003 ファンタジーな魂
「それでは皆、暁月くんが困っていたら手を貸すように。以上、ホームルームを終わる」
一限目の用意をするように告げて、藤ヶ丘は何事も無かったかのように教室を後にした。
晴太といのりはまるで狐につままれたような顔をして、お互いに顔を見合わせる。
「えぇと。私も良く分かってないけど……分かってることを説明するから、後で時間もらえるかな?」
「もちろん! なんなら今からでもいいぜ!」
「後でね」
いのりにぴしゃりと言い切られて、晴太は照れたように笑う。それから後方に座る薔薇へ視線を向けた。
そこに確かに存在しているというのに、誰一人として彼女に近寄る者はいない。
まるで空気のように、そこに居るというだけだった。
彼女の目立つ赤い髪の毛とは真逆の感想を抱くほど、その存在感は希薄であることに晴太はたまらず首を傾げていた。
「晴太ァ! お前、なぁーに委員長と内緒話しとるンじゃーい!」
薔薇の元へ向かうべく、席を離れようとした晴太の周りを友人男子三人組が取り囲む。
声を荒げた長身で細身の男が直江継之助。
標準的な身長に規格外の体重を持つ男、佐竹重義。
そして眼鏡を掛けた小柄な男子が宇都宮綱だ。
彼らは晴太と高校入学時からの付き合いであり、出会ったその日に意気投合。共通する悩み、即ち女子からの人気が低いことに悩む男子集団・モテんズを勝手に名乗っていた。(実に自虐的な名前だが、晴太は意外と気に入っていたりする)
どういうことだと詰め寄る三人に、晴太は上半身を踏ん反り返らせて口を大きく開いた。
「はーははァッ! 羨ましかろう! 俺は委員長とも薔薇ちゃんとも仲良しになったのだ! 悪いなぁ、君達ィ!」
「ハァ~? お前、寝言は寝て言えいっ!」
「暁月殿とは会話すらしてないでござるよ!」
「あぁ……哀れな。俺と薔薇ちゃんの熱い抱擁を見ておいて、その嫉妬心からくる発言! 君達、そこまで堕ちたのぉ~?」
「う、うわー……初対面の女子に対してその妄想。流石の俺達でも引く……」
「引くなよ! 寂しいだろ!?」
目の前で繰り広げられる男子四人のぎゃあぎゃあとした騒ぎ声に、いのりは呆れた顔をして自分の席へと戻っていった。
授業の間も休み時間も、晴太といのり以外、誰一人として薔薇を意識する者はいなかった。
晴太も何かとちょっかいを掛けに行こうとするのだが、不思議なことに薔薇は忽然と姿を消してしまうのだ。それでいて、彼女の存在の奇妙さに言及する者はいない。
結局、朝の時間以降、薔薇とは一切関りを持てないままに昼休みの時間を迎えていた。
昼休みの開始と同時にいのりに声を掛けられた晴太は、ご機嫌にスキップをしながらいのりの後を着いていく。背後から響いてくる友人達の怨嗟の声は、まるで聞こえていない様子である。
廊下の突き当りにある階段を上り辿り着いたのは、普段は生徒が近寄ることのない屋上への出入り口だった。
「本当は立ち入り禁止なんだけど、特別な話だから、特別にね」
いのりはポケットから銀の鍵を取り出した。
曰く、代々選ばれし学級委員長が継承する屋上の鍵だそうで、委員長と言う職務の特権でもある。というらしい。
鍵の開けられた扉の先に広がる景色は殺風景ではあるものの、実に解放感に溢れるものだった。晴太は珍しい景色に興奮を覚えながらも空腹には抗えず、扉付近の壁に背を預けて、どかりと腰を下ろした。
持っていた風呂敷の結び目を解くと、中から愛用の弁当箱が顔を出す。
いただきますと箸を手に食事を始めた晴太の自由さに溜息を吐きながら、いのりも晴太の隣に腰を下ろした。
「晴太くん。話してもいい?」
「いいともー! なになに? 恋バナ?」
「朝のことだよ。あの時、晴太くん大ピンチだったって分かってる? 斬られて大惨事になるところだった……」
「えッ!? 俺、死にそうだったの!?」
「うーん、暁月さんには晴太くんを殺す気はなかったみたいだけど、あのままだと大怪我は避けられなかったらしいよ」
「らしい?」
「うん。私の中の魔法使いがそう言ってる。……未だに信じられない話なんだけど、私と晴太くんの魂は、別の世界の人と同一なんだって。私の中には魔法使いの魂があって、晴太くんの中には勇者の魂がある。らしいよ?」
「急なファンタジー展開きたな! 大丈夫、俺、ファンタジーものもいける口だぜ」
弁当の中身を口の中に放り込みながら、晴太はいのりに向けて親指をグッと力強く立てた。
釣られるように、いのりも持参したサンドイッチを口に運びながら頭を縦に大きく振る。
「私もファンタジーもの好きだよ。でも……それは物語だからであって、現実になるって言われるとちょっとね」
「うーむ、勇者に魔法使いねぇ……。全然実感ねぇなぁ~」
あっという間に空になった弁当箱を置いて、晴太は自分の胸元に手を当てた。
見た目としては何かが変わったわけでもなく、かと言って、自身の中身に何か変化があったとも思えない。首を傾げる晴太に、いのりも不安げな顔つきになる。
「暁月さんも変化を期待していたみたいだけど、晴太くんの自我が強すぎて変化がないのだと思う」
「委員長は?」
「私の中の魔法使いは、優しい人みたいだから。魂を自覚したところで、何かしようってつもりはないって言ってる」
「それじゃあ薔薇ちゃんは? 魔王……って、さっき言わなかったか? 薔薇ちゃんが魔王に乗っ取られてるなら、助けねばよォッ!!」
思わず勢いよく立ち上がる晴太に、いのりはそうじゃないのだと首を横に振った。
「暁月さんは、魔王そのものなんだって」
「魔王そのもの?」
「――その通り。我は我である」
突然割って入った声に、晴太といのりは身体をびくりと震わせた。
二人揃って視線を正面へ向けると、いつの間に居たのだろうか。胸元で腕を組んだ薔薇が二人の目の前に立っていた。
この屋上への出入口は当然、一か所しかない。どこからともなく現れた薔薇に、晴太は瞳を輝かせ、いのりは警戒を強めた。
「この肉体も魂も我、魔王ロズクォーツとしてのものである。貴様らのような器を必要とはせぬ」
「じゃあ薔薇ちゃん、ガチ魔王なんだ! すげぇっ!」
「褒めたところで貴様の運命は変わらぬぞ。その肉体を勇者に明け渡せ。器よ」
薔薇は鋭い目つきで晴太を睨みつけた。
その視線の鋭さすらも、晴太にとっては尖った女性の魅力の一つに過ぎない。
晴太は無防備に笑いながら、握った拳で自分の胸元をドンと力強く叩いた。力が強過ぎて、少しむせた。
「えげっ……、薔薇ちゃん! 俺が君の勇者になるよ……!」
「ほう、それは肉体を勇者に明け渡すという事か?」
「ちーがう違う! こんなねぇ、俺の自我? ってやつに負けて表に出てこれないような意気地なし野郎じゃなくて、この春風晴太が君の勇者になるってこと!」
そう言って、晴太はえっへんと強気に胸を張った。
意気揚々と自信ありげな顔をする晴太とは真逆に、いのりの顔色は悪い。
薔薇の纏う雰囲気の変化に気が付いたのだ。
「……貴様、今、勇者を愚弄したか?」
「いやー、だって薔薇ちゃんみたいな美人が目の前にいても出てこないとか、男として情けないっしょ」
「器如きに何が分かるッ!!」
爆発した、と言っても差支えがない程に、薔薇は感情を発露させた。
髪は燃え盛る炎のように荒らぶり、両目が大きく見開かれる。怒りを露わにした瞳は、獲物を捕らえた獰猛な肉食獣の如く鋭い。
どこからともなく、火花が弾けるようなバチバチという音が響く。
それが薔薇の体を包むように走る赤い稲妻の音だと理解して、晴太といのりは恐怖に震え上がった。