第五話:ヴォイルシュ侯爵との出会い
早朝から厨房でお菓子の試作をしていた。
昨日は楽しかった。
さすがは王都のレストランだ。メインディッシュで食べた特製の牛料理を思い出すと唾がでる。
「あのマンゴーに似た果実、取り寄せてもらうか。いや、それよりも先にドリアンと一緒に買ったイチゴだな」
せっかく高い金を出して買ったのだ。
たとえ、王家に出すデザートにできなくても大事に使いたい。
今はティナの作った氷を敷き詰めた保冷庫で冷やしている。
いつか、時期が来たらちゃんと使おう。
◇
いくつか試作品を作ったあと部屋に戻り着替えを済ませる。
昨日のレストランで刺激を受けたおかげか研究が捗った。
「さて、これから忙しくなる」
男爵に任命されるまで日があるとはいえ、その間お菓子作りだけに集中できるわけではない。
有力者たちに合って顔と名前を覚えてもらわないといけない。
そのためのセッティングはレナリール公爵がしてくれた。
その彼女のメンツを潰すわけにはいかない。
贈り物の準備もしてある。
冷蔵して保存しておいた、特製ドリアン・ドーナツを箱詰めする。
そして、アルノルトの店でも使っている専用のパッケージで包んでリボンを飾り付けた。
これで、準備はよし。
「二人とも、準備はいいか」
「はい、任せてください」
「わたしも大丈夫だよ」
ティナとクロエは使用人服に着替えている。
二人を留守番させることも考えたが、従者が一人もいないのは恰好が悪いらしい。
なので同伴してもらうことになっている。
昨日のレストランでみっちりと礼儀作法を教わった成果がでているかちゃんと見させてもらおう。
「じゃあ、行こうか。もう馬車が来ているみたいだ」
今日は三人の貴族たちと会う予定だ。
侯爵と伯爵、それに子爵だ。
忙しい日程だが最後まで気を抜かずに行こう。
◇
予定されていた伯爵と子爵への挨拶を済ませた。
この時点で疲労困憊だ。
目上の人と対峙するのは疲れる。
疲れている原因の一つに、その両家で娘と婚約してはどうかと勧められたのがある。フェルナンデ辺境伯の娘と婚約しているからと丁重に断った。
俺は出世して男爵になるとはいえ、俺よりも身分が上の男を捕まえられそうなものだが、きっとレナリール公爵に気に入られていて出世すると踏んでいるのだろう。
「クルト、ずいぶんと疲れた様子ね」
レナリール公爵が微笑みかけてくる。
駄目だな。疲れを表情に出すのは減点だ。せめてこの人の前では平然としているように見せよう。
なにせ、この人は俺よりもずっと頑張っているのだから。
「少しだけ、疲れました。でも、大丈夫ですよ」
「そう、なら安心ね。次で最後よ。がんばりましょう」
レナリール公爵は窓の外を見ている。
少し顔が赤くなっている。
おそらく、クルトと俺を呼んだせいだろう。
手に痛みが走る。
そっちを見ると、むすっとした顔でティナが俺の手を強く握っていた。
ティナは無意識に嫉妬したのだろう。
まだまだ、恋愛面に疎いとはいえ俺とレナリール公爵の距離が近づいたことに気付いているようだ。
「ティナ、帰ったら美味しいパイを焼くから楽しみにしておいてくれ」
ここで、レナリール公爵とはなんでもないなんて言えば、いろいろと問題がある。
だから、とにかくティナが喜びそうなことを言った。
「クルト様のパイ、楽しみです!」
「あっ、もちろんわたしも食べるからね!」
蚊帳の外にいたエルフのクロエもパイと聞いて飛びついてきた。
「私も試食させていただくわ。王家の方に出すお菓子の試作よね? 少しでも味見役が多いほうがいいわ」
「ええ、お願いしますね」
レナリール公爵も食べるのなら手も抜けないな。
……いや、もとより大好きなティナのために作るお菓子を作るときに、手抜きしたことなんて一度もなかった。
俺の好きなパイをご馳走するとしよう。
◇
今日の最後の訪問先、レームス・ヴォイルシュ侯爵。
レナリール公爵の話では王国派の貴族の中でもとくに有力な貴族であり、王国派としてやっていくのなら、絶対に機嫌を損ねてはいけないらしい。
「今回はあまりサポートできないかも。あの人は苦手なの」
「驚いた。レナリール公爵に苦手な人がいるなんて」
「あの人は父の友人で叔父にあたる方なの。子供のころから私を知っていて、ずいぶんと可愛がってもらったわ。いまだに子供扱いするのよ……。当主になったばかりのころにたくさん力を貸してもらったから頭も上がらなくて。とてもいい人なのは確かだけど、ちょっと調子が狂うわ」
おそらく、レナリール公爵を子供扱いできる人物なんて、ヴォイルシュ侯爵だけだろう。
「今回は私だけで頑張ってみますね」
「そうしてもらえると助かるわ」
少し不謹慎だが、取り乱すレナリール公爵も見てみたいと思ってしまった。
◇
ヴォイルシュの屋敷についた俺たちは、屋敷の中に案内されて客間へと通される。
俺とレナリール公爵は席につき、使用人であるティナとクロエは背後に立ってひかえている。
ちょっと申し訳ないが、だいぶこういうことに二人とも慣れてきていた。
ヴォイルシュ侯爵の使用人たちが紅茶とクッキーを持ってきた。
あれ、このクッキーは……。
それから、五分ほど待っただろうか?
白髪交じりの気の良さそうな五十近い太り気味の男がやって来た。
「おおう、久しいなテレジア。よく来てくれた」
「ヴォイルシュ侯爵、もうテレジアと呼ぶのはやめてください」
「ははは、私にとってはテレジアがいくつになろうと、どれだけ出世しようと、可愛いテレジアだ。……もっとも、レナリール公爵として命令するのであれば侯爵としては従わねばならんがね」
おどけた仕草で笑う。
それを見て、レナリール公爵は苦笑した。
「もう、レームス叔父様はひどい。お世話になったレームス叔父様にそんな命令できるわけがないわ」
「ははは、うれしいよテレジア。そして、君が噂のクルトくんというわけか。初めまして、私はレームス・ヴォイルシュ。ヴォイルシュ侯爵家の当主をさせていただいている」
微笑みかけて、手を差し出してくる。
俺は慌ててたちあがり、その手を取る。
「はじめまして。私はアルノルト准男爵家の長男、クルト・アルノルトと申します。このたび男爵となるために、王都にやって来ました」
そう言った俺の目をヴォイルシュ侯爵はじっと見る。
数秒そうしてから彼は手を離した。
「いい目だ。アルノルト……英雄の血は今も君の中に生きているというわけだな。君には礼を言いたかった。テレジアを助けてくれてありがとう。君の菓子職人としての腕でテレジアの面目は保たれた。そして君はテレジアの命を救ってくれたと聞いている。叔父として本当に感謝している」
「いえ、レナリール公爵は私にとって大事な友人です。手助けするのも命を助けたのも当然です」
「ふむ、そういうことか」
ヴォイルシュ侯爵は俺とレナリール公爵を交互に見た後、何かを考える仕草をして、背後の使用人に向かって口を開く。
「エミーリアとの婚約を持ちかけるのは中止だ。そんなことをすれば、私はテレジアに嫌われてしまう」
「レームス叔父様!?」
レナリール公爵が真っ赤な顔で声をあげた。
「落ち着け、テレジア。クルトくんの前で醜態をさらすのはやめなさい。何はともあれ、ゆっくりと話そう。才能ある若者との会話が好きなのだ。心が躍り、若返る気がする。さあ、クルトくん。君のことを聞かせてくれ」
そう言うと、席に着き、俺たちにも着席するように勧めた。
席に座ると、いろいろと彼は質問を繰り返した。
世間話のような、些細な質問ばかりだ。
俺の話を心底楽しそうに聞き、相槌を打つ。
これほどまでに聞き上手な人は初めてみた。
……ただ、同時に油断できない人だ。
笑顔ではあるが、その目は俺をまっすぐに捉えている。すべてを見透かすように。
おそらく、これは彼流の人間観察なのだろう。
王国派に引き入れていいものか、あるいは娘のようにかわいがっているレナリール公爵のそばに置いていいものかを彼は見抜こうとしている。
だからこそ、取り繕うのを止めた。
この人相手に嘘は通じない。薄っぺらい言葉を重ねるほど評価は下がっていく。だから、ありのままを見せることにした。
それで、受け入れられないなら、この人とは合わなかった。ただ、それだけのことと覚悟を決め、俺は俺らしい回答を繰り返した。
◇
三十分ほど語っただろう。
緊張のせいか喉がからからになり、一度紅茶をお代わりした。
そして、ようやく彼の品定めが終わったようだ。
「クルトくん。君はいい男だな。実にまっすぐだ。ははは、気に入ってしまったよ。これからもテレジアを頼む。……うむ、やはりエミーリアとの婚約を。おっと冗談だよ。テレジア、そう睨まないでくれ」
そう言って彼は楽しそうに笑った。
レナリール公爵は、ティナがたまにするように頬を膨らますのを見て笑いそうになった。彼女もこんな顔をするんだ。
「夕食には早いが少し小腹が減ってしまったね。クッキーでも摘まもう。実は私は君のエクラバの店、アルノルトのファンなんだ」
「ええ、気付いていました。今日、お茶請けに出していただいたクッキーは私の店で出しているものです」
自分が作ったものだ。一目見ただけでわかる。
それに気づいたとき、少しうれしかった。
「週に一度、使用人たちに買いに行かせているよ。週替わりの限定品があるせいで毎週行かなければならない。ひどいじゃないか。おかげで財政に大ダメージだ」
「はは、店の主人としては、毎度お買い上げありがとうございます。としか言えませんね」
今の言葉はお世辞じゃないだろう。
ここまでの熱狂的なファンは菓子職人として非常にうれしい。
「今回は、店でも出していない特別なお菓子を持ってきました」
「それはありがたい。ふふふ、アルノルトの超限定スイーツを手に入れたとなれば、妻や娘たちに大きな顔ができるし、私のためだけのお菓子だと思うと喜びもいっそう大きい」
俺が合図すると、ティナが綺麗に包装されたドリアン・ドーナツを取り出して手渡す。
「残念ながら、こうして会っていただいた貴族の方々に渡しているので、ヴォイルシュ侯爵のためだけのお菓子ではありません」
「それは悔しいな……それでも特別なお菓子が食べられるのはうれしい。だが、やはり私だけのお菓子がほしい。そうだ。いいことを考えた!」
そう言って、ポンッと手を叩く。
俺は逆に嫌な予感しかしない。
「そろそろ夕食時だ。夕食に君たちを招待しよう。その代わり、クルトくんがデザートを作ってくれないか? クルトくんともっと少し話をしたいし、テレジアとも話をしたいと思っていたんだ」
子供のようにきらきらとした目で、そんなことを言われるとひどく断りにくい。
侯爵という身分であり、王国派の中心だ。何より、俺のお菓子を好きと言ってくれた人だ。無下にはしたくない。
「レームス叔父様、私はかまいません。アルノルト次期准男爵はどうかしら?」
さすがに他人がいる場では、クルトとは呼ばないようだ。
そのあたりはちゃんとわきまえている。
夕食に招かれるか否かの決定権は俺にあるわけだが……。
「構いません。親交を深めるためにアルノルトのお菓子を作りましょう」
「おおう、それはうれしいよ。このお礼はしっかりさせてもらう」
こうして、ヴォイルシュ侯爵家でデザート作りが決まった。
この展開は予想していないので、材料などは持ち込めていない。
身に付けているポーチには最低限の調味料はあるが、基本はこの家にある材料を使うしかないだろう。
何を作ればいいかすら決まっていない、即興のお菓子作り。
少し、難しそうだが面白そうだと思っていた。
さて、全力を尽くして最高の”ありあわせ”のお菓子を作ろうか。これもいい修行になるだろう。