第二話:ドリアンを使った魔法のお菓子
買い物が終わった。戦利品はドリアンとイチゴに似た果実以外にもいろいろと存在する。
そして、俺たちはレナリール公爵の別宅ではなく、街のはずれにやってきていた。
ドリアンを使ったお菓子を作るためだ。
厨房を使わないのはドリアンを厨房で調理しようものなら、数日間厨房にドリアンの臭いが染みつくし、そもそも厨房の外に臭いが漏れ出て大惨事となる。
さすがによそのお宅でこんなものを調理できない。
幸い、俺の土魔法なら石と土を操り即席の調理道具ぐらいは作れるし、今回はそんなに凝ったお菓子は作らない。
ポーチに入れている材料と、さきほど買い物で入手した材料で立派なお菓子ができる。
「さて、腕がなるな」
ドリアン、世界で一番臭い果実にして同時に果物の王と呼ばれるほど愛されている果実だ。
その臭いのすさまじさと言えば、飛行機や地下鉄に持ち込むことは禁止、それどころか食べて二時間以内はホテルに入ることすら許されないほどだ。
それほどの臭みを我慢してでも食べるだけの美味しさも同時に存在する。
なら、パティシエの仕事はその匂いを消して最上の味だけを残すことだ。そのための技法も存在している。
「クルト様、ほんとうに、ほんとうに、こんなものをお菓子にしちゃうんですか?」
微妙に俺から距離をとってティナが涙目になりながら、問いかけてくる。
キツネ耳は垂れて、尻尾の毛はしぼんでいる。あれはティナが本気で怯えているときの仕草だ。
「大丈夫。お菓子が完成したら匂いは消えているから」
ティナは涙目のままだ。
ちょっとかわいそうになってきたが、せっかく高いお金を出して買ったのだしお菓子にしないともったいない。
「クルト、嘘だったら怒るよ。というか、その凶悪の匂いが残ってたら、私もティナも食べないし、誰に渡しても嫌がられるよ」
「もちろんだ。菓子職人の魔法、楽しみにしていてくれ」
まずは、俺が魔法で匂いが漏れないように作った土の覆いを剥がす。
匂いが漏れ始めた。ティナがすごい勢いで距離を取る。
ははは、気が早いな。これからが本番なのに。
俺は、皮手袋をはめる。
指先の感覚は繊細な作業をする菓子職人として大事なもので、その感覚を鈍らせるものをつけるのに抵抗があるが、ドリアンの中身を素手で触れば最後、あの匂いが容赦なく染みつく。それは避けたい。
「ティナ、クロエ忠告しておこうか。今からこの実を割るんだけど。この実を割ったら、さっきの十倍臭い」
ドリアンは今の状態でも臭い。だが、身を割ってからが本番だ。外皮に守られているうちは匂いが十分の一程度に抑えられているのだ。
警告はしたし、さっそく割ろう。
土の魔術で作ったまな板に置き、ストンっとナイフで切る。
五キロクラスのドリアンをナイフで切れるのは、剣技能があるからこそできる技だ。
爆発的に臭みが広がった。
「きゅううう」
ティナが可愛い声をあげて失神した。鼻をつまみながらクロエが抱き留める。
匂いに敏感な狐獣人のティナの許容量を軽く超えたようだ。
クロエのほうも涙ぐんでる。
実は俺もきつい。すごくきつい。
なにせ、ドリアンの香り成分は三つ。
硫化水素……腐った卵の匂いや生ごみの匂いといわれている。
メタンチオール……都市ガスの独特の匂い。
ジメチルスルフィド……磯臭い匂い。
腐った磯臭い生卵が都市ガスで燻製され、その香りを十倍以上強くしたらドリアンの香りになる。
これを初めて食べようと思ったやつは絶対頭がおかしい。
「クロエ、水をこの桶にたっぷり」
「ん。わかったよ」
クロエが鼻をつまんでるせいで、くくぐもった声で返って来る。
さて、ここからが本番だ。
真っ二つに割ると、なかには種子とそれを被う黄色い果肉の塊が白いわくの中に入っていた。
黄色い果肉を取り出し大き目の種を取り除く。
そして、黄色い果肉はボウルの中にいれ、潰してペーストにする。
その感触は最上のカスタードクリーム。どんな名パティシエが作ったカスタードクリームもここまで滑らかにならないだろう。ドリアンの果肉は世界最高のクリームだ。
今から匂いを消していく。
クロエに用意してもらった桶には、とげとげの外皮がつけられている。
とげとげの外皮にはドリアンの匂いを消す成分が含まれている。この皮を浸けた水で手を洗うと染みついた匂いがとれる。
その水をドリアンのペーストに混ぜ込む。
さらに、レモン果汁をたっぷり、そして二種類のスパイスを入れる。スパイスはカルダモンとターメリックに近いものを選んだ。
さらに果実酒と生クリームを加えて練り上げる。
まだまだ、これぐらいだと匂いは消えない。
仕上げだ。酒と果実とスパイスを練り込んだペーストを小判型にする。
同時並行で作っておいたパン生地を薄く延ばしたもので小判型のドリアンペーストを包む。
これで、仕込みは終了。
「クロエ、悪いがティナを起こしてくれないか」
「……起きた瞬間、また気絶すると思うよ」
「鼻に布を入れて起こそう」
「クルトってさ、お菓子のためなら鬼になるよね」
呆れたように呟いたクロエがバックの中から布切れを取り出し、裂いてから濡らしてティナの鼻にいれて、ぺちぺちとティナの頬を叩く。
ティナが息苦しそうにしだし、突然起きた。
「はうっ! ここはどこですか!? たしか、悪魔が、悪魔が」
どうやら記憶が少し飛んでいるらしい。
「ティナ、クルトが呼んでるよ。お菓子作りを手伝ってほしいんだって」
「そうなんですか! いそがないと。少し息苦しいです。これなんですか!? 私の鼻に変なのが詰まってますえん。とっちゃいます」
ティナが鼻の詰め物に手を伸ばすが、その手をクロエが止める。
「死にたくなかったらやめたほうがいい。ぐふっ」
クロエが崩れ落ちる。ティナを慌ててとめたせいで鼻をつまんでいた手を放してしまって直撃を受けた。
クロエは案外いいやつで、ときおり自分の身を顧みないことがある。
「クロエ!」
「私のことはいいから、はやく。お願い、これだけ我慢して美味しいお菓子にありつけなかったら……クルトのことを……」
ついにクロエが失神した。
狐獣人ほどでもないが、エルフも人間より五感がするどい。
ティナが優しくクロエを寝かしてやる。
そして、ようやく現状を思い出したようだ。
「……クルト様、なにをすればいいですか」
「この石鍋を温めてくれないか」
悲壮な決意でティナがこちらに来た。
濡れた布ガードで、なんとかぎりぎり正気を保っているが、それでもなお臭いのだろう。
「お鍋の中にはたっぷりの油が張ってますね」
「ああ、今回のお菓子は揚げ菓子だ」
ドリアンを美味しく食べるために、編み出した結論は揚げ菓子だ。
「クルト様、油がしっかり温まりました」
「いや、まだだ。もう少し火力を上げてくれ」
「わかりました。えいっ」
まだ足りない。美味しくするために超高温で一瞬で火を通す。
そのために、餡を包む生地は極薄にしているのだ。
「よし、いまだ。ティナ、見ていてくれ。ここからが魔法だ」
パン生地で包んだドリアンペーストを油を張った鍋に投入。
パン生地が膨らみ、キツネ色になっていく。
「おかしいです。どんどん嫌な臭いが消えて、むしろ、甘くて温かないい匂いが」
ティナがおそるおそる鼻に詰めていた布がとる。
そして鼻をくんくんと鳴らす。
「これが菓子職人の魔法だよ」
「すごいです。なにか、こうお日様に包まれているような気分になります」
「ティナはこの匂いは初めてだね。そうだね、この匂いを表現すると、南国の香りって言うんだ」
臭いに敏感なティナがいい香りというなら、この料理は成功だ。
焼く程度ではどうしようもないが、超高温ならドリアンの香りを変質させられる。
ドリアンペーストに混ぜ込んだ材料それぞれに意味がある。スパイス類は香りを中和し、生クリームは脂肪の膜でドリアンの臭み成分を包む、そして抑えに抑えた香りをレモンの果汁で肉付けする。
ここまでやってようやくいい香りと言えるようになる。
そして、この調理法は匂い消しだけでなくドリアンをもっとも美味しく食べる方法だ。
実はドリアンは生で食べてもあまり甘くない。火を通すことで甘みが活性化する。
砂糖などを加えると、ドリアン特有の上品な甘さが壊れるので、こうして火を通して甘みを引き出す方法を選んだ。
今回のお菓子は香港にある高級ホテルのデザートを参考にして作ってある。
俺が生まれ変わるころ、香港は空前のドリアンブームが来ており、無数のドリアン菓子が生まれた。ドリアンパイ、榴蓮酥などが代表だろう。
一度、研究がてら香港のドリアン菓子を食べ歩いたが、一番食べやすかったのが揚げ菓子だった。
その揚げ菓子を改良したのが、このお菓子だ。
ドリアンの匂いを抑えつつ、ドリアンの特徴である最上のクリームと言われる果肉の食感と上品な甘さを残した自信作だ。
「このお菓子はなんてお菓子なんですか?」
「ドリアン・ドーナツ」
「可愛い名前ですね」
「ドーナツは美味しいよ。ティナも気に入ると思うよ。今度、ドリアンを使わないドーナツも作ってあげるよ」
「楽しみにしています。でも、その前に」
ちらちらと揚げ終わり皿にのせている、ドリアン・ドーナツをティナは見ている。
「試食をしようか。クロエを起こしてね」
「はい!」
さて、匂いは解決したが味のほうはどうだろうか。
美味しく仕上がっているはずだ。
失敗していたら俺は泣く。ティナもクロエも辛そうだったが、調理をしていた俺も当然つらかった。
これだけ苦労したお菓子が失敗作なら笑うしかない。
今日使った皮手袋は捨てよう。もう使い物にならない。
さあ、苦労した分美味しくできたドリアン・ドーナツを食べてみようか。
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そして、↓の画像に同時連載中の作品のなろうリンクが張ってありますので、気になったら読んで見てくださいな