出立
久世より瑠唯を迎えに来たのは、二人の武将だった。
一人は百目鬼広基といい、大柄な体躯に団子鼻で愛嬌のある顔立ちをしており、はきはきとした喋りからも快活さを伺える人物だった。そしてもう一人は百目鬼とは対照的に、小柄で寡黙そうな雰囲気を醸し出している、時枝正嗣という武将である。
互いに挨拶を交わした後、百目鬼は目をきらきらさせて朗らかに笑った。
「いやはや、それにしても時枝殿の言う通り、姫君は天女もかくやと言わんばかりの美しさですなあ!」
心底関心した風に言うので、瑠唯は呆気にとられたが、すぐさま笑みを張り付けて取り繕う。
「百目鬼殿は口上手でいらっしゃる。……それで、定昌さまと八定さまはご健勝であらせられましょうか」
とりあえずはどういう状況なのか知りたかった。誰を祓えばいいのかも聞かされていないのだ。
「……ええ、つつがなく。そうですな、ご婚礼の件につきましては、折を見てお話しいたしましょう」
一応瑠唯の意図は伝わったらしい。百目鬼はきりりと顔を改め、力強く頷いた。
* * * *
船に乗り、本土に着けば、後の道中はずっと籠に揺られていた。籠が嫌いな瑠唯にとって、最悪な移動手段である。狭苦しいし、揺れが激しくて喋ることもできない。そんな状態が十八日も続けば、流石にぐったりとなってしまう。体は凝り固まり、地に足をつけているのに未だ揺れているような気がした。
「急ぎの長旅など金輪際しとうない……」
瑠唯は脇息にもたれ掛って、呻いた。侍女たちも、真に、と口をそろえて呟く。
「でも後六日程で着くそうですよ。もう少しの辛抱でございます」
侍女の中では一番年かさの美禰が、白湯を差し出しながら言った。瑠唯は小さく礼をいって、それを受け取る。白湯をゆっくりと飲み干すと、体の中心が温まり、最悪な気分が少しだけましになった気がした。
「そうか、後六日か……。早く落ち着きたいものじゃな」
「着いたところで、落ち着けるかどうか……。婚礼の支度やらで忙しくなりますでしょう? 全てが終わるころには、私はどうにかなってしまうかもしれません……」
悲観的な呟きをもらしたのは、もう一人の侍女、花である。彼女も疲労困憊らしく、床にだらしなく座り込んでいた。
「忙しかろうとわたくしは地に足をつけた生活がしたい……。振り子人形のような今の状態より余程よい」
「まあ! やだぁ、姫さまったら! ふふっ」
何が面白いのか、花がけらけらと笑い出す。この娘の笑い処はよく理解できないが、朗らかな明るい声は瑠唯の気分も明るくした。
「では花殿、笑って元気が出たところで、座り込むのをやめて働きなされ」
「あっ、いえ、私まだ少々疲れが……。美禰さま、あともう少しだけ……!」
「早う立たぬか!」
美禰に喝を入れられた花は飛び上がり、先程のだらけ具合が嘘のようにきびきびと動き出した。顔は半泣きであるが。
瑠唯はにこやかに二人を見守りながら、父の采配に感謝した。
小夜よりも厳しいが、体力自慢の頼もしい美禰。泣き言は多いが、明るく人懐こい花。この二人は輿入れの際に、宛がわれた侍女である。そのおかげで、雪童と堂々話すことはできなくなったが、彼女たちの人となりは好ましく、瑠唯もすぐに打ち解けることができたのだった。
「あのぅ、美禰さま、私厠に行きたいのですが……」
「……そうか、いって参れ。道草はせぬようにな」
「はーい」
呑気な返事を寄越して、花がそそくさと出て行く。その際に、開けた襖からひやりとした夕風と共に、爽やかな芳香が室内に入り込んできたので、瑠唯は顔を上げて、すん、と匂いを嗅いだ。
「……何やら良い香りがする」
「夏蜜柑の花でしょうね。そうそう、この寺には良いお庭があるそうですよ。陽が落ちていないうちに、小夜殿とご覧になってきたらいかがですか?」
衣桁に衣を掛けていた小夜が、美禰を振り返り、目を瞬かせた。
「あら、後をお任せしてしまっても良いのですか?」
「ええ。小夜殿はずっと動き通しでしたからなあ。姫さまはいかがいたします?」
籠りきりの日々だったので、目を楽しませるのもいい気分転換になるかもしれない。それに供が小夜なら、雪童とも久々に会話ができる。
瑠唯は美禰の提案に頷いた。
「うん、行ってみようか」
「では美禰さまのお言葉に甘えて行って参ります」
「はい。いってらっしゃいませ。お庭は西側ですからね」
* * * *
確かに美禰の言う通り、良い庭だった。
池の周りに植えられた躑躅が咲き乱れ、松や楓が良い配置で植えられている。
濡れ縁の上でしげしげと眺めていると、草履を取り出していた小夜に、さあどうぞ、と促された。
「小夜は行かぬのか?」
「わたくしはここで見張りです。御姉弟水入らずでどうぞ」
「すまぬな……」
「いえいえ。実のところ、わたくしくたくたで、座っていた方が楽なのです」
「そうか。では小夜殿、ごゆっくり」
冗談めかした言葉を返して、瑠唯は庭へと下り立った。
先に庭に下りていた雪童は、池の縁に座り込んでいた。何をしているかと思えば、餌をやる仕草で、鯉を集めて遊んでいる。瑠唯が隣に腰を下ろすと、彼はぽつりと呟いた。
「百目鬼殿のような方が夫だといいなあ」
「なんじゃ、お前百目鬼殿が気に入ったのか」
「うん。瑠唯も好きだろう。ああいう明るいお方は」
「そうじゃな。このわたくしを美人だと言ってくれたしな」
「世辞だろう」
「だが百目鬼殿は心からそう思っているようだったぞ? 兵たちもわたくしのことをじろじろと見ておったしな。阿須南の基準でいえば、わたくしは美人なのかもしれぬ」
くすくすと笑いながら言えば、よく言う、と雪童が呆れ笑いをもらした。
もちろん瑠唯も彼が言う通り、世辞だろうとは思っている。故郷で絶賛されていたのは髪だけで、容姿に関しては、お優しい御顔立ちですね、くらいにしか言われたことがないのだ。瑠唯自身も、自らの顔を美しいなどと思ったことは一度もなかった。
ただ兵たちから感じる視線は本当で、これはあまりいい気分ではないなあと思っている。自分におかしな所でもあるのだろうかと不安になるのだ。しかし見られることには慣れなくてはならない。視線程度で戦いていては、国主の妻など務るはずもないのだから。
などと考えていたら、自然とため息が漏れた。これはよくない。慌てて頭を空っぽにする。せっかくの休息の時間なのだから、疲れるようなことは考えたくなかった。
ぼうっと無言で雪童と共に鯉に目を向ける。そうして呆けていた瑠唯だったが、そういえば、とふと思い当たって立ち上がった。
「夏蜜柑がないではないか」
一応あれが目当てで庭に来たのだ。きょろきょろと見回していると、鯉を眺めていた雪童が顔を上げて言った。
「あれは東側にあったぞ」
「ふうん。景観の関係だろうか……」
あの花の匂いが気に入っていた瑠唯は、少々残念に思いながら、鼻で息を吸った。時折吹く風が、香りを運んできてくれるのだ。
「良い匂いじゃなあ。初夏の香りというやつか」
「香もこういう匂いならな。あれはきつすぎる」
「軽く薫る程度ならわたくしは好きだが――」
瑠唯は唐突に口を噤んだ。
そよ風が吹く。風に乗ってきたのは、爽やかな芳香と、甘く馨しい匂い。
こくり、と喉が鳴る。
瑠唯は無意識のうちに、喉元に手を添えていた。
「腹が減ったか」
「うん……」
「では何かとってこよう――いや、花が来たな……」
振り返れば、雪童の言う通り、花が小夜と話し込んでいる。そういえば部屋を出る際に、何かあったら花を寄越す、と美禰が言っていたなと思い出す。
ぼんやり彼女たちを眺めていたら、軽く背中を叩かれた。
「我慢できるよな?」
不安気な眼差しが瑠唯に向けられる。瑠唯はまじまじと彼の顔を見つめた。
元々丸みがあったとは言えない頬が、少しやつれている。このところ忙しくてあまり食べる暇がなかったせいだろう。彼が、ではなく瑠唯が、である。彼は物を食べるということをしないのだ。体調の良しあしは全て瑠唯に繋がっている。瑠唯の調子が悪くなれば、雪童にも影響するのだ。
瑠唯は多少申し訳ない気持ちになりながらも頷いた。
「うん……」
「ではさっさと行ってやれ。きっと瑠唯を呼びに来たんだ」
空腹で足取りが重かったが、気力を振り絞って早めに歩いた。さっさと用事を済ませて食事をした方が彼のためにもなるだろうと思ったからだ。そうして瑠唯は濡れ縁まで戻り、花に尋ねた。
「何かあったのか?」
「姫さまにお話しがあると、百目鬼さまが」
「わかった。すぐ行く」
ようやく話を聞かせてもらえるようだ。なるべく単純な話でありますように、と瑠唯は心の中で祈った。