第七話:ティナが教えてくれたもの
無事、ヴォイルシュ侯爵への挨拶を終えて帰路についていた。
「ううう、アイスクレープ。食べたかったです」
「惜しいことをしたね。クレープは、一度だけクルトに食べさせてもらったことがあるけど、もちもちした皮が舌にくっついて、美味しくて気持ちよかったな。ジェラートとの相性も絶対最高だったよ」
「クロエが、余ったジェラートを食べちゃおうなんて言うから」
「あっ、ティナ。人のせいにして。ティナだってノリノリだったじゃん」
キツネ耳美少女のティナとエルフ美少女のクロエがにらみ合っている。
ことの発端は、ヴォイルシュ侯爵のためにマンゴーのジェラートを作り、その余りを使って、アイスクレープを作ると俺が言いだしたこと。
クロエが、俺たちはもうマンゴージェラートを食べているし、余っているのは自分たちで食べていいだろうと言い出し、俺が二人を迎えに行ったころには空っぽだった。
さすがに材料がないとアイスクレープを作ることはできない。
「ううう、それはそうですけど」
ティナがキツネ耳をぺたんと倒して、涙目になっていた。
ティナには失礼だが可愛いと思ってしまった。
「ティナ、クロエ。今日は無理だけど、いつかクレープを作ってあげるから。そうだ、マンゴーのジェラートだけじゃ寂しいから、いろいろと用意して、いろとりどりのクレープパーティにしようか」
「クルト、クレープってそんなに種類があるの?」
クロエが身を乗り出して聞いてくる。
「そうだね、アイスクレープのほかにも、生クリームと果実をたっぷりのクレープを作ったり、口直しに熱々のフランクフルトとチーズを包んだものもいいし、チョコレートで大人の味を演出するのもありだ」
クレープの組み合わせは無限だ。
さまざまな具材を楽しめるクレープパーティは、作るほうも食べるほうも楽しい。
「クルト様、ぜったいやりましょう! うわぁ、楽しみです」
ティナは立ち上がり、自慢のキツネ尻尾を振り始めた。
ティナが、こんなに期待してくれているんだ。
がんばらないと嘘だろう。
「約束するよ。必ずクレープパーティを開催しよう。レパートリィをたくさん考えて、山ほどクレープを作るから期待していてくれ」
「はい、楽しみにしています!」
「クルト、パプルとピナルのクレープも絶対に作ってよ! 精霊の里で作ってくれたやつ! あれまた食べたい」
俺は頷く。
ティナとクロエは、さっきまで落ち込んでいたのがうそのように楽しそうにおしゃべりをしていた。
ふと、視線を感じてそちらを向くとレナリール公爵がこちらを見ていた。
「楽しそうね。そのクレープ? というお菓子。聞いたことがないけど、二人の喜びっぷりを見るだけで、美味しいとわかるわ」
「ええ、美味しいお菓子です。私も好きですね。食べるのも作るのも」
「そう、ならクレープパーティには是非ご招待してほしいわ。ただ、招いてもらうのは悪いわね。パーティに必要な食材を私が負担しようかしら。あなたに調理してほしい大好物をたくさん集めるわ」
「いいですね。豪勢なクレープパーティができそうです」
話の流れでクレープパーティの開始が決まった。
クレープは俺にとって特別なお菓子だ。
製菓学校に通っていたころ、親に金銭面で頼れなかったので製菓学校のOBから、キッチンカーを安く貸してもらってクレープを売っていた。
クレープというは、利益率が高いし、中の具の組み合わせも無限、さらに菓子職人の腕がきっちり味に反映されるので、当時の俺にとって最適なお菓子だった。クレープ販売のおかげで学費を稼ぎつつ、修業ができたのだ。
……お菓子の修行というのはとにかく金がかかる。材料だってただじゃない。クレープ屋を自分で営業していると、パティシエのきまぐれメニューと言って、研究のために買い込んだ材料を処分出来たのも助かった。
研究なので、たまにまずいクレープもできてしまうが、そういうギャンブル性も常連客は逆に楽しんでくれたし、いろいろと意見を聞けた。
クレープの移動販売は好調で、学生のうちに客の顔を見て商売するという当たり前のことを身に付けられたし、学費だけでなく留学するための費用まで稼げた。
ある意味、俺にとってクレープというお菓子は原点のお菓子だ。
「クルト、いきなりぼうっとしてどうしたの?」
テレサ……レナリール公爵が人目がないところでクルトと呼ぶのは継続中らしい。
まだ、慣れないのかどきりとしてしまう。
「いえ、どんなクレープを作るか考えているうちにいろいろと昔のことを思い出しました」
「そう、クルトが思い入れのあるお菓子。ますます楽しみになったわ」
レナリール公爵はそう言って微笑む。
相変わらず綺麗な人だ。
ふとティナと目があった。ティナが不思議そうに首をかしげている。ああ、そうか。俺がクレープを思い入れのあるお菓子だと言ったからだ。
ティナとはずっと一緒にいたが、クレープを作ったのは精霊の里で一度きり、疑問に思っても仕方ないだろう。
こういうミスはたまにしてしまう。
そして、こうも思うのだ。いつかティナだけにはすべて話そう。
ティナはきっと受け入れてくれるから。
◇
それから数日が過ぎた。王都の貴族への挨拶回りは続いた。
こういうことはいくら繰り返しても慣れない。
疲れた体を引きずり、夜になれば王家の方々に振る舞う誰も食べたことがない至高のケーキの研究を続ける。
今もそうしている。とっくに深夜と呼ばれる時間帯だ。
もう、残り日数が少ないと言うのに研究はうまくいっていない。
王都中を駆け回って、ありとあらゆる食材を試し続けた。
それでも、転生するまえに俺が造り上げた、トリュフのチョコムースケーキ以上のものができない。
生クリームなど、動物性のものを必要以上に加えればチョコの風味が弱くなる。
果実などと組み合わせると、絶妙なチョコとトリュフが折り重なって生まれる高貴な香りが台無しになる。
食感を変えようにも、チョコムースケーキの武器は滑らかで官能的な舌触り、それを奪うだけだ。
手づまりだ。
……心のどこかで、あきらめが頭をもたげる。
もう、今のままでいいのではないだろうか?
トリュフのチョコレートケーキ自体、転生前の俺が丹誠込めて作り上げ、改良に改良を重ねて、これ以上ないと思っていたものだ。
もう、すでに完成しているのだ。
いまさら、慌てて手を加えようとするほうがおかしいんじゃないか?
「あれ、揺れてる?」
視界が霞む。
世界が、ぐるぐる回っている。なんだこれ、ろうそくはまだ燃えてるのに、なぜ真っ暗なんだ。
ああ、わかった。おかしくなったのは世界じゃなくて、俺なんだ。
そうして世界が闇に覆われた。
◇
温かくて柔らかい感触に頭が包まれている。
目を開けると、俺の顔を覗き込むティナと目があった。
「ティナ、ここは」
「厨房です。クルト様は気を失っていました」
そうか。
昨日、心も体も疲れた状態で、研究を続け、進まないお菓子の開発でさらに追い詰められて、とうとう倒れてしまったのか。
この暖かさはティナのふとももだ。
「ティナはずっとこうしてくれていたのか」
「はい、人を呼ぶことも考えましたが、怪我もしていませんし、起こすと、またすぐにお菓子作り始めちゃうので。少しでも眠ってもらうために、毛布を急いでもってきて、ずっと、こうしていました」
体には毛布が巻かれている。
なるほど、そこまで俺はティナに気を使わせてしまったのか。
自分が情けない。
「すまない。ティナ、情けないところを見せたね」
「ぜんぜん情けなくなんてありません! クルト様はアルノルトのため、そしてそこに住んでいる私たちのために、倒れるぐらいがんばってくれたんです! むしろかっこいいです」
ティナは鼻息を荒くして、そんなことを言う。
疲れ切った心が、ちょっと眠っただけじゃぜんぜん回復しなかった心が、ティナの励ましでほぐれていく。
なんだか泣きそうだ。
そうか、本当に俺は追い詰められていたんだ。
「きゃっ、クルト様っ、いきなりっ」
気が付いたら、俺はティナを抱きしめていた。
ティナはよっぽど驚いたのか、キツネ耳をぴんっとして、それから優しく抱擁し返してくれた。
いつもこうだ。
本当に俺が駄目になりそうなとき、心が折れてしまいそうなとき、ティナは傍にいて、勇気をくれた。
ティナがいるからここまでこれた。
そして、ティナがいるからまだまだ先にいける。
何が、『もう完成でいい』。
生まれ変わって、ティナと一緒にすごしたクルト・アルノルトとしての人生、その中で成長していないわけがない。
「ちょっと、充電させてくれ。ティナを感じたいんだ」
この腕の中のぬくもりがある限り、まだ頑張れる。
勇気がわいてくる。
「はっ、はい! いくらでもどうぞ! クルト様のためなら、一晩中でも大丈夫です!」
ティナの一生懸命だけど、ちょっぴりずれた回答に笑ってしまいそうになる。
さて、十分休んだ。立ち上がろう。
また、一晩明けてしまった。
王族のケーキを振る舞うのは二日後だ。時間がない。そして、これからの二日間はあいさつ回りはなく菓子作りにだけ集中できる。
とはいえ今日中に、レシピを決めて材料集めと仕込みを終わらせないとダメという絶望的な状況。
それなのに、不安も焦りも消えていた。
「ティナ、いつかなんでもお願いを聞いてやると言ったのを覚えているか」
「はい、覚えています」
かつて、絶対に叶えると誓った約束。
そして、まだ果たしていない約束。
「ティナは俺に言った。ティナのためだけの、世界で一つきりのお菓子を作ってほしい」
「……嬉しいです。ちゃんと覚えていてくれたんですね」
ティナのお願いのなかで一番、達成が困難なもの。
ティナだけに捧げるお菓子。
「俺は、ティナに時間がほしいと言った。ティナのためのお菓子は、俺が本当に心の底から最高だと思ったものにしたい。それも、ティナを表現したお菓子でないとならない。それは俺の腕じゃ叶えられない……だから、ずっと考え続けたんだ。ずっとずっと」
そのお菓子はまだ完成していない。
だけど、やっと完成形が見えてきた。
ティナと一緒に過ごした時間のなかで、少しずつパーツが揃ってきた。
「ティナのためのお菓子はまだ完成していないけど、考えつづけた試作品の中で、今回のケーキに使えそうなものがある。そのことを思い出したんだ。やっぱり、俺にとってティナは幸運の女神だ。ティナがティナのためだけのお菓子を作ってほしいと言ってくれたから、解決策が見えた」
その言葉が俺を大きく成長してくれた。
菓子職人として探求し続けるための強い動機になったのだ。
「幸運の女神なんて、そっ、そんな照れてしまいます」
「心の底からそう思ってる。ティナのためのお菓子を作ろうとしなければ、こんなこと思いつかなかった。ティナのおかげだよ。早速材料を仕込みにいく。もう、朝市はやっているだろう。ティナ、買い物に付き合ってもらってかまわないか?」
頭の中の靄がはれる。
不思議だ。昨日までどれだけ考えても、どれだけ手を動かしても思いつかなかった答えが頭に浮かぶ。
そして、作らなくてもそれが正解だとわかる。これからやるのは試作だが、試すのではない、正解かを確認する作業だ。
「もちろんです! クルト様とならどこへだっていきます!」
「ありがとう。一緒に行こう」
心の中で”ずっと”と付け足した。
さあ、外にいこう。
必ず、あれはあるはずだ。
ティナと過ごした時間で見つけたアレを使い。俺は転生前の俺が造り上げた最高のお菓子を凌駕する。
さあ、転生前の知識があるから作れるお菓子じゃない。
クルト・アルノルトだから作れるお菓子を作るとするか、ティナと一緒に!