017 激闘×大封印
薔薇の紅い髪が風になびく。
踵まである長く伸びた髪は、一本一本がまるで絹の様に細く美しい。
纏う制服のスカートの裾が翻る。上空にありながら、寒さを感じている様子は一切ない。それどころか、その顔には喜悦が浮かぶばかりだった。
薔薇の爛々とした黄金色の瞳が、目の前のドラゴンを捕らえている。
「次元の怪物よ! この次元から去るのならば見逃そう。さもなくば、死ぬがよい」
ドラゴンは両翼を大きく羽ばたかせる。大きく風を切る音を響かせて、突風が吹き荒れた。
風が前髪をかき上げ、頬を撫でるが薔薇は微動だにしない。
「ガァアアアァァァッ!!」
顎を大きく開いたドラゴンが咆哮を上げる。激しく頭を振り上げて、口内を炎で満たす。
炎を蓄えたままドラゴンは勢いよく首を振り、薔薇に向けて車一台分の大きさはあろうという炎の球を吐き出した。
「それが貴様の答えか。良かろう!」
周囲に火の粉を巻き散らしながら迫る火炎弾に向け、薔薇は右の手の平を向ける。
薔薇の手に触れるか触れないか。それ程までに間近に迫り、火炎弾はぴたりと動きを止めた。
轟々と音を立てて燃える炎に、薔薇はフンと鼻を鳴らして笑う。
「怪物の炎も存外にぬるいな」
にぃ、と口元を歪めて薔薇は右の肩をグっと引き、勢いよく火炎弾に対して掌底を打ち込んだ。
静止していた火炎弾は、まるで打ち出された弾丸の様に跳ね返る。
元来た軌道を辿るようにしてあっという間にドラゴンの元へ飛んでいき、その顔面に直撃して爆発した。
獣の咆哮が轟く。
咆哮ともくもくと上がる黒煙を切り裂いて、薔薇は一直線に空を駆ける。
瞬間移動にも近しい速さでドラゴンの目の前に迫ると、まだ濃い煙の中、その長い脚を大きく振り上げ、ドラゴンの顔面目掛けて振り下ろした!
鞭の様にしなる足が空気を裂き、破裂音を響かせてドラゴンの顔面をぶち抜いた。
「ギャァッ! ガァァア!」
「ははっ、これ程度。どうという事はなかろう?」
薔薇の嘲笑に反応して、ドラゴンが長く太い首を大きくしならせる。
払い除ける様な攻撃を宙を舞って軽々と避けると、薔薇はドラゴンの背後に立った。
「すまぬが遊んでやれる程、魔力に余裕がある訳ではないのでな」
ドラゴンの背に手の平を向けて、薔薇はその一点に全身の力を集める。手の平の前に渦を巻く小さな漆黒の球が現れ、一瞬にして手の大きさを超えて膨れ上がる。膨れた漆黒の球は、まるで空気を入れぎた風船が弾けるように消えた。
背に異変を感じたドラゴンが振り返ろうとするが、その身の自由が利かないことに気が付く。声を上げる暇もなく、巨体が重力に引かれて落ちていく。羽ばたきたくとも両翼は根元から失われ、背中の一部も大きくえぐり取られたように失われていた。
薔薇の作り出した漆黒の球が、ドラゴンの背面を飲み込み消滅させたのだった。
「お前の眠るべき場所は、地ではなかろう?」
落下しながらもまるで粘土のように体をぐねぐねと動かして再生を急ぐドラゴンの真横に、急降下する薔薇が寄り添う。
まだ形を残したままの太く長い首を両手で鷲塚むと、薔薇は落下の勢いをそのままに、片足を軸として体をくるりと回転させた。
「貴様が眠るべくは、門の奥よッ! 」
気合一閃。
薔薇に掴まれたままのドラゴンは、薔薇に振り回されて円軌道を描く。ぐるりと身を一回転させ、薔薇はドラゴンを掴んでいた手を離した。
ドラゴンは猛烈な勢いで、今度は空に向けてその身を投げ出されることとなる。
空気の抵抗をものともせず、ドラゴンの巨体はあっという間に天空高くの裂け目へ吸い込まれていった。
「イノリ! 今です!」
屋上から薔薇の様子を見つめていたジェードが叫ぶ。
既にいのりの足元を中心とした、巨大な黄金の魔方陣が完成している。
「今度こそっ……大封印――ッ!」
いのりは胸の前で組んだ両手を力強く握り締める。勢いよく天に登る光の柱に合わせて、ジェードも鞘から抜いた剣の切っ先を天に向けた。
「我が魔力、イノリに!」
剣の切っ先からジェードの魔力が離される。放たれた魔力は竜巻の様な渦を巻き、光の柱を囲う。二つの強烈な魔力が嵐となって、突風を生んだ。
「だぁーッ! 俺だって!!」
強烈な風に転ばされないように踏ん張って、晴太も負けじとフライパンを天高く掲げる。
晴太には、勇者の力の使い方など分からなかった。しかし胸の奥から沸き上がる熱こそが力であるのだということは、本能的に理解していた。
掲げたフライパンから再び白色の閃光が放たれる。
眩しさに目を細めながらも、晴太は思ったように力を使えたことに思わず笑む。
「俺のが凄いッ!!」
もっと輝けと念じながら上げた晴太の声に呼応して、フライパンが放つ光は更に輝きを増した。
光は巨大な柱となり、大封印の魔方陣から突き出る黄金の柱と並び立つ。
そびえる光の二柱が天を貫き、空の裂け目を飲み込んだ。
自身の目の前にそびえる光の柱に、薔薇はたまらず嘆息する。
その雄々しさ、その力強さ。全てが勇者のそれに等しく、近しい。
「これ程までに勇者の力を出したのならば、奴の自我とて保ちまい……ああっ! 出会えるぞ!」
両手で体を抱きしめるようにして、薔薇は耐え切れないほどの高揚感に身を悶えさせた。
光に飲み込まれた裂け目から、獣の断末魔じみた咆哮が響く。
薔薇に投げられた挙句、聖なる光に焼かれるドラゴンの悲鳴だった。
絶対的な力を持つ己が撤退を迫られている。次元に住まう怪物からすれば、これは異常な出来事だった。
ドラゴンの外見が泥のように崩れ去り、巨大な一つの眼球に形を変える。それこそが本来の姿に近しいものだった。眼球は光の眩しさに目を閉じる。
この次元は異常である。
次元の怪物が果たして本当にそう思ったのかは知れないが、怪物は闇の中、次元と次元の狭間にその身を沈めた。
自身から切り離した、一つの影を残して。