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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

こころさんはヤンデレではない。

作者: 和鳳ハジメ

こころさんは、普通の恋する少女なのだ。




 町行く人々につられ、こころ達四人――こころと幼馴染みの王太、それと悪友二人もそのビルの屋上を見上げた。



「ん? ……自殺かしら」



 そこには白い服を着た女性が立っており、今にも飛び下りそうにしている。



「めずらしい事もあるものね」



 隣りにいた親友兼悪友その一が、上を見上げながら言う。



「あっ、落ちる!」



 誰が叫んだ。次の瞬間、女性は宙へと舞う。

 白い服が空に広がり、刹那の後に落下。



 ――なにか、きれい。



 既視感を覚えたまさにその時、女性はスイカ割りをした様な音を立てて地面に落ちた。

 ワンテンポ遅れて誰かの悲鳴がし、野次馬が騒ぎ始める。



「ねえねえ、こころ! 今の見た? 私ちょっと見て来るね」

「あ、待てよ! オレもいく!」



 そう言い残し、悪友二人は止める間も無く死体の側に行く。



「……ああ、そうだったわね」



 小さく呟やいた言葉が周囲の声でかき消された。

 既視感と記憶が符合を告げる。おそらく、本当にどうでもいいことだったので忘れてようだ。

 そう、こころはこれと同じものを見たことがある。

 それは、大事な幼馴染みにも関係していた事件。



「おーた?」



 すぐ後ろにいた幼馴染みに声をかける。



「大丈夫だ。こころ」



 いつものように頭の上から声が降ってる。けれどおーたの声には微かに陰が含まれていた。

 こころは無言で王太の隣りに並び、手を繋ぐ。



「ありがとう。こころ」



 手が握り返された。こころは無感動な目で死体を一瞥したあと映画館へと王太を引っ張る。

 さっきの飛び降りから、こころの脳裏に事件の記憶が瞬く。

 それは、冬の寒い日に起こった凄惨な事件。



 ――世間ではそれを、『女生徒殺害事件』と呼んだ。





 ポケットに入れた携帯電話の振動でこころは目が覚めた。

 突っ伏していた机から顔を上げるとの彼女のクラス担任の古伯上翠こはうえ・みどり――通称、翠ちゃんが教科書を朗読していたところだった。

 周りを見るとクラスの中で寝ていたのはこころだけだったようで、皆一様に翠のソプラノヴォイスに聞き入っている。



(昼ごはんの後の授業なのに、みんなよく起きてられるわね)



 こころはそれをどうでもよさげに眺めた後、ポケットから携帯電話を取り出し机の下で操作し。

 朗読から説明に変わった声をBGMに、着信していたメールの用件がいつものものと確認しポケットに戻す。


 そして、筆箱からペン形スタンガンを出しペン回しを始めた。

 ああ、そうそう何故スタンガンなのかはつっこまないで欲しい。こころの父の海外出張について行った母が、出掛けにわたした護身グッズ108の内の一つなのだ。

 ダンボールいっぱいのスタンガンの中から、一番目立たないのを選んで持ち歩いているが、数ヶ月経った今でも使いどころ無し、手慰みに弄んでいるのをしょうがないとこころは思う。

 ふいに心地の良い声が止み、前方に視線を向けると。説明が板書に変わっていた。

 そんなものさらさら書く気がないこころは教室全体にぼんやりと目を向けた。



 この冷めた目をした少女の名は宮路こころ。この2ー3に在籍している生徒で、髪は長く背は低い。

 自称「わりと平凡な女子高生」である。


「平凡な女子高生って言うと、みんな何故か笑うのだけど失礼しちゃうわ」とは本人談。


 そして前で授業しているのが、2ー3担任、通称翠ちゃん。

 童顔眼鏡におかっぱで体はグラマー。綺麗なソプラノの声と解りやすい授業で校内一の人気教師だ。

 そのうえベタな性格をしており、人気に拍車を掛けているといったものであり。翠ちゃんが告白する時は放課後の屋上だとクラス全員の予想である。


 寝ぼけた頭でぼんやりとしていると、翠が教科書か片手に歩きながら説明しているのを見て教科書のページを合わせる。

 歩いてくる翠をやり過ごし、こころはふと隣の席を見た。



「はぁ」



 ため息を一つ、いつもなら隣の席に座っているはずの悪友の姿はそこになく空席だった。



(まだ来てない。ってことはズル休みかしら)



 こころは悪友の不在をサボタージュだと決めつけ、授業にでている自分のモチベーションが下がっているのを自覚する。

 幾ら教師の質が良くても、興味が無い、テンション低いではどうしようもない。

 授業を聞く記はゼロである。仕方がないのでいつもの様に、ペン回しを続ける。




「――――――――――――――――――――――――――ぁ」



 

 突如耳を劈く様な悲鳴が谺した。

 一瞬の後、こころのクラスだけでなく校舎全体が騒ぎ出す。



「みんなー。落ち着いてよぅ」



 翠が困り顔言うとまず男子が、続いて女子が黙る。



「私が見て来るから、みんな大人しく待ってるんだよー」



 まるで、幼稚園の先生のような物言いで教室から出る高校教師と元気よくハーイと答えるクラスメイトに、こころは呆れの目を送り細やかな反抗の意を表す。



(いつものことながら。このノリには着いて行けないわ)



 翠が出てったとたん騒ぎ出すクラスメイトを横目に、こころはそっと教室の後ろのドアから廊下に出た。





「んー、っくぅ」



 廊下に出ると大きく伸びをする。さっきまで寝てたので背中が痛い。

 空は曇っているうえ、普段からあまり日当たりが良いわけではないこの廊下は適度な寒さを与え、寝ぼける気味なこころの思考を正常に働かせる。



「悲鳴が聞こえたのは上だった気がするわ」



 と誰もいない廊下で一人確認し、こころは階段に向かう。



「おはよう。こころ」



 階段を上ろうとすると後ろからアルト掛かったハスキーな声に呼び止められた。

 こころが振り向くと、そこには予想通りのの人物がいた。

 すらりと伸びた背に高校生にしては整った体、大人びた顔とクールな印象を与える眼鏡。そして肩上にまっすぐ切りそろえた髪。こころの隣りの席で悪友とも言える少女。

 音原苺おとはら・いちごがそこに立っていた。



「おはよう。苺、もう午後よ」

「ふふ、起きたら昼だったのよ。しかたないでしょ」



 苺はいつものことだ、と言う様に悪びれもせず堂々と開き直る。



(まあ、いつもの事なんだけど苺もダメ人間よね)



 グロテスクなものを一晩中見た挙句遅刻するとは、顔が良くても言い寄るものが皆無なのも頷けるとこころは勝手に納得する。



「何がしかたないよ。どうせ夜遅くまでスプラッタ映画見てたんでしょ」

「ブッぶー、残念でした。スプラッタはスプラッタでも見てたのは海外製のモノホンよ」

「そんなもの、どっちだって一緒じゃない。貴女、相変わらず趣味悪いわねぇ」

「こころ、アンタも人の事言えないだろ。この昼ドラ好きが」

「あら、あのドロドロとした感じがいいんじゃない」



 二人の会話が不毛な方へ向く。



「互いの趣味の話は置いといて、どうしたの? 今は授業中でしょ。それになんだか騒がしいけど、何かあった?」



 こころは悲鳴が聞こえ今からその場所にいく事を伝える。



「へえ、面白そうじゃない」



 二人で上の階へ向かう。



「上の方から聞こえたってことは、ウチのクラスが二階だから三階ってことね。こころ」

「そうね。あと屋上もしくは部室棟といったところかしら。でも声は校舎内を響いていたわ、だから屋上は考えなくていい。となると」

「三階か部室棟ってことね。」



 部室棟は校舎の隣りに建ってており、正面玄関から入る以外は校舎三階の渡り廊下から入るしかない。



「あら? 三階を探す必要はないみたいね。苺」



 三階に上がると、そこにはこころ達の様に教室を抜け出して来た者達が空教室や準備室を探しており、中には他の階に行く者もいた。



(見たところ、なにもなさそうね)



「部室棟に行きましょう」



 こころ達は階段とは反対側にある渡り廊下に向かう。

 途中、見覚えのある姿が空教室から出て来た。

 こころと並ぶと三十cmも差が出るがっしりとした背。下手なアイドルよりかっこいいと言われる顔立ち、その見慣れた姿はこころの幼馴染み。

 彼氏にしたい男子生徒学内一位、英友王太ひでとも・おうたであった。



「よう! こころ、お前達も野次馬か?」

「うん。おーた何か見つかった?」

「いや、三階には誰もいない。部室棟かもしれない、こころ達も行くか?」

「行く。私たちも行くところだったの」



 何か不満そうな苺の様子を気づかないふりをして、こころは部室棟に向かう。

 途端。



「いやああああああああああああああ」



 突然、ソプラノの悲鳴が上がった。



「あっちで聞こえた!」



 三人の中で一番耳の良い苺が部室棟の階段を駆け上がり、一番奥の部屋のドアの前に着く。



「ここよっ!」



 勢いよく開けたその部屋は、赤で染まっていた。

 雑然とした室内に血が飛び散り本棚やカーテンを汚している。

 部屋の中心に位置し、スペースの大半を取っているテーブルの上には無惨な死体があり、そこから流れ出た血がテーブルを伝わって床へと流れ出ていた。

 テーブルの手前には、うっすらと見覚えのある女生徒が担任の翠に抱えられており、当の翠は死体を見つめたまま微動だにしていない。



「……っ! そんなまさか!」



 王太は死体に駆け寄り、顔を確認する。



「……真佐実!」



 王太は声を震わせながら死体の名前を呼んだ。



(まさみ? どっかで聞いたことある名前よねぇ)



「畜生!、いったい誰がこんなことを!」



 取り乱す王太を眺めながら、こころは考え込む。

 聞き覚えのある声の悲鳴。おそらく顔見知りの死体。


(いったいどこで……、そっか。おーただ)


 こころの記憶が繋がる。死体は秋里真佐実あきさと・まさみ、三年。王太の元恋人。

 翠に抱き抱えられている女生徒は黄葉光陽もみじひかり、二年。

 隣のクラスで王太の非公式ファンクラブの会長だ。

 双方供に、過去に何回か会っている。



(別れたとはいえ、元カノのことは気になる? それとも男ってそういうの引きずるのかしら? こうして眺めていても、しょうがないわね)



「おーた。ちょっと」

「くそっ、なんだよっ!」



 こころは王太に近づき、「正気に戻れ」その頬にビンタを張る。

 乾いた音が響いた。



「落ち着きなさい。おーた」



 王太はこころを睨んだ後、深呼吸をする。



「……すまない、取り乱した」

「いい、それより二人を介抱を」

「わかった」



 こころは王太と二人の介抱に向かう。



「こっちの子は気絶しているだけみたいだ。」



(おそらくは第一発見者。最初の悲鳴この人だろう)



 女生徒を王太に保健室に運ばせ、こころ翠をは介抱する。



「センセ、センセッ、しっかりしてください」



 こころは翠にビンタをかまし、正気に戻す。



「ふぇぇぇぇ、みやじさlん」



 現実を認識したのか、翠はこころに抱きついて泣き出した。



「ちょっ、先生。そんなに強く抱きつかないでください。痛いです、痛いですって」



(まったく、なんでわたしがこんな面倒なこと、おーたがいなければほったらかしに出来たものを。ああ、でもこれでおーたの心証アップ? っていうか。あ痛たたたた、痛いですよ翠ちゃんそんなに強く抱きしめないで~)



 内心愚痴りながらこころは翠のされるがままに抱きつかれている。



(そういえば、さっきから苺の姿が見えないけど。どうしたのかしら?)



 こころが周りを見ると、苺は入ってきたときのまま固まって笑みを浮かべ、「バラバラ」「キリサキ」など不穏なことを繰り返し呟きながら、不気味な笑い声を漏らしていた。



(もう、あの駄目人間め。リアルスプラッタを見てトリップしてますね)



「苺、貴方も手伝いなさい」

「ふふ、バラバラ」「苺!」「キリサキキリサ」「苺!」「ああっ、ゴメンゴメン」「まったく」



 我に返った苺に翠を押しつけるとこころは部屋を出る。

 廊下には野次馬が集まって来ており、向こうの方には走ってくる教師の一団が見えた。

 こころは部屋を振り返り、物言わぬ歪な人形ひとがたとなった秋里真佐実を無機質な目で見る。



(……よくもまぁあんなにしたものね。ご愁傷様、とでも言うべきでしょうか、真佐実先輩。これでおーたに近づくことが二度と無くなったわけだけど。まあ、どうでもいいんですけど。いや、ほんとですよ?)



 どこか遠くでサイレンが鳴った。誰かが通報したのだろう。



(制服に付いた血って、どうやって落とすのだっけ? クリーニング代、学校でだしてくれるのかな)



 こころは、ぼんやりと考えながら壁に寄りかかる。

 教師達の一団が到着し、廊下から無関係な生徒を追い出していた。



 あの後、こころ達は警察から事情聴取を受けることになった。

 第一発見者と第二発見者――光陽と翠が当初、事情聴取不可能な状態にあったと言うこともあり、結局こころ達に聴取が集中することになり、解放されたのは午後十時を廻ろうした時だった。

 聞けば二人の聴取は明日以降に延期したという。拘束時間の内訳としては、待ち時間のほうが長かったのだが、徒労感は拭えずこころは思わず「めんどくさい」とぼやいた。


 幼馴染みで、家が隣同士。さらにいえば部屋の位置まで隣同士なこころと王太は、連れだって帰る。

 迎えに来てくれた王太のおばさんが運転する車の中で、こころは王太の手をずっと握っていた。

 こころには王太が沈んでいるように思ったからだ。軽口を叩いて母親と話す王太に合わせて相づちをうつ傍ら、どうやって王太を慰めようか思考する。

 チャンスなのだこれは、そう確信しどうすればより効果的か考える。


 家に着くとこころはシャワーを浴び、王太の家で夕食を食べ。デザートに好物のヨーグルトまでごちそうになった。

 自室に戻りパジャマに着替えた後、いつものように王太の部屋に窓から入る。

 より効果的なものは何も思い浮かばず、結局いつも通り添い寝でもしようかと考える。



「おーた。一緒に寝よ」



 こころの予想とは反して、返事は反って来なかった。

 部屋の明かりはついていたものの王太はベットで眠っている。

 一瞬の逡巡の後こころは部屋の明かりを消しベットに上がり。枕をどけて自分の太ももに、王太の頭を乗せる。

 月明かりに照らされる幼馴染みの顔を優しい目で眺め、ゆっくりと髪を梳いた。



 刹那か永遠か、どのくらい時間がたったろうか。

 ふいに、王太の顔が曇り、涙が一筋流れた。

 涙の後を指でなぞる。

 王太を起こさないように、ゆっくりと。頭を枕に載せ替え、自分も横になり彼の頭を優しく両の腕で抱いた。

 こころは王太の耳に唇を寄せ、優しく囁く。



「わたしは、ここにいるわ」



 その言葉に安心したのか、王太の寝顔は安らかになる。

 こころはそれを見届けると、自分もゆっくりと瞳を閉じ眠りに入った。

 眠りに落ちる瞬間、こころは自分の胸になにか暖かいものが染み渡ったような気がした。





 一夜明けて、朝のニュースでは昨日の事件で大騒ぎだった。

 こころは何か新しい情報がないか、朝食を取りながら眺める。

 当然の如く学校は休校だったが、秋里真佐実の葬儀があった。

 王太がそれに出席すると言うので、こころも出席するために制服に着替える。



(葬式なんていつ以来かしら? 学校の制服は基本黒色だから、こんなときは楽で良いわね))



 こころ達の学校の制服は、男子が黒に白のラインが入った学ラン、女子はセーラーで襟に走る一本の白いラインと胸元で結ぶ白いスカーフが特徴になっている。

 生徒からの評判は悪いというこの制服をこころは気に入っていた。彼女曰く、まっ黒なのが良いらしい。



(まったくもう、おーたのおばさんが制服洗ってくれるからいいものの、クリーニング代も出ないなんてけちなな学校ね)



 こころの部屋のドアを叩き王太はまだかと催促する。



「もうすぐ終わる。 もうちょっとまってて」



 こころは手鏡を手に取り、唇に薄く紅をを引く。

 背が低くて目立たないとはいえ、少しは気になるものだ。



「お待たせ、王太。じゃあ行きましょうか」



(あ、カレー食べたい。今日の晩御飯はカレーにしよう)



 唐突に晩御飯のメニューを思いつきながら、こころは王太と一緒に葬儀場に向かった。



(辛気くさいなぁ、やっぱり来るんじゃなかったかしら)



 葬儀場には遺族はもちろんのこと学校の教師、秋里真佐実のクラスメイト全員そしてこころ達のように個人的に親好のあった者達が主席していた。

 こころはそこで意外な人物を見かけた。



「苺、貴女ここで何やってんの?」

「何ってひどいな、こころ。秋里真佐実は私の同士だったんだぞ、葬儀に出て何が悪い」



(同士ってなによ)



 こころはなにかくだらない予感がしたが、とりあえず聞いてみる。



「同士って、何の同士よ?」

「スプラッタ同士さ、お互いの家に遊びに行った事もあったんだ」



(ああ、やっぱり。そんな気がしてたのよね。秋里先輩とは二、三回おーた絡みで話したことが在ったけど、苺みたいな感じがしたのは間違いなかったのね)



「っていうかさ。こころこそ何してんの? アンタ秋里先輩と接点在ったっけ」

「ほら、先輩っておーたの彼女だったでしょ。その関係でちょっ」「嘘だね、アンタはそんな義理堅い奴じゃ無い。」



 苺はこころの言葉に割り込み否定する。こころは少しだけ苺を睨みつけ口を開いた。



「おーたが来てる」



 たった一言。苺はそれで納得したらしく秋里の母親に挨拶に行った。

 葬儀が始まるまでまだ間があったが、立ってるのも疲れるのでぼんやりと座っているとこころは視線を感じた。



(あれは、秋里先輩のクラスメイト?)



 どうやら恋敵であったのが知られているらしく、彼女たちの敵意が鬱陶しく感じ、席から離れる。



(そりゃまあ、端から見たら恋人の元カノの葬式に喜んでくる現恋人っていう、陰険極まりない構図だけどさ、もうちょっとなんとかならないかしら)



 葬儀場は意外と狭く、秋里のクラスメイトから逃げるため。

 こころは人気のないところへと歩いていった。



「ここはどこなのよ?」



 十分後、こころは見事に迷っていた。



(迂闊だったわ、狭いのは会場の葬儀場で、それがいくつも入っている葬儀センター自体は大きいのすぐに解る事じゃない)



 こころは実際のところ、会場とそう離れたところには行っていないのだが、判を押したように同じつくりの建物の中では始めて来たこころに分かる由も無かった。

 闇雲に歩くのに飽きたこころが、左の壁に沿って歩けばいつか葬儀場に着く。という迷路で迷ったときはどうしたらいいか、見たいな事をし始めたとき通路の向こうで担任の翠を見かけ追いかける。

 その人物が入った扉を開けようとして、手を止める。



(火葬場? 燃やすのにはまだ早いと思うんだけど……)



 疑問を感じた瞬間、既に中に居たのか翠以外の悲鳴にもにた声がする。



「もうこんな状態はいや! 自首させてよ!」



(自首?、穏やかな言葉じゃないわね)



 こころはドアの隙間から中をこっそり伺う。そこには死んだ真佐実の第一発見者、黄葉光陽が居た。



「ふふ、落ち着きなさい。光陽ちゃん」

「落ち着け! 落ち着けですって! あんた、よくもそんなこ言えるわね」



 ドアの隙間からは、光陽一人しか見えなかった。



(火葬場って壁厚いのかしら、壁に耳を当てても全然聞こえない。辛うじて聞こえるからいいものの……)



 周囲の気配に注意しながら覗き見を続ける。



「私はあんたの言ったとおりに先輩を殺した。でもこのまま黙っているのはいや、罪悪感で押しつぶされそうよ」



(ふーん、秋里先輩を殺したのは黄葉さんなのね)



「だめよ、自首しちゃ。貴方にはまだやってもらうことがあるんだから」

「私にこれ以上何をやれって言うのよ!」



 声が震えている。光陽はもう泣き出す寸前だった。

 そのとき、場の空気が緊迫した。

 光陽が、一歩後ずさる。



「ねえ、光陽ちゃん。黒って良い色だと思わない?」



 愉快そうに、それでいて冷たい声で言う。

 乾いた靴音がし、おかっぱ頭が光陽に近づいた。



「い、いきなり何を言うのよ! わけわかんないわ」



 徐々に近づくる翠に、光陽は上擦った声で後ずさりながら叫ぶ。



「昨日気づいたんだけどね。黒って血が付いても目立たないの」



 とうとう壁に追いつめられ、光陽の顔が引きつる。


「そっそれがなんだっていうの」



 おかっぱ頭は光陽の耳に唇を近づけ囁くように言う。

 普通なら聞こえないはずのそれも、静まりかえった火葬場では扉の前にいるこころにまで聞こえてくる。



「まだ解らない? それとも解らないふりをしているだけなのかしら? ……まあいいわ。それわね、こういうことよ」



 それは一瞬の事だった。

 翠は上着からナイフを取り出し、光陽の死角から一気に心臓を突き刺した。



「……っ、くぁ、ぁ」



 突然走った激痛で、光陽はただうめき声をあげるだけだ。



「わかった? 光陽ちゃん」

「――っ。ふ、ふふん。やっぱり、さした、わね。アンタ」



 息も絶え絶えに光が笑う。

 ドアの外で覗いていたこころは、それを見て恍惚としたため息を静かにはき出す。



(なにやら、面白くなってきたわ)



「……どういうこと?」

「アンタを、虐めて、たのは、ワタシ達よ。真佐実を、殺したとなれば、次はワタシ、でしょ」

「覚悟はあったってこと?」

「違う、わ。真佐実、を、殺したとき、おもったのよ。アンタが、ワタシを脅すのを、やめない以上きっと、ワタシも殺される。」

「…………」

「ねぇ、一つだけ、聞かせて、くれる?」

「何?」

「アンタ、これからどうするの」

「……こうなったら生きていられない。王太君と一緒に死ぬわ」



 一瞬、ニヤリと笑って光陽は話し出す。



「ふふ、ふふふ、ふふふふ。そう、そうなの、じゃあ一つ、良いことを教えてあげる。アンタは、知らないでしょうけどね。彼、あんた、の、クラス、に幼馴染みが、いるのよ。ちっさくて、髪の長い、カワイイ、子よ、こころって、言うのよ。アイツは、絶対、あんたの、敵になる。手強いわよ。ワタシ、人を見る目だけは昔から良かったのよ。うふふふふ、あははははは、あははははは」



 光陽は笑いながら血を吐く、吐き出した血は制服に吸い込まれた。



「うるさいっ、黙れ、黙れ、黙れ、この死に損ない」



 翠は光陽が事切れるまで蹴り続け、火葬用の窯に死体を放りこむと扉を閉めダイヤルを回し火を付けた。



「宮地こころ、アイツも殺してやる」



 その言葉を聞いてこころは扉の前から離れる。



(あらあら、面白いことになってきたわ、どうしようかしら)



 こころは、来る途中にあったトイレにまで音を立てないように走って、個室の中に隠れた。

 しばらく経って、二人ほど入って来たときに個室から出る。



「あ、こころ。ここに居たんだ。英友が探してたわよ」



 入ってきたのは苺だった。こころは近づいて臭いを嗅ぐ。

 苺からは血の臭いがした。



「ん、におうか私?」

「ええ、血の臭いがするわ。始まったの?」

「ええ、そうなのよ。こんな日に来るなんて、なんだか不吉よね」



 そう笑って苺は個室に入っていく。



「あら、こころさん」



 入れ違いなるように、苺が入った隣の個室からこころ達の担任が出てきた。



「先生もアレ、来ちゃったのよ」



 翠は何故だか聞かれもしないのにそう言うと、手を洗い、身だしなみを整えてからトイレを出る。



「先生、迷ったんで連れってってください」



 こころはそれに便乗した。

 葬儀はそれから数時間続き、表面上何事も無く終わった。





 人が一人死んだとはいえ、そう何日も休校になるはずも無く、真佐美の葬式の次の日にはもう通常通り学校が始まっていた。



「まったく、普通休校とかにならないの。うちの学校は」



 こころは誰も居ないリビングで一人、ニュースを見ながら淡々と朝食を取る。



「やっぱり、ヨーグルトはそのままで食べるのが一番よね」



 ニュースではやはり真佐美の事件が特集されており、行方不明として黄葉光陽のことが出ていた。



「まあ、葬式の最中に居なくなったんだし。怪しまないほうがおかしいわね」



 こころは最後の一口を食べると席を立つ。



「さてと、そろそろ時間よね」



 ニュースの片隅に映る時刻を確認し、鞄を持って玄関に向かう。

 靴を履く途中、ヨーグルトが出しっぱなしであることに気づくがまあいいかと済ませる。



「先行くね。王太」



 まだ寝ているであろう王太の部屋を見上げて言い、こころは学校に向かった。。



 王太とこころが一緒に登校しないのには訳があった。

 その理由を二人に問うと、必ず「恥ずかしいから」と答えているが、それは文字通り建前であった。

 本音はというと、こころに危険が迫るということであった。


 要するに、王太がモテ過ぎたのである。

 そのせいで、こころは中学時代は幾度と無く先輩後輩同級生から校舎裏に呼び出される。ということがあったからなのだが、本人はそんなに危険性を感じておらず。

 一緒に登校しなくなったらうっとうしいのが無くなった。ぐらいに感じていた。



(――とまあ、それも建前なんだけどね)



 学校に着いたこころは下駄箱に向かい、いつものように王太の下駄箱からラブレターを抜き出し鞄にいれる。



(おーたは人気高いからね。わたしだけが女性として見てもらうには、その他の女の接触をできるだけ閉ざさなきゃ。それもおーたに気づかれないようにね)



 つまりはそういうことであった。

 王太と一緒に登校しないのも、王太の人気が高いわりにあまり女性と付き合っていないのも、王太のそのふとした動作さえも……



(わたしの地道な調教のおかげよね)



 そんなことを考えながら自分の下駄箱に手を入れると、そこにはこころにとって意外な感触が会った。



「……手紙?」



(ラブレター? わたしに? 珍しいこともあるわね)



 こころは自分の手紙も鞄に入れた後、いつものように屋上に向かった。

 屋上に着くと、まず王太のラブレターから封を切る。

 そこには悪びれたものは一切無く、見て当たり前と中身を読み始める。



(……えっと、三年生が一、二、三、四枚で、二年が一枚、残りが全部一年と)



「秋里先輩が死んだからかな、その後釜狙いが多いわね」



 一つ一つ読んでいては時間が足りないので、ざっと目を通して危険と判断したものだけ残し、後は焼却炉に捨てる。



(一年のこの子とこの子、後は必要ないかな? 裏から手を回して圧力でもかけますか。そして最後に残ったこれは……)



「どうしようかな」



 そういいつつもこころは遠慮なく封を切る。

 差出人の名は、古伯上翠。

 こころの担任だった。



「しっかし、下駄箱にラブレターとはベタだね。しかも待ち合わせ場所屋上になってる。ベタベタね」



(この人、自分がまだ学生だと思っているんでしょうか)



「そうだなー、翠ちゃんはわたしが直接対決と行きましょうか」



(これで全部かな?)



「……ああ、わたしのが残ってたね」



(あれ、これも翠ちゃんだ)



「――上等じゃない。受けてたつわ」



 こころは笑いながら屋上から出た。



 全てのラブレターを焼却炉に入れたこころは、朝のHRと午前中の授業をいつも通りこなし王太と屋上で昼食を取っていた。



「はいおーた、あーん」

「ほら、こころもあーん」



 こころは王太は互いに弁当を食べさせあっていた。この二人は回りに誰もいないといちゃつき始める節がある。

 と隣に座る苺は考えている。

 何だかんだで恋人がいる時も、今日の様に死んだ直後でも同じ様にしているあたり、王太という人物の業が深いのか。

 こころの洗脳の域まで至っている暗躍とやらが、恐ろしいというべきか。



「ねえ、そこのバカップル。いい加減にしてくれません?」



 さっきからずっと聞かされているセリフに、段々と食欲が失せてきている苺は何度目かわからない注意をする。



「何よ。うらやましくなった?」

「人の話を聞けって、いい情報をもって来てやったのよ」

「情報? いっいなんの?」



 互いにかける声はなくなったものの、やはりいちゃつきながら食べるこころ達を気にしないようにしながら苺は続ける。



「朝、翠ちゃんが言ってたろ、黄葉光陽が行方不明だって。それがさどうも見つかったらしいのよ」



(火葬場のアレ、発見されたのかしら)



「なんんと、なんとよ。昨日私達の行った葬儀場の火葬場で焼死体で発見されたらしいのよ」

「らしいって、あやふやな。朝のニュースでは出てなかったわよそんなこと」

「うん、私もさっき知った最新情報。職員室の前通りがかったら、偶然聞こえてきたのよ。先生達今それで大騒ぎよって、おわぁっとぉ」



 いきなり苺が寄りかかったフェンスが片方外れる。軽く寄りかかっただけなので苺は落下しなかった。



(これで落ちれば、面白かったのに)



「あっぶないなぁ、……ってこころ、アンタ今変な事考えたでしょう」

「あら、気のせいよ」



(案外鋭いのよね、苺は)



「まあいいわ、本題はここからよ、いるんだってこの学校に

「いるってなによ、主語をいいなさい、主語を」

「細かいこと言うなって、いるんだぜ犯人、しかもこの学校の中に。おかげで先生達みんな疑心暗鬼、焼死体の件なんか隅におかれちゃってるもの」

「ふーん、大変なことになってるわねぇ」



 こころは人事のように呟いた。



(警察も無能ではないということね)



「ねぇ、今度はいったいどんな死体を見せてくれるのかしら」



 苺は目をキラキラ輝かせていう。



(結局、そっちに持ってくのね貴女は)



 こころは呆れたようにため息をついた。

 そのあとも勝手に喋り続ける苺を放置しこころは王太に向き合う。



「この学校の中に犯人がいたとしても、おーたがいれば安心ね。だから久しぶりに一緒に帰りましょう」



(おーたは私のもの、今のところ誰にも渡すつもりはないわ)



 そんなこころの心中を知ってか知らずか、王太はまかせろと勢いよく返事するのであった。



 学校に犯人がいるという可能性をあることが分っても、休校としない学校の授業を最後の六時間目まででたこころは、帰りのHRと掃除当番まで律儀にこなし王太と帰宅する。



「じゃあまた」



 そう言い、二人とも自分の家に入る。



「どんな服に着替えようかな」



 今日は王太の家も珍しく両親が留守にするので、こころの家に泊まることになっている。



「泊まるってことはそういうことよね。晩御飯とかどうしようかしら」



(翠ちゃんとの約束の時間がわたしが五時、王太5時半。そして今日はクラブ活動、委員会の活動は一切なしで職員も早めの帰宅が命じられている。と)



 情報を整理しながらこころはいつもと同じ、黒色でシンプルなデザインの服に着替える。



(このまま無視して、おーたといちゃつくのもひとつの選択肢。素直に屋上に行って殺されるのもまたひとつの選択肢ね)



「――でも、このままじゃつまらないわ」



 行けば殺されるかもしれない。警察にタレコミを入れればそれで全て終わるかもしれない。むしろそれがずっと賢い。

 それでもこころの気持ちはとうに決まっていた。あの時火葬場で見た負の感情、一人を惨殺し、一人を燃やした狂った気持ちに惹かれる。



 あの感情を、見てみたい。



「準備は、しとくべきね」



 こころは黒い笑みを浮かべながら、思案を始めた。



 王太が来てしばらくたった後こころは行動を開始した。



(そろそろ時間ね。杜撰で荒い計画だけど、おーたに関してなら後でいくらでもフォローが利くし、翠ちゃんと合うときにはもう夕暮れになってるはずだからアレはばれないはず。)



「ねえおーた、しよ?」



 不自然にならないように、それでいていつも以上に可愛く見えるように王太を誘う。

 少しの不振を抱く王太の耳を軽く噛み思考を誘導する。



「ん」



 目を閉じキスを待つ。

 近づく王太の首に腕を回し唇と唇が接触する直前、隠し持ったスタンガンを首筋に押し当てる。



「え、え? どうしたの王太?」



 気絶していく王太に、さも心配そうに声をかけるこころは、王太がすっかり気絶したのを確かめてからその体に布団をかけ、制服に着替えた。

 部屋から出るとき、こころは振り返って気絶している王太に向かって微笑んで言う。



「大丈夫よ、死にに行くわけじゃないわ」



 こころには何故だか、信用ならないと、王太が行ったような気がした。





 夕暮れ時の校舎はいつもと違い誰もいなかった。

 警察の姿やマスコミの姿もすでになく。不気味なまでに静かだった。



(なるほど、学校側の対応の遅さをついたのね、さっき見た用務員のお爺さんしかいない)



 職員室や保健室などに誰もいないことを確認し、あたりに注意しながら進む。

 屋上に続く階段を上りドアの影から屋上の様子を伺う。



(翠ちゃん一人のようね。今の時刻は……五時半過ぎ)



 こころは屋上へのドアを開けた。



 翠は屋上の真ん中で木枯らしの吹く中、夕焼けに照らされて立っていた。

 ドアを開けたのがこころだと認識すると口を開く。



「遅刻よ。遅かったわね宮路さん」

「すみません、翠センセ。やることがあったもので」



 二人の間に一瞬、沈黙と緊張が走る。



(翠ちゃんは私を殺せばそれでいい、わたしは殺される気はない。ふふ、ゾクゾクするわ)



 こころは感情を悟られないように、無表情に無機質にそれでいてしっかりとした力強い視線を翠に送る。



「おーたなら来ないわ」

「……なんのことかしら?」



 翠はピクリと眉を動かした後、そんなもの知らないと惚ける。



「別に隠さないでもいいわ翠センセ。わたし、知っているもの」

「――っ」



 翠はビクリと肩を震わせた後、こころを睨み付ける。



「秋里先輩殺したの、センセですよね」



 こころはゆっくりと、相手に不自然に思われないように入り口から向かって左の、裏門が見えるフェンスの前へ移動を始める。

 目標位置に達すると、そのまま風景を眺めるふりをする。



(翠ちゃんに背を向けている今、何かされたらおしまいね)



「黄葉先輩を、焼き殺したのもセンセだわ」


 こころはそう言うととくるりと振り帰り、笑みを浮かべ最初の一撃をい言い放つ。



「この、人殺し」

「違うっ! 違うっ! 違う違う違う!」



 翠は目を燃えるように怒らして叫ぶ。

 それを見てこころは、嘲る様に言葉を吐き出す。



「あらあら、センセ? そんなに叫ぶと人が来ますよ?」

「それはっ! あなたが!」



 今にも飛び掛ってきそうな勢いで翠がおこる。



「わたしがどうかしましたか? わたしはただ、本当のことを言っただけですよ」



(翠ちゃんが直情的な性格でなくて助かったわ。ま、大方殺した理由を話してから殺そうと思ってるんでしょうけど)



「――――違う」

「なら、何が違うか言ってくださいよ」

「私はただ――」



 翠が何かを言おうとする。



(ふふ、言わせませんよ)



「理由なら聞きませんよ」

「なっあなたは私がどんな思いをして殺したか分っていません」

「センセの事情なんか知ったこっちゃないです」



 翠は絶句する。それを見たこころはさらに続ける。



「ねぇ先生、一つ提案があるんです」



 歯軋りし、包丁を取り出した翠を無視して自分の話を続ける。



「わたしはセンセの事をいいません。だからおーたに手を出さないでください」



 それを聞いた翠は笑って答える。



「……そう。――わかったわ、あなたを殺して王太君も殺してあげる」



 それを聞いてこころはあからさまにため息をつく。



(予定通りっと、後は仕上げね)



「交渉は決裂ということでじゃあ最後に一つ、センセ。いいこと教えてあげる」



 そういうと、こころはスカートの中に手を入れる。



「ん、くふぅ」



 顔を高潮させ、何か、悦に入っているような表情をする。



「……いったい何を」



 翠の不振がるような声を無視し、とある演技を続ける。



「あ、ん、はぁ」



 こころはの内股に張ってある。ラップで作った袋を音をさせないように破り、ヨーグルトを指につける。



「ふふふふ、センセ見てください。わかりますか? コレ」



 こころは翠に分るように、スカートから手を出しヨーグルトが付いた指を見せる。



「おーたのです。コレ。この意味が分りますか?」



 こころは見せ付けるように指を動かした後、ねっとりとな舐めとる。



「ふふ、おいしい。おーたは私のなんですよセンセ。だからセンセのような穢れた女が触っていいような男じゃないんですよ。わかります?」

「――ッ! ああああああああああああああああああああああああ?? あなただけはあなただけはあなただけはあなただけはあなただけはあなただけはあなただけはあなただけはあなただけはあなただけはあなただけはあなただけはぁ!」



 翠は壊れたように繰り返しながら体を震わて、包丁を構える。



(あと一押し)



 こころは最後の一言を投下した。


「あら、垂れてきちゃったわ」

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」



 翠は狂ったように突進してくる。



(まだ、後もう少し!)


 こころは逃げない。



「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ」



(あと、五歩!)



(四歩)



(三)




(二)




「死ねぇ!」

「いまっ!」



 包丁が刺さろうとしたまさにその時、こころは横に跳んで避ける。

 翠の体は慣性の法則に従い、こころの後ろにあった外れかけているフェンスに激突し。

 その次の瞬間――――。




 翠の体が、宙をまった。



「え?」



 こころにはその一瞬が、ゆっくり動いているように見えた。

 翠は信じられないという顔をし、こちらを向く。

 そして、助けを求めるように手を伸ばし、落下した。



 こころはしばらく座り込み、呼吸を落ち着けていた。



「人を殺したけど。案外、味気ないものね」



 暗闇の中、答えるものは誰も無く。

 こころはただ一人、屋上にに居た。



 自分がいた痕跡がないか確かめた後、行きと同じく人目を避け誰かに見つからないようにひっそりと帰る頃には、時刻は七時を回っていた。



「ただいまー」



(返事が帰ってこないってことはまだ起きてないって事ね)



 自室に行く途中にリビングにより、昨日作り置きしておいたカレーを弱火で温める。この弱火が大切なのよねとこころは一人呟く。



(ご飯は行く前にセットしておいたから大丈夫ね)



 テーブルに食器とヨーグルトを用意すると、王太が寝ている自分の部屋に向かう。

 部屋の明かりを付け念のため書き残しておいたメモを回収し、細かくちぎった後ゴミ箱に捨てる。



(案外効果あったわね。……もしかして死んでるとか?)



 こころは不安になり王太の体に触れる。



「ほっ、あったかいわ」



 自分がやった事とはいえ無事なことに安心する。



(こうして見てみれば、かっこいいというより可愛いかな)



 こころは寝顔を上から覗き込み、少し思案してから王太の頭を自分の太ももに乗せた。

 心行くまで心地よい頭の重みを感じていたい所だったが、カレーの鍋がかけっぱなしなのを重い出す。



(弱火とはいえ、そろそろ止めないといけないわね)



「そーれっ、オキロー」



 こころは王太の体を激しく揺する。

 目を覚まし、何かいいたそうな王太にこころはフォローを入れる。



「やっぱり疲れてたみたいね、おーた。わたしにキスした後ぐっすり眠っちゃったんだから」



 そうだたっけと訝しがる王太を、何か変なことあるのと不思議そうに返す。



「そんなことより。晩御飯できてるから、さっさと服を着て食べましょう。」



 こころは王太の服のボタンを止めながら、にっこりと笑みを浮かべて言う。



「スるのは後でもできるわ、夜は長いんだから」



 ね。と小首を傾げる王太はそれもそうだと言い、こころと共にリビングに下りていった。



(うん、こうやって誤魔化せるのも愛のなせる業よね)



「ちょろいわね」



 今何か言った? いう王太に、なんにもと答え。

 こころは王太のさらにカレーをついだ。





 結局のところ、事件は犯人である翠の屋上からの転落事故による、植物人間状態という形で終わった。

 ニュースによると翠と光陽は当初から犯人だと疑われており、確たる証拠を掴み次第、翠の逮捕に踏み込もうとした矢先の事故であったという。

 さらにいえば、警察が押収した翠の日記には、そんなに細かく書かれていたわけではないものの、事件の計画が記されており、また、黄葉光陽の血がついた喪服が見つかったからだ。

 こころ達は一応の事情聴取を受けたが、確たるものではないとはいえ。

 アリバイがあったのだからすぐに捜査線上から外された。



「……ろ、こころってば、話し聞いてる?」



 苺に肩を揺すられたことで、こころはの意識は現実に帰る。



(そうだ。映画見た後みんなでマック寄ってたんだっけ)



「ごめん、聞いてなかったわ」

「そうだと思った。その様子だと映画も碌に見てなかったでしょ」



 こころは、曖昧に笑って答えを示す。



「やっぱりね。まあ私もそうだったんだけどね。あんなもん見た後じゃね。私達のような趣味を持ってるとなおさら、ね」

「まあね」

「あの後で映画ちゃんと見たやつってアイツらだけじゃない?」」



 苺はレジに並ぶ王太達を指で指す。見れば二人ともさっきの映画の話で盛り上がっているようだ。



「そうみたいね。……わたしはおーたが良ければそれでいいわ」

「相変わらず。歪んでるねアンタ」



 苺はそこで言葉を切り、声のトーンを落として続ける。



「でも、こう言っちゃうのもアレだけどさ。五十嵐君のモトカノが死んで、ファンクラブ会長も死んで、犯人の先生も植物人間で、結局の所。英友君に近づこうとする人はこれでもういなくなったわけだ。実際ファンクラブも解散状態だしね。――あの事件で一番得したの、こころなんじゃない?」



 こころはまたも曖昧に笑う。

 それを見た苺も呆れた様に笑った。

 王太達がトレーを持ってやってきて、苺はそれに向かって手を振るこころに短く問う。



「ねぇこころ。アンタ今、幸せ?」



 こころは王太の方を向いたまま、優しい目で答えた。



「わたしは、幸せよ」



普通よりちょっと愛が重くて、普通よりちょっと彼氏至上主義で。

普通よりちょっと、自分の異常性に自覚がある。

極めて普通の恋する女の子でしょ。

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