安心してねってなんだよ!安心できるか、バカ姉貴!!
※この作品はフィクションです。作中の考え・思想はあくまでも登場人物のものであり、作者の意見ではありません。作中に暴力的な表現がありますが、犯罪行為、暴力行為を助長する意図はありません。暴力も犯罪も絶対にしてはいけない行為です。また、作中に出ている危険行為は絶対に真似しないでください。
※拙作「婚約者がほしい?相手が良いって言ってるならいいんじゃない?」の続編です。そちらからお読みください。
「ありがとうございます。ミリア様!それでは着替えてまいります」
そう言って勢いよくドアを閉めたジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢を見送りながら俺は頭を抱えてしゃがみこんだ。
やっちまった…!
誰も聞いていないのを良いことに舌打ちをする。あのバカさえいなければ…!俺の頭の中で走馬灯のように今までのことが思い出されていた。
俺は伯爵が庭師の娘に産ませた子供だった。伯爵は女癖こそ悪かったものの、ひどい人間ではなかった。俺のことを認知し、俺と母の生活の援助をしてくれた。俺が十になるころには貴族と同じ水準の教育を受けさせると、娘につけていた家庭教師を俺のところにも派遣してくれた。
一つ目の転機は母が死んだ時だった。俺は母方の祖父母とともに暮らしていく予定だったが、伯爵が俺の身元を引き受けたのだ。伯爵夫人はおっとりとした人で妾の子である俺に少し困った顔をしながらも受け入れてくれた。姉に当たる伯爵の一人娘はなかなか破天荒な人だったが、厨房からくすねてきた焼き菓子を分けてくれたり、庭にあるどの木を登れば塀を越えられるかを教えてくれたり、と仲良くしてくれていた。使用人にも俺はすぐに受け入れられた。この世に多くいる愛人の子供の中ではかなり幸せな方だったろう。俺に不幸があるとすれば、半分しか血がつながっていないはずの姉と瓜二つだったことだろう。
順風満帆に感じられていたある日、伯爵家に激震が走った。そう、これが二つ目の転機だった。
「これはどういうことだ…!」
伯爵はあるメモ書きを見て感情をあらわに机を殴った。俺はこの人もこんな風に怒ったりするんだとのん気に考えていた。
「あなた…いったいどうしたら」
青ざめた伯爵夫人は椅子を支えに何とか立っているというありさまだ。
そこまでこの夫妻を動揺させたメモにはこう書かれていた。
愛する家族へ
ごめんね。あの人と結婚するの嫌になっちゃった
好きな人もできたし、これからはその人と生きていくことにするから
これからは自由に生きるって決めたってわけ
お父様。お母様。ミゲル。私は元気に頑張るから安心してね
さようなら
あなたの愛する娘 ミリアより
つまるところ駆け落ちというわけだった。新しく雇った若い庭師も消えていたことからそいつが相手と思われた。伯爵家は庭師に弱い血筋なのだろうか。
すぐに領全体を探させたが、すでに領内にはいなかった。極秘裏に隣接する他領に人を送ったが見つからず、伯爵も伯爵夫人もみるみるやつれていった。
娘が駆け落ちしたなど、伯爵家の恥ということももちろんあったのだが、こんなに必死に探し回っているのには他の理由があった。
姉の婚約者である。姉が結婚したくないと言った婚約者は隣国の貴族なのだ。もし、姉が駆け落ちしたとバレれば国際問題になりかねないのである。
露見するのも時間の問題であった。月一の交流会があるからだ。一度、会いたくないと駄々をこねた姉が体調不良を理由に欠席したことがあったのだが、その時はお見舞いとしてわざわざ屋敷までやってきて姉の顔を確認していったらしい。おそらく姉の顔を見るまではどんな言い訳をしても粘って来るだろう。
これは大変な問題だなあとボケっとしていた過去の俺に今すぐ逃げろと言ってあげたい。
改めて、俺の一番の不幸は俺と姉が瓜二つだったことだ。
「ミゲル。あなたしかいないのよ」
夫人が俺に泣きすがってくるのはもう三回目だった。十四歳の秋。俺はミゲルではなくミリアになった。
俺は妾の子ということで正式に伯爵家としてお披露目していなかったのが幸いした。成長期が遅いのか他の男よりも背が低く声変りもしていないことも。かつらをかぶりコルセットで締め上げられヒールのついた靴を履いて過ごした。
婚約者は俺たちの入れ替わりに気づかなかった。会ってみると、あの姉が嫌がるのも無理はないと感じる。
別に悪い人間だからじゃない。四角四面な性格で気の利いたところがまるでないのだ。おまけにやり取りは事務的でまともに目が合ったこともない。あの奔放な性格の姉からすると実につまらない男だったろう。俺も何回か話してみて、友達にはなれないと思った。相手に興味が無いと態度で示しているし、こちらが気を使って話しかけても話を膨らませようという気がさらさらないのだ。本人の意思が反映されていない婚約なのはわかるが、それなりに相手を知り、最低限仲良くするために月一の交流会があるはずなのだが…。
しかし、婚約者がそんな男で良かったこともある。まずはもちろん俺たちの入れ替わりに気づかないことだ。次に良かったことは接触を全く求めないということだった。今どきの貴族はキスぐらいのふれあいはしているものだ。中には一歩手前まで進んでいるというものもいる。そういうことに興味のあるお年頃の男女なのだから当然なのかもしれない。もしもそういうことを求めてくる男だったのなら、俺は目の前でかつらをかなぐり捨てて、股間を蹴り上げていたであろう。その時は国際問題とかそんなもんは知ったこっちゃない。
なんとかしてやり過ごしていたが、やはり問題はやって来る。十五歳の春にやっと来た成長期。声変りはまだなものの、背が伸び始めがっしりとした体つきに変わりつつある。
伯爵夫妻が泣きついたのは国王夫妻だった。無理難題に対して国王夫妻が出した答えは聖オーキッド騎士団への加入だった。それもまた時間稼ぎにすぎないのだが。
入ってみると確かに王妃様の言う通り、背が高く筋肉質な女が多かった。騎士というだけあって鍛えているのだろう。ここでならしばらくは女に紛れられる。
騎士団で出会った女たちは気のいい者たちばかりだった。騎士という女としては珍しい職業についている同志としての親しみもあったのか、親切で面倒な上下関係はなく過ごしやすい場所だった。
俺と同じ年に騎士団に加入したのが、ジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢だった。上背はそれなりにあるものの、一見して華奢な体躯をしていたが、加入試験では一番の実力者だと聞いた。凛とした顔立ちの女で剣を携えたその姿は確かに堂に入っていた。
加入して一年。俺は初めて城外での任務に当たっていた。気持ちのいい秋晴れの日だった。俺たち聖オーキッド騎士団の任務は王妃並びに王女殿下の護衛だった。
「本当にいいお天気ですね」
「ええ、そうですわね」
俺はジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢にそう返した。馬に乗り槍を持って、王妃様たちがいるテントのそばに待機しているのだ。
「無事に開催出来て良かったですよね」
「ええ、本当に。皆さま楽しみになさっていましたものね」
今日は年に一度の狩猟大会だった。王族や貴族の中には狩りを趣味にしている者が多いのだ。いい獲物を狩ったものには褒美もあるので、みんな張り切っている。
「まあ。王女殿下は不満そうですけどね」
「まあ」
俺はそう言って誤魔化した。王女は確かに狩りには興味が無いと昨日ごねていたのだ。王女殿下は一人王城に残り本の続きを読みたいと王妃陛下に直談判したが、もちろんその願いはかなわなかった。
それにしてもこのジルという女は時々こちらが反応に困るような話題をぽろっと口に出すから油断できない。王族の噂話なんて不敬と言われて首をはねられかねない。この女はギリギリを責めるチキンレースでもしているのか。あとで知ることになるが、王女殿下と子爵令嬢は仲が良いらしい。この程度の軽口は許される間柄なのだろう。
狩りが終わるまでどことなく間延びした空気が流れていた。男は狩りに出ていて忙しいだろうが、女はただ待っているだけなのだから当然だ。だから、緊急事態ののろしが上がったとき、ほとんどの人間は反応が遅れてしまっていた。ジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢以外は。
「魔獣、前方に確認!群れです!数十体はいます!」
子爵令嬢は誰よりも早く馬を前に出し、そう叫んだ。
その叫びにようやく反応し、騎士団長は指示を出し始めた。聖オーキッド騎士団以外も動き始める。貴人たちを馬車に乗り込ませ、高い塀の中、つまり安全な場所まで避難させる。それは昨日確認した手順通りだった。
「団長!間に合いません。誰かが残って時間稼ぎしないと」
他の団員の言葉に真っ先に手を挙げたのが子爵令嬢だった。
「私が残ります」
目をらんらんと輝かせ団長に迫った。団長はその気迫に押しきられ、子爵令嬢にその場を任せることにした。
「一人では心配です。私も残りますわ」
俺がそう言ったのは心配だったからではない。このどさくさに紛れて逃げられないかと思ったからだ。今なら行方不明になっても魔獣に食われたと思うだけだろう。俺はミゲルに戻りたい。
「ミリア様も残ってくれるのですか?これは百万力です!」
子爵令嬢は槍を持っていないほうの腕をブンブンと回し、やる気を見せつけてきた。
「では、頼んだぞ!」
「生きて帰って来るのですよ」
団長と王妃陛下を見送って、俺たちは魔獣に向きなおった。
「まずは弓で小さいの、間引きますか」
そう言うと俺に槍を預け、どこから拝借してきたのかわからない弓矢を構えた。
風を切る音がして、前方に飛んでいた小型魔獣が次々と落ちていく。半分ほど落ちたところで子爵令嬢は俺を振り返った。
「ミリア様は弓、引けますか?」
「多少は心得があります」
「では援護、よろしくお願いします」
「わかりましたわ」
俺は弓矢を受け取り、槍を返した。
「ミリア様の槍、借りて良いですか」
「え、ええ」
俺は槍を手渡す。その槍をベルトで挟むようにして背中に納めた。
「じゃあ、行ってきます!」
子爵令嬢は魔獣に向かって勢いよく馬を走らせた。
馬を走らせ勢いづいたまま、あいつは槍を一体だけいた馬車ぐらいの大きさの猪のような魔獣めがけて投げた。
見事。目に命中。苦しんだ魔獣は周りを巻き込みながら大暴れしている。
もう片方の槍を持ちまた投げる。屈強な男くらいの大きさの猿のような魔獣の一体の腹を刺し貫いた。槍先は地面に深く突き刺さり、猿魔獣は苦しみ藻掻きながら槍を抜こうとしているが簡単にはいかないようだった。
そうこうしているうちに一番前方にいる狼のような魔獣たちと子爵令嬢が接触した。馬を大型魔獣の方に向かって走らせながら、飛び掛かってくる狼魔獣を剣で切り捨てていく。
見とれていた俺はハッとして弓を構えた。鳥型魔獣があいつに向かって飛んでいく。俺も馬を走らせ、子爵令嬢に当たらないように鳥型魔獣をけん制した。
グオォーだか、ギャオーだか、とにかく大きな音がしてそちらに目を向けると、猪魔獣まで到達した子爵令嬢が槍を抜いたところだった。痛みに暴れる猪魔獣の周りを挑発するかのようにグルグルと馬で回った後、猿魔獣のもと、つまり人くらいの大きさの魔獣が多いところに移動を始めた。
子爵令嬢の挑発は効いていたようで、猪魔獣は子爵令嬢を追って突進している。その突進に巻き込まれ、狼魔獣が次々と踏み潰されていく。この時点で魔獣は半数以下に減っていた。
腹を刺し貫かれた猿魔獣はそのまま絶命していた。子爵令嬢はその槍をよいしょと抜くと、一気に駆け抜け群れを抜ける。猪魔獣から逃げようと猿魔獣たちは必死で子爵令嬢を追いかけようとするものはいない。猪魔獣も周りの魔獣を踏み潰したり吹っ飛ばしたりしながら進んでいるので、なかなか全速力とはいかないようだ。
子爵令嬢はくるりと馬を向きなおし、猪魔獣に向かって馬を走らせた。槍をまた投げる。
命中。もう片方の目も潰された猪魔獣は周囲を巻き込みまた大暴れしている。
槍で他の魔獣を蹴散らしながら、子爵令嬢は猪魔獣に近づいていく。すれ違いざま、槍を剣に持ち替え、猪魔獣の鼻先を切り落とした。
ものすごい声で猪魔獣は叫ぶ。思わず俺は両手で耳をふさいだ。
いつの間にか猪魔獣の正面に来ていた子爵令嬢は大口を開けた猪魔獣の口の中から喉を槍で突き刺した。子爵令嬢はすぐ翻って距離を取る。
猪魔獣はもう叫べなかった。口から鼻から目から血を吹き出して暴れている。やがて猪魔獣はドシンとあたりを振動させて横に倒れ、動かなくなった。
子爵令嬢は振り返りもせず、残った魔獣を切りつけている。魔獣の一部は散り散りになって森へ逃げて行った。
子爵令嬢が残った魔獣の最後の一匹の首をはねたところでようやく貴人を避難させ終わった騎士団や貴族の私兵が応援にやってきた。
皆、一様にぽかんと口を開けて魔獣虐殺の現場を眺めていた。その中心にいるジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢は血にまみれながら、不敵な笑みを浮かべていた。
そこに満身創痍の男たちが森から帰ってきた。後に聞く話だと、狩りの最中に魔獣と遭遇し、なんとか逃げおおせたものの魔獣の群れがテントの方角に行くのを確認したため緊急用ののろしを上げたということらしい。
ジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢は注目を浴びながら、魔獣の死を確認するように一体一体の腹を裂いていた。
これがジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢が狂戦士などというあだ名をつけられた所以であった。
この一件を高く評価され、ジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢は女性として初めて、騎士爵を与えられることになった。
そして、俺の心の中の絶対に敵に回してはいけない人物番付(王族は殿堂入り)に見事、一位入賞したのであった。
その絶対に敵に回してはいけない人物番付(王族は殿堂入り)一位の人物に俺の秘密を知られてしまった。
背中にさあっと寒気が駆けあがり、額から変な汗が流れる。
どうすべきだろうか。一応、本人は見ていないことにしてくれたようだが、あとで誰かに話されたりしたら俺は打ち首だ。国王も王妃も秘密裏に協力はしてくれていても、俺がもし大々的に男だとバレたらかばってはくれないだろう。むしろ、自分たちは何も知らないということにするはずだ。ヤバい。死刑確定だ。
首に冷たいものを感じつつ、俺は頭を巡らせる。そうだ。ここは正直に事情を話したほうが良いのではないか?ちょっとわざとらしいくらいに哀れっぽく振舞って同情を誘うのはどうだろう。噂によれば何度もやらかしている妹も見捨てなかったというし、普段の素行からしても情の無い人物ではないはずだ。味方につけることが出来るのならばこれほど心強いこともない。
一か八かだ。やるしかない!
「お待たせしました。少し早いですが、行きましょうか」
着替え終わったジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢はぎこちない笑顔を俺に向けた。
「ええ、そうですわね」
仕事終わりにお茶に誘おう。
俺はいつも通りを装って、巡回警備を始める。姉や妹に苦労させられている同志としてきっと助けになってくれるはずだと信じて。
当家に寄ってもらい、真実を話した俺に言い放ったジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢の一言は予想外のものだった。
「何で私に言ってしまうんですか!?面倒だな」
厄介なことを知らされてしまったと心底迷惑しているとも言いたげに肘をつき、眉間を指で揉んでいる。
「ああ、すいません。それで、私に何をしてほしいんですか?」
「ええと、それは、もちろん、黙っていてくれないかと」
「わかりました。黙っていましょう」
あっさりそう言うと、もういいですかと席を立つ。
「待ってください!」
俺は何故か子爵令嬢の袖をつかんでいた。
「どうかしました?」
「ええと、その」
俺は何を言いたいんだろう。黙っててくれるって言ってくれたじゃないか。誓約書を書かせるわけにもいかないし、今できることは口約束くらいしかないはずだ。心もとないけど信じるしかない状況なんだ。なのに一体他に何をさせようと思ったんだろう。
「…助けてください」
自然とその言葉が口から出ていた。助けてほしい。もう限界だ。女のふりもするのも、皆を騙すのも。何より俺はただのミゲルに戻りたい。自分の人生を取り戻したい。
片方の眉を上げて少し何かを考えていた子爵令嬢は、椅子に座りなおしてくれた。はあ、と深いため息をついて。
「それで、何をしたいんですか?」
「私は、…いや、俺はもうこんなこと終わりにしたいんです」
子爵令嬢はきょとんと眼を見開いた。「え?そんなこと?」と言いそうだ。
「いやいや、だってそれは、簡単ですよね」
「え?簡単?」
「死ねばいいんですよ」
死ねばいいんですよ。こともなげに言い放たれた言葉が俺の頭の中でこだまする。そうだよな。こんなこと初めからするべきじゃなかったんだ。潔く罪を認めて死ぬ。これしかもう俺に残された道はない。
「…そう、ですよね」
うつむいて言う俺に何故か慌てた声が響いた。
「あ、違います。そういう意味ではなくて…」
俺が顔を上げると子爵令嬢は頬を掻いていた。
「だから、ミリア様を死んだことにするということです。病気でも事故でも何かしらの死因をでっち上げて、葬式をしてお墓を作ってしまえばいい。そうすれば晴れてあなたは自由の身です。婚約者だってわざわざ墓を暴いたりはしないでしょうし、不慮の死なら国際問題に発展することもないと思います」
「あ…」
子爵令嬢の顔には「なぜ今までその手を使わなかったのか疑問だ」と書かれていた。
きっと伯爵夫妻は愛する娘を死んだことにすることはできなかったのだろう。だからきっと俺を身代わりにしている間にミリアを見つけられることに賭けていたのだ。俺が身代わりになれなくなるまでがその期限、国王も王妃もそのことを承知で期限を延ばすために協力してくれたのだ。
「伯爵様に成長期でぐんぐん背が伸びているし、もう声変りしそうだから無理ですとおっしゃればよいのではないのですか?」
「それで、納得してくれるでしょうか」
まだいけるからギリギリまで頑張ってほしいと言われそうだ。
「そうなったら逃げてしまえばよろしいですよ」
「逃げる?」
「はい。簡単です。男物の服に着替えて適当に荷造りし、国境を超える乗合馬車に乗り込めばいい。明日にはセントニア関所を出ると思いますから伯爵には手出しはできないと思いますよ」
ニコリと子爵令嬢は笑った。確かにそうすれば伯爵夫妻はミリアを死んだことにするしかない。俺はミゲルとして生きていける。
「でも、伯爵家の皆さんにはお世話になりましたし、そんな恩をあだで返すようなことできません」
「そうですか。もう十分恩返しは済んだと思いますが、それなら伯爵を説得するしかありませんね」
「そうですね。なんとか頑張ってみます」
「ええ、頑張ってみてください。うまくいかないときはご連絡を」
「え?」
「ミリア様の肩回りの筋肉がどれだけ発達しているか熱く語って見せましょう」
「それってつまり」
「女のふりはもう無理だと私からも説得してみますよ。私にはもうばれてしまっているわけですからね。それを言えば問題なく説得できると思います。では、もう行きますね。遅くなると家族が心配しますので」
後ろ手を振り軽やかに帰っていった子爵令嬢の後ろ姿を見て、俺はしばらく呆けていた。
「あ!ありがとうございました!」
慌てて頭を下げる。意外にも面倒見がいい気質の様だ。
その日のうちに俺は伯爵を説得にかかった。始めはやはり娘を死なせたくないと難色を示していたが、俺がその場でドレスを脱ぎ男としての特徴がもう隠せないほどになってきていることを示すと渋々うなずいてくれた。夫人は最後まで反対していたが、このままでは伯爵家全体が責任を取ることになり、死罪が免れないという状況を説明するときゅっと口を結んだ。
国王と王妃にも話を通し、一週間後、俺はというかミリアは落馬によって命を落としたことになった。
すべては滞りなく行われた。婚約者が来る前に空の棺は地中に埋まり、墓石にミリアの名が刻まれた。
神官が墓の前で祈りの言葉を唱える間、俺は喪服を着て(もちろん男物)、花を持ちうつむいていた。
「うまくいったようで何よりです」
隣からひそひそと小声で声を掛けられた。驚いて顔を上げると黒いベールを帽子につけた女がいた。ジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢だ。
「その節はどうも」と俺は頭を下げた。この一週間で俺は声変りを迎えていた。声が出しづらく、あまり話したくない。
「本当にギリギリだったようですね」
「はい。本当に」
「これからはお姉さまのように自由に生きてくださいね」
「うっ、姉のようにと言われると嫌ですが、頑張ります」
「では、私はこれで」
子爵令嬢兼騎士爵は墓に喧嘩して祈りを捧げると伯爵夫妻に一言二言声をかけて帰っていった。
「はくしゃ…父上、エウメニデス子爵令嬢と何を話されていたのですか」
「ああ、ミゲル。かけがえのない友人であり同僚を失って悲しいと言っていたよ。仕方がないことだったとはいえ、心が痛むね」
単に悲しみに暮れる友人を演じて言ったのか、とんでもない問題に巻き込まれた腹いせなのかはわからないが、やっぱりいい性格をしているようである。
その一週間後にようやく婚約者は到着した。
いつもはきっちりと揃えられている髪もいつもはしわ一つない服も乱れていた。いつものように無表情のまま、事務的に手続きをすませて帰ると思っていたのだがはたから見てもかなり動揺していた。
「うそ、うそですよね」と伯爵に縋りつき、喪に服した我が家を見て目を見開いた。
「彼女はどこに」
「ミリアの魂は光りあるところに昇っているでしょう」
案内された墓の前で婚約者は静かに跪き手を組んだ。この人はこの人なりに自分の婚約者に情を持っていたのかもしれない。少し胸が痛んだ。
俺は正式に伯爵家の一員として社交界デビューした。分家から養子をとるはずだったのに、いきなり伯爵を継げと言われたので毎日勉強が忙しい。淑女としてのふるまいはわかっても紳士としては半人前だ。
夜会で紹介してもらったウィリアム・オーリット侯爵令息の派閥に入れてもらった。彼の派閥は平和主義者が多く、身分階級もそれほど気にしない人が多いので妾の子としては居心地がいい。
「ついにうちのバーサーカーがヤークト騎士団に挑戦するらしい」
いつものように夜会でうちのバーサーカー自慢をしていたウィリアム・オーリットは複雑な表情で言った。
「それは心配だな」と他の人が言う。
ヤークト騎士団の試験では毎年死人が出ている。婚約者として心配して当たり前だろう。
「止めてみてはどうですか?」と別の人が言った。
「止めたい気持ちはあるんだが、あいつはヤークト騎士団を目標にして今まで頑張ってきたんだよ。応援するとしか言えないだろ」
あいつ、立ち止まることをしらないからなとウィリアム・オーリットはため息をついた。
「エウメニデス子爵令嬢ならきっと大丈夫ですよ。姉もそう思っているはずです」
俺は言った。ジル・ティーシポネー・エウメニデス子爵令嬢兼騎士爵の実力を俺は知っている。試験に落ちるなんてましてや死ぬだなんて想像がつかない。
「ああ、ミゲルの…、そうか。ジルに伝えておく」
ウィリアム・オーリットは少し悲しそうだった。子爵令嬢とミリアが仲良くしていたことを知っていたのだろう。
夜会の帰り、俺は馬車に揺られながら考えていた。ミゲルとして生きることで失ってしまった友情のことを。あるいは男として生きることで得た叶いようもない気持ちのことを。




