018 取り合えずのハッピーエンド!
徐々に光の柱は勢いを落とし、細く、そして輝きを失う。
屋上に立つ晴太達は、消えていく光を息を切らせて見上げていた。見上げる空は残光に白む。
「……封印、出来た……?」
「……出来た。今度こそ出来たぜ、委員長~!」
呆けた様子のいのりの左隣に立ち、晴太は空をフライパンで指す。
暗雲は完全に去り、空の裂け目は奇麗に消え失せていた。まるで何事も無かったかのように広がる青空に、いのりは詰めていた息を吐いて目元を緩めた。
「頑張りましたね、イノリ」
いのりの右隣に立つジェードが、いのりに微笑みかける。
「ジェードさんのお陰です。ありがとうございました」
安堵した顔で、いのりはジェードに頭を深々と下げた。
頭を下げられるとは思ってもいなかったのか、ジェードはひどく狼狽えた様子で止してくださいと声を上げる。
「そーだッそーだッ! そんな奴に頭下げなくていーって! てか、委員長っ! 俺も頑張ったよぉ!?」
どこか泣きそうな情けない声を上げる晴太を見て、いのりは朗らかに微笑む。
それは心の底から湧く安堵からくるもので、屈託のない笑顔だった。
「うん。勿論、晴太くんのお陰でもあるよ。ありがとう、晴太くん」
いのりの声色は浮かべた笑みと同じく柔らかで、晴太はどうしようもない照れくささが浮かんでしまう。女子から素直な感情を向けられることの少ない晴太には、こういった時にスマートな対応を取るというのはひどく難しいことなのだった。
「へっ、へへ! まっ、ね! 委員長の為ならそりゃね!」
「……それに、晴太くんが晴太くんのままで良かったよ」
「へっ?」
心底安堵した様子のいのりから放たれた一言に、晴太は思わず首を傾げた。
晴太が言葉の真意を問おうとした、その時。
「勇者よーーーーッ!!」
上空からの声に皆一様に驚く。
視線を上げると、両手を大きく開いた薔薇が、晴太目掛けて落下している最中である事が分かった。
落ちて来た薔薇は晴太に体当たりのように抱き着いて、勢いに負けて尻もちをついた晴太の首に腕を絡める。薔薇はうっとりとした顔つきで晴太の顔に自身の顔を寄せた。
「我は待っていた。我は信じていた! 力を使う為に、貴様が表に出ることを!」
ぎゅうと更に両腕に力を籠めて、薔薇は更に体を寄せる。
薔薇の体が触れる部分が温かく、晴太は目を白黒させながらも口元にだらしない笑みを浮かべていた。
勇者、勇者と薔薇が口にする。当然、薔薇の口にする勇者とはシリウスのことなのだが、この状況において晴太の思考力はゼロに等しい状態となっている。
故に晴太は深く考えることを放棄して、薔薇の体を抱きしめ返すことにした。
「薔薇ちゃん! 君の勇者として頑張ったよ!!」
少し離れた位置からジェードの叫び声が上がった。しかしそんなことはお構いなしに、晴太は両腕で薔薇をひしと抱きしめる。
人生で初めて女性を抱きしめた晴太の心臓は、弾けんばかりに高鳴っていた。
「……待て。貴様、器か……?」
反して、薔薇の胸の高鳴りは一瞬にして消え失せた。
真顔に近い面持ちでそろりと体を離し、薔薇は晴太の顔をまじまじと見る。晴太の絵に描いたようなしまりのない顔付に、薔薇は嫌悪を露わにしながら勢いよく立ち上がった。
「貴様! あれ程の勇者の力を使いながら、まだ自我を保っているというのか……!?」
怒りとも困惑とも受け取れる表情を浮かべる薔薇に、晴太は照れたように笑って頭を掻いた。
「……晴太くん、暁月さんは褒めてないと思うよ」
二人の様子を遠巻きに眺めていたいのりが、つい口を挟む。
いのりの言葉を肯定するように、ジェードが頭を縦に振った。
「えっ、あんな力を使えて凄い! 晴太くんマジ勇者っ! って、話じゃないの!?」
心底驚いた様子を見せながら、埃を払いながら晴太が立ち上がる。
既に晴太と距離を取った薔薇は、ジットリとした目付きで晴太を睨みつけた。
「呆れているだけだ。……あれほどの力を開放したのならば、間違いなく魂にその精神性は引き摺られる。だというのに貴様は……貴様、一体何なのだ」
「え? 俺? 春風晴太、十七歳! 好きなものは女の子!」
「そんなことは聞いていないッ!」
声を荒げた薔薇は、その直後に深いため息を吐き出した。ため息と共に肩をがっくりと落とし、眉根を寄せる。
「力を使わざるを得ぬ状況を作り、力を使わせれば或いはと思ったのだが……」
「えっと、暁月さん……もしかして晴太くんに門を閉ざさせようとしたのって、力を使わせるため……?」
「うむ。だが彼奴め、想像以上に自我が強い。何、器としての優秀さは証明されたのだ。次の策を練れば良いだけのことよ!」
「薔薇ちゃん楽しそう! 俺も楽しい!」
薔薇の高笑いに合わせて、晴太もわっはっはっと声を張り上げ笑い声を上げた。
薔薇の行動原理は全て勇者を目的としている。
如何に世界に危機が訪れたとしても、譲れない部分である事実にいのりは軽い眩暈を起こしかける。
(だけど、そこまでするほど好きな人がいるっていうのは、ちょっとだけ羨ましいかな)
世界滅亡の危機に瀕してでも手に入れたいたった一人。
いのりの薔薇を見つめる視線には、ほんの少しの羨望が混じっていた。
「いのりぃーッ!」
下から大声で名前を呼ばれ、いのりはハッとして柵に近寄る。
身を乗り出す様にして下を見ると、グラウンドには教員室に居た生徒と教師の姿があって、いのりはその無事な様子に満面の笑みを浮かべた。
「麻里亜っ!」
下から手を振る麻里亜に、いのりもまた手を振り返す。
その横には直江の姿もあり、お互いの無事に喜びの声を上げていた。
「わーっはははっ! 皆の衆! この晴太さんに感謝しろよなぁーっ!」
柵に駆け寄り、身を乗り出した晴太が大声で叫ぶ。
下からはブーイングの嵐が飛び交うが、それすらも愉快だと言わんばかりに晴太は声高々に笑い続けていた。
「……あの、我が王よ。門が閉じてしまったことで、我々もまた帰る手段を失ってしまいましたが……」
晴太から少し離れた位置で、不安げな顔をしたジェードが薔薇の顔を覗き込む。
「我には関係ないが案ずるな。『アレ』の悪あがきにより、機会は何れ巡るだろう。それまで貴様の好きにするが良い。あぁ、その格好は止しておけ。この次元では目立ちすぎるぞ」
「おっ、お待ちください、我が王よーっ!」
興味を失った様子で屋上の出入り口から立ち去る薔薇の後を、ジェードが涙目でついていく。
こうして次元と次元を繋ぐ開かずの門は無事に閉ざされて、全て世はこともなし。
世界にはまた日常が戻ってきたのだった。
「あれ? 晴太くん。そのフライパン……底が抜けてるよ!?」
「え? ……あーーーッ!」
晴太が手と一緒に勢い良く振ったフライパンは、奇麗に底が抜けてしまっていた。
取っ手とフレームだけが残ったフライパン、そのぽっかりと空いた穴に青空を映し、晴太は盛大に叫んだ。
「マズイって!! 母に殺されてまうて!!」
「一緒に謝ってあげるよ」
「わーーんっ! 委員長の優しさに全俺が泣いたーッ!!」
ドラゴンよりも尚恐ろしき存在である母に、フライパンを壊したことを知られてはならない。
既に晴太の頭はそのことで一杯になったのだった。
第一章完結です。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!
第二章に続きます。引き続き、楽しんで頂けたら幸いです!