騒ぎ
悲痛な叫び声は一人や二人ではなく、その後も続いた。流石にそのような状況の中で話を続けていられるはずもない。程なくして百目鬼の部下から声が掛り、密談は中断された。
部下が言うには、どうやら先程の叫びは付近の村人らしい。助けを求めて表門に集まっているということだった。
「申し訳ありませんな。今から事態の収拾に行って参りますので、姫君はお部屋にお戻り下さい」
困り顔で言う百目鬼に、瑠唯は首を横に振る。
「いえ、わたくしも参ります」
「ですが、どうにも時間が掛りそうでしてな……」
「構いません。わたくしにも彼らを宥めるお手伝いをさせていただければと。川下村の方にも世話になっている身ですから」
瑠唯たちが泊まるにあたって、食事や馬の世話をしてくれているのは川下村の住人達だ。恩返しというほどのものでもないが、少しでも彼らの役に立てればと思ったのだ。それに非常事態であるし、人の手は多い方がいいだろう。
とまあ、瑠唯としては当然のことを言ったつもりだったのだが
「瑠唯さまは心根もお美しいのですね」
何故か時枝に感心され、うっとりした眼差しを向けられてしまった。
先ほども思ったが、この男は見かけによらず、感動しやすい性質なのだろうか。それとも命の恩人ということで特別視されているのだろうか。どちらにせよ、時枝の向けてくる視線が苦手であるということは間違いなかった。
「大したことをするわけでは……。情けは人の為ならず、という言葉もありますし」
「確かに。姫君は良いことを仰りますな」
からりと笑って百目鬼が頷く。明るい相槌に、瑠唯も頬を緩ませた。
「ではお言葉に甘えると致しましょう。参りましょうか」
外で待機していた小夜を交えて、瑠唯たちは表門へと向かった。
篝火の焚かれた境内を歩いていると、「瑠唯さま」と背後から囁く声がしたので、さりげなく歩調を緩める。そして百目鬼達と少し距離を取って、小夜と隣り合った。
「どうした?」
「祓いに行かれるのですか?」
「……物の怪がでたのか?」
「あら、ご存じなかったのですね」
てっきり聞いているものだとばかり、と小夜が口元に手を当てる。そういえば彼女は、瑠唯が出て来るまで見張りの兵と何やら話しこんでいた。色々知っているのだろう。だからといって、詳しく聞き出そうとは思わないが。
「わたくしが行かぬ方が良いだろう」
「瑠唯さまのことですから、行かれるとばかり……」
「世話になっているのに、寺の面目は潰せぬ」
ここが才楼であれば、すぐさま祓いに行っていた。しかしここは他国の寺である。寺と村は持ちつ持たれつの関係であるし、よそ者がしゃしゃり出るより、地元の者に任せるのが一番良いのだ。余計な波風を立てるようなことはしたくなかった。
――と思っていたのだが、どうものんびりしたことを言っている状況ではなさそうである。村人たちの話によると、既に僧侶たちは村へ行っていたらしい。そして彼らは口々に言い募る。
――化け物が、母ちゃんを食らった。
――永信さまでも太刀打ちできなんだ。
――村には、まだ人が残っとるんです。
永信とは確か、住職の一番弟子だったはず。その彼が太刀打ちできないとなると、他の僧侶が行っても無駄だろう。しかも住職は折悪くも体調を崩していて、歩ける状態ではない。余計なことはすまいと思っていたが、こうなると話は別である。
瑠唯は村人の輪から外れて、百目鬼を少し離れた場所に呼び出した。
「いかがなされましたか?」
「どうも祓いに難儀している様子。わたくしも村に参ってお手伝いできればと思いまして」
「いや、しかしそれは……」
瑠唯の提案に百目鬼は難色を示した。
瑠唯が巫女であるということは兵たちには明かされていない。若君に話が伝わるのを危惧してのことだろう。つまりは知られたら困るのだ。
しかし朝を待って今夜を凌いでも、次の夜にはまた現れる。だったら祓える者がいるうちに、ことを収めた方が良い。それは百目鬼も分かっているはずだし、彼の人となりからして、みて見ぬふりなどできないだろう。
「百目鬼殿の憂慮は分かります。ですが今は非常事態。皆に知られぬように配慮致しますので、どうか行かせてくださいませ」
百目鬼はしばし考え込んでいたが、やがて観念したように頷いた。
「……そうですな、致し方ありますまい。では、急ぎ馬と供を用意させましょう」
「お願い致します。ですが、供は故郷くにより連れてきた護衛を伴いますゆえ、お気遣いなく」
「わかりました。では準備ができ次第、お部屋に伺います」
話は纏まった。瑠唯はすぐさま小夜の元に行き、護衛を呼んでくれるよう頼んだ。そして急いで部屋へと戻り、袴と頭巾を身に着ける。ややあって、護衛の三郎と百目鬼が遣わした下男が到着した。
瑠唯は下男に導かれ、三郎と共に人気のない東口までやってきた。するとそこに三頭の馬と一緒に、時枝の姿があったので、瑠唯は首を傾げた。供は断ったはずである。
「時枝殿? どうなされたのです」
瑠唯は禍祓いの現場をあまり人には見られたくなかった。時枝は経験者であったが、祓っている間、対象者は忘我状態となるので、何が行われているか分からず、あっという間の出来事だと感じるらしい。よって時枝は、瑠唯がどうやって祓うのかを詳しくは知らないのだ。
瑠唯の禍祓いは、慣れない者が見れば気味が悪いと思うやり方である。知ればきっと奇異の視線を向けられる。それが嫌だったのだ。
「供はいらぬとのことでしたが、村までの先導は必要でしょう」
「そうですなあ。私も姫さまも道を知りませんから、時枝殿が案内してくださるのであれば有難い。でしょう、姫さま?」
「……そうじゃな」
しかし見られたくないと思うあまり、肝心なことを忘れていたようだ。村までの道も知らないのに、一体どうやって行くつもりだったのか。瑠唯は気恥ずかしくなって、俯いた。
「では時枝殿、村までの案内、よろしくお願い致します」
「はい」
やけににこにこと見つめてくる時枝に、余計いたたまれなくなる。瑠唯は彼の視線を振り切り、そそくさと馬に乗った。今まで大人しく傍についていた雪童も、ふわりと跳ねて馬に跨る。
背後で微かな振動が起き、馬が嘶いた。それに合わせて、くすくすと笑う気配。
「うっかりしてるよなあ。三郎もきっとそう思っているぞ」
言い返してやりたかったが、人前なのでそうもいかない。代わりに、雪童の頭を肘で軽く小突いてやった。