第九話:フェルナンデ辺境伯
やっと、あらすじに出てきた優しい人々枠の人が
本村から開拓村に戻り、一晩たった。
ヨルグに宣戦布告をして吹っ切れた。もう、あとには引けない。……むしろそのために宣戦布告をした面もがある。
俺は身支度を整えていた。
いつもは、開拓をするために汚れても良く、丈夫な飾り気のない服を着ているが、今日はフェルナンデ辺境伯が視察に来るのできっちりした服を選ぶ。
フェルナンデ辺境伯は、俺の作った開拓村を見まわるのだ。
……弟のヨルグが作った村として。
辺境伯の相手は、父とヨルグがする。俺が同行するのは各種質問に答えるためだ。
この村を作り上げた俺じゃないと答えられない質問も多い。
「ティナ、今日は留守番を頼むよ」
「わかりました。クルト様」
ティナには事情を話してある。さすがに今日は連れて行ってやれない。
「これ、お弁当です」
ティナが、バスケットを渡してくる。
そこにあったのは、ティナが作ったサンドイッチと、俺が作り置きしていたクッキー。
サンドイッチにはチーズだけではなく、ヤギのハムが挟んであった。たまにしか出来ない贅沢だ。
きっと、彼女なりのエール。
「クルト様、がんばってください!」
「うん、がんばってくる。複雑な気持ちもあるけどね」
俺は苦笑して家を出た。
◇
ヨルグとの一悶着のあと、父の使いが現れ呼び出しを受けた。そこで父と辺境伯の視察に関する打ち合わせをした。
打ち合わせではいくつかのことを認めさせた。
一つ目は、ヨルグが開拓した村と伝えるのはいい。だが、俺が補佐をしたと明言すること。こうしておけば、選定の儀で俺が領主を勝ち取ったあと、実務は全て俺がしていたと胸を張って言える。
父もヨルグも、これは認めないと行けなかった。なにせ、ヨルグは村のことを何もしらない。俺のだした報告書だけでは、対応にボロがでる。
二つ目は、ヨルグに無駄なことを話させないこと。基本的な受け答えは父が、複雑な質問は俺がする。これも、ヨルグが下手なことを言いかねないから父は認めざるをえない。
フェルナンデ辺境伯は、昨日の夜に本村について、父と弟が歓待している。
もうすぐ着くはずだ。
馬車の姿が見えた。あの豪華さと家紋。間違いなくフェルナンデ辺境伯のものだ。
なぜか馬が並走している。そこに乗っているのはフェルナンデ辺境伯本人。
そういえば、父から聞いたことがある。乗馬が趣味で、ストレス解消のために時折、ああして自身で馬を操ると。
馬車と馬が目の前に止まる。
「やあ、久し振りだね。クルトくん。君に会えるのを楽しみにしていたよ。ヨルグくんに会うよりもずっとね」
馬車から父たちが降りてくる前に、俺にだけ聞こえる声量で素早く馬から降りたフェルナンデ辺境伯が声をかけてくれる。
彼は、三十代後半。細身でいかにも貴族とした気品のある佇まいだ。
「恐縮です。フェルナンデ辺境伯。私もフェルナンデ辺境伯と会える日を楽しみにしておりました。まずは礼を。フェルナンデ辺境伯のおかげで、写本の仕事にありつけました。知識を得る意味でも、金銭的な意味でも非常にありがたいです」
俺がやっている写本の仕事は、フェルナンデ辺境伯の紹介で得たものだ。
いくら感謝しても、したりない。
「いや、いいよ。私は君のファンだ。実は君がした写本は半分ぐらい私が買い上げている。翻訳のセンスがいいし、魔術書の暗号の読み解きの精度も高い。ついつい、原文でもっているものも買ってしまうぐらいだよ。新たな発見を得られる。今後も期待している」
それはありがたい。
翻訳や、暗号の読み解きが必要な依頼は非常に実入りがいい。
「これからも精進してまいります」
「謙虚なところもいいね。そして、私以上に君に会いたいという者を連れてきた。私以上の読書家でね。勉強家でもある。君の翻訳本と原文を見比べて勉強しているうちに、君の事が気になってしょうがなくなったというから連れてきた」
「それは楽しみです。このような村では、そういった才のあるかたと話す機会は少ないので」
どうしても、辺境の村では、学問や文学について話せる相手はいない。たまにはそういうのもいい。
「それは良かった。もうすぐ顔を出すよ」
馬車が開く。まず父と弟が馬車から出て、父が一人の女性が降りる手伝いをする。
馬車から出てきたのは、美しい少女だった。
年の頃は、俺より少し下ぐらいだろうか? 薄い桃色のふわふわの髪をしたスタイルのいい少女。
どことなく、おっとりとした印象をあたえる。
ヨルグがその少女を見て、鼻の下を伸ばしているがそれも納得だ。あれほどの美少女そうはいない。
ヨルグと目が合った。ヨルグは怯えた様子を見せてから顔を逸らした。
「お父様、そのかたがクルト・アルノルト様ですの?」
ぱーっと、花のような笑顔で少女が駆け寄ってくる。
「彼がクルト・アルノルトくんだ。ファルノ、もう少し、おしとやかに」
「ごめんなさいお父様。でも、あのクルト様だと思うと、興奮が抑えられなくて、いろいろと翻訳の解釈でお聞きしたいことが」
「クルトくん。こんな娘で申し訳ない」
「いえ、お気になさらずに」
「ファルノ、挨拶をしなさい」
「はい、お父様」
ファルノと呼ばれた少女は俺の前にたつと、スカートの裾をもって、軽く頭を下げる。貴族らしい洗練された所作。
「私は、ファルノ・フェルナンデ。フェルナンデ家の三女です。以後、お見知りおきを」
「私はクルト・アルノルト。アルノルト准男爵家の長男です。こちらこそよろしくお願いします」
お互いに頭を下げる。
そっと、ファルノが手を差し出してきた。俺はその手を握り返す。
柔らかく、温かい手だ。
「昨日、歓待していただきましたが、クルト様がいらっしゃらなくて、すっごく残念でした。その分、今日はたっぷりお話をきかせてくださいな」
「私も是非、お話をしたいのですが、今日は、フェルナンデ辺境伯を案内する仕事がありますので」
「そう……せっかく会えましたのに」
そう言うと、残念そうな顔をファルノは浮かべる。
俺は苦笑して口を開く。
「そうですね。視察の合間に、フェルナンデ辺境伯がよろしいのであれば、お話をさせていただきたいと思います」
「私は構わない。いや、こちらからお願いさせてもらおう。是非娘の相手をしてやってくれないか」
フェルナンデ辺境伯がそう言った瞬間、ファルノは目を輝かせる。
「では、さっそく、ここの解釈について、クルト様は……」
分厚い本。俺が作った写本をファルノはカバンから取り出す。付箋だらけで、ページを開くとたくさんの書き込みがあった。
「ファルノ、仕事の合間に話すことを私は許可したがね。それ以上は許さないよ」
「ごめんなさい、お父様」
てへっ、とファルノは舌を出す。
本当に愛らしい少女だ。
ふと、視線を感じる。
ヨルグが俺を見ていた。嫉妬に歪んだ表情で。まったく、どうしてこいつはこうも面倒なんだろう。
◇
「まず、既に開拓を終えた畑をお見せしましょう。去年から無事麦を蒔くことができております。我が息子ヨルグの働きにより、わずか三年でここまでの畑を作り上げました」
父が辺境伯に説明をはじめる。
まずは開拓が終わった場所を見せていた。秋蒔きの麦なので、もうすぐ収穫だ。あたり一面に麦が生い茂っている。
「ほう、立派な麦畑だ。私の領地の麦よりも元気よく見える。何か秘密があるのかね?」
辺境伯は興味津々といった様子だ。
父が俺に目線で質問に答えるように促す。
「私が回答させていただきます。しいて言うなら独自の肥料と大豆の効能かと」
「独自の肥料とは?」
「畑の隅に山のように積まれている黒い土がその肥料となります」
「あの黒い土が……どうやってつくるんだい」
「家畜の糞を畑に撒くことは、辺境領でもやっているかと思われます」
「そうだね、それはやっている」
この時代だと、肥料を作るという発想がない。
せいぜい、家畜の糞を撒いておけば良い程度。
「ですが、それだとさまざまな問題があります。糞を直接巻けば、ときとして作物を痛めることがありますし、必ずしも良い影響を与えるわけではありません。畑に必要な栄養が足りませんし、病気や虫の温床にもなる」
「それを解決する方法を見つけたということか」
「そうです。肥溜めという、深い穴をつくり、家畜の糞をそこに捨てます……すると、自然に高温になり細菌や虫を殺し作物を痛める原因である熱いガスを抜けます。そうしてできた家畜の糞に、糞だけでは足りない栄養を足すために秋の間に拾ったモミジや、脱穀した殻、砕いた貝殻を混ぜあわせ、さらに発酵。一月ほどすれば、あのような黒い土になります。作物に必要な栄養を備え、害あるものを取り除いた肥料です」
ほうっ、と辺境伯は感嘆の声を漏らす。
「それは素敵だね。私の領地でも導入したいが、構わないか」
「構いません。詳しい手順を書き起こしてましょう。それと、黒い土を一〇キロほど麻袋に詰めるので持ち帰ってみてください。土との相性がある。一度小さい畑の半分に黒い土を巻き、もう半分はそのままにして黒い土の効果を実証してから、導入することを進めます。私共もそうしました」
いきなり、畑全てに新しいことを取り入れて、失敗しましたではすまない。
農業の失敗は、領民の飢えに繋がる。慎重にやらないといけない。
「お言葉に甘えさせてもらうよ。でも、本当にいいのかい? アルノルト家の秘密にしなくて」
「私は、この国全てが豊かになればいいと考えておりますので」
それが俺の夢のためには必要だ。
その日の食事にも困る人々がどうして、お菓子なんて食べることができるのか。
この国全体の食料生産量を増産し、みんながお菓子に手を付ける余裕がある。そんな世界に変えたい。
だから、俺は父への報告書にもこの肥料については書いてあるし、領地内の村にも共有している。子供のたわごとと一蹴されて、導入されていないが……。
「いい心がけだね。あと、大豆と言ったね」
「はい、大豆を育てると、畑の土が蘇ります。大豆と麦を交互に育てることも土を豊かにすることにつながりますし、大豆は貴重な領民の食料になります」
「なるほど、そっちもやってみよう。それに、見慣れない水路だが、あれは」
「それについては……」
俺は懇切丁寧に、この畑で行っている数々の工夫を説明した。
転生前は、山梨の実家で、果樹園と養蜂をやっていたし、近所の農家でバイトをしていたのでそれなりの知識はある。日本で何千年も積み上げ、発展した農業の技術。その一部を俺の領地では活かしている。
「すごい、すごい、いや。これだけの工夫があるとは思っていなかった。まったく、アルノルト准男爵。君の息子はすごいな」
「いえ、不詳の息子です。ですが、よくヨルグの補佐を勤めております」
「そう言えば、この領地はヨルグくんが主に、クルトくんが補佐として作っているのだね」
「はっ、そのとおりです」
「ではヨルグくんに問おう、あの農具はなんだね。まったく見慣れない形だが」
辺境伯が指差したのは、千歯こきという道具だ。あれがあるのとないのでは脱穀の効率が全然ちがう。
「えっ、あの、それは、兄が勝手に作った、ものなので、その、わからない」
「そうか、ならば、この村の領民の名前を一〇人ほどいって見てくれないか?」
「いや、それも、私は、指導者なので、そんな、一人、一人の名前までは」
「……つまらない質問をした。アルノルト准男爵、クルトくん、非常に有意義な時間だったよ。ありがとう。クルトくん、大変申し訳無いが、資料のほうを頼む。ただ、一方的に私が利益を受けるのもよろしくない。褒美を取らせよう」
フェルナンデ辺境伯は俺に向かって微笑む。
「アルノルト准男爵。今日の数々の工夫は、彼が考えたものらしく、資料にするのも彼だ。彼に直接褒美を与えたいが構わないだろうか?」
「もちろんです」
「では、クルトくん。何を望む?」
「では、卵が産める鶏の雌を可能な限り。それと雄が何羽かあれば」
ノータイムで口が動いていた。
言ってしまってから顔が赤くなる。
つい、ご褒美と言われて心の底から欲しいものを口にだしてしまった。お菓子を作るには、卵が必要だ。だが、鶏は高価でなかなか買えない。いつか街に出たら、数匹だけでも買いたいと思っていた。
「ははははは、まったく、欲がないな。いいだろう。この村に鶏を贈ろう」
腹を抱えて、辺境伯は笑う。
「今日の視察はこれで終わりにさせてもらうよ。アルノルト准男爵。本村にある君の屋敷に今晩も世話になって、明日、私は領地に戻る。それまでのあいだ、君の領地で狩りをさせてもらってもよろしいか? 私は狩猟も趣味でね。これだけいい森を見ると血が疼く」
「構いません。ですが、このあたりの森は獣も出ますし、迷いやすいので森に詳しい人間が必要です」
「そうなのか、ならクルトくん。狩りの案内を頼んでいいかな?」
辺境伯がそう言った瞬間、ヨルグが口を開いた。
「いえ、この私が案内を」
「いや、君はいい」
「なぜ? 僕が次の准男爵です。僕こそが相応しい」
ヨルグの声には焦りがあった。圧倒的に次の領主に近いはずなのに。
「いいと言った。私は君に命を預けられない。一目見ればわかる。君は森を知らない。その日に焼けてない肌。ひょろっとした体。そんな素人に案内人をさせるほど私は無謀ではないよ」
ヨルグが声をなくす。
反論できないからだ。ヨルグは本村で遊び歩いているだけで、森など入らない。ヨルグは口をぱくぱくとさせてから、結局押し黙る。
そんなヨルグを尻目に俺は口を開く。
「私でよければ、案内させていただきます」
「任せるよ。君なら良いポイントを知ってそうだ」
◇
俺と、辺境伯、そしてファルノ、さらに辺境伯の護衛二人で森のなかに入る。
馬車に積んでいた弓を辺境伯は構えていた。
「このあたりの、森には何が居るんだい?」
「この季節ですと、鴨やキジが狙い目ですね」
「なるほど、それなら今日はごちそうだ」
辺境伯は楽しそうに笑う。
「それと、クルトくん。聞きたいこと、というか確認したいことがあるのだが……今日紹介してもらった村、ヨルグが作ったと紹介されたが、あそこは君が作り上げた村だろう?」
辺境伯は笑みを浮かべてそう言った。