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悪食  作者:
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縁談

 朝日を浴びた水面が銀色に煌めいている。静かに打ち寄せる波の音と相まって、この上なく美しい風情だ。ああ、やはり来てよかった、と瑠唯(るい)は目を細めた。


 才楼(さいろう)は島国である。だが国主の娘として生まれた瑠唯にとって海は馴染み深いものではない。十八年間の生の中で三度目なのだ。未だ珍しく、視界一面に広がる紺碧の美しさを眺めるのがとても好きだった。

 苦手な朝でも今日ばかりはすっきりと目覚めることができたのも、この光景を楽しみにしていたおかげと言えよう。何せ神事を終えた後の海を見る機会は、この日の早朝を置いて他にない。辰の刻には城へ戻るために出立しなければならないのだ。 


 しばらくじっと海を眺めた後、瑠唯は足元に目を向けた。砂に混じって、色々な貝殻が散らばっている。象牙色の貝、薄紅色の貝、渦巻き型の愉快なもの。今も一つの貝が波に打ち上げられて、ころころと転がっていった。


 海は様々なものを運んでくる。良いものも、良くないものも。


(しかし、今年は良くないものの方が圧倒的に多かった)


 足元にある貝殻を何気なく手に取り、先日の光景を思い出す。


 神事を行う前の海の様子は酷かった。死を誘う声が絶え間なく聞こえ、水底へと引きずり込まんとする亡者たちが、そこかしこに蠢いていたのだ。それも、力を持たぬ者でも何となく嫌な感じがする、というのがわかる程に。

 なぜこのような状態になったのかといえば、おそらく本土で起きていた戦の影響だろう。戦があった年の海は亡者の群れが流れ着く、と以前叔母が話していた。

 にしても、尋常でない数であった。それだけで戦の激しさと凄惨さが窺い知れる。本土では阿須南(あずな)の国の久世氏が破竹の勢いで領土を拡大しているそうだ。その噂は、普段社に引きこもっている瑠唯の耳にも届く程だった。


 海の神事は年に一度行われる。豊漁の祈願と厄災を払う(まが)払い。今回瑠唯は、巫女としてその祭事を取り仕切った。本来ならば、これで今年はこの海辺に来ることはないのだが――


(あの量を考えると、半年後にもう一度禍払いをする必要があるやもしれぬ……)


 ――くしゅっ。


 可愛らしい音に物思いから引き戻された瑠唯は、背後を振り返った。見れば、侍女の小夜が袖をすり合わせていかにも寒そうにしている。


「大丈夫か?」

「ええ。ですが、春の海はまだ寒うございますね」

「そうじゃな。そろそろ戻ろう。小夜が風邪を引いてしまっては大変じゃ」


 もう少し見ていたい気分ではあったが、寒がっている者に無理強いはできない。それにまた来れるだろう。機会は沢山ある。何せ自分は一生この国で、巫女として生きるのだから。



 しかし帰ってきた瑠唯を待ち受けていたものは、その定まっていた将来を変えるものだった。



「父上様、豊ヶ浦浜より只今戻りました」

「うむ、大儀であった」

(父上はご無事か。では誰かに何かあったのか……)


 城門をくぐるなり呼び止められ、着替える間も与えられず父の元へと促されたので、もしや父の身に何かあったのではと危ぶんでいたが、肝心の父は脇息に身を預けて瑠唯を待ち構えていた。

 父には何事もなさそうだが、ではもしや身内に何かあったのだろうかと、別の不安がもたげてくる。以前もこういう呼ばれ方をしたことがあるが、その時は姉が物の怪に憑りつかれてしまったという知らせだった。だから今回もきっとその手の話なのだろう、と瑠唯は思ったのだ。


「わたくしに火急の用があるとのことでしたが、何があったのですか?」

「うむ……」


 父である黒邊恒久(くろべつねひさ)は、文机に開かれている文を一瞥すると、眉間にしわを寄せて口を開いた。


「お前に縁談がある」

「わたくしに縁談、でございますか」


 いつもはゆるりと微笑みを湛えている瑠唯でも、思いもよらぬ知らせにあっては目を丸くするしかない。何事もなく安堵はしたものの、まさかこのような話とは。


「そうだ」


 恒久はにこりともせずに頷いた。一応目出度い話ではあるのに、父は先程から難しい顔を崩さない。どうやらあまり良い相手ではないらしい。しかも巫女として生涯を終えるはずだった自分への縁談ともなれば、複雑な事情がありそうだ。


「して、お相手はどなたなのですか?」

「……久世の八定殿だ」

「まあ……」


 久世八定(くぜやつさだ)と言えば、久世家の若君、そして噂の渦中にいる人物である。夜戦を得意とし、その戦いぶりは鬼を思わせるほどの強さだと言う。そのためか、鬼の八定、八つ裂き八定などと恐ろしげな名で呼ばれていた。


「ですが、何故わたくしなのです?」


 瑠唯は現在十七だが、二月後には十八になる。十八と言えば適齢期をとっくに過ぎている年増だ。嫁ぐならばすぐ下の妹、千也が適任だろうに。


「定昌殿が、瑠唯を名指ししてこられたのだ」

「久世の殿様が……」

「お前の力を借りたいらしい」


 力、というと禍払いをせよ、ということだろうか。それだけなら別段珍しいことでもない。時折瑠唯を頼って、外の国から人が来ることもあるからだ。何でも、才楼には高僧に引けを取らぬほどの素晴らしい力を持つ巫女がいる、という噂が広まっているらしい。

 それに強国の長ともなれば、相当な恨みを買っていることだろう。良くないものが寄り付くのは想像に難くない。だが禍払いをするだけなら、嫁ぐ必要はないように思えるし、阿須南の付近にも、儀式を行える高僧はいるはずだ。となると――


「では、結婚は建前ということですね」

「うむ。禍払いのことは、他の者には内密に、とのことだったのでな」


 事情はどうあれ、才楼のような小国では受けるしかない縁談である。面倒事が舞い込んできたなあ、と瑠唯は内心溜息を吐いた。おそらく父も同じような心境なのだろう。大抵のことは涼しい顔をして過ごす父が、険しい表情を崩さないのは珍しいことだった。


「我が国にとって、久世のような力ある家との縁談、喜ぶべきことなのだろうが……」


 言葉を濁したまま、恒久は溜息を吐いて黙り込んでしまった。けれど瑠唯には父の思いが手に取るようにわかった。

 久世定昌は武将としては素晴らしいが、人としては全く信用がおけぬということで有名だ。とある家は難癖をつけて滅ぼされ、とある同盟国はあっさりと裏切られて滅亡している。出来れば関わり合いになりたくない人物であるというのは確かだった。

 そんな輩と縁を持てば、はたしてこの才楼はどうなることやら。父の憂慮も頷ける。そして大役を任されてしまった瑠唯も、心の中には暗雲が垂れ込めていた。しかし鬱々としていても仕方がない。道は一つしかないのだ。


 瑠唯はいつもの笑みを浮かべて、恒久に決意を伝えた。


「父上様、この瑠唯、見事お役目を果たして見せましょう。黒邊にとって、この縁が良きものとなるように」


 半ばやけくそであったが、声に出してしまえば自然と腹が据わった。言葉には力が宿るものだ。だから瑠唯は、こういった決断の時にはなるべく前向きな言葉を使うように心がけている。

 その甲斐あってか、恒久はようやく雰囲気を和らげて頬を緩めた。


「お前がそう言うと、悪い話ではないと思えてしまうのが不思議だな」

「ふふ。わたくしが弱腰では皆も不安になりましょう」

「確かにな。……では、今から急ぎ準備をせよ。一月後には出立だ」

「それは……、随分と早うございますね」


 本日三度目の驚きだった。いくらなんでも早すぎる。準備するものもあるだろうというに。


「それがあちらの意向なのだから仕方あるまい」

「然様でございますか……」


 それほどまでに急ぐということは、余程危ない状態なのか。結婚などという建前がなければ、もう少し早くに出立できようものなのに。しかし強国という立場ゆえに、隙はみせられないのだろう。力で周囲を従えてきたのだ。内情を知れば、ここぞとばかりに隙をついてくる輩がいてもおかしくはない。


(強大な国であるというのも難儀なものじゃ……)


「案ずるな。一月もあれば、最上級とまではいかぬがそれなりの物は用意できる」


 己の思考にふけっていた瑠唯は、恒久の言葉にゆるりと首を傾げて微笑んだ。父の言葉は瑠唯の懸念とは全く違っていたが、心遣いが嬉しかったのだ。

 しかし――


「あら。父上様がなさることですもの。嫁入り支度につきましては、何も心配などしておりせまぬ」


 実のところ、嫁入り道具などいらぬ、と瑠唯は思っていた。なければ無いで、ことが終わったら帰してもらえるかもしれないと考えていたからだ。


「む……、そう言われると下手なものは用意できぬな。よし、この父に任せておけ。そなたに恥ずかしい思いは決してさせぬ」

「ま、あ……、それは……」


 瑠唯は動揺して言葉に詰まってしまった。どうやら自分の言葉で恒久に余計なやる気を与えてしまったようだ。嬉しいからと言って、調子のいいことを言うべきではないなと痛感する。


「うん? どうかしたか」

「いえ、感激のあまり、言葉が出ず……」


 瑠唯は内心頭を抱えて、再びにこりと微笑んだ。


「父上様のお心遣い、瑠唯はとても嬉しゅうございます」


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