006 意外と純粋なんですよ
「……はっ、最悪だ……」
目覚めと同時に晴太は泣きたい気持ちに襲われていた。
「どうして男の夢なんぞ……」
「何を嘆くことがある。良い夢ではないか」
「いやだって、見るなら女の子の夢がいいじゃない? ……って!」
自然と会話をしてしまったが、晴太は自分以外の声に一拍遅れて驚いた。
「ろっ、薔薇ちゃ~ん!?」
跳ね起きた晴太は、愛用のゲーミングチェアに腰を掛けている薔薇の姿を見つけて困惑する。
胸の前で両腕を組んでいる薔薇は組んでいた足を崩して立ち上がり、動揺する晴太の隣に腰を下ろした。
晴太はまるで信じられないものを見ている様な心地になった。
自分の部屋に女子がいる。
時折遊びに来る年上の親戚を除けば、それは晴太にとって人生初の出来事だった。
緊張と興奮に心臓を跳ね上げながら、晴太は自身の隣に座る薔薇の顔を覗き込む。黄金色に輝く金の瞳を落ち着いて見据えたのは、これもまた今日、初めてのことだった。
「勇者の気配が濃くなったので来てみれば。夢に見たか」
「う、うん。見た」
「どうだ。我の勇者は素晴らしかろう? 奴と言葉は交わしたか? 奴は何と言っていた?」
どこか興奮した様子で矢継ぎ早に繰り出される質問に、晴太は女子が自室にいるという非現実的な興奮が急激に覚めていくのを感じとる。
代わりに、何と答えるべきかと言う悩みが湧く。
(そのまんま伝えたら薔薇ちゃん悲しむだろうし……だからと言ってヤローを誉めたくはねぇし……)
元来ボキャブラリーに富んでいる訳ではないが、それでも晴太は必死に上手く伝えられる言葉を探した。そして出てきたのは当たり障りのない、その代わり中身もない言葉だった。
「特になぁ。挨拶しに来たって感じ?」
「フフッ、奴らしいと言える。器よ、胸を貸せ」
「胸っ!? へっ、へいっ、よろこんで!」
晴太の返事を待たずして、薔薇は晴太の胸元に頭を寄せた。
胸に耳をぴたりと押し当てて、薔薇は肉体が響かせる鼓動の奥にあるものに思いを馳せる。その表情には恍惚とした笑みが浮かんでいた。
当然、女性とこんなにも密着した経験がない晴太は、この状況に固まるしか出来ないでいた。
晴太の鼻孔をふわりとした甘い匂いがくすぐる。
それが薔薇から発せられているのだと気が付いて、晴太は全力で駆けだしてしまいたい衝動にかられた。
(ふぅぅぅうーーッ!! 童貞にはッ刺激がッ強すぎるッッッ!!)
「ン、器よ、心臓が煩いぞ。静かにせよ。勇者の気配が分かりにくいではないか」
「すんませんッ! でも俺っ、死にそう!」
「何! 死ぬのか! ……いやだが待て、肉体的な死は困るか。死ぬのならば精神のみ死ね!」
薔薇は晴太に命じる為に、上げた顔をぐっと晴太に近付けた。
薔薇の整った顔立ちが眼前に迫り、晴太の心臓が早鐘を打つ。
当然、密着の度合いはさらに増すことになり、薔薇は無意識に晴太に圧し掛かっていた。
「あ゛-ッ! 押し付けないで! 押し付けないでぇっ!」
頭部とは別の、弾力のある柔らかなものが押し付けられる感触に晴太は悲鳴を上げた。
女性のことが大好きな晴太ではあるが、意外と純粋なのである。
つまりこういった事柄への耐性がないのだ。
晴太がひぃひぃと情けない声を上げ、薔薇が物騒な期待を寄せる。
そうしていると突然、晴太の部屋の扉が勢いよく開かれた。
「なに一人でうるさくしてんだい! ご飯だよっ!」
扉を開けたのは晴太の母親だった。
灰色の長袖カットソーとジーパンというシンプルないで立ちで、髪は頭の高い位置で丸くまとめられている。その顔付きは、ひどく険しいものだった。
晴太はその顔付きの理由を、自室に薔薇が居る為だと解釈した。
親に内緒で女子を自室に連れ込んでいる――そうとしか見えない現状に、晴太は顔面蒼白になりながら、必死に誤解だと声を大にして叫んだ。
「母よ! これは違くて! 決して連れ込んだとかそういう訳ではなくてね!?」
「はぁ? 何言ってんだい。寝ぼけてんなら顔洗って、さっさとご飯食べに来なさい」
「へ……へぇ……」
母の反応に拍子抜けしながら、晴太はぎこちなく頷いた。
呆れた様子で階段を下りていく母は、最後まで薔薇の存在を気に留める様子がない。そのことを不思議に思いながら晴太は首を横に振って、困ったような顔で薔薇に謝罪した。
「ごめん、薔薇ちゃん。母、目が悪くなり過ぎたみたいで……」
「御母堂の目が悪いわけではない。我を認識せぬようにしたのだ」
ベッドから立ち上がり、薔薇は何ということもないのだと告げた。
薔薇の言葉を反芻して、晴太はつまり、と薔薇の言わんとすることを察する。
「薔薇ちゃんが何かしたから、母には薔薇ちゃんが見えてなかったってコト?」
「御母堂だけではないぞ。貴様の周囲の人間共にも施したのが認識操作……まぁ、簡単すぎて術とも呼べん代物だ」
耳慣れない言葉ではあるが、意味は何となく晴太にも理解が出来た。
つまるところ、薔薇の手によりクラスメイトも母も薔薇がいるのにいない……そんな認識になってしまっていたのだろう。
しかし晴太にとっては、そんなことは些細なことだった。それ以上に薔薇が口にしたもう一つの単語の方が、余程気に掛っていた。
「ねっ、御母堂って何? 俺の母はそんな大層なもんじゃないよ?」
「何を言う。この年齢まで健全健康な器の肉体を育てて下さったのだ。敬る以外にあるまい」
「えぇ~……そうかなぁ」
「育てるという大義を成したのだ。素晴らしい偉業よ。……実のところ、最初は我が勇者の器を育成しようと考えていた。貴様の両親を殺し、赤子の貴様を奪い取ってな。だが……我はどうにも育成というものが苦手でな」
少しばかり気難しい顔をして、薔薇がむぅと低く唸る。
「我は、頑丈な魔界魚すら育てられん。枯れることを知らぬ筈の魔界植物を幾つも枯らしてきた。そんな我に貧弱な人間の赤子など、到底育てられぬと判断したのだ」
「あ~、分かる! 俺もマリモ駄目にしたことあるから! 一緒一緒!」
「マリモは知らぬ。故に我は器の両親に全てを託し、器の肉体が勇者と同じ年頃に育つまで眠ることにした。万が一、育てに失敗していたら、その時は皆殺しにして勇者の魂だけを回収すればよいのでな」
「リセマラ方法が物騒すぎるぜ……。でも、そんなところもチャーミングっ!」
「結果は見ての通りだ。貴様は器としては十分に育った」
薔薇の口元が弧を描く。
それは決して晴太という個に向けられている笑みではないのだが、妖艶な美少女の微笑みが目の前にある。その事実だけで、晴太は胸がいっぱいになるのだった。
階下から母親の怒声が再び響き、晴太はハッとして思わず振り返った。
「今行く! ごめんっ、薔薇ちゃん! 母が……ってあれ?」
再び晴太が向き直ると、そこには既に薔薇の姿はなかった。