前編
小さく息を吐く音と共に、幾度目かの剣戟の音が森に響く。
音の発生源は使い古された剣を構え、同じく使い古された革の鎧と革の兜を身にまとった、しかしそれらが馴染んでいる訳ではない駆け出しの冒険者然といった少年。
少年に相対するのは1メートル程の高さの木のお化け。うねうねと根を蛸のように這わせ、頭から生えている鋭い枝をまるでカマキリのように振るっていた。
「はっ!」
するすると伸びてくる鋭い枝をなんとか剣で捌く腕は明らかに未熟。だが、その動きにはどこか違和感があった。まるで高い身体能力に振り回されるかのような剣捌き。その高い身体能力のお蔭で、枝の中に隠された鉄のように硬い枝だけはなんとか見据えて弾けていた。
ふいに足元の根が二本伸びて枝にばかり目が行っていた少年の右足のスネを強かに打ち、少年が根に気を取られた隙をついて目の前に鋭い枝が迫る。
「ぐっ!?」
「────」
ビキン!という音がして前を見れば、目の前には金色に輝く光の障壁が木の化け物の攻撃を防いでいた。足に痺れる痛みはあるが、必死に足を動かして木のお化けから転がるようにして距離を取る。
大地を抉る木のお化けの根による攻撃が、足が痺れる程度で済んでいる…その事に驚きつつ"誰か"を探すように辺りを見回せば、ピクリとも動かない木のお化けの残骸がいくつか転がっているのが見えるだけ。
とても少年が一人では倒し切れる数では無かった筈だった。これだけの数が相手ならば、熟練の冒険者が10人は必要だ。だが、その場には少年と木のお化けしかいない。
気を取り直してじりじりと間合いを計る少年に対し、木のお化けはそこから動かなかった。
いや、正確には動けない。木のお化けの体には光の鎖が幾重にも巻きつき、その動きを封じているからだ。
「はぁっ!」
痺れを堪えて踏み込んだ足に力を込め、少年は剣を木のお化けに突き刺す。
「────」
剣が木のお化けに突き刺さる瞬間に剣が白く光り、木のお化けに命中した途端、まるで車に轢かれたかのような音を立てて木のお化けが弾き飛んだ。
弾き飛ばされた木のお化けはコマのようにくるくると回転しながら後ろにあった大木にぶつかり、バラバラに砕けてピクリとも動かなくなる。
ありえない程の威力。こんな力はこの剣には無かった筈だった。何しろ、今は亡き父が駆け出しの冒険者時代に使っていたただの剣だ。
中古で売ろうにも鉄屑としての価値しか無く、仕方なしに使っていたくらいの一品なのだから。
はあっ、はぁっ、と肩で激しく息をして少年がしゃがみ込んだ瞬間────
「────」
────ふわりとした暖かさが少年を包む。
その暖かさは少年から傷の痛みと、疲労を一瞬で消し去った。
まただ。
急いで後ろを振り返るが、誰もいない。
立ち上がって何度かキョロキョロと辺りを見回してみても、やはり人の気配は無くあるのは木の化け物の死骸があちこちに散乱しているだけ。
木のお化けの集団の動きを封じ、少年の身体能力を上げ、光の障壁で攻撃を防ぎ、傷を癒す……そんな奇跡のような事が立て続けに起きた。
少なくとも誰かが少年の手助けをしてくれた筈なのだが、どんなに探しても人の気配は無い。
少年はどうしていいかわからない表情を浮かべながらしばらく迷っていたが、諦めたように肩を落として手にしていた剣を背中の鞘に戻した。
「……ありがとう……」
森に向かって頭を下げると懐から短剣を取り出し、木のお化けの死骸から鉄のように硬い枝の部分を切り出す。
これを何本か村に持って帰って売れば、質の良い炭代わりとしてちょっとした稼ぎにはなる。少年が拾った数はおよそ30本。これは大人の一月分の給料とほぼ同じ額だ。
少年は両手に抱えきれないほどの硬い木の枝を紐で結び、それを背負うと何度か振り返りつつ村に戻り始めた。
村からさほど離れてはいないが、この辺りはさっきのような木のお化け、いわゆる"魔物"が多く生息している。
それほど強くない木のお化けの魔物は、初心者の冒険者にとっては格好の相手だ。しかし、それはあくまでも1対1ならという条件がつく。
少年が倒した木のお化けの数は20を超える。普通であれば勝てる数ではない。事実、少年もこの木のお化けの魔物の大群に遭遇した時は、死を覚悟した。
だが、それからが奇跡の連続だった。
気配がまるで無いのに、誰かに手助けされているという感覚。その感覚があったからこそ、少年は最後まで戦えた。
もう一度振り返るが、少し開けた森のその場には誰もいない。
「女神様……かな……?」
ポツリとした呟きを残して、再び少年は歩き始める。
戦いの中、一瞬。ほんの一瞬だけ、誰かの声を聞いた。優しい声。ふわりとした優しげなその声は少年を励まし、力を貸してくれた。
少年に起こった奇跡は、この1回だけではない。
すでに数度、同じようにこの森で奇跡を体感していた。今までは何となく体が軽いという程度から、大分歩いても疲れがほとんど無いといったものだった。
今回のはそれだけ危なかったという事もあるのかもしれないが、明確に"誰か"は手助けしてくれた。
森の中には特殊な薬草が生えており、その薬草から出来る薬で少年の妹は病を抑えている。
何度か森に入ったおかげで半年は持つ量の薬が手に入るだろう。全ては森にいる"誰か"のおかげだ。
森を出た少年は最後にもう一度振り返り、深々と頭を下げる。
誰かが、微笑んだ気がした。
少年は笑顔を浮かべて村へと戻っていった。
☆
────ふっふっふ……。
隠密のスキルの効果時間を確認しつつ、男の子の後ろをコソコソとついて行く。
さっきは戦闘の途中で一度効果が切れたからあせってちょこっとミスしたけど、すぐフォローして隠密のスキルも再度かけ直したのでまだしばらくは持つだろう。
今日こそは男の子についていって、村に入るぞぅ。
そして、何としても"アレ"を手に入れねば……。
私はドキドキする気持ちを抑えて男の子の後ろ姿を追う。
あ。ストーカーじゃないよ。これには訳がありましてね……。
MMOから異世界へ。
まぁ、一言で言えばそうなんだけどね。小説やゲーム、漫画ではよく見るけど、まさか自分がそんな目に会うなんて思っても見なかったよ。
あ。VRMMOから、じゃないよ。VRMMOからはすごく多いけど、私はそうじゃないんだ。
VRMMOとMMOの違いは、MMOがモニターの画面を見ながら出来る昔ながらのゲームで、VRMMOが頭につけるタイプのゲーム機を使う事で出来るゲーム。
えっと、正式名称がバーチャル……なんとかっていうのだけれど、よくわからないから私は通称のVRMMOのままでよんでるけどね。
共通するのは、インターネットを使ったオンラインゲームで同時にいろんな人がそのゲームを楽しむ事が出来るという事。
そのヘッドギアを頭にかぶり、感覚と共にネットゲームの世界にのめり込めるVRMMOが発売されてから2年が過ぎた頃、私のやっていたMMOが終わりを迎えようとしていた。
モニターの前に座って、カチカチとマウスやキーボードでやるタイプのゲームはもう終わりとばかりにVRMMOが一世を風靡している中で、私のやっていたゲームは持った方だと思う。
何しろ始まってから30年という超老舗のネットゲームだったのだから、まぁ当然と言えば当然かもしれない。元々末期症状だったとも言えるけど。
私がこのMMOを始めたのは一ヶ月くらい前。出始めたVRMMOと散々比較されて色んな雑誌で扱き下ろされていたから、むしろそれで興味が湧いた。
ほうほう。どれどれと、このネットゲームを始めてから半月もしないうちにレベルは最高の99まで行った。親切丁寧、初心者は経験値50倍というサービスのおかげだ。
レベルが最高の99になると、"転生"というシステムを使って今やっている職業の上位職になってもう一度レベル1から始められる。ステータスなどはそのままだけど。
その転生をうまく使ってキャラクターをより強化することが出来るのだけれども、一度転生して上位職になるとレベルアップに必要な経験値は跳ね上がる。
けれども、私は転生してからもう一度レベル99になるのに一週間かからなかった。課金アイテムの経験値100倍というアイテムが売られていたから。千円だったっけ。
ゲームに追加で料金を支払うことで、限定アイテムや様々な追加サービスが受けれるというのもMMOの醍醐味なのだ。
その後、さらに最後の転生してもう一度レベル99になるのにかかった日数は3日。
『引退セール』とか言って、他の人たちがそのネットゲームを引退するのにすべてのアイテムを投売りで売りさばいていたのを集めたからだ。
やってられるか!と、むしろ投げていた人もいた。
ちなみに、このネットゲームをやっていたほとんどの人が二回転生のレベル99だったらしい。
強化されまくった超強力な武器防具を大量にゲットしたから、攻略はサクサク進んで更に私の持てるアイテム欄はあっという間にいっぱいいっぱいになったけど、課金のアイテム制限緩和(千円)で預け所に預けなくてもよくなった事もあり、持てるだけ、買えるだけの消費アイテムを持って休日に合わせて一日中最難関のダンジョンに篭り続けた。
かくして私は三度目のレベル99を迎え、やり始めてから一ヶ月もすればこのゲーム。飽きてきた。
一時期は数百万人という接続人数を誇っていたみたいだけれど、今は多くても千人を超えるか超えないか。
そんな状況だから、結局MMO最大の醍醐味である他の人とのパーティープレイを一度もする事無く、一人で延々とレベル上げをしていただけで終わった。
たまに人とすれ違っても、カクカクとした動きで自動的に動いているみたいな人ばっかりだったので、気味が悪かったというのもあるけれど……。
中には自分のアカウントとパスワードを叫んでいる人もいたけど、あれは何がしたかったんだろう?
あ。ちなみに私の職業は支援のエキスパートの最上位である『枢機卿』だ。最初の職業である司祭から転生して司教になり、さらに転生して枢機卿となる。
攻撃系のスキルは一部を除いてほとんど無いけれど、回復や各種様々な補助スキルには事欠かない。
更に私はスキル特化タイプなのでスキルポイント切れがほとんど無く、もしスキルポイントが0になっても30秒もあれば全快する。
正にパーティーに一人は欲しい人材なのだよ!
ずっとソロ(一人)プレイだったけどね。
…………で。
飽きたし、そろそろやめようかなーと思ってログアウトのボタンを押した瞬間。
森にいました。
座っていた筈の椅子が消え、私は盛大に後ろにスッ転げて木に頭をぶつけ「ぐおおおお、」とのた打ち回ってからしばらく呆然としてようやく事態がわかってきた。
何しろ周り一面の森でありながら、鬱蒼とした森というよりはジブリ映画にでも出てきそうな明るい森なのだ。
元々田舎育ちだから森という物を知っているけれど、こんな明るい森は無い。
どこか現実感の無い明るい森。今まで見たことの無い星型の花や蒼い四角の花まで見つけた。光輝く花や、ビルよりも大きな大木も見てしまっては、ここが異世界だと認識するのにそう長い時間は必要なかった。
そこから泣いた泣いた喚いた喚いた。散々泣き喚いたせいで喉が渇いて、ようやくちょっと落ち着いた時だ。目の端に変な画面があるのに気がついたのは。
ゲームと同じ、キャラクターのステータスを表示する画面。
震える手を伸ばしてその画面に触ってみると、ゲームと同じように操作出来る。
恐る恐るアイテム欄を開くと、森に来る前のゲームそのままのアイテム名がずらりと並んでいた。
試しにパンを一つ選択すると、手にポンッと焼きたての食パン一斤の感触が。
もそもそと食パンを摘みつつ、アイテム欄からオレンジジュースを取り出して飲み込む。
人間、お腹がいっぱいになると何とかなるかな、とか思っちゃうんだねぇ。
幸い食べ物や飲み物系のアイテムはこのゲームでも必須だった為、アイテム欄には恐らく一生かかっても食べきれない量の飲食系アイテムはある。
焼きたてのパン。という事は、アイテム欄にあるうちは腐らないという事だと思うし。
そこでふと自分の姿を見れば、ゲームで装備していた衣装姿そのまま。室内用のジャージが影も形も無い。
ならばよくあるゲームの容姿になっているのかと思ってアイテムの手鏡を出してみれば、いつもの私の顔だった。
髪の色が変わってるとか目がオッドアイになっているという事も無く、そのまま。ついでにスタイルも一ミリの変化も無い。
精々ストレートにしていた髪の毛がゲーム内と同じようにポニーテールになっているくらいだ。
くそぅ……胸が……せめて胸が……これだとただのコスプレだぁ……と呆れていた私の後ろで、ガサガサという物音。
ドキリと跳ね上がる心臓を押さえて振り向いた私の目と、草むらの向こうにいた黒い生き物と目が合いました。
逃げたね。うん。持ってた食べ物を放り投げて思いっきり逃げたね。
よく小説やゲームなんかでこういう場合、出てきた敵を倒して「血が…」とか「この世界で生きる覚悟が…」とかやるけど、あれね。無理だわ。
少なくとも私にゃ無理だわ。怖いって。
VRMMOからならまだ良かったかもしれないけれど、こちとら2Dのドット絵MMOからですぜ。無理無理無理。
特に小説とかだと殺した後に部位を取るんだとかで捌くシーンとかあると思うけど、え。絶対無理。吐きまくってこっちが死ぬわ。
という事で、私はアイテム欄にあった簡易ハウスを出して引き篭もる事にしました。
この簡易ハウスというのは、外見はただの壁掛けの絵みたいな扉なので、どこでも設置できてダンジョンの中で使ってもモンスターに襲われないという一時避難場所みたいというありがたいアイテムである。ゲーム中にトイレに行ったりと少し席を離れるAFKの時によく使われるのだ。
中に入れば最初はプレハブ小屋みたいなサイズのものだけれど課金すればある程度は好きに増築して、自分の家のようにすることが出来る。
元々はゲーム内に家を持つことが出来るというウリがあったんだけど、あまりにも多くの人が家を作りすぎてフィールドの半分が家という事態になって、こういうアイテムになったらしい。
うん。これに課金して化粧品、バス、トイレ、台所付きにした私グッジョブ。何とも過去の自分を褒めたくなるね!
謎の動力で動く洗濯機と電子レンジみたいな電気機器もあるから、よっぽどのことが無い限り外に出ないぞーとそこで生活を始めて1日目に、気がつきました。
"アレ"が無い……という事に。
焦ったねー。焦った焦った。
さすがに化粧品からトイレットペーパーにウォシュレットまで完備されたこの簡易ハウスでも、"アレ"は無かった。
うおおおお……他の小説とかの人たちはどうしてたんだよ。と思い返しても思い当たらず……。
ただでさえ私は多い方なのに……。
そう。生理用品だ。
多い日も安心。が無いと余裕で漏れる。
ををををを。他の人たちはどうしてたんだ異世界!と叫んでみても、誰かが返事をしてくれる筈もなく。
引き篭もってみても、刻一刻と迫るその時に戦々恐々としていた。
生理本番もそうなのだけれど、その前後にあるオリモノもやっかいだ。
ちなみに今ある下着シリーズは、赤、黒、青、とカラフルなものが多い。白はデフォルトの1セットしかない。
オリモノが下着につくと、洗ってもなかなかキレイに落ちないんだよね。
白ならまだいいけど、色物下着につくと最悪だ。
トイレットペーパーで代用なんて、余裕でカブレる。
そんなわけで悶々としていた時に、簡易ハウスの近くで何やら物音を聞いた。
うあー。また謎の生物かーと思いつつ、こそこそと草むらからのぞいて見ると、あらあらおやおや。
革の鎧を着た、というか"着せられた"という方がしっくりくる、中学生くらいの男の子が何やら辺りをキョロキョロと見回しているではないか。
革の兜を被っているけれど、隙間から見える髪の色は金髪。そしてくりくりとした瞳は蒼。がいじんさんだ!
もーあれだね。ゲームとかの初心者勇者、みたいな雰囲気だ。
第一村人発見!うは!やったね!人間だ! ……と喜んだまではいいものの……どうやって話しかければいいのだろう……。
もし言葉が違っていたら?男の子が攻撃をしてきたら?そもそも話し掛けれないからソロやってたのに、現実でいきなり外人さんと話せってそりゃ無理ゲーですよ。
右往左往しているうちに、ふとアイテムが使えるならスキルも使えるんじゃないか?と思って、試してみました。
スキル一覧にカーソルをあわせてクリック。
はい、発動ー。と同時にスキルポイント全快ー。発動中はスキルポイントを消費するけれど、私のスキルポイント回復力の方が遥かに上だ。
注意しなければならないのは効果時間だけ。
発動させたのは、隠密のスキル。
元々の職業のスキルじゃないけれど、転生ボーナスで下位職のスキルをいくつかゲット出来るのでこれを取っておいたのだ。
隠密のスキルの作動中は絶対相手に見つからないという利点があるけれど、本来の職業でなければ速度半減、攻撃不可、アイテム使用不可、経験値取得無し、ボス戦時無効化といったデメリットがある。
しかーし。回復や支援スキルは使えるので、『枢機卿』との相性は抜群なのだ。
速度半減は速度を上げるスキルを使えばいいし、回復支援スキルがメインの『枢機卿』が攻撃をする事は無い。レベルも最高だからもう経験値はいらないしね。
さっそく私は様子を伺う事にすると、男の子はどうやら何かを探しているらしい。
そのまま様子を伺っていると、手元の布に書かれた絵と摘んだ草を見比べている事から、薬草?を探しているらしいとわかった。
さて。どうやって声を掛けようか……と迷っていると、奥の茂みがゴソゴソと。
あっ、と出そうになった声がヒッ、と引っ込む。
身長一メートルあるかないかなのに、頭が体の三割はあって逆に体はヒョロヒョロとしていてボロキレを纏い、ヨダレを延々と垂らしながらナタのようなものを持っているエイリアン。
多分、あれがゴブリンなんだろうね。
もうね。何というか、一言。
キモイ。
をいぃぃぃぃぃぃ!!!!ゲームとまるで違うジャネーカ!2Dのドット絵からじゃあんなの想像も出来ねーよ!
と、戦々恐々としている私を尻目に(といっても見えていないけど)逸早く気づいた男の子が、背負っていた剣を引き抜いてゴブリンと対峙する。
ゲゲゲゲゲ!と叫びながら男の子に向かってナタを振り回すゴブリンのその姿を見て、あまりにも気持ち悪くて一瞬私は気絶したんだと思う。
ふぅっ、と意識が戻ってきた時には男の子がゴブリンに押し倒されて、ピンチになっていた。
倒れた男の子に向かってニタニタと笑いながら容赦なくナタを振り下ろし、男の子は苦悶の表情で必死にナタを剣で防いでいる様子に、私は何故か頭に血が上った。
男の子に向かって、ついさっき使い方を覚えたスキルで『祝福』(力、技、スキル強化)『速度増加』(速度強化)『防御増加』(体力・防御力増加)をレベル1で掛ける。
さすがに実験をしないままレベル10のマックスで掛けてどうかなっても困るし、効果時間や状態を確認する指針も欲しい。じんたいじっけ……ゲフンゲフン。
スキルを放った瞬間、僅かに男の子の体が光って私の目の端に60という数字が現れ、59、58、とカウントダウンされていく。ふむ。ゲームと一緒だね。
パーティー申請をしていないからさすがにHPバーまでは見れないけれど、キラキラと光るエフェクトまで掛かってるしホントに大丈夫かな?と思っているのとは裏腹にスキルを掛けられた男の子の変化は劇的だった。
振り下ろされるナタを剣で返すと、ゴブリンの持っていたナタが宙を舞う。それまでのニタニタ顔から一転して、呆けたような顔を浮かべたゴブリンの腹に向かって男の子のキックが決まると、腹を蹴られたゴブリンはあっという間に後ろにすっとんでいって、木にぶつかって崩れ落ちた後はピクリとも動かない。
自分のしたことに驚いた表情を浮かべていた男の子だったけど、すぐに立ち上がって動かないゴブリンに近づく。
止めを刺すんだろうか。多分、解体とかもするんだよね……。私は必死で目を逸らして、男の子の動きが終わるのを待つ。
うん……わかっていた事だけど、キツイ。
咽の奥から込み上げてくるモノを押さえ、なるべく匂いを嗅がないようにしてしばらくすると、男の子が歩き出す気配がする。
ふっ、と倒れたゴブリンがいた場所を見ると、そこには小さな盛り土がされていてゴブリンの死体は無い。
埋葬していたんだ……そう思うと、何故かホッとした。
何となく……何となくだけれど、言葉も通じないから無条件にというわけではないけれど、彼なら信じれるような気がする。
そこから私は男の子の行動を逐一観察してみた。
まず一つ。言葉が通じない……男の子が時々何かを呟いて木に印をつけているんだけれど、その言葉を聞いてみても何を話しているのか分からない。
二つ目、男の子が手にした布に書かれている文字が読めない。ミミズがのたくったか変な記号にしか見えん……。
その三、私の持っているお金が使えない。これはアイテムと違って、"取り出す"が無いからだろうか。
男の子がうっかり落とした財布みたいなものの中に入っていたのは、10円玉と同じ色の硬貨だけ。
ゲーム内のお金は持っているけれど、取引画面でしか受け渡ししたことがないし、その取引画面でも数字を入力するだけだったから実際どんなのかわからん。試しに勇気を出して男の子に向かって取引画面を出してみようとしたけれど、出ない。
はい。詰みました。
うおおおおお……。
仕方なしにウロウロと歩く男の子の後を離れてコソコソとついて歩き、時々『ヒール』レベル1で男の子の体力を回復。を繰り返していたら、何やら開けた場所に来ました。
そこは森の中でぽっかりと開けた場所には大きな岩があって、その下には白い色をした草が生えていた。
男の子は手元の布とその大きな岩のそばに生えた草を何度も見比べると、嬉しそうにガッツポーズをしていくつか草を摘む。
その様子をほほえましく眺めながら、戻っていく男の子の後を着いて行く。
獲得アイテムは多分道具屋に売るよね……となれば、"アレ"も道具屋に売っている筈……。
ふはははは。男の子よ!私の為に村プラス道具屋まで道案内をしてもらおうか!
結構深い森だけれども迷わず進む男の子の様子から、どうやらさっきつけていた印が目印なんじゃないかな?と思う。
ぼんやりと光ってるしね……などと考えているうちに小一時間程歩くと、森から出て村が見えました。
木で組まれた塀の周りを堀で囲み、まるで戦国時代の砦のようになっている村に男の子は戻っていったわけですが……。
え。何あれ。怖い。
村の入り口には、体長三メートルを超えるかのようなデカイ狼が二頭いました。
ば……番犬……?
こちらを見ているわけではないのにその黒い毛並みから発せられる威圧感はハンパではなく、私はその場に硬直して動けなくなってしまった。
しばらくその周りをウロウロしてみるも、怖すぎて近寄れない。私を見ているのではないとわかっていても、ジロッと目を向けられると足がすくむ。
何で鎖とか結んでおかないんだよ!放し飼いか!
隠密のスキルが効いているから見つからないとは思うけれど……しかし、一つ不安材料がある。
というのは、どうもこの世界はゲームとは違う世界のような気がする。最初こそはゲームの中とか、ゲームに似た世界なのかと思っていたけれど、ゴブリンの登場であれ?と思った。
私のやっていたMMOのゴブリンとは姿形が違いすぎるのだ。私のやっていたMMOのゴブリンはほとんどサルのような外見だ。
なのに、さっき現れたゴブリンはむしろグレイとかエイリアンといった姿。ここにいる狼もそうだ。ゲームの中でも狼はいたけれど、黒い狼はいなかった。
モンスターの姿が違いすぎるのだ。
それと、そもそもこの世界でもスキルはあるんだろうかという疑問もある。
ゲームならば初心者でもいくつかのスキルは使える筈なのに、男の子はスキルを使った形跡は無い。
これはいよいよゲームとは違う世界かも……と考えながら、かくして3日が過ぎました。
その間村の近くに簡易ハウスの入り口を置いて、男の子が森に入るのをついて行きながら何度か村に入ろうと試みるも……やっぱり怖い。
しかし制限時間は刻一刻と迫るわけで……で。最初に戻ります。
ようやく決心した私は男の子の後ろをコソコソとついて行き、二匹の大きな狼のいる前に来ました。
うおー。こえー。超こえー。
開けた門の両脇にギラギラと輝く蒼い瞳を持つ狼が二匹ゆったりと寝そべり、そこを通ろうとするものを威圧する。
私はなるべく息をしないようにして、男の子のすぐ後を進む。
「────」
男の子が何か狼に声を掛けると、狼はふん。と鼻息を一つついてさも通れと言わんばかりに首を振った。
ををををを……ちょっとかわいい。
男の子のすぐ後ろを歩きながら狼を観察してみると、正面から右側の狼が左側の狼より1.5倍くらい大きいのがわかる。
左側のは女の子だろうか?右側の大きい狼よりはいくらか優しげな顔立ちだ。
戦々恐々としながら男の子の後を着いて木の門を通り抜けると、そこにはまた森がありました。
は?と思ってよく見ると、木の大きさが桁違いだということに気がついた。いくつかある木の1本1本がまるっきりビルみたいな大きさなのだ。
さらによく見てみると木の幹に窓がついていて、根元にはドアがついているではないか。
見上げれば枝の高さの所にも出入り口があって、枝を通って他の木から木へと渡れるらしい。
木と木の間には石で造られた家が軒を連ね、それがずらーっと並んでさながら木に飲み込まれた古代遺跡がまるまる村となっているみたいだ。
ふおーーーーーーー!いっつあ異世界ーーーー!
「────」
「────」
ハイテンションで興奮していると、後ろで誰かの話し声が聞こえた。
後ろを振り向けば、腰から剣をぶら下げた兵隊さんみたいな二人が何やら真剣な表情で会話している。
やっぱり何を話しているのかさっぱりわからない。聞きようによってはドイツ語っぽい感じもするけれど、何度聞き返してもよくわからない言葉だ。
覚えれるのだろうか、と前を見て……あ。
ハタ、と気がつくと、男の子の姿が見えない。
え……迷子……。
呆然とする私の背中を、冷たい汗が伝った。
☆
ここはアルベリア王国の中でも北のはずれにある小さな村リオン。
さらに北に進めばリダイン王国があるが、一年を通して豪雪地帯である山脈を越える事は難しく、冬の時期以外は比較的のんびりした場所だった。
今は春も終わりこれから夏になろうかという時期の為、いつもであれば暇なおじさん達の雑談所のようなってる警備隊の詰め所には、今は二人の人間しかいない。
「ふむ、やはり周囲には誰もいなかったんだな」
その詰め所の一室で、警備隊長である、ゼン・シマが部下の報告を聞きながら顎に生えた無精ひげをなでる。
最近年頃になった娘に身だしなみを怒られる事も多いが、夜通しの仕事も多くて中々ちゃんと剃れずに伸び放題。白が混じった金髪と、青い瞳。
警備隊の制服を若干着崩した、一見すれば気のいいただのおじさんに見えるゼンだが、警備隊長を勤めるだけあって剣の腕は確かで部下の信頼も厚い。
「はい。人のいた形跡はありません。何者かがいたのであれば、ましてや潜んでいるのであればどこかに野営の跡ぐらいはある筈です。
ところがこの3日、どこを捜索しても影も形もありません。魔狼であるビルファの鼻でも追いきれない者など、本当にいるのでしょうか?」
ピシッとした出で立ちで報告をするのは彼の部下の中でも、規律に口うるさい青年のレムセレス。
良く言えば真面目、悪く言えば硬い。飛びぬけて善人というわけではないが、まあ人はいい。という評価だが、最近は娘との仲が怪しいと睨んでいるゼンは内心複雑だ。
「ふむ……しかし、ビルファが持ってきた手鏡は間違いなく極上品だ。少なくとも、"誰か"がそこにいたのは間違いないだろう」
魔狼とは体長三メートル程の黒い狼であり、元々の気質が穏やかで個体数こそ少ないが人と共存している事が多い。
鼻も良く効き、並みの魔物であれば蹴散らす程の力をもっているため、リオンではつがいで門番を任されていた。
ビルファはそのつがいの間に今年産まれた三十センチ程の毛玉にしか見えない子供だが、小さくても魔狼の鼻は良く効く。
「では、やはりリダイン王国の……」
言いかけたレムセレスの言葉を手でさえぎる。
「待て。それ以上はいかん。確証の無いことで他国を疑うのは容認できん」
「あ……。も、申し訳ありません」
ゼンの厳しい表情に、レムセレスも事の重大さを理解して声を潜めた。
リダイン王国内で不穏な動きあり。
その報告が入ったのは冬になる前だった。革命か、反乱か。リダイン王国で愚鈍な前王が娘である王女に駆逐されたのはついこの間の話だ。
生き残りの旧王派が行動を起こしても不思議は無い。だがそれ以降は追加の報告は無かった。
疑心暗鬼になる中、ビルファが何者かの落とした手鏡をくわえて散歩から帰ってきた。
新品同然の高級品と思われる手鏡の存在は様々な憶測を呼び、無用の混乱を防ぐために今は村長と警備隊の者にしか知らされていない。
「ここでこうしていても仕方が無い、引き続き────」
続けようとしたゼンの言葉がいきなり開けられた扉の音に遮られる。
扉を開け、転がるようにして中に入ってきたのは警備隊の若い青年だった。血相を変え、相当走ってきたのだろう汗びっしょりだ。
「た、た、た、大変です!ま、魔族です!魔族が攻めてきました!!」
青年が悲鳴を上げるように叫んだそれは最悪の報告。魔族はたとえ一匹でもこの村の存亡を左右する存在だ。
魔物ならばまだ対処法はいくつかある。他の街へ救援を呼ぶ方法もあっただろう。だが、魔族がそんな時間を与えてくれるとは思えない。
戦力を集中しようにも、今は"誰か"の捜索の為に散り散りになっている。
ゼンは自分自身の血の気の引く音を聞いた。
☆
静寂な森の中。その中で、『違和感』はそこにあった。じわじわと地の底から染み出るような闇。闇はまるで触手を伸ばすように広がり、触れるものを腐り落としてゆく。
「おオ……おおぉォォおお……」
ズルリ、と闇の中央から『違和感』が迫り出す。
闇に見えたものは、瘴気の塊。
「オノ、レ……オのレ、コむスめがあああぁぁぁぁ!!!!オノ、れ、おのレ、ゆうシャめがアァァァ!!!!」
『違和感』は狂ったように呪詛の言葉をひたすら繰り返し、迫り出した『違和感』はボロボロの黒い衣を纏った老人の姿になるが、その左手と左の顔がぐしゃりと崩れる。
『違和感』の正体は一匹の魔族。"在る筈の無い存在"と呼ばれる魔族だった。
魔族の放つ瘴気は全てのものから命を奪う。それは自身が存在する為ではなく、ただ戯れに。
だがこの魔族は、触れるもの全ての命を吸い尽くしてゆく。足りないものを補填するかのように。
「タリ、なイ、たりナいぞ……」
ぶつぶつと呟きぐるりと頭にめぐらせた時、残された虚ろな右目が村から伸びる煙を見つけた。
「ニンげん、ガ、いル……、!」
人間を標的にしようと思考した魔族の右目が見開かれる。
「おお……オぉぉ……せイれい、の、にオいガ、すル」
魔族にとって精霊は自身を蝕む最大の敵でありながら、その身を喰らう事ができれば最大の栄養素となりえる存在だ。
「喰ワせろ!喰ワせろ!喰ワせろ!喰ワせろ!喰ワせろ!喰ワせろ!」
這うようにして進む老人の周囲から、体の腐りきった生き物"だった"ものが立ち上がる。
それは人間だったり、森の生き物だった者達。魔族に囚われ、捕食された者達だった。
命を奪われ、魔族の体の一部として取り込まれてしまった者達。命を奪われたが故に、彼らがもう死ぬ事は無い。例え首を落とされようとも、魔族の命令を実行する為に進む。
体の至る所が腐り、腐敗臭を放ちながら不死者と呼ばれる救われない者達が、リオンの村を目指して突き進み始めた。