87話 自覚(消去法)
保存系の食料で夕飯を簡単に終わらせ、シャワーを浴びてさっぱりした後はいつものようにリビングで燭台に火を灯し、部屋の明かりを落としそれぞれにグラスを手にしてソファに沈み込む。
いつもより疲れた気分で、ソファで膝を抱えるわたしの半乾きの髪に指を入れ、梳くように指を流し髪に指を絡ませるディーの手を心地よく感じながら、グラスの中の果汁を舐める。
会話も、音楽さえも無い時間なのに、少しも苦痛を感じない。
これが空気のような、っていうことなのかな……。
空気のように当たり前に在って、空気のように重要で。
ちらりとディーに視線を流せば、ディーも穏やかな表情でソファにもたれてグラスを傾けながらわたしの髪をいじっている。
「どうした?」
静寂を壊さない声音で訊ねられ、「なんでもない」と応えて、視線をグラスに戻しかけたが、明日の予定を思い出した。
「あのね、明日実家の方が休みだから、母さんが朝から来れるんだって。 弟、もういい加減捕まえないと不味いんだけど……多分、弟ももうそろそろ向うに帰らなきゃならないのわかってると思うから、明日、必ず捕まえてくる。 だから、明日、朝からお仕事休んでも良い?」
母さんは仕事は仕事なんだから休むなって言ったけど、もういい加減、こんな追いかけっこは止めにしたい。
ディーは少し考えた後、了承してくれた。
「無理はするな」
「大丈夫だよ、わたしの方が魔法、強いし」
「…それでもだ、何があるかわからないんだ。 私の居ないところで怪我などしてくれるなよ」
ディーはそう言うと、自分とわたしのグラスをテーブルの上に戻して、わたしを膝の上に抱き上げそっと抱き寄せた。
ディーの体に体を寄せると、衣服越しに心地よい高めのディーの体温を感じる。
こうやって、自分から体を預けたり、体温を感じることができるのって……凄いな。
家族でさえもうこうやって体温を感じることなんて無いのに、他人なのに一番傍に居て……。
得たことの無い部類の安心を感じていることに気づき、その安心感の源であるディーに腕をまわしてディーの肩口に頭を預けた。
「……リオウ」
ディーの太い指で顎を捕らわれ、上向かされたそこに少しかさついたディーの唇が重なる。
啄ばむように何度も吸われ、薄く唇を開けばするりとディーの舌が当たり前のように口腔に侵入してくる。
それを受け入れ口腔に意識を集中させる。
名残惜しく口腔を離れる舌を追って舌を伸ばすと、宥めるようにもう一度唇をかぶせきて、ちゅうと吸い上げて今度こそ顔を離す。
いつの間にか蝋燭が燃え尽きて暗闇に浸されている室内だけど、暗さに慣れた目がディーの輪郭を捉える。
不意に一つの疑問が湧いてきた。
Q.わたしはこの人と離れられるんだろうか
もしも、高校へ戻れるとして、戻るとして、わたしはディーと離れて生活していられるんだろうか。
もしも、わたしが向こうへ行っている間に、扉が何らかの事故で閉じてしまって、ディーと二度と会えなくなったら……?
二度と、会えなく、なったら………。
ありえない、とはいえないifに、予想外に心が冷えた。
「どうした? リオウ」
突然しがみついたわたしを、ディーはしっかりと抱きしめてくれる。
太い腕、厚い体がぶれることなくわたしを受け止めてくれる、その事がどれ程の安心をわたしに与えてくれているか……。
この腕を…ディーを失いたくない、と。
「ディー……絶対戻ってきますから」
ディーの首に腕を回してその首筋に顔を伏せてそう宣言すると、わたしを抱きしめる腕の力が強くなる。
「ディー……あの、ね」
言い難い、恥ずかしさに声が喉に詰まる。
「あの、ね…」
小さくなる声に、だけどディーは辛抱強くわたしが言うのを待ってくれる。
だから、恥ずかしさを抱えながら、その言葉をディーの耳元で囁く。
「ディー、好き、です。 ずっと、一緒にいたい」
一拍後、強い力に抱きしめられた。
背骨が軋んで………えぇと…鯖折り……?
そうして、意識がブラックアウトしていった。