第一話:悪夢の果実との出会い
王都に無事たどり着いた俺たちはレナリール公爵の別宅に来ていた。
屋敷に入るなり、使用人たちが一斉に頭を下げる。
さすがは、レナリール公爵だ。普段は使わない別宅に二十人以上の使用人たちを常に張り付かせているなんて、並みの金持ちではできない。
案内された部屋は、レナリール公爵の本宅とまったく同じだった。部屋の作りも調度品すら。
俺の想像になるが、この別宅は本宅とまったく同じ作りだ。少しでも安らぐために違和感をなくしているのだろう。
「お金持ちは違いますね」
「少し羨ましいな。二十人もの人出を増やせればアルノルト領で出来ることをもっと増やせるのに」
「クルト、そこ!?」
なぜかエルフのクロエが驚いた。別におかしなことは言っていない。
実はアルノルトにもっとも足りてないのは人手だ。
蜂の巣も随分増えてきたし、フェルナンデ辺境伯に褒美としてもらった鶏の雛はすくすく成長している。
養蜂と養鶏はもっと力を入れてどんどん、規模を増していきたい。
さらに、エクラバの菓子店も慢性的な人手不足。
新しいことも始めたいし、とにかく人がほしい。
フェルナンデ辺境伯に頼んで、孤児たちを拾ったことで中止にしていた移民募集を再開したが、なかなか人がこない。こんなところで遊んでいる人員がいるなら活用したいというのが本音だ。
「まあ、ないものねだりしても仕方ないしね。夕食まで時間がある。恒例の市場探索だ」
「クルト様、休まなくていいんですか?」
「竜車の中で少し眠ったからね。ティナ、肩を貸してくれてありがとう」
「そんな、お礼なんてとんでもないです! むしろ、嬉しかったぐらいで」
竜車の中で限界が来てティナの肩を借りて眠ってしまった。
短い時間だが、ティナの温かみのなかの眠りは疲れを随分と軽減してくれたのだ。
「相変わらずクルトとティナは人目を気にせずにいちゃつくよね」
「それだけ仲がいいんだよ。というわけで、市場を見に行こう! 面白い食材があるといいな」
面白い食材は絶対にある。
なんとかして見つけて行こう。
◇
使用人たちに地図をもらい、外に出た。
念のため服の裏地にナイフを仕込んでいた。ケーキナイフではない本物のナイフだ。
ここの街はアウェイだと思ったほうがいい。警戒は必要だろう。
それにしても驚いた。
王都には厳密にいうと市場というものがない。
エクラバなどでは、店舗を構えているものより、道に布を広げてそこでものを売るものが多い。
エクラバは港街だ。街から街へと移り歩く行商人が非常に多く、自然と店舗は簡易的なものが多くなっている。
だが、王都の場合は路上販売は美観を損ねると考えられ一切禁止されている。
きちんとした店でしか物の売り買いはできない。
行商人たちは直接客に販売することを禁止され、商店へ仕入れるだけにとどまっていた。
果物を扱う商店が目に入ったので、そこに入る。
菓子職人として外すわけにはいかない場所だ。
「やっぱり、高いよな」
一つの商店に並んでいる果物を見て思わずつぶやいてしまった。
高いのは当然だ。よその街から運んできた作物で、なおかつ行商人が直接売るわけではなく店に売って、その店が俺たちに売る。
そうなれば、客に届くまでに利益を得る人が増えるし、なおかつ売り手の数が少なく競争がないので値下げをする必要がない。
値段のわりに、あまりいいと思えるものが少ない。
「ですね。ちょっと、この値段では買えません」
今見ているのはエクラバでも買える果物ばかり。
エクラバの値段を知っている俺たちからすると、何かの間違いじゃないかと思えてしまう。
たぶん、王都に住めるぐらいの金持ちだと気にしないのだろうが、かなり厳しい値段だ。
別の棚に目を走らせる。
「チーゴってこれはまさか!?」
赤い果実がそこにあった。
チーゴと書かれているが、見覚えがある。
これはイチゴだ。
菓子職人たちにとって恋人ともいえる存在だ。
「クルト様、この赤い実ってそんなにすごい果物なんですか」
「そうだね。俺はこの果実を使ったレパートリーを百は持ってるかな。……だけど高い」
これは欲しい。久しぶりにイチゴを使うお菓子を作ってみたい。イチゴは菓子職人の恋人だ。常に傍にあって、研究されつくしているし、愛着もある。
……値段的にはめちゃくちゃ痛いが、それでもイチゴのためなら。今月の食費を切り詰めてでも手に入れよう。
そんなことを考えているとティナが悲鳴をあげて、倒れそうになるので慌てて支える。
「きゃっ、これ、ひどい匂いがします。あたまがっ」
彼女は涙目になって鼻を抑える。
なんだ? 疑問に思っていると、その原因がわかった。俺のところにも匂いが届いたのだ。おそらく、狐獣人で鼻がいいものだからティナは早く気付いたのだろう。クロエのほうもすごく嫌そうな顔で鼻をつまんでいる。
この匂い、かぎ覚えがある。
店の中に、明るい声が響く。
「親父、面白い果物を仕入れて来たぜ」
俺と同じか、少し年上の少年がいきようようと、籠詰めされた果物をもって現れた。
ティナの頭より大きな果実、黄土色でとげとげの殻に包まれた特徴的な見た目。
なによりこの強烈な匂い。
間違いない、これはあの果物だ。
「こら馬鹿息子が! んな臭いものもってくるな。客が逃げるだろう」
もっともだ。
これだと客は逃げ出すし、新たな客は入ってこない。
「でもよう、臭いけどめちゃくちゃうまいって行商人は言っておったぜ」
どうやらこの商店の息子らしき人物がアレを仕入れたようだ。
あの匂いをかいで仕入れるとはなかなかのチャレンジャーなのは間違いない。
「臭すぎるわ! いくら旨かろうが、誰も買わんし! 店にもおけん! 捨ててこい。バカが! 仕入れにかかった金は、お前の給料から引いておくからな」
「ひでえよ。親父! 俺だって、必死に考えて面白いもん選んだのに。絶対話題になるって」
「全然面白くない! いいからさっさと出ていけ。そもそもおまえ、行商人の言葉を信じたようだが、自分で食ったのか」
「こんなくせえもん食うわけないじゃん」
「それが答えだバカやろう! 客も同じだろうさ! 本気で売る気があるなら自分の舌で確かめろ! 臭くても売れるだけの魅力があると感じたら、もう一つ仕入れて、一つは試食用に潰すぐらいの覚悟と工夫を見せろ! てめえで食ったこともない奴のうすっぺらい旨いって言葉だけで、客が買うわけねえだろうが、タコが!」
ひどい罵声だが親父さんの気持ちもわかる。
百パーセント正論だ。
これは臭い、半端なく臭い。肥溜めの近くにいるより臭い。
匂いに敏感なティナなどは、失神寸前だ。目がぐるぐるになって全身ふにゃふにゃで見ていて痛々しい。
今すぐ、ティナを外に出してやりたいが、残念ながらこの商店にはまだ用事がある。
この果実を手に入れたいのだ。
肥溜めのような匂いを放ち……それでもなお果物の王様と呼ばれるだけの力がある超高級果実。
まさか、この世界にあるとは思っていなかった。
その名はドリアン。南国の魅惑の果実。
たっぷり怒られた青年が、踵を返して出ていこうとする。このままだと本当に捨てかねない。
これはチャンスだな。
「おじさん、その果実。安くしてくれるなら買うよ。そうだな、仕入れ値の半分なら引き取ろう」
知らない奴なら匂いの時点で食べるつもりなんていっさいなくなる。
だが、俺はドリアンの魅力を知っている。
この少年のほうも、売れる気が全くせず捨てようとしているなら、可哀そうだが買いたたこう。
「おお、そこのお客さんお目が高い。だが、仕入れ値の半分って言うのはちょっと」
さすがは商人の息子だ。少しでも利益を得ようとする。
親父さんが大股で歩いてきて、少年の頭をぶつ。
「ばっきゃろう。こんなもん買う客が他にいるか。気が変わったらどうしてくれる。……返品は効かねえぞ」
「ええ、そのつもりはありません。これは私の冒険なので」
俺がそう言うと、親父さんはやれやれと首を振る。
「わかった。売ってやる。さっさと持ち帰ってくれよ。他の客が入ってこれねえ」
「引き取る代わりに、このチーゴを少し安くしてもらえると嬉しいかな。なんて」
「ああいいぜ。この臭い果物に金を払うならそれぐらい負けてやるさ」
内心でガッツポーズ、いい果物が安く手に入った。
しかもチーゴまで値引きしてもらえた。値引きされてなお高いが。
背中に違和感を感じる。
ティナが俺の服の裾をくいくいと引っ張って、涙目で首をぶんぶん振っていた。よほど俺にドリアンを買ってほしくないらしい。
本気で匂いに参っているようだ。
「大丈夫、匂いは封じるよ」
懐から袋を取り出す。土属性の魔術を使える俺は一部少量の土を待ち歩いていた。
その土を魔術で操り、ドリアンに密着するように薄い衣をまとわせる。土の魔術で作った一切空気が漏れない皮だ。魔法で作ると一切隙間がない器ができる。
空気が漏れなければ匂いは外にでない。
しばらくして、ティナはようやく鼻をつまむ手を放す。
「ぷはっ、ようやく匂いが収まりました。……それ、本当に食べるんですか」
「当然だよ。そのために高い金を出したんだから」
仕入れ値の半分、ふっかけまくった値段だが、それでも高い。
「やめときましょう。そんな臭いの誰も食べません」
「たしかにな。だが、菓子職人は魔法使いだ。この臭さを最上の香りに変えられる。楽しみにしてくれ」
ドリアンを使った面白いお菓子がある。
果物の王様と呼ばれるほど優れた果物、俺が研究していないはずがない。
この悪夢のような匂いを南国の豊かな香りにだって変えて見せる。
さて、帰ったらさっそく菓子作りをしてみようか。
これはさすがに王族に振る舞うケーキには使わないが、連日の挨拶回りのときに自己紹介がわりに手渡すお菓子には使える
最高に面白く美味しいお菓子をティナにも食べさせてあげよう。




