第十話:クルト・ペルレ
今の俺にできる。
いや、クルト・アルノルトとなった俺にだけ作れるお菓子が完成した。
これなら、王家の人たちにも納得してもらえるだろう。
「やりましたね、クルト様!」
「見てるだけで、ぜったい美味しいってわかるよ。それにすごくいい匂い」
トリュフとチョコレートの香りが厨房中に広がっている。
いい香りだ。
俺はこの香りがたまらなく好きだ。
「クルト様、絶対大丈夫ですよね」
「そうだな」
これでだめなら、あきらめがつく。それほどまでに、このケーキにすべてを注ぎ込んだ。
もし、だめになるとすれば、このケーキを提供できない場合だ。
まだ気を抜けない。
最大の懸念は晩餐会のデザートとして提供するまでに、このケーキを奪われること。
それまでは厨房から離れる気にはなれない。
「ティナ、クロエ。時間がくるまでおしゃべりしようか」
できたケーキを保存用の容器に移す。それから、二人に話しかける。
「はい、クルト様とゆっくり話すのなんて久しぶりです」
「そうだな。ずっと忙しかったからな」
アルノルトの継承者になってからというもの、ずっと何かに追われていた。
レナリール公爵の晩餐会、エクラバの店舗の開店、叙爵式の準備、王家に送るケーキの考案。
ティナと話すときにすら、それらのことが頭によぎっていた。
だけど、今はそういったごちゃごちゃしたことを少しだけ忘れていられる。やるべきことはすべてやったからこその余裕。
勝負の直前というのに不思議だ。
だから、ゆっくりと会話を楽しもう。
雑談をしていると、ティナの雰囲気が変わった。言い出しにくいいことを話すときのしぐさだ。
「クルト様、村に戻ったらお祝いをしませんか?」
「お祝い?」
「はい! 男爵になるんですから、お祝いしないと。あと、お祝いの準備は私たちに任せて、クルト様はゆっくり休んでいてくださいね」
「お祝いをすること自体はいいが、なんで俺が手伝っちゃだめなんだ?」
首をかしげる。
むしろ、俺の菓子作りの腕が必要とされる場なのに。
「だって、クルト様は、ずっと、ずっとがんばりっぱなしじゃないですか! クルト様をねぎらうためのお祝いなのに、クルト様を疲れさせたら意味がないです。だから、お祝いは私たちが頑張ります」
ティナがキツネ尻尾をピンと伸ばして気合を入れている。
嬉しい心遣いだ。甘えさせてもらおう。
俺は頷くと、ティナがうれしそうに目を輝かす。
「おっ、いいね。私も手伝うよ。クルトとティナに料理とかお菓子作りとか、任せっぱなしだけど、こう見えて、料理には自信があるんだ。精霊の里の伝統料理、たっぷり披露するからね」
「それは楽しみだ。あそこの料理は美味しかった」
精霊の里の素朴で、でも温かい料理は印象に残っている。また、食べたいと思っていたところだ。
「むう、私はクルト様の大好物をたくさん作ります。誰よりもクルト様の好みをわかっているのは私ですから!」
クロエと張り合うティナがかわいらしい。
そんなティナを見ていると、くすくすと笑ってしまう。
「クルト様、どうしたんですか?」
「なんでもないよ。ただ、ティナはかわいいなって」
そういうと、ティナが真っ赤になってキツネ耳がぴくぴくとなる。
俺はごほんっと咳ばらいをした。
そして、ティナの眼をまっすぐに見つめる。
「ティナ、俺が男爵になったら、ご褒美をもらえないか?」
「はっ、はい。喜んで! 私にできることならなんでもやります!」
ティナが距離を詰めてくる。
今までにない勢いだ。
きっと、俺がティナに何かをしたいと思っているように、彼女も俺のために何かをしたいと思っていてくれているのだ。
そのことがうれしい。
だから……。
「キスをしてくれ。ティナのことが好きなんだ」
俺の望みを言う。
ずっと、態度で示しても口にはしなかった想い。
「なっ、なっ、なっ、クルト様、いったい、なんで」
「気づいてくれていると思っていたんだけどね。改めて言うよ。俺はティナのことが好きなんだ。だから、ご褒美にキスをしてほしい。だめかな?」
俺がそういうと、可哀そうなぐらいに顔を真っ赤にして、それからうるんだ目で俺の顔を見てくる。
「はい……喜んで。その、本当にそれでいいんですか? クルト様へのご褒美なのに、私のほうが絶対喜んじゃう、これじゃ私へのご褒美になっちゃいます」
「いいよ。約束だ」
ティナの頭を撫でる。
やっと言えた。
ティナが大人になるまで、恋を知るまで、好きと言わないと決めていた。
だけど、不思議と今ならいいとそう思えたんだ。
ティナは成長した。もう子供扱いはやめよう。
「ティナ、おめでと」
クロエがティナに祝福の言葉を贈る。
「それから、クルトもおめでとう。振られずに済んでよかったね」
にひひと、いたずらっぽい顔だ。
そんなクロエ、おずおずとティナが口を開く。
「クロエ、クロエだって」
「いいの。入り込む隙間がないことは、ずっと前からわかってたし。だいたい、こんなことで傷つくぐらいなら、とっくに逃げ出してるよ」
クロエはそう言って微笑む。
強がっている様子はない。ただ、俺とティナの友人として心の底から祝ってくれている。
「それから、クルト。前から聞きたいことがあったんだけどいいかな?」
「なんだ?」
「クルトの領地って一夫多妻はおっけーだっけ?」
彼女がそう言った瞬間、クロエ! とティナが尻尾の毛を逆立てながら怒り、クロエが笑う。
そんな二人を見て俺も笑った。
ふう、緊張なんてどこかに吹き飛んでしまった。
これで、最高のコンディションで勝負に挑める。
◇
そして、約束の時間がきた。
使用人が呼びに来た。
ケーキと、もう一つ”保険”を持ち、外に出る。
幸い、襲撃者は現れなかった。
そんなことを考えていると、いつの間にかヴォルグがとなりにいた。
完璧に気配を消していたようで、この距離になるまで気付けなかった。
「クルト様は大人気ですね。正面から二人の曲者。あの厨房には通路が仕掛けられており、そこから二人、この短時間で四人の曲者が現れましたよ」
雑談のような気軽さでヴォルグはとんでもないことを言う。
やっぱり、第三王子は俺の作ったケーキを奪うか細工するように、仕組んでいたようだ。
しかし、その企みは水泡に帰す。
襲撃者の撃退を、俺が気付かないほど迅速かつ静寂にヴォルグが行ってくれた。
ファルノは心強い援軍を送ってくれたものだ。
「助かったよ。そいつらは?」
「捕らえられた瞬間に自害しました。いやはや、驚きですね。並みの使い手であれば、自害する暇など与えないのですが。相当の使い手です」
苦笑してしまう。
ヴォルグじゃなければ、冗談にしか聞こえない。だが、まったくの事実だから困る。
「ありがとう。ヴォルグのおかげで俺の戦場に無傷でたどり着けた。万全の状態で勝負に挑める。……ここからは俺の戦いだ」
ここまで、さまざまな人の助けを受けてきた。
お菓子の材料となるハチミツはティナがいなければ作れなかっただろう。
クロエとの出会いがなければ、葛という食材を見つけることはできなかった。
ファルノがいなければ、最高のトリュフを手に入れることは不可能だった。
レナリール公爵が手を回してくれたから、最高級の生クリームを手に入れられた。
ヴォルグがいたから、きちんとお菓子を届けられる。
最高の材料と最高の環境をもらった。だから、ここからは俺の戦い。
世界一の菓子職人の名にかけて、絶対にうまいと言わせてみせるのだ。
「アルノルト次期准男爵、こちらになります」
そして、ようやく戦場へとたどり着いた。
この扉の先で、王族たちと、ヘルトリング公爵、レナリール公爵が食事をしている。
使用人によって扉が開けられ、俺は中へと踏み出した。
◇
王族の食卓だけあって、食器の一つ、花瓶の一つ、照明の一つに至って、最高のものがそろえられている。
香りを確認する。
……まずいな。保険を用意しておいてよかった。
「おそいぞ、いつまで余を待たせるつもりだ!」
今回の元凶である第三王子グランタが大きな声を上げる。
「申し訳ございません。ですが、待った甲斐のあるお菓子を作り上げました」
指を鳴らす。
ティナとクロエが配膳を始めた。
大きな白い皿に銀色の蓋が伏せられている。
王族と二人の公爵の前に皿が並べられた。
「クルト・アルノルト次期准男爵。君のケーキに期待してる」
こちらを見て、第一王子カルトマンが口を開く。
カリスマに溢れた青年だ。国民の人気が高いのも頷ける。
「ええ、わたくしも期待していますわ。わたくしは、あなたのお菓子を食べたことがありまして、今日も晩餐会がずっと楽しみでしたの」
こちらは第二王女エミリアだ。可憐という言葉がぴったりだ。それは見た目だけでなく、伝わってくる人柄まで。
それにしても、アルノルトのお菓子を王女まで食べてくれているのは意外だった。
「エミリア、いつの間に食べたんだ」
「カルトマン兄様は、政治に夢中になるあまり、市井のことに疎いのでは? エクラバのアルノルトは有名ですわ。アルノルトのお菓子は今や貴族たちの中で、最高の贈り物として頻繁に使われているのですよ。だから、わたくしは確信していますの。今日は最高のお菓子を食べられるって」
ハードルを上げられた。
だが、ハードルを上げられても問題ない。
それほどのお菓子を作り上げた自負がある。
「安心してください。今まで食べたことがない最高のケーキを用意しました」
自信満々に告げる。
第一王子カルトマンがほうっと感心したように息をもらし、第二王女エミリアは微笑む。そして第三王子グランタはふんっと鼻を鳴らした。
早速、食卓についた全員が、銀の蓋に手を伸ばそうとする。
「お待ちください。このケーキの蓋を開けるために、美味しくするための一工夫を」
指を鳴らす。
念のために、準備をしておいてよかった。
城の使用人たちが、花瓶をもってやってくる。そして、食卓に飾られていた花瓶と交換する。
「お待たせしました。では、お楽しみください」
そう言って俺は一礼する。
王子たちは、花瓶を替えたことをいぶかしんでいるが、誰もその理由を問い詰めようとしない。
これには大きな意味がある。
このトリュフとチョコレートのケーキは高貴な香りが最大の武器となる。
そして、もともと食卓に飾られていた花はユリ科の花で匂いが強く、しかもトリュフの香りと喧嘩する。
料理において、香りは重要だ。
食卓の花の香との相性を考えないとすべてがぶち壊しになる。
だから、念のためにトリュフの香りと相性のいい花を用意しておき、それが役に立ってくれた。
「では、御開帳と行こうか」
「ええ、もう待ちきれないですわ」
「もったいぶりやがって」
そして、銀の蓋が開かれた。
紫色の特製ソースがかかったチョコムースケーキが顔を出す。
「ほう、なんと素晴らしい香りだ」
「しっとりとして、贅沢な香りです。それに、ああ、久しぶりのチョコレートの香り!」
「香りがいいのは認めてやる。問題は味だ」
トリュフの香りは王族たちに受け入れられたようだ。
それぞれがナイフでチョコレートケーキを割る。
すると、閉じ込められたトリュフバターの香りが一気に広がる。
トリュフバターを中に仕込んだのは、これを狙ったのもある。今までは漏れ出たわずかな香りを楽しんでいただけだ。これこそが、俺のトリュフのチョコレートケーキの本領。
誰もが恍惚とした表情になり、言葉をなくした。
そして、王子たちがチョコレートムースとスポンジとトリュフバター、ケーキ全体を包むチョコレート、それらをひとまとめにして口に含んだ。
誰もが、黙々と食べ進め、かちゃかちゃと食器の音が鳴り続ける。
そして皿が空っぽになってから、夢から覚めたように大きく息を吐く。
呼吸すら忘れていたようだ。
「いやはや、すごい、すごいとしか言いようがない。チョコレートといったか、それに加えてなにか、すさまじい、旨味の塊が一つになって、混然と一体で」
「とてつもない経験をしましたわ。それに、それだけの強烈なおいしさがあるのに、後味がすごくすっきりして、どうしてかしら?」
さすがは王族だけあって、味覚が鋭い。
チョコレートとトリュフは両方とも強い食材だ。
強い食材を神経を張り詰めて、調和させたのがこのケーキ。
だが、そうなると旨味が強すぎていやみになる。
それを解決するために作ったのが……。
「特製のソースのおかげです。ブルーベリーの花弁を煮出して作った花のソースです」
ブリーベリーをそのまま使ったのでは強すぎて、ケーキと喧嘩をしてしまう。
だから、花を煮出してかすかな酸味と香りを引き出した。それが強すぎるケーキのバランスをとる。
ティナと一緒に育てたブリーベリーの花、その果実だけではなく花を使うという発想は、一度目の人生では思い浮かばなかった。クルト・アルノルトだけの発想だ。
「花のソース。なんて、素敵なのでしょう!」
「ああ、素晴らしい菓子を食べさせてもらった……グランタ合格でいいな」
カルトマン王子が、グランタ王子のほうを見る。
彼の手は震えていた。
まずいと言って、自分の料理人に引き入れたいのだろう。
だが、その肥えた舌が嘘をつくことを許さない。その葛藤に震えている。
「……ふん、まあ、合格だ。認めてやる。だから、たまには城に来い! 余の晩餐会に使ってやる!」
そしてそっぽを向いた。
「機会があればぜひ」
もう、こりごりだが、波風を立てないように無難な返事をした。
レナリール公爵が胸を押さえて、安堵の息を漏らしている。
そして、ヘルトリング公爵は、にやにやと笑っていた。
不気味ではある。今回はたくらみをすべて、潜り抜けて、俺の腕が認められたというのに。
「そういえば、クルト・アルノルト次期准男爵。このケーキの名前は」
カルトマン王子が思い出したように問いかけてくる。
だから、用意しておいた名を告げる。
「クルト・ペルレと申します」
俺しか作れない、自信をもって届けられるケーキ。
だから、俺の名前を冠した。
そして、ペルレは真珠を意味する。このケーキを直訳すると、クルトが作った黒真珠となる。
これ以上に、このケーキにふさわしいケーキはないだろう。
「いい名だ。このクルト・ペルレ。このケーキを食べにいつか君の店に行こう」
「喜んで」
終わった。
俺のケーキは無事認められたのだ。これで最大の危機は過ぎ去った。
あとは、明日男爵となる。
そして、王都を去って懐かしいアルノルトの領地に戻ろう。。
そして、村に帰れば約束通り、ご褒美にティナとキスをするのだ。