001 運命の出会い・上
2035年、春。
新学期が始まりを告げ、しばらく。学生の多くは環境の変化に多少の刺激を受けながらも、普段と変わらぬ日々を過ごしていた。
そんな学生が大半を占める中、一人異様にテンションの高い男子高校生がいた。
名を、春風晴太と言う。
オーソドックスなブレザーの制服に身を包んだ晴太は、目の前にクラスメイトの女子生徒を見つけると足取り軽く駆け出した。
「おっはよー! 委員長~っ!」
委員長と呼ばれた少女が、チェック柄のプリーツスカートの裾を翻らせて振り返る。
艶のある黒髪を束ねた、二本のふわふわとしたボリュームのある三つ編みが揺れる。細めのフレームにブラウンカラーの眼鏡を掛けた優し気な顔つきではあるが、委員長の呼び名の通り、レンズの向こう側の瞳は凛とした強かさを感じさせるものがあった。
「おはよう。今日も晴太くんは朝から元気だね」
「取柄っつーやつかな!」
わっはっはっと晴太の腹の底からの笑い声に、委員長も釣られて笑ってしまう。
晴太に委員長と呼ばれている彼女の名前は、夏野いのり。
晴太のクラスメイトであり、呼び名の通り学級委員長を務めている。
いのりは小学校高学年から始まり、中学、高校と学級委員長という職務を全うし続けていた。
本人の希望で受けることもあれば、周囲から推されて受け持つこともある。
学級委員長を務めるにあたり、人の役に立ちたい、目立ちたいという強い想いがいのりにあるわけではなかった。
やれるからやる。
いのりにとって、学級委員長という仕事は息をするように自然とこなせてしまうことだったのだ。
生粋の学級委員長。
しかし生徒会長には決してならないというこだわりを持つのが、夏野いのりという少女である。
「なぁなぁ、委員長。ちょっと小耳に挟んだンだけどさ。今日、うちのクラスに転入生が来るってホント!?」
「うん、本当だよ。転入試験も満点合格の、すっごい頭がいい人なんだって」
「委員長……大事なのは頭の良し悪しじゃあないぜ。大事なのはさっ」
「分かってるよ。良かったね、女子だよ」
「イィィイイィッ! ヤッフゥー―――!!」
その場で跳ねて、大袈裟なまでのリアクションで晴太は喜びをあらわにした。
晴太は女子をこよなく好いていた。その幅は広く、老若問わずである。
ただし彼氏持ちと既婚者は例外だ。晴太に寝取り趣味はない。
だから晴太は強く祈った。転入生に彼氏が居ませんようにと、入学試験の日に神頼みをするのと同レベルで強く願った。
真剣な様子で天に祈りだした晴太の横で、いのりは呆れた顔で肩を竦めた。
晴太は女好きであることを一切隠そうとはしない。どちらかと言えばおバカに分類されてしまう性格で、いつも騒がしい。だからいくら晴太がアピールをしてきたとしても、晴太の相手を真面目にする女子は一人もいなかった。
ただ、その性格の明るさからか、極端に嫌われるということも少なかった。
(だからと言って、みんながみんなこのノリを受け入れられる訳じゃないんだから。私がちゃんとしないと)
学級委員長としての責任感。
そして元来の生真面目さが、来るべき新たなクラスメイトを守らねばならないといのりに強い決意を抱かせていた。
「あっ! おっはよー! 麻里亜ちゃん! 紗乃ちゃん! 瑤子ちゃん!」
そんないのりの決意に気付くこともなく、晴太は更に前を行くクラスメイトの女子の名を叫びながら駆けて行く。
その軽快な足取りを目にしたいのりは、朝からフルパワーでいられることは少しだけ羨ましいかもしれないと苦笑するのだった。
登校後、しばらくして朝のホームルームが始まった。
教室はいつもよりも騒がしく、皆一様にどこか落ち着きがない。
転入生への期待がそうさせるのだろうか。担任の女教師、藤ヶ丘真矢が白衣の裾を揺らして教室に入ってきても、ざわめきは収まる気配がなかった。
晴太は藤ヶ丘のことも好んでいた。
やや釣り目がちで、すっと伸びた目尻のラインが彼女の美貌と気の強さを表している。スタイルの良さを隠そうともしないタイトな服装は、年頃の男子高校生には少々刺激的ではあるのだが、それがまた藤ヶ丘の魅力を殊更に強調しているのだと晴太は考える。
しかし今日の晴太の関心の全ては転入生に向けられていた。
その為、藤ヶ丘を見つめるのもそこそこに、晴太は期待の眼差しでもって出入り口の戸に視線を向けた。
「静かに。諸君らの期待通り、転入生を紹介する。入り給え」
教室の出入り口の戸が、音を立てて開かれる。
その瞬間、教室内は波が引くように静まり返った。
「おぉ……っ」
凛とした足取りで室内に入る彼女の姿に、晴太は目を大きく見開いた。
真っ先に目につくのは、腰まで届く燃える様な赤い髪だろう。毛先を遊ばせた髪の毛は、どこか雄々しさすら感じさせる。一本芯の入ったように伸びた背筋が、彼女の気高さを物語っているようだった。
一目で分かるスタイルの良さ、スカートから覗くすらりと伸びた長い脚。
鼻筋が通った横顔の美しさに、晴太は胸が大きく高鳴るのを感じた。
藤ヶ丘がいつの間にか黒板に文字を書いていた。
暁月薔薇。
それが彼女の名前なのだと認識して、目の前の少女になんと良く似合う名前なのだろうと晴太は感動を覚えていた。