……それ、僕に言ったの?
初ホラー、いや、ホラーのつもりです(汗
楽しんで頂ければ幸いです。
僕にとっては彼女に出会ったのが運の尽きだった。
1
彼女に出会ったのはどれくらい前だろう。まるで昨日のことのように感じるが、実際には何年もの時間が経過しているはずだ。
あの頃、僕はまだ高校生だった。
当時僕が通っていた高校は家から遠く、毎日バスに乗って登校していた。バスは山沿いに敷設された道路を半周して、山向こうの町へと僕を送り届けた。これが結構な距離である。
なんせ僕の住んでいた町からでは通学に不便な高校だったから中学までの友人知人とは離れ、いつしか疎遠になり、入学してからも友達などなかなかできない。登下校だけでもしんどいのに部活などしようとも思わない。そういった理由からただ授業を受けて家に帰るだけの日々が続いていた。
そんな毎日をガラリと変えたのが彼女だった。
その日は大雨で、その一滴一滴が銃弾のようにアスファルトを打ちつけ、けたたましい音を鳴らし続けていたのを記憶している。
山道の途中の、朽ちかけた小さな屋根のある古いバス停。そこに彼女は一人佇んでいた。
妙に気になった。
俯いているからか。役目を果たさない屋根のせいでびしょ濡れになっているせいか。悲しそうに、泣いているようにさえ見えた。気がついたら、僕の指はもう『とまります』のボタンを押していた。バス停を少し通り過ぎていたが、運転手さんはこちらの意を汲んでくれたようでゆっくりと停車してくれた。
僕は傘を差して小走りにバス停へと走った。足を動かす度に、地面を覆う水が弾けた。
バス停の少女は全身びしょ濡れのまま俯き加減に立っていた。その様はやはりひどく物悲しく見えた。僕は上がった息を整えつつ声をかけた。少女がこちらを振り向いたとき、心臓がビクンと跳ねた。
肌が透き通るように白い。すらりとした体は抱きしめればポキリと折れてしまいそうだ。人形のように整った顔には少し長めの前髪が張り付いているが、それで彼女の魅力が落ちるということはなかった。寒さのせいか唇まで白っぽく見えるのが少し残念だ。
「……私に言ったの?」
けして大きい声ではないのに、まるで雨音を掻き消したかのようにはっきりと聞こえた。
「キミ以外に誰がいるんだよ」
「そう。そうよね」
そう言って、彼女は微笑んだ。まるで夜空に浮かぶ月のように。その笑顔がとても嬉しそうで、つられて僕まで笑顔になった。
あれ以来、僕は雨が降る日はいつもここにいる。どうしてそうしてしまうのかはわからない。ただ、彼女の笑顔がこの目に焼きついて離れないのだ。
誰も来ないバス停から、通り過ぎるバスを眺め続ける。それはひどく孤独な時間だった。
しかし、それでも僕は雨が降るたびここにいた。いつか必ず出会える、それだけを信じて。
彼女に出会った日からどれほどの時が経っただろう。あの日に良く似た大雨の日、僕の前を通り過ぎていったバスが少し先で停まった。
ドアステップを踏んで道路に降り立ったのはひとりの少女だ。彼女が赤い傘を手に小走りに駆け寄ってくる。雨に濡れた少し長めの前髪を掻きあげると畳まれたまま手の中に収まっている傘を僕の目の前に差し出した。
「びしょ濡れじゃない。風邪ひくよ」
やっと……やっと会えた。この時をどれほど待ちわびたことか。僕は嬉しさをひた隠しにしながら彼女の白い指先から傘を受け取る。
受け取りながらこう言う。
「……それ、僕に言ったの?」
ずっとずっと考えていたのだ、会えたときにいう科白を。何度考えても結論は同じだった。言うならやはりこれしかないと思った。
2
私にとっては彼に出会ったのが運の尽きだった。
私の通う高校は山を隔てた向こうの町にある。なぜそんな所を選んだのかというと、ひとえに中学までの私を誰も知らない所に行きたかったからだ。
小学校高学年の頃からだ。世間一般でいわれるところのイジメというものが始まった。きっかけは些細なことだった、と思う。しかし、それは中学に上がっても止む気配がなかった。毎日無視され続け、聞こえよがしに悪口を言われ、ときには暴力も受けた。
とにかく彼女らと離れたかった。けれど、両親に引っ越してくれなどと無理を言う訳にもいかず、通える範囲内でできるだけ遠い高校にしようと思ったのだ。
しかし、高校に入って三ヶ月たった今になっても、私に友達はいなかった。中学までのようにイジメられることはなかったけれど、ただそれだけだった。
そして、その日はやってきた。
その日は――そう、たしか昼過ぎから降り始めた雨が徐々に勢いを増し、帰る頃には台風のような有様だった。
真っ黒な雲が空を覆い、辺りはさながら夜のよう。私は学校の傍のバス停で薄汚れたプラスチックの長いすに腰掛けながら、霞がかったような見通しの悪い風景をぼんやり眺めていた。
バスが遅れていることに気づいたのは到着予定時刻の二十分後だ。バスが来ないことに次第に苛立ちを感じ始め、何度も何度も時計を見返した。
薄闇の中からバスが水飛沫を上げつつ現れたのは予定時刻を一時間近くも過ぎた頃だった。
ただでさえ遅くなる帰りがさらに遅くなったことに腹が立ったが、仕方がないか、とぐっと堪えて思いなおした。なんせこんな大雨なのだから。
乗客は私一人だけだったが、いつものことだから特に気にすることもなく、後ろから二つ目の席に腰を下ろした。
このバスを利用する客は極端に少ない。自分以外の人がバスに乗ってくるのをほとんど見たことがなかった。運転手と二人きりのバスの中というのはなんとも寂しい感じがして嫌だ。今日はそれに雨の日独特の空気と外の闇が拍車をかけている。バス自身が上げる咆哮以外には無数の雨粒が窓を叩く音だけが車内を支配していた。
バスに揺られながら、窓の外を何気なく眺める。
真っ暗だ。窓の外側を滝のように流れ落ちる水と、そこに雨粒が休むことなく描き続ける波紋だけが見てとれた。
バスが走り始めて数十分。
雨は止むどころかさらに勢いを増していくばかりだった。
そんな折、相変わらず外に視線を投げていた私の目に人影が映った。
山道の丁度真ん中辺りにある屋根のついた小さなバス停。いつだって誰もいないそのバス停に人がいる、ように見えた。だが、バスは止まる素振りも見せない。
関係ないのだが妙に気になった。こんな大雨の日にあんなところで何をしているのだろう。間違って降りてしまったのだろうか。
以前、興味本位であそこでバスを降りたことがあるから、あのバス停の屋根が至る所抜け落ちており、その意味をなさないことは知っていた。そして、今の人影は傘を持っていなかった。そんなにはっきりと見たわけじゃなかったが、間違いないように思う。
こんな所でひとり雨に濡れ続ける。そんな状態を想像すると、さっきの人影がひどく憐れに思われた。そして、そう感じた時には、私はその感情に流されるまま『とまります』のボタンを押してしまっていた。
バスは間もなく停車した。怪訝そうな顔をしている運転手を尻目に私はバスを降りた。
傘を差すことはしなかった。傘を差しては走りにくいと思ったのだ。雨の勢いは強く、微かな痛みが身体中を踏み荒らす。その中を、私は足元を流れていく水を踏み散らしながら走った。
バス停まで戻るとさっきの人影がそのままの姿勢で立っている。思ったとおり上から下までびしょびしょだ。私は呼吸を整えてから近寄っていった。見たところ同じ高校のようだ。制服に見覚えがある。もしかしたら高校に入って初めての友達になれるかもしれない。そんな期待が一歩踏みしめるごとに胸の中に膨らんでいく。
黒髪で制服の少年はずっと雨の中に立っていたからか、肌は青白く透き通って見えた。唇にも色がない。
これはいけない。私は咄嗟に手に持っていた赤い傘を少年の眼前に差し出した。
「びしょ濡れじゃない。風邪ひくよ」
自分のことは棚に上げてそう言った。すると、彼はゆっくりと――本当にゆっくりとこちらを振り返った。
「……それ、僕に言ったの?」
彼が傘を手に取りながらぼそりと発した言葉は驚くほどクリアに私の耳に届いた。背筋を冷たいものが這っていく。雨水のせいじゃない。
「な、なに言ってるの? あなたしか……いないじゃない」
なにかおかしい、そう感じながらもつい条件反射的にそう答えてしまった。
その直後、少年の貌が歓喜に歪んだ。
「そう。そうだよね」
そう言い残して彼は忽然と消えた。赤い傘と一緒に私の目の前で文字通り消えてしまった。それからというもの、消えてしまう直前の彼の笑顔が頭に焼き付いて離れない。
雨の中、ぼんやり立ち続ける私の前をもう何台目かのバスが通り過ぎていった。
いかがだったでしょうか?
余談ですが、うちの父には霊感があるらしく、昔はよくその手のものを目撃していたそうです。あるとき、たしか父がまだ子供の頃だったと思います。横断歩道の向こう側に血まみれの女性が立っていたそうです。一目でわかったそうです。ああ、また幽霊だな、と。すると、その女性が近づいてきてこう言うのです。
「あんた、見えてるんやろ?」
って。父は返事をしてはいけないと直感して、無視してそのまま立ち去ったそうです。
僕が思うに、幽霊というものにもしも出会ってしまったとき、どんな形であれ、反応してはいけないのではないでしょうか。