71話 覚悟
薄闇の中、ぼんやりと目を覚ました。
夕方なのだろうか…。
部屋の中が薄暗い。
頭がずきずきと痛い、上体を起こし、こめかみを揉む。
「目を覚ましたか、リオウ」
声を掛けられ、そちらに視線を巡らせると、窓際にディーが立っていて、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
なぜだか、体が強張る。
ディーが、怖い?
そんな訳ない、ディーを怖がる理由なんて…。
逆光ながら、ディーの服についたおびただしい血の痕を見て取って、何があったのか思い出した。
ぶるりと体が震えた。
ディーに対する恐怖を知りたくなくて、別のことを考える。
見回した部屋の中は閑散としていて、埃っぽく、人が永く住んでいない空気だった。
狭い小屋で、狩猟小屋とか山小屋とかいった風情だ。
そこの、寝台…というか、壁際に作り付けられている板の台の上に寝かされていた。
その狭い台の端にディーは腰掛け、わたしの頬へと手を伸ばす。
体を引いて逃げそうになるのを堪え、その手を受け入れる。
指先は冷たかった。
「…で、どうする、リオウ」
?
「帰るのか」
帰る…。
何一つ見逃さない視線で、わたしを見つめるディーの瞳から目を離せない。
「帰る場所はあるのか?」
問われて、首を傾げるわたしに、ディーは言い聞かせるように口を開く。
「お前は時々とても抜けているからな…。
お前を誘拐し、襲ったのがイストーラの兵だということは判っているか?」
勿論判っているので、頷く。
「お前の帰るべき場所を、奴らが押さえているのは間違いないだろう。 父や母を質に取られているかも知れない。 まだお前にそれを知らせてはいないのかもしれないが、その可能性は低くはないだろう。 一刻も早く父母の身の安全を確認したほうがいいだろう…」
真剣な目でわたしを、わたしの両親を案じてくれるディーを呆然と見る。
あ、あぁ、そうか…。
ディーはわたしがどこから来たのか知らないから…
わたしはこの人に、ずっと本当のことを伝えず…
わたしは、わたしに命を掛けてくれる人に、ずっと、ずっと不誠実に……!!
「リオウ……泣くな。 今やるべきことを、考えるんだ」
広い胸に抱きすくめられて、違うんだと、首を横に振る。
違う! 違う!! ちがうっ!!!
わたしは貴方に心配される価値なんか無い…っ。
イヤイヤをしながら、ディーの腕から逃れようとするわたしを、ディーは更に強い力で拘束する。
「リオウ! リオウっ! 逃げるな…。 逃げるなっ!!!」
抱き込まれ、身動きが取れないまま、だらだらと流れ出る涙をディーの服に染みこませた。
長い間、無言で抱きしめられた。
変わらない強さで、ずっと、ずっと。
この腕に何度も助けられたことを思い知る。
ディーはわたしを従者として”保護”してくれた。
この世界に来て寄る辺もなかったわたしに、”居場所”をくれた。
そうして”愛している”と言い、思いをくれた。
敵に刃でもって文字どおり”命を掛けて”わたしを守ってくれた。
今更、だ。
今更こんなに多くのものを貰っていることに気付くなんて…。
おずおずと、ディーの背中に腕を回す。
ぎゅうと力を入れて、しがみつく。
「リオウ…」
ディーの低く掠れた声。
わたしは…、わたしは、このまま帰っていいのだろうか……。
帰って、後悔しないのだろうか。
あっちの世界の日常に戻って、ディーを忘れることができるのだろうか。
でも、向こうの世界に居る家族にだって会いたい。
まだ高校も卒業してない。
2ヶ月間くらいだろうか、行方不明のわたしだけど、あっちの世界でどういう扱いになっているのか…今まで考えないようにしてたけど、凄く心配だし。
ああ…
こころなんて壊れちゃえばいいのに…。
ディーの気持ちなんか考えないで。
”ひと夏の思い出”ってことで、さっさと向こうの世界に帰って
ああ、大変だったけど、魔法も使えて愉しかったって
それで、もうこの世界を思い出の中だけのものにしちゃえたら
そうしたら、どんなに、どんなに楽だろう……っ!!!
だから…だから、わたしはこの人に話さなきゃならない。
もうこれ以上ディーに嘘をつき続けることはできないから。
抱きしめていた腕を緩めて、そっと体を離し、顔を上げる。
吸い込まれそうなディーの瞳を見て、少し勢いをつけて体を伸ばし、チュッ、とディーの唇に掠めるだけのキスをした。
衝動的。
ほぼ毎日していることだから、何の気負いもなかった…んだけど。
「リ…リオ……」
「あのね、ディ…んんっ!!!」
よし、これから話そう! としたら、突然ディーに抱きすくめられて、強く唇を奪われた!
強く抱きしめられ、口腔を舐られる。
いつもされているように?
いや、いつもされているより、激しく。
歯の裏を舐められ、おびえて引っ込む舌を突かれ、絡め取られる。
「んっ! んんっっ!!」
何度か唇を離して、酸素はくれたけど、息をつくと直ぐに唇が塞がれる。
我が物顔で口腔を蹂躙するディーの背中を、叩いて、引っ張って、両手で顔を掴んで何とか、顔を剥がした!!
「な、な、なにしてんですか!!!」
「口付けだが?」
顔を真っ赤にして叫ぶわたしに、ディーは涼しい顔…いや、なんだかエロい顔…して当然の事のように言う。
「こ、こ、こんなときに”盟約”のキスなんてしなくたっていいでしょう!」
「血の盟約じゃない、”口付け”だ」
そう低い声で言われる。
「お前に”血の盟約”の口付けをしたのは最初にした1度だけだ」
「はぃ?」
首を傾げるわたしに、ディーは口の端を上げる。
「気づいているのだろう? 私はいつも血の盟約ではなく、リオウを欲してこの唇を奪っていた」
つっ、と唇を指先で撫でられ、背筋がぞわっと震えて、咄嗟にディーの胸に両腕を突っ張って距離をとった。
「ちょっと待った!! そ、その話は、後で!」
危うく流されそうだった空気をばっさり切る。
あ、危なっ!!
「まずは、話を! 話を聞いてくださいぃ!!」
…初めてリオウからチューされて、辛抱堪らなくなったディーでした。