019 眠れる夢の美女
まだ朝の空気が残る中、晴太達は帰路につく。
次元の門を巡る一連の出来事を受け、学校は臨時休校となったのだ。
調査を行うといえども既に門は閉じられ、学校の屋上には騒ぎの形跡など一つも残されてはいない。さらには調査と言ったところで、起こった出来事はあまりにも非現実的であり、非科学的である。目撃者も不十分で、ろくな調査結果が出ないのは目に見えていた。
街中に溢れていた魔物は皆消え去り、まるで全てが幻の様だったと誰もが口々にする。
だが底の抜けたフライパンが、あの出来事は現実なのだと晴太に語り掛けていた。
「じゃーなー」
途中で直江達と別れ、晴太は真っすぐに家路に着いた。
底の抜けたフライパンをどうするか考えて、自室に持ち込む。それから急に疲れが出たのだろうか。晴太は制服の上着を脱いでシャツのボタンを緩めると、ベッドの上に大の字に転がった。
(このパターン、絶対あれじゃねぇか……勇者が出てくるヤツじゃねぇか。でも、朝から頑張ったから……眠ぃ……)
強烈な眠気に抗えず、晴太の目蓋が自然と落ちた。
すぐに寝息を立てて、深い眠りへ落ちていく――。
「……フフッ、捕まえた」
耳元をくすぐる艶やかな女の声に、晴太は跳ね起きた。
それは本能と言ってもいいレベルの反応速度であり、意識よりも肉体が先に動いていたと言っても過言ではないだろう。現に晴太は跳ね起きて、それから少しの間をおいてから目を開けたのだ。
「まぁ! 面白い子ねぇ」
くすくすと笑う女の声に、晴太はまだ重たさの残る目蓋を大きく見開く。視界一杯に映った見知らぬ女の顔に、晴太は心臓が止まる思いをした。
薄紫色をした瞳は垂れ気味で、左目の下の泣き黒子が悩ましさを醸し出す。ぽってりとした唇には薄ピンクの口紅が塗られている。鼻筋の通った顔立ちは美人と言って差支えがない。
そんな見知らぬ美女の顔が間近にあって、晴太は顔が熱くなるのを感じた。
晴太が起きたのを見届けて、女はその場で立ち上がる。ようやく女の全貌を目にして、晴太の心臓が大きく跳ね上がった。
瞳の色と似た鮮やかな紫色の髪が、肩を過ぎて揺れている。肉付きの良い胸周りと臀部が服の布地に張り付くようにして、そのラインを強調していた。ロングスカートのスリットから覗くすらりと伸びた生足に、晴太は思わず生唾を飲んだ。
「君、ハルカゼくん。会えて嬉しいわ」
「えっ、えっ!? 俺のこと知ってるンですか! いやっ、光栄だなぁ~!」
でれでれと締まりのない顔で、晴太は軽く頭を掻きながら立ち上がる。
晴太の反応に気をよくしたのか、女の形の良い唇が弧を描いた。
「私も嬉しいわ。君の様な面白い人間に会えて。私はモルガナ。よろしくね」
「モルガナさん! 美しい人に良く似合う、素敵なお名前で! いやー、こんな美しい人に知っていて貰えるなんて、男冥利に尽きるぜ!」
「えぇ、君の事、良く知っているわ。生まれた時からずうっと観ているんですもの」
「そんな時から!? ……モルガナさんがそんなに俺のことを想っていてくれていたのに! 今日まで貴女に気が付かなかった俺の愚かさを許して欲しいッ!」
本気で悔やんでいる様子を見せる晴太に、モルガナから笑い声が零れた。
笑いながらモルガナが目を細める。その瞳がひどく冷めきっていることに、晴太は気が付ない。
「いいのよ。私が一方的に観ていただけなんだから。でもこれからは一方的ではなくなるわ。君にも私が見えるようになる。次元の裂け目が出来たおかげでね」
「それじゃあこれからは俺、モルガナさんのことめっちゃ見ます!!」
晴太の耳に、モルガナの言葉の末尾は届いていない。都合の良い部分だけがピックアップされているのだ。
もっとモルガナのことを知りたいと、興奮気味の晴太が前のめりにモルガナへ詰め寄った途端。モルガナは軽い仕草でその身を後方に跳ねて退けた。
「残念。今日はこれで終わりね。怖いお兄さんが来てしまったわ」
そう言いながらも、モルガナの顔には隠しようのない愉悦の笑みが浮かんでいた。
モルガナの視線が晴太から横へ動く。視線の動きを追いかけると、晴太はそこに勇者シリウスの姿を見つけた。
変わらず白銀の鎧に身を包んだシリウスは、険しい顔付でモルガナを見据えている。
モルガナは自身に向けられる視線の厳しさすらも愉しんでいるかの様に笑った。
「魔女モルガナ。晴太の夢に入り込んで何が目的だ」
「勇者シリウス。私の目的はずっと一つよ。私の好奇心を満たす。それだけよ」
二人の間に険悪な空気が漂う。先に均衡を崩したのはモルガナだった。
モルガナは視線を晴太へ向けて、にやりと笑む。
「またね、ハルカゼくん」
「あっ、ちょっ! 待ってくださいモルガナさん! 連絡先をッ!」
モルガナの笑みに見惚れた晴太は、反応が遅れたことを激しく悔やんだ。晴太が言い終わるよりも早く、モルガナはその姿を消してしまったのだった。
風に掻き消される様に消えたモルガナを偲びながら、晴太は眉を吊り上げシリウスを見た。
未だに真面目な顔をしたままのシリウスに、晴太は余計に怒りを煽られた。
「おっ前! 何してんだよ! モルガナさん帰っちまっただろーっ!」
「……晴太。彼女は魔王軍四天王の一人だ。彼女は現実でも君に接触しようとしている。気を付けて」
「接触しようにも、連絡先がわかンねーじゃんっ!」
わっと声を上げながら、晴太は意識が徐々に遠のいていくのを感じていた。
嘆きを全く気にする様子もなく不安げな顔で遠くを見つめるシリウスに、このヤロウと悪態を吐きながら晴太は意識を手放した。
二章始まります。
気楽にお付き合いいただけると幸いです~