28話 末姫の騎士
「ねぇ、フォルティス。 今日ね、とても美味しい”アイスティ”をいただいたの」
こっそり抜け出していた部屋へ戻り、こってりと護衛兼お目付け役の青年騎士に絞られたリーチェことリフィトルーチェ姫は、勉強机に向かいながら、うっとりとあの冷たい紅茶の味を思い出す。
「あいすてぃ…ですか?」
フォルティスはそのはじめて聞く飲み物の名に首をひねる。
「そうよ? 知らない? とても冷たい紅茶で、レモンの風味がさっぱりとしていて…。 またリオウに会えないかしら、そうしたら、また分けて頂戴ってお願いするの」
「そのリオウとは、どなたですか?」
フォルティスは努めて愛想の良い声音で、ご機嫌な姫に尋ねる…が、姫の後ろに立ち、姫から見えないその表情は、ひとつの情報も漏らさぬようにと厳しいそれに変わっていた。
「ディーという方の従者だそうよ? 迷子だったから、道を教えて差し上げたの」
「…迷子ですか?」
「従者になったばかりなんですって。 主に怒られるんじゃないの?って聞いたら、怒られたらお昼の休憩にディーの嫌いなブロッコリーのサラダを出すからいいんだって言ってた!」
楽しそうにおしゃべりする姫に、フォルティスはそういえばと何か思い出した。
「そうですか、随分楽しかったようですね姫様。 それでは、今日の分の勉強をいたしましょうね」
「はーい!」
「私はすこし用事ができましたので。 わからないことはアイリスにお尋ねください。 アイリス! 姫様の勉強をみて差し上げてください」
呼ばれて部屋に入ってきた年かさのメイドにそう命じ、フォルティスは失礼の無い足取りで姫の部屋を辞した。
「リオウか。 確か、最近事務方に導入された”クリップ”の開発者もその名だったな」
かく言うフォルティスもそのクリップを愛用している一人だった。
クリップを製作している、本来は剣を修復するために常駐させている鍛冶屋のもとへ足を向ける。
「クリップを取りにきたのか? あいにくとさっき、総括局の奴らが全部持っていっちまったよ」
本来の仕事である剣をいじれずに、やさぐれつつある鍛冶屋の親父は、タバコをふかしながら唇をゆがめた。
「便利なこたぁわかるがよぉ、俺っちの仕事かよ」
地味な作業だが、最初は楽しかった。
細い針金を作り、それをくくっと曲げると、事務の奴らがこぞって欲しがる”クリップ”になる。
我先にと欲しがる奴らを、いなすのも楽しかったが…。
「腕が訛っちまわぁな」
「申し訳ありません。 もう少しだけ頑張ってください。 必要な量さえできれば、使いまわせるので本職に専念できるようになるはずです」
なぜ自分がこんなオヤジの機嫌を取らねばならんのだと、内心理不尽に思いながらも、フォルティスは同情的な表情を乗せる。
鍛冶屋はちらりとフォルティスを見ると、くわえタバコで器用に煙を吐き出した。
「そうでもねぇらしいぜ。 リー坊が、あれは小さくてすぐ無くすから、継続的に需要があるっつてたからなぁ。 そりゃそうだよな、あんなちっちぇモン、無くすわな」
「そ、そうですか」
鍛冶屋は分厚い靴底でタバコの火を消すと、休憩は終わりとばかりに立ち上がる。
「まぁ、来週からは、町にある俺んとこの工房の若いもんに作らせるから、楽になるだろうがよ」
「町での作成許可が出たんですか!?」
フォルティスが驚くのも無理はない。
こういう便利なものは、発明者が首を縦に振らないかぎりみだりに作ることは許されない。
発明者(発明などするのは、道楽者の貴族が多い)は厚く保護されていて、大抵の場合発明者の身内で専売される。
ましてや城外に流出などもってのほかだ。
「リー坊がそうしてくれってよ。 ありゃぁ良い奴だよ! 発明品の使用料なんか取らないから、どんどん普及させてくれってよ。 損をしない程度の安い値段で町でも売ってくれと言うんだ。 あと、他の業者が真似しても全然いいんだとよ」
「真似されても良い?」
「ああ。 真似して改良して、もっといい物ができりゃそれに越したことは無いだろうってよ。 あんな太っ腹な貴族見たことねぇな…いや、貴族じゃねぇのか? でもデュシュレイ隊長の従者なんてしてるぐらいなんだから、貴族の出なんだろう?」
「リオウとは、デュシュレイ隊長の従者なのですか?」
聞き返すフォルティスに、鍛冶屋はひょいと眉を上げる。
「なんでぇ、あんた知らなかったのか」
「…恥を……っ」
なんであんな鍛冶屋が知っていて、姫様付きの騎士である自分が知らなかったのか。
身勝手な怒りを胸にしながら、修練場へと向かう。
今日は伍番隊が修練場を使う曜日だ、きっとリオウという従者はその修練場へ向かう通路で迷ったのだろう……しかし、迷いようが無い一本道であることが引っかかる。
姫様が一体どこでリオウと出会ったのか。
それとも、リオウが姫を待ち伏せし、偶然を装い接触したのか。
そして、アイスティで姫を懐柔しようとしているのか。
姫に取り入り、姫から陛下へ取り入るつもりなのか。
しかしそれならば、デュシュレイ隊長という大物の従者になどなったりするだろうか。
伍番隊隊長デュシュレイ…市民への知名度は高くは無いが、王城内での知名度はそれなりに高い。
癖の強い連中ばかり放り込んで作り上げた部隊の、苦労性な隊長。
実戦好きばかりを揃えてしまった為、書類仕事を一人でこなさねばならず、いつも夜遅くまで…いや、大抵城の仕事部屋に泊まりこんでいると聞いている。
あの仕事部屋は、工作部隊である六番隊と共同で使われていたはず。
六番隊の隊長といえばロットバルドであるが、無駄口を利かないので有名で…必要なことすらまともに話さないともっぱらの評判だ。
今日が訓練日でよかったと、息詰まること必至であるあの部屋に行かずに済んだことに安堵したフォルティスだった。
「リオウ? あそこに居るぜ」
汗を着ていた服を脱いで拭っていた隊員にリオウの場所を聞く。
さすが伍番隊だ、粗野の一言に尽きる。
「ありがとうございます」
内心の毒は表面に出さず、にっこりと感謝を口にする。
汗臭い修練場の片隅で、壁の方を向いて小さくなっている人物が居た。
「ディーの馬鹿…汗臭い…ディーの変態…汗臭い…汗臭い……」
ぶつぶつと呟きながら、膝を抱えている小柄な人物に、どう声をかけたらと迷っていたら、うしろから声がかかった。
「末姫様のお目付け役殿、何か御用ですか」
「デュシュレイ殿」
デュシュレイ隊長も汗をかいてはいるが、他の隊員のようにもろ肌を出したりはせず、清廉な空気さえ感じる。
確か出自は低いはずだが、貴族であると言ってもまかり通るだろう気品がある。
それでも貴族ではない。
フォルティスは、胸に湧く優越感を押し殺しながら、礼をする。
「訓練中申し訳ありません、こちらにリオウという従者がいると聞いてきたのですが」
「…私の従者に、御用ですか」
ぐん、と冷えた空気にフォルティスは気を呑まれそうになりながら、口を開く。
「はい、先ほど我が姫様にアイスティをいただいたそうで、姫様が大変喜ばれておりまして、是非お礼を申し上げたく」
「そうですか…。しかし、生憎と今リオウは使いに出してしまった、当分戻らないので、あれには私から伝えておきましょう」
「え?」
フォルティスが後ろを振り向くと、先ほどまでそこに居たはずの人物が忽然と消えていた。
「え?え?」
「では、フォルティス殿 まだ訓練の途中ですので、失礼します」
フォルティスがいくら見回しても、修練場の中にはそれらしき小柄な影は無かった。
デュシュレイもさっさと訓練に戻ってしまっている。
狐につままれた様子で、修練場を去る若い騎士に、事の成り行きを見守っていた伍番隊の猛者たちは笑いを殺すのに随分と苦労した。
デュシュレイ隊長が声を掛けると同時に操駆をし、振り向きざま闖入者フォルティスに向かい小声で「”光学迷彩”」と唱えた。
一昨年テレビでやっていた、消したい対象物の前面に背後の画像を映し出す装置をつけ、まるで透明人間のように、姿を消すというのを…一度やってみたかった。
対象者の視覚から、わたしを省き、わたしの前面に後ろの映像を見せるイメージ。
そうして、おいてから、そろりそろりと移動する。
闖入者以外からは見えているので、その様子が面白可笑しく見えるのは請け合いだが、全員の視覚から消えてしまっては、わたしが魔術師だとばれかねない。
闖入者が振り向き、わたしが居ない事に驚いてる隙に、隊員達の密集している陰に身を隠す。
隊員たちも面白がって隠してくれるのがありがたい。
暫く見回していたが、わたしを見つけることができずにそのまま帰ってくれた。
話の流れでいくと…やっぱりあの子はお姫様だったか……orz
すごすごと、猛者たちの陰から出たわたしを隊長の冷たい視線が刺す。
「…あとで、ゆっくりと聞かせてもらおう」
隊長に”光学迷彩”掛けて、逃げてもいいでしょうか……。
涙目でこくこく頷くわたしを見る、猛者たちの憐れみの篭った視線が居た堪れない。