92話の前 イストーラ
「誰が…っ! イフェストニアにはまだ連絡しないでと、お願いしてありましたよね」
低い、掠れた声がカディから放たれ、報告に来ていた文官が真っ青な顔になり今にも卒倒しそうになる。
怒りのためにか、カディの周囲の空気が揺れる。
「すまぬな、こちらの不手際であった。 既に早馬を出してある、書状の撤回はできぬかも知れぬが、あの娘の耳に入れぬようにとの願いは託してある」
三公のうちの一人、長老にあたるオルドファン公がカディを宥めるようにそう言い、卒倒しかけている文官に退出を促す。
「良子は、あのデュシュレイ隊長の従者なのよ。 王宮に居れば、直ぐにでも耳に入るでしょうよ!」
いらいらと爪を噛むカディに、三公の中では一番年若い…しかし一番おっとりとしたリスト公がお茶を啜りながらふと口を開く。
「お主の能力でそれを知ることはできぬのかい?」
呑気な風情のリスト公をギッと睨み付けたカディだったが、ふっと表情から怒りを抜き、ぶつぶつと思案を始める。
「……できるかしら。 えぇと、どうすればいいかしら…っていうか、私が行って向こうの王様にでもお願いしてくれば良いのかしら? 時間的に、最初の書簡が着いたぐらいの頃合よね」
「ちょっと待てい! この馬鹿娘!」
考え込んでいたカディの頭に手刀を落とすのは、三公の一人である老婆ミスレリア公だ。
「馬鹿とは何よ! それが一番手っ取り早いじゃない!」
「手っ取り早さで選ぶな! 馬鹿娘! お主は我が国の隠し玉じゃろうが! のこのこと他国に顔を出すんじゃないわ!」
「隠し玉ってなによ! 隠してないじゃないの! 堂々と外に出てるわよ!」
「違うわぼけ! 他国に、と言うておるじゃろうが!! 国内の話はしとらん!」
「国内で出歩いていれば、国外にもバレバレでしょ!」
「バレバレでも、公的に発表しておらねばこっそりじゃ!」
肩で息をする老婆とカディに、オルドファン公はため息を付く。
「そういうことだ。 カディのことは、まだ他国へ公式発表をしておらぬ。 そなたの存在は我等にとっての隠し玉といっても過言ではないのだ」
オルドファン公に諭すように言われ、老婆に向き合うのをやめたカディは浮かしかけていた腰を椅子に戻す。
「……政治的なことは任せてるものね、判ったわ。 向こうの王様に手紙を出すだけにしておく」
そうして、イフェストニアに使者がたどり着くのと前後して、王の机上にイストーラからの親書が出現した。
魔法によってかその手紙は王以外が手に取ることはできず、その不審な手紙に警戒する近衛騎士の制止を退けた王の手によってその親書は開かれた。
内容は、今回の件について伍番隊隊長の従者であるリオウの耳には入れぬ事を願う旨を記してあり、文面の最後にはイストーラ王の署名と、カディという名の署名が寄せられていた。