悩める騎士と相談役の娘さん
お姫様を幸せにするのは王子様と相場が決まっていますが、もう一人、お姫様の幸福を願う人物がいました。それは、お姫様の騎士です。
騎士はお姫様が生まれたときからそばにいました。お妃様の遠戚で、身分は高く在りませんでしたが、お妃様の計らいでお姫様のおそばに仕えるようになりました。
お姫様より七つ年上の騎士は、初めから騎士だった訳ではありません。剣の稽古はしていましたが、お姫様の遊び相手として共に育ち、お姫様の最愛のお母上が亡くなられた事を切っ掛けに、お姫様の騎士となる事を決意したのです。深く嘆き悲しむ小さな女の子を、ただ守りたかったのです。
騎士はお姫様の為に、剣の腕を磨きました。どんなに辛く厳しい修練も、お姫様の為と思えば何の苦でもありません。騎士は、いつしかお姫様を守る為に国一番の騎士へと成長を遂げました。
けれど、そんなお姫様も小さな女の子から美しい女性に成長します。日に日に大人になっていくお姫様が求めるのは騎士ではなく、優しい隣国の王子様でした。
騎士の守るべきお姫様と王子様の婚約が成立しました。
年頃に成長し、お互いに想い合い、両国から祝福される二人が結ばれるまで、あとは時が満ちるのを待つばかりです。
しかし、ただ一人。その婚姻に快い顔をしない者がいました。お姫様の騎士でした。
「姫様があんな若造に嫁ぐなど…」
「あらあら、王子様にそんな言い方をしてはだめよ」
城下町の小さな食堂の裏で、騎士の愚痴を聞いているのはその食堂で働く娘さんでした。娘さんと騎士はひょんな事から知り合い、以来あまり身分を意識しない騎士の良い相談相手となっていました。
年頃となっていくお姫様への接し方についても、娘さんが騎士にアドバイスをしていたのです。
「姫様さえ、お嫌だとおっしゃって下されば…」
「攫って差し上げる?けれど、そのお姫様が王子様を好いていらっしゃるのでしょう?」
騎士はがっくりと肩を落とします。
幼い頃よりお姫様を慈しみ、守って来た騎士には王子様を好意的に受け止められません。お姫様のお母上が亡くなられたとき、泣いてばかりいたお姫様を慰め、笑顔にしたのは王子様でした。お姫様の笑顔に安堵し、喜んだのは確かですが、騎士はその事に同時に悔しさを覚えていたのです。
そんな二人が日々成長し、お互いに惹かれ合っていく様子を間近で見ていた騎士は、とても複雑な心境でした。
「………分かっている。私は、姫様を守れれば良い。それだけだ」
騎士は自身に言い聞かせるように、切なく口にしました。騎士は、お姫様に永遠の忠誠を誓い、お姫様を至上とし、その命を懸けてお姫様に仕えていました。
それを口にして許される立場ではない騎士が、はっきりと言う事はありませんが、娘さんは気付いていました。騎士は、お姫様を愛しているのです。
「お姫様に付いて、貴方も隣国へ?」
「ああ。私は姫様だけの騎士だ」
「そう。寂しくなるわ」
娘さんは穏やかに微笑んで言いました。騎士と知り合って以来、何年もこうして言葉を交わしてきました。初めは国一番の騎士、という誉に預かる彼に失礼が無いかと緊張しながら、やがて二人は自然と身分を超えて友人に、そしていつしか――――
「婚礼はまだ先だ。また話を聞いてくれると有難い」
「私で良ければいつでもどうぞ」
娘さんは、騎士を愛するようになっていました。
真面目で、ひた向きで、お姫様に全てを捧げる一途さに惹かれていました。何よりも誰よりも、ただ一人お姫様を想い続ける真摯な騎士を、愛したのです。
報われない、恋でした。
誰もがお姫様と王子様のご結婚を心待ちにしていました。
娘さんも、騎士との別れを惜しみながらも、自国のお姫様の幸福を願っていました。
悲劇は、そんなときに起こったのです。
王子様の国で反乱が起きました。反乱者は王子様の叔父上様です。王様は斃され、王子様は追手に追い詰められ、崖から落ちたそうです。その生存は絶望的でした。
この国の民も、隣国の悲劇を深く哀しみました。王子様は国民に愛されるお姫様の婚約者であり、何より王子様の顛末を知ったお姫様が深い悲しみによりお心を閉ざしてしまったからです。
お姫様が笑う事も泣く事も出来なくなってしまったと、城下の民にまで噂が広がっていました。
娘さんもその噂は聞いていました。そして今、そんなお姫様を間近で見ている騎士と向き合っています。
「所詮、私は無力だ。私では、姫様の為に何もする事が出来ない。何が騎士か」
騎士は、拳を握って歯を食いしばりました。騎士の心は、悔しさと不甲斐なさに支配されています。一部機密により詳しい事情は話せないようですが、お姫様の様子を聞く事は出来ました。
お姫様は呼び掛けても返事をする事もなく、自発的に食事を取ろうともせず、ただ虚空を見つめるばかりだそうです。そして、何も出来ない騎士は、それを見ているだけ。
これなら、泣き叫んでくれた方がいくらかマシだ、と騎士は吐き捨てます。荒い語調は、無力な自身への怒りに満ちていました。
「彼でなければならないのだ。姫様が愛するあの王子でなければ、その御心を救う事など出来はしない」
娘さんは、木箱で出来た椅子に座って項垂れる騎士と、立って向かい合っていました。騎士までも憔悴した様子に、お姫様を案じていた娘さんは更に胸を痛め、手を伸ばそうとします。しかし、触れる直前で躊躇い、上げかけた腕を下ろしました。
娘さんはこれまで、騎士に触れた事がありませんでした。お姫様の事で弱っている騎士に触れようとするなんて、娘さんは自身の卑怯を許せませんでした。
だから代わりに、娘さんは自身の領分を果たします。娘さんは、騎士の相談相手なのです。
「確かにお姫様の御心を救えるのは、王子様だけかもしれないわ。だけど、」
娘さんは、はっきりとした言葉で口にしました。こんな風に弱っている騎士を初めて見た娘さんも少なからず動揺していましたが、努めて毅然とした態度を心掛けました。
自分まで動揺を表に出せば、余計に騎士は落ち込んでしまうと思ったのです。
「お姫様の御命を守れるのは、お姫様の騎士である貴方だけ。それは、王子様には出来ない事よ。貴方がおそばで守らなくて、誰がお姫様を守ると言うの?」
娘さんの言葉に、騎士は沈黙しました。しばらく経った後に、しっかりと立ち上がります。その顔には、表情には、最早何の迷いも憔悴もなく、瞳には決意が宿っていました。
「―――――そうだったな。君のお陰で、私は自身の成すべき事を思い出す事が出来た」
騎士は感謝する、と口にしました。そして、膝を付き、騎士は娘さんに対して最上級の礼を贈りました。それは、城下の民に対するにはあまりに厳かで、神聖な礼でした。
「何としても、姫様を守る。その御心は、いずれ王子が救うだろう」
「王子様は崖から落ちたのではないの?」
「その程度で斃れるなど、私が認めない。あの男は、私に宣言したのだ。『この命に代えても姫を幸せにする』と」
騎士は王子を敬遠していました。けれど、お姫様を想うその心だけは確かである、と認めてもいました。同じ女性を想う者同士、苦手意識と共に奇妙な連帯感がありました。
だからこそ、騎士は王子様のその言葉を信じる事が出来るのです。
娘さんは騎士を見送って、祈りました。王子様の無事を、お姫様の心の慰めを、騎士が己の誓いに惑わない事を。
ひた向きに信じ、祈っていました。
しばらくして、お姫様は笑顔を取り戻したそうです。
城下の民には、事情など知らされません。けれど、娘さんだけは察する事が出来ました。きっと、王子様がお姫様の御心を慰めて下さったのだと。
娘さんのその考えは、晴れやかな表情を浮かべるようになった騎士を見て、確信に変わりました。
「君には、助けられてばかりだな」
騎士は言いました。
「そんな事ないわ」
「ある。君のお陰で、私は自身の役目を見失わずに済んだ」
「それは貴方の力よ」
私は何もしてないわ、と答える娘さんに、騎士はそっと微笑みました。少し、不器用な所がある騎士には、珍しい笑顔でした。
「ありがとう」
その笑顔に、娘さんは息を呑みました。娘さんは、お姫様に笑顔が戻り、騎士に自信が戻った事をとても喜びました。それなのに―――――――
胸を締め付けるこの想いは、何なのでしょう。真っ直ぐに向けられた騎士の笑顔に、どうしてこうも泣きそうな想いになるのでしょう。
娘さんは、騎士の友人でいられれば良かったのです。騎士の力になれれば、ただそれだけで。何も望みたくはありませんでした。
けれど、娘さんは恋をしていたのです。
何も望まない、なんてとんでもない大嘘でした。叶わなくて良いと言い聞かせながら、それでも捨てきれない恋心で、騎士を愛していたのです。
しばらくして、王子様の生存が近隣諸国に明かされました。
例の反乱以後、王子様の叔父上様により圧政を敷かれた隣国は瞬く間に衰退し、人々の生活は荒れ、苦しみと悲しみだけが蔓延っていました。民は幸せだった頃の国を想い、王子様が叔父上様から王位を取り戻す事を願っていたのです。
娘さんの国の民想いの王様は、そんな民の声を知り、隣国を救う為に立ち上がりました。
お姫様の婚約者である王子様を擁護し、王子様が国を取り戻す事に為に、隣国に戦争を仕掛けました。正統な後継者である王子様こそが国を統べるに相応しい、と宣戦布告したのです。
「やっぱり、貴方も戦争に行ってしまうのね」
娘さんは、微笑みました。出立の直前に顔を見せてくれた騎士に対し、不安も恐れも押し隠して、努めて普段通りの様子を見せました。
「姫様に、もう二度とあんな想いをさせる訳にはいかない。私は姫様の騎士だ。姫様の為にも、必ずや王子を守り抜いて見せる」
騎士は、国一番の騎士です。どんな過酷な戦場でも、迷いなく進んでいくのでしょう。騎士がお姫様を想う限り、騎士はどこまでも強くなれるのです。
騎士は、お姫様の為ならば死をも恐れません。それが、騎士であるという事でした。
娘さんは、その目に強い決意を宿す騎士に、言葉を掛けようとしました。必ず無事に帰って来て、と縋りたいような想いでした。
けれど、娘さんはそんな事が言える立場ではありませんでした。騎士は、騎士たる為に、その命を懸けて戦争に臨むでしょう。その願いは、娘さんの勝手な恋心でしたなかったのです。
「負けないでね」
だから、娘さんが言えたのはこんな一言。伝えたい言葉も想いも溢れるほどにあるのに、口に出来るのはほんの些細でした。
「必ず勝利する。待っていてくれ」
騎士はそうとだけ答え、凛とした背を向けて歩き始めます。娘さんは騎士が見えなくなってから、ようやくその心のままに膝から崩折れました。
待っていても良いのでしょうか。それならば、娘さんはいつまでも騎士を待ち続けます。だから―――――
神様、どうかお願いします。王子様をお守りする騎士を、守って差し上げてください。
戦争は、娘さんの国の勝利で幕を閉じました。
王子様は故郷を取り戻し、娘さんの国もお祭り騒ぎです。隣国が落ち着いた頃、当初の予定通りお姫様は王子様に嫁ぐ事になるのでしょう。美しいお姫様を敬愛する城下の民は、皆で喜びました。
そんな中、浮かない顔をしている者が一人。娘さんです。
戦争に勝利した事も、王子様が国を取り戻し、お姫様が愛しい人の元へお嫁に行ける事ももちろん嬉しいのですが、娘さんは騎士の顔を見るまで安心は出来ませんでした。
国一番の騎士ですから、その名は民の間にも知れ渡り、その分騎士に関する情報が錯綜していました。やれ敵将の首を取っただの、やれ王子を庇って怪我を負っただの、その内容は活躍の様子であったり、はたまた不安にさせる内容であったりと、娘さんは心配でなりません。少なくとも、兵隊達が次々と隣国から引き揚げて来る中にはいなかったようです。
待っている身は辛く、嫌な考えばかりが頭を過りました。
もしかして怪我をして動けないのでは、はたまた戦場で病に罹ったりはしていないだろうか、最悪の場合その命が脅かされるなんて事は――――
娘さんはその恐ろしい想像に身震いしました。騎士を信じてはいましたが、けして心配が尽きる事はありません。
娘さんは、いつも騎士と会っていた食堂の裏で、大きな溜息を吐きました。
そのときです。
「少し遅くなってしまったが、待っていてくれただろうか」
そこに立っていたのは騎士でした。娘さんがその無事を祈り、焦がれていた騎士です。騎士はいつもの調子で、けれどいつもより少し柔らかい表情でそこにいました。
娘さんは驚いて目を丸くし、言葉をなくして騎士を見つめました。すると、騎士は娘さん以上に驚いた様子を見せ、途端に慌て始めます。
「な、何故泣くんだ!?」
娘さんの瞳からは、一筋の涙が流れていました。もう何も考えられませんでした。騎士のお姫様への想いや、自分の秘めたる心も、お互いの立場も。
娘さんはその心のままに駆け出して、騎士に手を伸ばし、その屈強な身体に抱きつきました。触れた感覚も、戸惑いがちに娘さんに触れる温もりも確かに本物で、娘さんはまた涙を溢れさせました。
生きていてくれた。
ただ、それだけで。娘さんは何も考えられなくなるくらい、嬉しかったのです。
騎士が無事に戻って来てくれて以来、娘さんはとても穏やかな気持ちでした。
一度はその命が失われるかもしれない。そんな恐怖を知った為に、騎士が生きてくれている以上の事を望まなくなりました。時に息苦しさまで覚えた恋心も、静かに凪いだ気持ちで、心の奥底に染み渡るようになっていました。
生きてさえいてくれれば、この恋が叶わなくても娘さんは幸せだと感じます。
だから、とうとうお姫様が国を取り戻した王子様――――今では新しい王様に嫁ぐ日が決まり、それと共に騎士との別れが近付こうとも、娘さんの心は揺らぎませんでした。
ただ、息災で、騎士に幸福が訪れる事だけを祈ります。
「寂しくなるわ」
お姫様について隣国に向かうと言う騎士に、娘さんはかつてのようにそう口にしました。以前以上に、全てを受け入れた心地で騎士を見送るつもりでした。
「その事なのだが…」
しかし、穏やかな調子の娘さんとは違い、騎士は何やら煮え切らない様子です。娘さんが不思議そうにしていると、騎士は覚悟を決めたように真面目な顔をして、いつも腰かけていた木箱の椅子から立ち上がりました。小柄な娘さんの目前に立つと、背の高い騎士は壁のようでした。
騎士は、意を決してその言葉を口にしました。
「君も共に隣国へ来てくれないだろうか」
あまりに予想外の言葉に娘さんは言葉を失います。騎士の意図が分からず、首を傾げました。
「どうして?」
「それは、だな…あちらには未だ混乱が残る為に、姫様のお側に一人でも信頼出来る者がいて欲しいと。その点、君ならば安心であるし…………いや、違うな」
騎士は難しい顔をして唸るように口にしていましたが、やがて何かを振り払うように首を振ると、真っ直ぐに娘さんを見つめました。
「君に、俺の妻として共に隣国へ付いてきて欲しい」
「…………………え………?」
娘さんは、騎士の言葉の意味がよく分かりませんでした。いえ、その言葉自体は知っているのですが、あまりに現実味の無い夢のような状況に、娘さんの理解が及ばなくなってしまったのです。
「嫌、か?」
「い、嫌、とかそうじゃなくて、だって、え?だって、貴方はお姫様を、愛していらっしゃるじゃない」
娘さんの言葉に、今度は騎士が困惑する番でした。
「確かに姫様を敬愛しているが、それは生涯の主としてだ。それと、妻に望むのはまた別の話だろう」
「だ、だからって、どうして私なの?私は、平民だし、お姫様みたいに美しくもないし…」
動揺から卑屈な事を口にする娘さんに、何て事を言うのだ、と騎士は首を横に振りました。そして、確信を込めた様子で、娘さんの目を見て真っ直ぐに口にします。
「君は君らしく美しい。君を不当に貶める事は、いくら君自身でも許さない」
騎士はその場に膝をつき、まるでお姫様にそうするように恭しく娘さんの手を取りました。その手には、力が入っていて痛いくらいです。
「私は今後も姫様の為の騎士であるだろう。姫様の為に剣を握り、姫様の為に死ぬ。しかし、生きるなら君の為に。私は君の為に生きていたい」
騎士は、真摯な目で娘さんに訴えかけました。始めは全く信じられなかった娘さんですが、ようやく騎士の想いを正確に理解します。痛いくらいに力が込められた手は、緊張のあまり力加減が出来なくなってしまったからだと、分かったからです。
娘さんは、今にも泣いてしまいそうに瞳を潤ませて、騎士に微笑みかけました。
「貴方の気持ちは分かったわ。けれど、本当に私を妻に、と望んでくれるなら、一番大事な言葉を言って欲しいの」
娘さんの言葉に、騎士は首を傾げましたが、すぐにその意図を察したように難しい顔をしました。それは怒っているのでも、悩んでいるのでもなく、照れているだけの事。
やがて、騎士は口を開きました。それはたった五文字の、誓いの言葉。
娘さんは同じ言葉を重ね、騎士へと強く強く、抱きついたのでした。
こうして、とある国のお姫様の騎士は、お姫様の婚礼と時を同じくして妻を迎えました。
お姫様をお守りする事だけを使命としていた騎士も、自らの幸福を見付けたのです。
平民出身の妻を、国一番の騎士には相応しくない、と言う者もいました。けれど、二人はそんな事を気にしませんでした。
何故なら二人には、大切な『誓いの言葉』の五文字があったのですから。
騎士とその妻は、祝福をくれたお姫様に共に仕え続け、支え合い幸福に暮したと言います。
めでたし、めでたし。
読んでいただいてありがとうございます。
このお話は拙作『泣き虫お姫様と優しい王子様』のスピンオフです。しかし、どちらも単品で読めるので前書きで注意を付けていません。
ジャンルを童話にするか激しく悩んだのですが、童話にしては長く心理描写が細かい、と思ったので恋愛に。
騎士:朴念仁。悪く言うといわゆる脳筋。娘さんの気持ちには一欠片も気付いていなかった。シスコン的な気持ちで王子が気に食わない。
娘さん:しっかり者で働き者の城下食堂の看板娘。すぐグルグルと悩んでしまう騎士を放っておけない。