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悪食  作者:
2/26

小夜と雪童

 恒久との話を終えた瑠唯は、城内にある(やしろ)に向かった。

 社には二つの宮があり、一つは才楼の土地神を祭る宮、もう一つは宵の宮と言って、黒邊家に伝わる神、黒宵夜天(こくしょうやてん)が祭られている。そして宵の宮は瑠唯の住処でもあった。


 形式通りに身を清め、二つの宮の拝殿で帰還の挨拶をする。それから自分の部屋へ戻り、旅装を解いて、いつもの巫女装束に着替えた。

 微かに漂ってくる嗅ぎなれた香の匂いに、ああ帰ってきたのだなあという思いが湧き上がる。すると気が抜けてしまったのか、急にどっと疲れが押し寄せてきて、瑠唯ははしたなくも床の上にごろりと寝そべってしまった。


「お疲れさまでございました。瑠唯さま」


 だらしない主人に、小夜が苦笑しつつも労いの言葉を掛けてくれた。いつもであれば、このような振る舞いをしようものならすぐさま窘められるところだが、今日ばかりは許してくれるらしい。何せ二日間の旅路の後に、きな臭くもあり面倒な縁談話。疲れも出るというものだ。


「うん……。小夜も、ご苦労であった……」


 寝転がっていると、今度は眠気がもたげてきた。そのせいか、小夜への言葉もどことなく元気のないものになってしまう。


「やはり瑠唯さまであっても不安なのですねえ」


 しかし小夜は瑠唯の態度を、縁談話で気落ちしていると捉えたようだ。違う、と言おうとするも、こみ上げてきた欠伸の所為で言葉にはならなかった。


「あの”八つ裂き八定”ですものねえ……。とんだことになりましたなあ……」


 小夜はそう言って、憂鬱そうに溜息を吐いた。

 嫁入りともなれば、侍女である彼女も着いてくることになる。恐ろしい噂のある家に行くのは、やはり小夜でも怖いのだろう。それに付け加えて阿須南は遠く、道中何があるかわからない。不安だらけの縁談である。


「不安はまあ、少しはあるが、今は眠いだけじゃ……」

「あら、寝てしまっては駄目ですよ! 静さまにご報告が済んでおりませんでしょうに」


 瑠唯はふふっと笑って、衣を片づけている小夜を眺めた。彼女と一緒にいると、昔自分を育ててくれた乳母の沙耶を思い出す。やはり母娘だけあって、彼女たちは似ている。それは瑠唯にとって好ましいことだった。


「わかっておる……。なあ、小夜」

「はい?」


 小夜が振り返って、ぱっちりした目を瞬かせた。目元が母そっくりだなあ、と瑠唯は微笑む。


「怖かったら小夜は才楼に留まっても構わぬのだぞ」

「まあ! 馬鹿なことをおっしゃらないでください。わたくしが着いてゆかねば誰が瑠唯さまのお世話をするというのですか」


 小夜は瑠唯の言葉を馬鹿馬鹿しいとばかりに一蹴した。半ば予想していた答えではあったが、それが聞きたくて言った節もある。もちろん、危険な目に遭わせたくないという思いもあったが。


「うん、そうだな。小夜がいなければ、わたくしは困ってしまう……」


 年下の侍女に甘えるなど、幼子のようだと自分でも呆れる。それに危険な目に遭わせたくないと思うならば、自らが彼女を守るという気概がなくてどうするのだ。沙耶が亡くなった時、自らに誓ったはずなのに。柄にもなく結婚話で動揺していたのだろうか、情けない。瑠唯は自らを嘲笑った。


(しかし見捨てられなくてよかった)


 微睡みながらそう思う。生ぬるい気分に浸っていたら、段々と瞼が重くなってきて、起きなければいけないという気持ちも無くなってしまった。結局、瑠唯は睡魔の誘惑に負けて、とうとう目を瞑ってしまった――のだが、途端痛みと息苦しさに襲われ、寝ているどころではいられなくなった。鼻をつままれているのだ。それも思い切りぎゅうぎゅうと。

 姫君である瑠唯に、このようないたずらをする者は一人しかいない。目を開ければ、そこにはやはり雪のように真っ白な髪を持つ、六才ほどの童が瑠唯の鼻をつまんでいた。


「こら、やめよ、雪童(せつどう)。息が出来ぬではないか。それに痛い」

「寝入るところだったろう? 起きろ。寝たら衣が皺になるぞ」


 瑠唯が起き上がると同時に、雪童と呼ばれた少年は小さな手を放して呆れたように言った。その仕草は少し大人びていて、生意気でもある。それもそのはず、彼は人間でいえば十四、五才程になる。つまり、彼は人間ではなかった。

 ただ、雪童が(あやかし)であるのかそうでないのかは瑠唯にはわからない。彼と出会ったのは、瑠唯が六歳の頃。雪の降りしきる日に、突然雪の塊の中から瑠唯の前に現れたのだ。大叔母が言うには、おそらく瑠唯が彼を生み出したのだろうということだった。

 そうなると、雪童は瑠唯の子供ということになる。だが流石に六歳の少女が母と呼ばれるには奇妙であったし、その話を聞いた頃にはお互い既に名前で呼ぶことが定着していたので、瑠唯は彼のことを弟として扱っている。子供がいてもおかしくない年齢になった今では、子でもいいかもしれないとたまに思っているが。

 それこそ昔の雪童は、親を慕う雛鳥のように瑠唯の後をついて回ったものだったが、最近ではお目付け役のような行動をとる。先程のように窘められることもしばしばだ。見た目はあまり成長せずとも、心はちゃんと成長しているということらしい。頼もしくはあったが、少し寂しい。今も、自分へのぞんざいな扱いに一抹の寂しさを覚えつつ、しょぼくれた声を出して瑠唯は文句を言った。


「もう少し優しく起こしてくれても良いではないか……」

「優しくすると寝るだろう」

「……」


 図星だったので、何も言えなかった。現に、瑠唯の寝起きは悪く、優しくされるとずるずると寝続けてしまうのだ。彼の言うことはもっともであったし、叔母への報告やらこれからの準備など、やらなければならないことが山積みである。のんびりしている暇はないのだ。

 瑠唯は観念して、素直に礼を言った。


「そうじゃな、起こしてくれてありがとう」


 そうして礼のつもりで頭を撫でようとすると、さっと避けられた。瑠唯の手は虚しく空中を彷徨う。こういった触れ合いも嫌がられるようになったのだ。やはり寂しい。

 瑠唯は行き場のなくなった手を誤魔化すように揉み合わせ、溜息を吐いた。


「さて、叔母上にご報告に行くか……」


 ちなみに、雪童の姿は瑠唯と叔母にしか見えない。なので今のやり取り、小夜には瑠唯の独り言にしか聞こえていないのだ。傍から見ればさぞや奇妙な光景であろう。幼い頃などは乳兄弟の気安さから、不気味だの瑠唯さまはおかしいだの、散々に言われたものだったが、今はもう慣れたもので、瑠唯に対して何かを言うことはなくなった。何かを言うとすれば、雪童に対してである。

 というのも、彼が掴んだり放ったりする物は、突然浮いたように見えるらしく、流石にそのような場面を見れば、”何かいる”ということを小夜も理解したようだったし、雪童が仕掛ける小夜への悪戯が、存在を意識せざるをえなかったのだ。今ではその悪戯も鳴りを潜め、小夜や瑠唯の手助けをすることに始終していたが。


「あ、瑠唯さま、お待ちくださいませ。御髪が乱れておりますよ」


 と小夜が言えば、雪童が心得たように櫛を取り出し、彼女の目の前に差し出す――といった風に、気が利く弟分をやってくれているのだ。


「あら、雪童、ありがとう」


 そうして小夜が櫛を受け取り、一括りにして背中に流している瑠唯の髪を丁寧に梳き始めた。瑠唯の髪が好きだという彼女は、髪に関しては当人よりも気を使ってくれている。


「美しい御髪なのですから、大切になさいませんと」


 小夜の言う通りに、瑠唯の髪は美しかった。しっとりとしていて指通りがよく、濡れ羽色の髪。これだけは、瑠唯も自らが誇れる数少ない美点であると自負している。


「はい、よろしいですよ」

「ありがとう、小夜、雪童も」


 ちらりと振り返って二人に微笑む。雪童は黙って肩を竦め、小夜はふふっと笑った。


 いつも瑠唯を支え、助けてくれる小夜と雪童。これから先行き不安な未来が待ち受けているが、彼らが傍にいてくれるだけで、何があっても耐えられる、と瑠唯は思った。


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