022 器の理由・真説
一悶着あったものの、無事にフライパンを手にすることが出来た晴太は帰宅直後、そっと台所にフライパンを置いて自室へ戻っていた。既に日は西に傾き、窓から夕陽が差し込む。
自室の扉を開けた直後、晴太はわっと声を上げていた。以前と同じく、ゲーミングチェアに腰かけた薔薇の姿があったのだ。
「薔薇ちゃんっ! 会いに来てくれたの!? あっ、待ってて! お菓子とジュース持ってくっから!」
「構うな。それより、面白い事になっているぞ」
「そりゃもう薔薇ちゃんが家にいることで、俺のテンションおもろいことになってるよ!」
晴太の言葉に耳も傾けず、薔薇は胸ポケットからスマートフォンを取り出す。細い指先で画面をなぞり、ネットニュースを配信するサイトを開き、その画面を晴太に向けた。
示された画面をのぞき込み、晴太はそこに表示された文面を読み上げる。
「暴徒化する人々と、謎の光の剣士ぃ?」
薔薇の指が動画の再生ボタンに触れた。
再生された動画には、先ほどの直江達と似たような様子の人々が映し出されていた。それだけではなく、天から一筋の光が射し、柱となった光の中からなにかが飛び出してくる様子までもが撮影されていたのだ。
「これ! 俺、さっき同じの見た! ゾンビみてーになってるのも、この光も!」
「フン、やはり貴様の前に現れたか」
画面を閉じて、薔薇はスマートフォンをしまった。その何気ない仕草一つ一つに、晴太の目は釘付けになる。
晴太が見惚れていることに微塵も気が付かない薔薇は、踏ん反り返る様に椅子に背中を預けた。
「我は人間の暴徒化には興味がない。しかし、あの光から出たモノ。巷では光の剣士等と呼ばれ始めているようだが、アレには興味があってな」
「薔薇ちゃんが興味持つってことは、もしかして~?」
「察しが良いな、器よ」
薔薇の口角がニィっと吊り上がる。
隠しきれない邪悪さがありながらも、それに勝る妖艶さに晴太の鼻の下が情けなく伸びる。
「結論から言おう。アレは次元の怪物の欠片と勇者の肉片が混じりあったものだ」
「にっ、肉片っ!?」
普段聞きなれない言葉に、流石の晴太もたじろいでしまう。
晴太にとって勇者はいけ好かない存在である。その上、夢の中だけの付き合いだ。しかし顔を知っている相手の無残な状態を想像して、晴太はたまらず動揺する。
薔薇は晴太をじっと見て、それから一つため息を吐き出した。
「我が次元転移術を使った際、勇者の魂のみを連れてきた。他の次元に奴の肉体を持ち込むのは不可能と判断してな。だが事実は違う。肉体も次元を超えていたのだ。術者である我と違い、その肉体は原型を留めることが不可能だった様子だが」
「うへぇ……、薔薇ちゃんがバラバラにならなくて良かったぁ……」
「千々になった勇者の肉体、その一部は次元の狭間に取り残されていた。怪物如きが勇者の肉片を利用しおって。度し難い」
「でも、怪物は追っ払ったよね? 欠片って、なんか落としてったのアイツ」
「体の一部だ。去り際に切り落とした部位に、勇者の肉片が仕込まれている」
言って、薔薇は眉間の皺を深くした。
勇者の肉体という薔薇にとっては唯一無二が、怪物に利用されている。それは薔薇にとっては決して許せることではなかった。
怒りを露わにする薔薇に、晴太は胸を痛めた。
薔薇を悩ませる勇者も怪物も許せない。その一心で晴太は自身の胸を強く叩いた。
「俺が取り戻す! 怪物から肉片取り戻して、薔薇ちゃんにプレゼントする!」
随分と猟奇的な発言であるが、晴太は特に考えてはいない。
晴太の言葉を受けて、薔薇の口元が弧を描く。
「ククッ! 無論、取り戻す。取り戻し、完全体とせねばならん」
ゲーミングチェアから立ち上がった薔薇は一歩踏み出し、まるで重力を感じさせないような軽やかな足取りで晴太との距離を詰めた。
突然間近に迫った薔薇に、晴太は胸が高鳴る。薔薇の長い睫毛が揺れる。薄く開かれた薄桃色の唇に、晴太の視線が釘付けとなった。
「千々になった勇者の肉体は魂に導かれるように一つに纏まり、地上へ向かった。次元の狭間に一部を残してな。これがどういう意味か分かるか?」
「はい! 分かりません! というか、分かりたくない気がするなーーッ!」
「ククッ、本能的に分かってしまうのだろうな」
晴太は泣きたい気持ちで笑った。間近に迫った薔薇にどぎまぎしながらも、晴太なりに薔薇の言葉を必死にかみ砕く。その結果、導き出された結論があまりにも自身にとっては無体なものであったのだ。
晴太が導き出した答えが正しいことは、何とも意地の悪そうな薔薇の表情が物語っていた。
「ただの高校生の魂は勇者様!? ~俺の体の一部が勇者の肉で出来ているなんて聞いてません!~ みたいな感じなんでしょこれェ!!」
「貴様の言葉は良く分からんが、大体そうだ」
「やだーッ! 自分の体の構成物に他所の男の肉が含まれているとか地獄過ぎんかーッ!」
頭を抱えて、晴太はその場に力なくしゃがみ込む。
うめき声を上げる晴太を見下して、薔薇は鼻を鳴らして笑う。
「良いではないか。残りの勇者の肉片を貴様に取り込めば、貴様は完全な勇者の肉体となるのだぞ? そうすれば魂と肉体がそろい、勇者が舞い戻るに違いない!」
「溢れちゃうよ! 追加した肉の分、元からあった肉が溢れちゃうよ!」
「捨てればよかろう。貴様の部分などいらぬわ」
「せめて薔薇ちゃんの手で処分してェーッ!」
「断る。……さて。そのような事情故に、我は光の剣士なるモノから勇者の肉片を取り戻さねばならぬ。貴様は大事な器だ。ここで待っていろ」
しゃがみ込んで丸まった晴太を一瞥して、薔薇は開けっ放しの窓辺に寄る。
その薔薇の背中に、晴太は待ってくれと声を掛けた。
「薔薇ちゃん、俺も行くよ! 薔薇ちゃんのっ、大事なっ、俺だから! 一緒にいるよ!」
熱に浮かされたような顔をして、晴太は力強く拳を握った。
当然の様に、晴太は薔薇の口から出た一部分だけを都合良く受け取る。薔薇の言う『大事』が、全て勇者に掛っていることを分かっていながらも、晴太はその言葉が自分へ向けられたものだという絶対の自信を持っていた。
薔薇は一瞬考えて、それから肩を竦めた。
「肉片を取り戻した際、貴様がいれば埋め込むのも容易いか。同行を許可する」
「あざっス!」
おもむろに窓のフレームに手と足を駆け、薔薇が外へ飛び出す。その身に風を纏ったかのように、ふわりと身を浮かせて地上に舞い降りた。
一連の薔薇の動作に見惚れながら、ただの人間である晴太は急いで玄関まで駆けて行くのだった。