを乗せただけじゃない。
温度差と材料比率の魔法だ。
火を通していくと先に固まったスポンジの欠片が自然に浮いていき、上のほうでスポンジが固まり、次に下のプリンの層が固まり継ぎ目がないプリンケーキが生まれる。
それを冷やしてひっくり替えしデコレーションして生まれたのがショコラ・プティングケーキだ。
「エクラバで開かせてもらった菓子店アルノルト、その看板メニューのプティングにチョコレートを使い、さらにはケーキも一緒に楽しもうという贅沢なお菓子です。美味しいだけじゃない、驚きと遊び心も忘れない。それがアルノルトのお菓子です。これが私の自己紹介。ぜひ、アルノルトをお楽しみください」
一礼する。
そうした途端、貴族たちが待ちわびたとばかりに、ショコラ・プティングケーキに手を付け始める。
運ばれてきてから、みんなそわそわしていた。
チョコレートという、未知だが公爵たちや王家の方々を満足させたと噂になっており食べることがステータスとなっている未知の食材。
プティングも、エクラバの菓子店アルノルトでのみ提供される幻のお菓子として評判が高い。それに加えて、ケーキまで一緒に味わえる夢のお菓子がショコラ・プティングケーキだ。
夢中になるのも無理はない。
貴族たちが一斉に食べ始めて、絶賛の声を上げる。
「この高貴な苦さと甘さの融合、これが夢にまで見たチョコレートか」
「ああ、プリン。この独特のなまめかしい食感、何度食べても飽きませんわ」
「ケーキと一緒に食べるとまた違った食感と味が楽しめて素晴らしい」
「生クリームがかかったところと、かかっていないところ、食べ比べてみると面白いよ」
ショコラ・プティングケーキは大絶賛だ。
見た目のわりに手間はかからないし、テレサが販路を整えてくれたのでカカオが安く手に入るようになった。
エクラバの菓子店アルノルトの限定メニューに出すのもいいだろう。
そうして、自己紹介は終わり、パーティに戻ったあとは再び貴族たちに囲まれたが、俺を利用としている人たちだけでなく、俺個人やお菓子に興味を持ってくれた人たちが増えてやりやすくなった。
パーティに招待するから、そこで菓子を振舞ってくれという貴族も多かったが、エクラバの店で購入してくれとお茶を濁した。
あの店はそういう意味でも便利だ。
そうして、王都での最後の仕事が終わった。
◇
翌日の朝、竜車の着陸場に来ていた。
今は、竜車の到着を待っている。
いよいよ、アルノルトに帰る。
同じ馬車には見送りに来たテレサも乗っている。
彼女も自身の領地に戻るが、アルノルト行きとは別の竜車なので、ここでお別れだ。
「クルト、お疲れ様。あなたはよくやったわ」
「テレサが力を貸してくれたからだ。ありがとう」
友達として付き合っていく。
そう決めたので、テレサと呼ぶことにも敬語で呼ばないことにも抵抗はなくなった。
テレサがぼうっとしている。
「どうかしたのか?」
「いえ、テレサとあなたが呼ぶものだから、どきっとしちゃったの。ずっといい友達でいると決めたのに不思議ね」
テレサは微笑む。
きれいで透き通った笑みで、どきりとしてしまう。
「クルト、お願いがあるの。私を振ったお詫びに聞いてくれないかしら?」
「俺にできることなら」
「私はレナリール公爵家の血を絶やすわけにはいかないわ。レナリール公爵家の血を引いているのは私だけだから、私がなんとかしないといけないの。でも、本当の恋を知った以上、政略結婚は嫌なの。養子をとるという手もあるけど、あまり気が乗らないわね」
「その問題は理解できる。だけど、俺に協力はできる気がしないよ」
そういうと、にやりとテレサが笑う。
「協力できるわ。別に恋人になる必要はないけど、私にあなたの子を産ませてくれないかしら? あなたの子なら産みたいし、愛して育てる自信があるの。あなたに迷惑はかけないわ。逆に、あなた以外と体を重ねるのは嫌だから、協力してくれると助かるのだけど」
俺は言葉を失った。
ティナとクロエも顔を真っ赤にしている。
なんとか、落ち着こう。
「……すまない。俺には協力ができないことだ」
「そう、残念ね。気が変わったら言って。私のほうはいつでもいいから」
「冗談じゃないんだな」
「こういうことを冗談で言えるような女はこの世にいないと思うわ」
テレサの顔は真顔だった。
完璧に本気だ。
だからこそ、友達としてアドバイスをしよう。
「きっと、いつかテレサの前にはいい男が現れるさ。それこそ、俺よりずっといい男がな」
「期待せずに待っているわ。それと、今の言葉は減点よ。とくにあなたが好きな女の子の前ではね。あなたを好きになった子に失礼よ。ふふ、お菓子作りほど、女の子の扱いはうまくないのね」
一本取られた。
たしかに、俺より魅力的な男がいるというのは、俺が好きで、俺を好きになってくれたティナの前でいうのは最低だ。
ティナを最高の女性と思っているなら、俺も最高の男性でないといけないのに。
「本当に何から何まで世話になったな」
「惚れた弱みね。だから、あなたに甘くなることはあきらめているわ。あら、もうアルノルトに向かう竜車がついているわね」
彼女の言う通り、竜車が着陸しており荷物を使用人たちが積み込んでいた。
しばらくして、こちらを呼ぶ声が聞こえてくる。
いよいよテレサとも王都ともお別れだ。
「テレサ、改めてありがとう。そしてお別れだ。……さすがに後継者問題で協力はできないが、他のことなら協力するつもりだ。困ったことがあったら連絡してくれ」
「そうさせてもらうわ。クルトのことはこき使うから覚悟をしておきなさい」
二人で笑いあう。
名残おしいが、これで会話は終わりだ。
背を向けて竜車に向かう。
「クルト」
そんな俺の背中にテレサが声をかける。
「私を振ったのだから、ちゃんと好きな人を幸せにしなさい。それから、あなたは誰より幸せになりなさい。命令よ」
返事はしない。
彼女もそれを望んでいない。
ティナとクロエと共に竜車に乗り込んだ。
竜車が天を舞う。
ティナが口を開いた。
「レナリール公爵、かっこいい女性でしたね。私もああなりたいです」
「そうだな。彼女はかっこいい。でも、ティナにはティナの魅力があるよ。テレサみたいになる必要はないさ」
ティナを好きになったのはそこじゃない。
王都がどんどん小さくなっていく。
そして、完全に見えなくなった。
今日中にアルノルトに着くだろう。
アルノルトに着けば、いろいろとやりたいことがある。長い間留守にしたが、その分たくさんのものを得た。
その力でアルノルトを豊かにしていくのだ。




