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悪食  作者:
6/26

久世の内情

 瑠唯は百目鬼の部下に連れられ、離れにある茶室に通された。既に日は落ちているので、室内には行灯が灯されている。灯りに照らされた百目鬼と時枝の顔つきは厳めしく、物々しい雰囲気を放っていた。


(いかにも密談といった感じじゃな……)


 ひっそりと思いながら、瑠唯は促されるまま上座に腰を下ろす。坐し終わると、百目鬼がようやく口を開いた。


「このような夜更けで申し訳ありませぬ。何分時間がなかなか取れませんでな……」

「お気になさらないで下さいませ。で、話とは」

「……此度姫君にお越しいただいたのは他でもありません。八定さまに憑いている怪を祓っていただくためです」

「わかりました。それで、今の若君のご様子は? ご自身の意思を保っていられる状態なのでしょうか」


 瑠唯の問いかけに、百目鬼は眉根を寄せた。

 本人の意思が保たれているならば、祓うことは比較的容易い。そうでない場合は対象者への負担が大きくなる。それなりの覚悟をしてもらわなければならない。

 百目鬼の様子からして、これは後者であろうな、と瑠唯は内心嘆息する。しかし返ってきた答えは、意外なものであった。


「普段通りですが……」

「普段通り? それで何故怪が憑いたとお分かりになったのです」


 物の怪に憑りつかれれば、少なくとも何らかの異常をきたすはず。普段通りというのはあり得ない。


「それは……」

「それはあのお方の力が人ならざるものではなかったからでございます」


 言いよどむ百目鬼の後を、時枝が続けた。


「太刀の一振りで胴を二つに裂き、素手で胴から首をいとも容易く引きちぎる。あれはもう人ではございません……」


 時枝の語った話は、聞くだけでも恐ろしく、身の毛のよだつ所業である。そして彼は実際それを見たのだろう。顔に浮かぶあからさまな恐れが、それを物語っていた。

 流石の瑠唯も、この話には眉を顰めた。するとちらちらとこちらを伺っていた百目鬼が、渋い顔をして時枝を睨んだ。


「おい、そこまで言うことはあるまい……。姫君が怖がるであろう」

「いえ、詳しく聞かせていただきとうございます」

「然様ですか……」


 百目鬼は拍子抜けした風に呟き、渋々口を開いた。


「時枝殿の言う通りでございます……。八定さまの強さは、初陣の頃より尋常ではありませんでした。年を経るごとにその強さは異常性を増し、ついには兄君や弟君まで犠牲に……。最初の頃こそ、鬼神の申し子だと誉めそやしていた定昌公も、このままでは流石に危ういと思い、今に至ったというわけでございます」


 つまりは若君の強さは物の怪のおかげで、憑いていたことをわかっていながら、戦に勝つために放置していた。そういうことになる。瑠唯は会ったこともない若君を、少し哀れに思った。


「もしや戦のために、若君によからぬものを降ろしたのではありますまいな?」

「いや、流石にそこまでは……」


 百目鬼は慌ててかぶりを振ったが、時枝が沈鬱な面持ちで呟く。


「いえ、どうでしょう……。八定さまの幼い頃のことを知らぬので、我々も何とも言えないのです……」

「では若君の幼い頃のことを知る方からお話しを伺いたい。できれば祓う前に」

「わかりました。帰り次第探し出してみましょう」


 若君は側室の御子であるということは聞いていたが、それでも幼少の頃からお付の者はいるはずである。それを探し出すとはどういうことか。もしや関係者が皆死んでいるのか。それか憑き物が幼い頃よりのことだったとすれば、恐ろしがって逃げ出してしまう者もいたのかもしれない。自分の時のように――。

 そう思ったら瑠唯の胸はちくりと痛んだ。


(何とか、お助けして差し上げたいが……)


 話を聞く限り、若君に憑いたものは相当な代物だ。結婚という建前も、他国に知られぬようにというよりは、若君に知られぬようにという可能性もある。そうなると何故自分が呼ばれたのかも何となく予測がついたし、助けることも限りなく難しいということになる。

 自らの考えとは違っていてほしいと祈りながら、瑠唯は疑問を口にした。


「一つお聞きしたいのですが、わたくしにお声が掛ったのは何故でしょうか」


 その言葉に、百目鬼の顔が痛ましげに歪む。時枝の表情にも暗い影が差し、沈黙が降りる。二人の様子からして、予測は的中したようなものだった。


「……誰も祓うことができなかったからでしょうか」

「……姫君のおっしゃる通りでございます」


 予想を口にしてみれば、案の定の答えである。顔には出さないが、瑠唯は本格的に気が滅入ってきた。


「いずれも力ある僧正さまにお頼みしたのですが、一人は相対して打ち負かされ、もう一人は城に着く前に殺されてしまいました。他の者は、八定さまを見ただけで、これは無理だと匙を投げたのでございます。頼みの綱は姫君しかもうおらず……」

「それ程のものに憑かれたとあらば、既に手遅れかと思います。仮に祓えたとしても、八定さまはご無事ではいられないでしょう」


 そもそも誰も祓えなかったものを、自分が祓えるとは思えない。しかしここでそれを唱えても、はいそうですかと受け入れられはしないだろう。あちらも切羽詰っているのだ。祓えば若君は死に、祓えなければ瑠唯が死ぬ。どちらに転んでも、最悪な話である。


「致し方ありません。定昌公も承知の通りです」

「八定さまにはなんと? ご本人には怪を祓う意思はお有りなのですか?」

「おそらく、ご自身も解放されたいと願っているとは思うのですが……なあ?」


 百目鬼が眉間に皺を寄せながら、時枝に視線を送る。彼は頷き、百目鬼の後を引き継いだ。


「しかし八定さまに憑いた怪が邪魔をするのです。ですので、今回のことは八定さまはご存知ありません。流石に瑠唯さままで殺されては叶いませんからな。定昌公がこう提案したのです。今日に至る数々の勲功として、諸国随一の美姫(びき)を与えようと」


(なんと大げさなことを言ってくれるのじゃ……!)


 瑠唯はくらりと眩暈を覚えた。会ったら確実にばれる嘘である。美姫でない自分は怪を祓う前に斬り殺されてしまうのではないか、とついその場面を想像してしまい、更に気分が悪くなった。


「随一の美姫などと……そのような出鱈目、お会いしたら嘘だとわかってしまうではありませんか……」


 言ってしまった言葉は取り消せない。それをわかっていても、抗議せずにはいられなかった。

 しかし狼狽える瑠唯とは裏腹に、百目鬼は一瞬瞠目した後、破顔した。


「姫君は間違いなく、随一の美姫ですぞ! 私は瑠唯姫さまほど美しい女人は見たことがありませぬ。兵たちも姫君の美しさには感心しております。その美しさたるや、沈魚落雁、閉月羞花の如し、と」


 時枝も硬い表情をわずかに緩ませ、頷いた。


「北方と阿須南では美しさの基準が違うのでございましょうな。百目鬼殿の言う通りですので、ご安心ください。瑠唯さまであれば、八定さまとて跳ね除けることなどできますまい」

「……然様でございますか」


 そう言いつつ、瑠唯は袖で口元を隠した。にやけた顔を隠すためである。百目鬼の美辞麗句にはいまいちしっくりこなかったが、美しいと言われて悪い気はしない。

 こんな時に笑うな。心の中でそう叱咤しているのに、どうしても口が緩んでしまうのだった。


 しかしその笑みも次の瞬間引っ込んだ。時枝が陶酔したような目で見つめてきたからである。瑠唯は何事かとたじろぎ、口元を覆ったまま首を傾げた。


「祓いに関しても、私は瑠唯さまならばやり遂げてくださると信じております。貴女さまのお力で助けていただいた私が言うのですから間違いありません」

「時枝殿が……?」


 さりげなく視線を外して記憶を手繰る。しかしまるで思い出せない。

 それが顔にでていたのだろう。時枝は苦笑して、過去を語り出した。


「はい。覚えていらっしゃらないのも無理はないでしょう。二年ほど前ですからな。あのように特別な法もなく、あっという間に祓ってしまわれる方を私は未だ見たことがありません。しかも、僧正さまに打つ手なしとまで言われた物の怪を……。あの時のことや救っていただいた御恩、決して忘れますまい」


 そう言われて思い出したのは、最初に交わした挨拶である。確か百目鬼は「時枝殿の言う通り」と言っていた。あの時は気にも留めなかったが、今になってそういうことかと得心する。


「……もしや、此度の祓いにわたくしを、と進言したのは時枝殿でございますか」

「如何にも」


 瑠唯は真摯な眼差しで見つめてくる時枝を、少し恨んだ。恩に思ってくれているのなら、放っておいてくれた方が有難い。それに当時のことは瑠唯の記憶に残っていないので、彼に憑いていたのは大した物の怪ではなかったのだろう。きっと時枝が頼った僧正は、似非僧正だったに違いない。

 とはいえ、ここで恨み言をいっても何の意味もない。瑠唯は気持ちを押し殺して、二人を見据えた。


「……やるだけやってみましょう。それから、今一度確認させていただきとうございます」


 そして声を潜めて問う。


「若君の生死は問わず、ということでよろしいのですね?」

「はい」


 二人の迷いのない返事に、瑠唯は安堵した。

 何としてでも救ってくれと言われなくて良かった。生かさなくても良いのならばなんとかなる。そう考えて、すぐさま自己嫌悪に襲われた。助けたいと思っていたのではなかったのかと。

 けれど若君をこの目で見ない限りは、まだ何ともいえない。助けられないと決まったわけではないのだ。


「では姫君、祓いが無事終わった後の話になりますが――」


 百目鬼が何事かを言いかけたその時である。 



 ――けて!


 ――お助けください!



 外からの助けを乞う叫びに、三人は戸を見やった後、そろって顔を見合わせた。


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