第九話:今の自分にできる最高のケーキ
婚約者であるファルノから最高の援軍が送られてきた。
俺の師匠であり、ファルノの執事であるヴォルグだ。
彼がいる限り、下手な妨害はすべて防げるだろう。
一度、部屋に戻り着替える。
王城に来ることもあって正装に着替えているが、これではお菓子作りなんてできはしない。
ここからは菓子職人としての正装になるのだ。
「クルト様、やはり私は厨房に待機することにします。クルト様がカギを用意したとはいえ、念には念を入れておきますよ」
「ああ、頼むよヴォルグ」
やはり、ヴォルグは頼りになる。
急いで準備を済ませよう。
◇
使用人に案内されて、今日と明日、俺たちが過ごす部屋にたどり着いた。
ティナとクロエには、荷物をもって先に部屋に行くように指示している。
部屋に入ると、二人が駆け寄ってきた。
「クルト様、お疲れ様です」
「クルト、さすがにお城はすごいね。窓から街が見渡せるよ。ほら、こっち来て」
クロエに手を引かれて、窓際に連れていかれる。
窓を開けると、気持ちいい風が流れ込んできた。
三人で、窓の外の風景を楽しむ。
「絶景だな」
王城は、王都の中心に位置している上に、この街で唯一、三階建て以上の高さが許されている。
貸してもらっている部屋は上層階に位置しており、王都の美しい風景が楽しめる。
王城以外では二階以上許されていないのは建築技術が未熟で、よっぽど腕利きの職人といい材料を集めないと危険であること、そして、高いところに住まうのは王家の特権という二つの意味合いがある。
だから、王都以外でもフェデラル帝国に属する街では三階建て以上の建物は自粛されている。
「ティナ、クロエ、しっかりと見ておけよ。たぶん、もう二度とここにはこれないだろうから」
本気で出世を目指して、貴族たちとの交流を深めていこうとすれば、また王都に来る機会があるかもしれない、だけど、俺は男爵以上の地位を欲しいとも思わない。
男爵になってしまえば、できるだけ貴族がらみのごたごたから距離をとり、お菓子作りに専念するつもりなのだ。
王都に来る機会なんて、無くなるだろう。
「もう見れないなら、今のうちにしっかり見ておきます」
「だね。クルトがしんどそうだもん。王都にまた来たいなんて、そんなわがまま言わないよ」
苦笑してしまう。
そうか、クロエから見ても俺はしんどそうだったのか。
「泣いても笑っても、あと二日だ。もうひと踏ん張りしようか。ティナ、クロエ、力を貸してくれ。今からケーキを作り始めるぞ」
「任せてくださいクルト様。クルト様のパートナーとして精いっぱいがんばります」
「私だってがんばるよ! 好きなだけ頼ってくれていいんだからね!」
まったく、頼もしい子たちだ。
手早く着替えて、ティナとクロエの二人を連れて厨房に戻る。
さあ、俺にしかできないお菓子作りをしようか。
◇
お菓子作りにおいて、もっとも大事なのは温度だ。
それは火加減だけじゃない、部屋の室温すらも大きく影響する。
厨房の室温が変わると、焼き時間、冷やす時間、レシピの分量、かき混ぜる量、そのすべてが変わる。
だから、転生する前は、厨房では必ず空調設備で一定の温度を保っていた。
こっちに来てからは勘で調整してきた。
だが、それはやめようと思う。
「ティナ、周囲の温度を下げてくれ」
「はい、任せてください」
ティナは火の魔術を使える。ただ火を生み出すだけじゃなく熱量操作だ。当然温度をさげることもできる。
ティナの力で室温を一定に保つ。今まで、やれるとわかっていてやらなかった。
それはきっと、魔法に頼りすぎないようにするという安いプライドだ。そんなものは捨ててしまう。
「うん、これでいい。この温度を保ってくれ」
「がんばります!」
ティナが頷く。
「クロエ、水の準備はいいか」
「うん、たっぷりとエルフの祝福を受けた水を用意したよ」
クロエの魔法で生み出された水は、最高の軟水だ。
硬水を用いるお菓子には向かないが、軟水が必要なときには、非常にありがたい。
その水をたっぷり使ってお菓子を作る。
それとは別に、清らかな硬水の湧水を用意してある。軟水と硬水を使い分けることも菓子作りでは重要だ。
「さて、始めようか。王家の方々が望む、誰も食べたことがないまったく新しく、それでいて最高のお菓子作りを」
事前準備はできた。
あとはお菓子を作っていくだけ。
最初に手を付けるのは生クリームだ。
これは、レナリール公爵が招待してくれたレストランに頼み、牛の仕入れ先を紹介してもらい、そこの牧場で手に入れた生クリームだ。
それも、王城に来る直前に搾り、生クリームにしたもの。
清潔な環境で、きめ細かなやかで行き届いた世話をされ、栄養価の高い食事を与えられ続けてきた牛の乳は最上級。
なにより、鮮度がいい。
その最高の生クリームを瓶詰にして激しくシェイクする。
「ティナ、室温を保ちながら、こっちも手伝えるか」
「任せてください」
滑らかなバターを作るには生クリームの温度が重要だ。ティナの力を借りて、最高のバターを作る。
生クリームが滑らかなバターに生まれ変わていく。
生クリームからバターを作る手法には優れた点が二つある。
一つ目は、新鮮な生クリームを使った新鮮なバターを作れること。
二つ目は、硬さを調整できること、今回は生クリームとバターの中間に留めた。特別なバターが必要だ。
「ありがとう。ティナ、おかげでいいバターができたよ。さあ、主役の登場だ」
俺は瓶詰にしていた、黒い宝石を取り出す。
それは、世界三大珍味の一つ、トリュフ。
品質を落とさないために、ぬるま湯に浸けてから洗い、乾かしてから塩を加えたラードに漬けていた。
こうするとトリュフの香りが落ちないどころか、より深まるし、トリュフの味にコクができる。
「クルト様、うっとりする香りがします」
「こんなにいい香りがするキノコだったんだ。生のときよりずっと匂いが強い」
「まだまだ、これからだよ」
ここから下処理だ。
水で良く洗ってラードを落とし、ナイフで皮をむく。すると白っぽい部分が見える。
ここで大事なのは若干皮を残すこと。そっちのほうが風味が残る。皮を残しすぎると雑味が強すぎる。この見極めが大事だ。
広い口のガラス瓶にトリュフを入れて、塩とマデラ酒……蒸留することで酒精を強化したワインを入れて、湯煎して加熱する。
さらに香りが強くなる。
この香りだけでくらくらとしそうだ。
さきほど作った手作りバターの上で、粗いおろし金でトリュフを擦っていく。たっぷりとトリュフが振りかけられたバターを軽くかき混ぜると、トリュフバターの完成だ。
「クルト様、このバターをたっぷりトーストに塗って食べるだけでも、すっごく幸せになりそうです」
「だね、絶対美味しいよ」
「だめだよ、ちゃんとケーキにして行くんだから」
このトリュフバターは万能のうますぎる調味料だ。
例えば、ステーキの上に乗せて溶かすだけでもごちそうになるし、パンに塗るのもいい。
だが、それ以上にチョコレートと合わせると科学反応が起こる。
「さあ、どんどん行くよ」
俺は、続いてチョコレートムースケーキ作りを始める。
自慢の手作りチョコレートを取り出した。カカオから丹精込めた最高のチョコレートだ。
エッジを利かせて、カカオの風味を強調している。これでないとトリュフバターに対抗できない。
手早く、チョコレートをたっぷりと混ぜ込んだスポンジケーキの生地を作り、焼成作業をティナに任せる。甘み付けには白砂糖を加えている。
その間にムースを作る。
鍋に自家製チョコレートを入れて加熱し、生クリームを加えた。さらに、別皿でラム酒を煮詰めてアルコールを飛ばすと同時に風味を強くしたものを入れた。
そこに、精霊の里で得た本葛を加えてとろみをつけ、クロエの水を加える。水の量でムースケーキの食感が決まる。神経を研ぎ澄ませてケーキの全体像をイメージして最高の食感を実現する。
何度か実験して、シカの骨で作ったゼラチンよりも滑らかで、ほかの素材の邪魔をしないことがわかっていた。なによりも味が良くなる。さすがは、精霊の里でとれた本葛だ。
十分にとろみがついたところで火を止める。
「クルト様、スポンジケーキが焼けました!」
「ありがとう、ティナ」
ティナの手によって、チョコレートが混ぜ込まれたスポンジケーキが焼きあがった。
「ティナ、こっちに手を貸してくれ。俺の言うように冷ましてくれ」
「はい、こうですか」
俺はティナの後ろにたち、背後からティナの手をにぎりながら、チョコレートムースを見つめる。
チョコレートムースは冷まし方で出来が決まる。ティナの力を借りて、細心の注意を払って余熱をとっていく。焦るな、でももたもたしてはだめだ。……よし、ここまでくればあとは放っておいても大丈夫。
次の作業だ。
ティナが焼いてくれたスポンジケーキを薄くカットし、金属の筒で円形にくりぬいていく。
今回はホールケーキではない。一人ひとりに個別に提供する。
金属の筒の底に薄いスポンジケーキを置いて、その上に円柱状にしてトリュフバターをたっぷり置く。
そのトリュフバターの円柱を包むようにして、常温にまで冷やしたチョコレートムースを注ぐ。そして、最後に蓋をする。この蓋をするとてっぺんが丸くなって、見た目が良くなる。
「ティナ、この金属の筒を冷やしてくれ。ここからは強めでいいよ」
「はい、クルト様!」
ティナの手によって、チョコスポンジを底にし、トリュフバターを包んだチョコレートムースが完全に固まっていく。
「ありがとう、もういいよ」
金属筒が取れると、光沢を放つチョコレートムースが美しい、小さな山のようなかわいらしいケーキができた。
だけど、まだ完成じゃない。
別の鍋を取り出し、チョコレートを加熱する。
そこには、トリュフを湯煎したときにガラス瓶に残ったトリュフのエキスを加える。これによりトリュフバターとの一体感が増す。
生クリームはここでは使わない。ビターなチョコレートがほしい。甘み付けには、ティナと一緒に育てあげたハチミツ。その中でも今までずっととっておいた最高の出来のものを加えた。
そうしてできたチョコレートソースを、仕上げにケーキの周りに薄く塗る。乾いたときにさっくりとしたチョコレートのヴェールになるのだ。
チョコレートムースに甘み付けをしなかったのは、全体の甘さのバランスを考えてだ。外側も内側も甘ければくどくなる。
チョコレートの衣とチョコレートムースを一緒に食べると、最高のバランスになるように仕上げた。
ティナに冷やしてもらい、しっかりとチョコレートの衣が固まったのを確認したあと、事前に作っておいた”特別”なソースをたっぷりかけた。
これで……。
「完成だよ。これが、今の俺に作れる最高のケーキ。誰も食べたことがないチョコレートとトリュフのケーキ」
ようやくできた。
トリュフのチョコレートムースケーキ。
トリュフの高貴な香りとチョコレートの魅惑の香りの競演。
香りだけでなく、その味もどこまでも優雅で品がある。
王家の方々に振舞うにはこれ以上のものはないだろう。
そして、このケーキは今までの俺では作れなかったものだ。
今までは、仕方なく魔法を利用することがあっても、積極的に魔法を使って美味しくしようなんて考えていなかった。
今回のケーキを作るにあたり、いくつも魔法を使っている。
ティナに頼んで、転生する前にも不可能だった調理中の温度調整を行っている。
それだけじゃない、各素材を俺の【回復】により熟成期間を最適なものしていた。
極めつけは、水はあらかじめ用意した硬水と、クロエの魔法で生み出した軟水を使い分けている。
調理法自体は、転生する前と比べてわずかなアレンジしかない。
だが、調理と素材の下ごしらえに魔法をフルに利用した。この世界でしか作れないケーキなのだ。
「すっごくきれいだね」
「はい、食べるのがもったいないです!」
ティナとクロエは、くんくんと匂いを嗅ぎながら恍惚とした表情を浮かべる。
「そういえば、クルト様。このケーキはなんて名前なんですか?」
「あっ、それ私も気になる」
転生前に作ったケーキが元になっている。レストランで出していた名前はある。
だが、その名前を使いたくなかった。
これはもう、別物だ。
クルト・アルノルトのケーキ、ティナとクロエの力を借りて作ったケーキだ。
だから、それにふさわしい名前のケーキを考えた。
「このケーキの名前は……」
今までの自分の歩んできた道を振り返り、ティナとクロエをはじめとした支えてきたくれた人たちに感謝を込め、俺はこのケーキの名前を口にした。




